私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

衣通郎媛の近江から倭へ旅は・・・・

2016-06-19 10:11:17 | 日記

 衣通郎媛は、烏賊津使主の謀にまんまと乗せられて、天皇のいらっしゃる京にやってきます。

 又、脱線をしますが。この時、允恭天皇の都は、「古事記」には、“坐遠飛鳥宮<トホツアスカノミヤニ マシマシテ>”、“治天下也<アメノシタ シロシメス”とあります。

 この「遠飛鳥宮」というのは、現在の奈良県高市郡明日香村飛鳥にあったと伝えられておりますが、その場所をご存じのお方はお教え願えればと思います???

 この時、衣通郎媛一行は、烏賊津使主に案内されて、近江の坂田を出発してから、、“至倭春日”。そして、その場で“食于櫟井上<イチイノホトリニ  イイクラウ>”のです。
 この「櫟井」が、現在の櫟井付近だろうと推測できます。天皇が坐する「飛鳥」までは、後少しの場所です。そこで食事と言っても、例の旅行食である「糒」を食べただけの簡単なものだったのです。その時、媛は、此の旅の単なる慰労だけを兼ねたのではないと思うのですが、烏賊津使主に酒を賜まわっております。ということは、これまで、「死んでも、絶対に、天皇の元などへは行かない」と、頑な態度を取っていた自分への、旅行中における、書かれてはないのですが、色々な深い配慮があったことだろうと思われます。それへの感謝の気持ちの表れだと思えます。

 それは、また、次の、例の漢字「3字」の中に、色濃く言い表わされおるようです。

               “慰其意”

 と。それを

               <ソノココロヲ ナグサメタマフ>
 と読ましており、「意」とは何かを、読み手をして、深く暗示せております。 

 どうです。何回でも言いますが、「漢文字」というものの、その意味深長な、中国人以外の世界では、決して、見ることも、感じることもないだろう、誠に貴重で、世界遺産以上の独特な深い文化に我々日本人が能くすることができた喜びを、今、この書紀を読む事によっても、深く感じるのです。「行間」を読むと言うことはローマ字世界でもできますが、「文字間」を読むと言う事は漢字以外の文字では、決して、出来ない読み方だろうと思うのです。

 なお、是も蛇足になりますが、ここで私が書いた「日本人がヨクする」の場合、普通は「浴」ですが、そんな意味で、特に、「能」という字を使ってみましたが、どうでしょうか???

                


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