私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

事代主神は「天逆手」を・・・

2018-07-13 09:16:49 | 日記
 御大之前から乗って帰った船を怒りをあらわにするように、どんどんと踏み傾けます。それでもなお、ご自分のお気持ちが修まらなかったのでしょうか?更に、その船の上で

             “天逆手”

 <アマノサカテ>を打ちます。
 この「逆手」ですが、普通なら手を打つのは掌を合わせるのですが、逆手です。どのように打つと言うと、両方の手の甲を討ち合わせる方法と片方の手のひらと反対の手の甲とを打ちあわす方法があるのだそうです。更にもう一つ片方の手のひらともう一方の手は真横にして打ち合わせる方法もあるようです。
 このような柏手の方法を採るのは、
          「物を咒う」
 時に使う方法だそうです。何かを大変に恨んで相手を心の中で謗る場合にする取る方法です。如何に事代主神がこのオホクニの提案に不満だったと言う事が分かります。この事が後の「出雲振根」の事件に繋がっているのではないかと思うのですがどうでしょうか???

 なお、このような解釈は宣長もしておりません。私の思いだけかもしれませんが???????????????        
          如何に思われますか。

事代主神は“蹈傾其船而”

2018-07-12 09:42:52 | 日記
 父オホクニが言った
 「天神にこの国を差し上げなさい。
 と云う言葉に抗しきれず

              ”立奉”

 「どうぞ、父上様の御存分に」ですが、<タテマツラム>でなく、タテマツリタマヘ>と随分と投げやりな言葉で返事をしております。
 このような解釈は誰もして無いのですが、私は、敢て、このような解釈をしております。その理由ですが、事代主神がしたことと云えば

             “蹈傾其船而<ソノフネヲ フミカタブケテ>”

 です。御大之前<ミホノサキ>から乗って帰られた船です。その船を踏み傾けるのです。どんどんと荒っぽく踏み傾けられます。御自分の意思に反したことが御自分の目の前で行われようとしているため。怒りをあらわにしたのではないかと思われます。「どうでもしやがれ」と云う心の現れではないでしょうか。真心を持って差し上げようと思っているのなら、そのような行為は起こらないと思うのでが、事代主神もやはり人の子だったのでしょうか。天上でお生まれになっていなかったので人に近い存在であったのでしょうか???

 読めば読むほどその面白さが心に響いてくるように万児られますよね!!!「古事記は}です。その悔しさは更に高まります。・・・・・

“立奉”は「タテマツリタマヘ」か「タテマツラム}か

2018-07-11 09:15:19 | 日記
         
           “立奉”

 ですが、これに宣長の古事記伝では、<タテマツリタマヘ>とルビがふってありますから、此の言葉はコトシロの父オホクニの言葉だと思っていましたのに、この言葉は、その後に続く文から考えても、オホクニの御子「事代主神」の言った言葉です。
 では、此の2字をどのように読めばいいかと云うと、私は、<タテマツリタメヘ>(謙譲語)ではなく

           <タテマツラム>

 (意思を現わす助動詞)でなくてはならないと思うのですがどうでしょううか???宣長先生も「ラム}と読んでもいいのだがと、但し書きで書いてありますが????
 
 もし、これを<ヘ>と読むのでしたら、コトシロが自分の意思とは随分に違った方法であったので、もしかして、すねて、
 「もう私はしらん!!!」
 と、云う投げやりな気持ちになって
 「おとうさん!!!!貴方が思うように、どうでもいいようにしたらいいが。なんでもかんでもさしあげたら・・」
 と諦め気分になって少々怒りをこめて言った言葉になるのではないかと思うのですが???

事代主神の言った“恐此”は・・・

2018-07-10 09:29:09 | 日記
 天鳥船神に連れられて還ってきた事代主神は、その父オホクニから、直接、その使者である建御雷神からでなくアマテラスの言葉を云い聞かされます。
 そこらあたりから、この事代主神の性格が読みとれるように思うのですが???年老いて引退したとはいえやはりオホクニです。出雲の国では、依然として、大変な権威を保持していたのではと思われます。
 「汝!!!!アマテラスのご命令に従うべきだ。」
 その時、事代主神は如何に考えていたのか分かりませんが、きっと、そうすべきが当たりまえだとは思わないで、 「もう少し自分でこの出雲を・・・」。
 と、心のうちに思いを秘めていたのかもしれません。その心を父「オホクニ」に鋭く読まれと自省されたのでしょう・・・コトシロは

            “語其父大神言恐此”

 と古事記には書いてあります。、その父オホクニの言った言葉に大変恐れ驚いてしまうのです。
 「恐れる」とは、辞書によると「相手に予期以上の能力が有るので、すっかり驚き、お手上げの状態を云う。」とあります。たった
           “恐此”
 の2字で、其の時のコトシロの心の奥までを見通せる心理を言い表しているのです。
 更に、この2字から「天皇の歴史」というか「日本の歴史」が始まるのです。日本誕生を生む言葉になったのです。

  どうです。私は古事記が大好きです。
 
 

副將”天鳥船神”が迎えに行って・・・・

2018-07-07 15:23:45 | 日記
 建御雷神の副將を務めていた[アメノトリフネ]が、大勢の神々と一緒に「御大之前<ミホノサキ>」に遊びに行っている「事代主神」を

           “徴来2

  <メシキ>。連れて帰ります。普通なら、その場で、建御雷神が、直接、アマテラスからの伝言を伝えるのが普通ではないかと思うのですが、そこが浅はかな私には分かり兼ねる所ですが、まず言葉を事代主神に懸けたのは、誰であろう父親のオホクニでした。
 「私は、既に、引退しており。総てのことは息子の事代主神に任せている。」
 と、言ったのですが、何を思われたのでしょうか、

           “此国者立奉天神之御子”

     <コノクニヲ アマツカミノミコニ タテマツリ タマヘ>

 アマテラスの御子に差し上げなさいと言います。引退していても、やはりオホクニは父です。その威厳を示そうとしたのは、もし、コトシロヌシが「いやだ」といったらとお考えになられたのでしょうか、御自分の意思を伝えております。そう命令してコトシロヌシの返事を待つのでなく、すぐに、そこら辺りが、古事記の持つ面白さでしょうか、誠に、不思議な行動に移されます。