
石見の伝説と歴史の物語−207(福屋隆兼の没落)
63.戦国の石見(続き−2) 63.5.福屋隆兼の没落 63.5.1.福屋隆兼の逃亡 65.5.1.1.福屋隆兼の行動 川上松山城を落城させ、福屋隆...

石見の伝説と歴史の物語−206(川上松山城攻め)
63.戦国の石見(続き) 63.6.松山城攻め 63.6.1.松山城 城は、江津市松川町市村の山頂に築かれていた。 <「石見の城館跡」より> ...

石見の伝説と歴史の物語−205(福光城・中ノ村城合戦)
63.戦国の石見−6(続き) 毛利氏が、小笠原氏の投降に伴い、江の川南岸 ・大森銀山方面所領を没収したが、それとひきかえに福屋氏の井田・波積領を小笠原長雄に給与した。 ...

石見の伝説と歴史の物語−204(重富城の攻防)
63.戦国の石見−6 尼子氏の滅亡 毛利元就は石見中央の邑智郡の支配者小笠原氏を降参させ銀山を手中にしたが、石見にはまだ尼子に通ずる武将がいた。 元就は、こ...

石見の伝説と歴史の物語−203(毛利銀山を奪還する)
62.戦国の石見−5(続き−4) 62.4.毛利銀山を奪還する 石見銀山を手に入れた尼子晴久は、信頼できて、しかも豪勇の本城常光 (高櫓城主)を山吹城の城将に...

石見の伝説と歴史の物語−202(温湯城攻防戦伝承)
62.戦国の石見(続き−3) 62.3.温湯城攻防の伝承 赤城と温湯城の争奪戦に際し、先ず小笠原方は村之郷方面より撤退し、井原方面の合戦に敗れて戦力弱体化に進む...

石見の伝説と歴史の物語−201(温湯城攻防戦−2)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦(続き) 62.2.4.温湯城攻め(2) 5月上旬、毛利元就は、毛利隆元、小早川隆景以下七千の大兵団をもって、...

石見の伝説と歴史の物語−200(温湯城攻防戦)
62.戦国の石見−5(続き) 62.2.温湯城攻防戦 温湯(ぬくゆ)城(邑智郡川本町)は矢谷川と支流の会下川が合流する三角地帯の標高219mの山頂に石見小笠原氏によっ...

石見の伝説と歴史の物語−199(毛利の石見進出)
62.戦国の石見−5 弘治元年(1555年)、陶晴賢が毛利元就との厳島の戦いで敗死すると、大内家は急速に衰退していった。 弘治3年(1557年)3月、毛利元就は山口へ...

石見の伝説と歴史の物語−198(厳島の戦い)
61.戦国の石見−4(続き−8) 61.4. 尼子・毛利の対決(続き−4) 61.4.9.厳島の戦い概要 ...