
石見の伝説と歴史の物語−61(元寇−2 北条時宗)
26.1.2. 北条時宗 元寇について この元寇は日本史上、一、二を争う重大な出来事である。 歴史にIFは無いといわれているが、元寇の結果が違っていたら(つまり...

石見の伝説と歴史の物語−62(元寇−3 文永の役)
26.2. 文永の役 フビライは、文永10年・至元10年(1273年)4月に日本に派遣した6回目の使者も返書を持ち帰らないことが分かると、日本侵略の準備を始める。 文永1...

石見の伝説と歴史の物語−63(元寇−4 朝廷と鎌倉幕府)
26.3. 朝廷と鎌倉幕府 朝廷 博多の総司令官、小貳景資が元軍来襲を伝える飛脚を京都に送ったのは10月9日前後である。 その急報が京都に届いたのは、10月18日といわれてい...

石見の伝説と歴史の物語−64(元寇−5 諦めないフビライ )
26.5. 諦めないフビライ フビライは日本を属国化することを諦めていなかった。 フビライは遠征軍の首脳部を叱責した記録がない。 「優勢に戦っていたが、...

石見の伝説と歴史の物語−65(元寇−6 弘安の役)
26.7. 弘安の役 元は1279年(弘安2年)に南宋を滅ぼした。 フビライは弘安2年(1279年)杜世忠ら使節団が斬首に処されたことを知らないまま、周福を正史として8回目の使...

石見の伝説と歴史の物語−66(元寇−7 元寇後)
26.8. 元寇後 26.8.1. フビライの三次日本侵攻計画 フビライは日本侵攻を諦めきれず再度日本侵攻を計画した。 弘安5年(1282年・至元19年)7月、フビライの再侵...

石見の伝説と歴史の物語−67(中世前期の石見の来住者−1)
27. 中世前期の石見の来住者 鎌倉時代の初めまでは、人々は遠くに移り住むことは少なかった。 有力な武家でも、分家した一族は惣領の近隣の地に住み、その地を開墾して惣領を支える、...

石見の伝説と歴史の物語−68(中世前期の石見の来住者−2)
<鎌倉末期の石見豪族達の大まかな分布図> (図の点線は現在の市町村の境界を示す) ...

石見の伝説と歴史の物語−69(中世前期の石見の来住者−3)
27.5. 石見小笠原氏 小笠原氏が石見国に姿を現わすのも、吉見氏と同じく弘安の役 (1281年) で沿海防備のため益田周辺に進駐してきたのに始まる。 やって来たのは、四国阿波...

石見の伝説と歴史の物語−70(中世前期の石見の来住者−4)
<鎌倉末期の石見豪族達の大まかな分布図> (図の点線は現在の市町村の境界を示す) 27.6. 平田氏 平田氏は文治4年(1188年)平田嘉貞が伊賀国平田邑より移って今...