私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「女性差別」について ①

2021-02-16 10:21:24 | 日記
 この数日、コロナがどこか得吹き飛んだかのような「女性差別」の問題が森発言によって世の中を賑わしています。「どうしてこうも急に!!!」という感もなきにしも非ずだとも、料簡の狭い常識外れの古い私には思われますがですが、国際社会では、どうしても見逃すことができないような重大問題だったのでしょう。若し、この問題が日本という小さな社会だけのものであったならば、これほどの世界的な大問題にはならなかったと思います。それだけ日本社会の持つ独特の後進性を物語ってはいますが???

 私は昭和60年に出た岡部伊都子の「優しい出会い」という名著を大切に保管しております。もう今から35年も前の本です。その本を久しぶりに開いて読みました。
 今日はこの本に書かれている彼女の「日本の女性差別論」を紹介して、今、日本で社会的大問題になったいる女性差別について、私らしくないテーマに取り組んでみたいととんでもないことに挑戦せてみます。

 なず、彼女は
「あなたは、女性差別をしたことがありますか」
 と問いかけます。それも色々な差別に取り組んでいる男性に対してです。
 朝鮮問題、差別、沖縄・・・
 その頃は、まだ日本では、これら一つ一つの差別現象が、本来ならばお互いに絡みあっていて分かちがたいものであるにもかかわらず「別々意識」が、他の差別の苦しみを,自分御問題としないで、傍観していたのです。・・・」
 そのために長年にわたって為されてきた差別

 人種・宗教・思想・労働・障害・疾病・地域・貧富・学歴・美醜・被差別・それらすべての底を支える女性差別   

 が差別と意識されないままに生活の中に根をしっかりと伸ばして、長年の通念としてなれきっきしまって、不当にも当り前のこととしてみなされてきたのです。

さて、最終章に・・・

2021-02-15 11:35:48 | 日記
 "亦於姓日下謂玖沙 訶於名帯字多羅斯 如此之類隋本不改”

 と。「名前の「日下」を「クサカ」と読んだり、「帯」を「タラシ」と読んだりするものは、古来より伝わっている字をそのまま使い、本のままにして変えませんでした。」
 なお、これに関して、宣長は、例えば、書紀には「伊弉諾尊」とあるを、古事記には「伊邪那岐命」と、また、書紀の「素戔嗚尊」は古事記では「須佐之男命」としている記していると説明しています。

 ”大抵所記者、自天地開闢始、以于小治田御世”
  「古事記に書いたのはたものは天地開闢から推古天皇時代のことです。」

「古事記序」もいよいよ終わりです。

2021-02-14 14:46:28 | 日記
 誰もが知りえないような中国から渡って来たばかりの最新の人間の宝であると言ってもいい「漢字」という文化を縦横無断に使用して書き並べた太安万侶の心意気を常に感じながら、また、宣長先生の助けを頂きながら ここまで読み進めてまいりました。
 これを読み進めて行くと、福沢諭吉が横浜で感じ取った英語を読むということだけに重きを置いた明治の頃よりも、もっと深遠なる文化の偉大さを新鮮に受け止めて、他国の文化をいかに我が国の制度の中にはめ込んで、我々の生活の一部とすることを可能にしたかが、この短い一文からさえも読み取ることができます。
 この序を読み終えて、そのような思いが今更のように思えてしかたありません。そのようね偉大なる先人い支えられて、紫式部も西行も芭蕉も、更に、諭吉も生まれ出てきたので。そのようなことをつらつら考えていきますと、我が国最初に伝わったのが「漢字」であった幸せをもう少し深く我々は感じるべきではないでしょうか????
 
 なお、始め、私は、この序文は、太安万侶の天武や元明などに対する「ゴマすり」だ、いや「忖度」だと書いたのですが「親の心子知らず」で、大きな誤り間違いでした、大いに反省しています。

太安万侶の人柄が文中に・・・・

2021-02-09 11:42:37 | 日記
 更に、太安万侶は言います。

 “全以音連者、事趣更長。是以今或一句之中、交用音訓。或一事之内、全以訓録。即辞理叵見、以注明意。況易解更非注”

 と。なお、この中に「辞理叵見」とある文中の「叵」の字ですが宣長もわざわざは取り上げ、「難」、即ち、<カタキ>と説明しています。
 この意味を簡単に書けば
 「音だけで書くと長くなるので、音や訓を交えてて書きました。また、訓だけで書くと、その内容が理解でにくく、注としてその意味を付けたし、その解釈ができるのはそのままにしておきました。」
 です。
 
 このご丁寧なる説明を、敢て付け加えている「太安万侶」という人の、人柄のやさしさというか学者としての親切さが、この一文を読んでも、この中から読み取れますよね。

 「古事記」は目にしても、あまりこの太安万侶が書いた「古事記序」まで読む人はいないように思うのですが、もっと多くの人が目にしてもいいのはないでしょうか???
 というわたしもその例の中の一人ですが・・・・

上古の和言を・・・

2021-02-08 11:45:56 | 日記
 “已因訓述者、詞不逮心”

 たったこれだけの文を見ても、太安万侶は何を言っているのか分かりません。宣長は

 「字の訓を取用ひて古語を記せる」

 と。要するに、漢字の訓だけで古語を書けば、心、即ち、古語の意が十分に読む人に伝わらないと書いています。「不逮」は<オヨバズ>と読みます。
 
 一事が万事です。素人にはこれほど読むに難しい文はありませんよね。まあ源氏でもそうですが・・・・まあ、焦らず焦らずです。