私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「五百津<イホツ>」とは

2017-05-24 07:55:39 | 日記

 「五百津」という言葉が時々出て来ますが、これについて、本居宣長は

        “ただ数の多きを云、津は一ツ、二ツの都なり”

と、説明しております。そのような沢山の八坂勾璁を「五百津之御須麻流之珠<イホツノ ミスマルノ タマ>」、勾玉を沢山糸で連ねた珠を(御須麻流は御統でたばねるです)、天香山から「五百津真賢木<イホツマサカキ>」を根から引き抜いてきて、その沢山の枝が出ている木の上枝に、この勾玉を付けた珠を、まず、取りつけます。中枝には八尺鏡<ヤタカガミ>です。この「八尺」というのは周りの長さで、径の大きさは、二尺一寸にもなるのだと、これも宣長の説ですが、七〇cmぐらいの大きな鏡だったうです。そして下枝には白と青の丹寸手<ニギテ> を取り懸けます。ニギテは木綿<ユフ>です。白は楮の皮を、青は麻の皮を剥いで作った糸です。なぜ、この3つが、特に、ニギテです、たかが布切れにもなってない糸をです。それをわざわざ奉ると言うことの意味は理解しがたい所です。
 まあ、それはともかくとして、この場では、布刀玉命が、この真賢木を捧げ持って天石屋戸の前に供えます。なぜ、布刀玉命かと申せば、朝廷では、代々忌部が専門的に神への捧げ物は作っていたからです。その忌部の遠つ祖が布刀玉命です。


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