私の町 吉備津

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兄媛帰る

2015-04-19 11:46:35 | 古代吉備国
 日本書紀では、応神天皇のこの兄媛に対しての対応を「温情定省」という言葉を使って説明しています。
 
 少々話があっちへ行ったりこっちへ来たりして、どうでもいいのですが、まあ、私自身が暇を持て余して居る者ですから、そんな書きっぷりになりますのをご容赦ください。ということでお聞きいただきたいのです。

 「温情定省」とは、そもそも「親孝行をする」という意味の4字熟語ですが、この言葉を巧みに取り入れてこの話を創り上げております。まず、その原文からどうぞ!!!

 “天皇愛兄媛篤温情之情・・・・既多年還欲定省於理灼然・・・”
 
 これを、次のように読ましております。

 天皇<スメラミコト>兄媛が温情<オヤオモエル>の情<ココロ>の篤<アツ>きことを愛<メグム>で・・・既に多年<オオクノトシ>を経けり。還りて定省<オヤトムラマ>く・・・・

 どうですか!!!!。日本書紀の編者は、中国から入ってから、未だ、100年も経っていないにもかかわらず。その意味を的確に捉えて、しかも、それを日本語に上手に置き換えて読ましていたのでした。この日本人の感覚の鋭さには、我ながら感心しきりです。

 なお、この次には、「灼然」という言葉を使って、これも<イヤチコナリ>と読ましております。

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