
石見の伝説と歴史の物語−107(足利尊氏叛乱−8)
34.足利尊氏叛乱 34.9.叡山の陣 34.9.4. 尊氏の誘い(和睦の提案) 叡山も坂本も益々兵糧が乏しくなって兵士たちの不安も増してきた。 孤立した官軍から抜けていく...

石見の伝説と歴史の物語−106(足利尊氏叛乱−7)
34.足利尊氏叛乱 34.9. 叡山の陣 34.9.1. 後醍醐天皇叡山臨幸 官軍の総大将義貞はわずか六千余騎になるまでに討たれて湊川から京に帰ってきた。 京中は大騒ぎとな...

石見の伝説と歴史の物語−105(足利尊氏叛乱−6)
34.足利尊氏叛乱 34.8. 湊川の戦い 34.8.1. 正成と義貞の会見 5月24日、正成は兵庫に着くと新田義貞と会見した。 義貞は自分の心境を正成に語った。 「昨年...

石見の伝説と歴史の物語−104(足利尊氏叛乱−5)
34.足利尊氏叛乱 34.7. 楠木正成の西下 加古川に在った新田義貞は、陸からも海からも足利軍が向かってくることに困惑する。 直義率いる足利陸軍と戦えば、海から尊氏率いる海...

石見の伝説と歴史の物語−103(足利尊氏叛乱−4)
34.5. 新田義貞の西下 足利尊氏討伐の命を受けた新田義貞は5万騎余りの軍勢を率いて西国に下った。 ...

石見の伝説と歴史の物語−102(足利尊氏叛乱−3)
34.4. 足利尊氏都落ち 尊氏は丹波の篠村まで撤退し、さらに篠村から曾地(兵庫県丹波篠山市)に移り、京の奪還を図る。 ...

石見の伝説と歴史の物語−101(足利尊氏叛乱−2)
34.2. 後醍醐天皇東坂本遷幸 年が明け(建武三年(1336年))ると足利軍と官軍の攻防戦が始まる。 10日、淀川近辺で両軍は激突する(淀大渡の戦い)。 この戦いは義貞らの...

石見の伝説と歴史の物語−100(足利尊氏叛乱−1)
34. 足利尊氏叛乱 尊氏は、反乱軍を鎮圧すると、そのまま鎌倉に留まった。 「太平記」や「鎌倉大日記」には、この時に 尊氏ノ鎌倉ニ入ルヤ、自ラ征夷大将軍ト称ス とあるが、こ...

石見の伝説と歴史の物語−99(動乱の鼓動−2 中先代の乱)
33.2. 北山殿の陰謀 西園寺公宗という公卿がいた。 官位は正二位、権大納言であり、役職は「関東申次」であった。 「北山」と号した。 「関東申次」とは鎌倉幕府と朝廷との間...

石見の伝説と歴史の物語−98(動乱の鼓動−1 護良親王の幽閉 )
31.動乱の鼓動 後醍醐天皇は元弘4年(1334年)1月29日、元号を建武に改元した。 31.1護良親王の幽閉 ...