昨日、少し遅れて予備校に入ってきた生徒のお母さんからお手紙をいただきました。
・・・・野球をやめた夏からお世話になって、国公立の2次試験に落ちた後、学校にも塾にも報告をせず、「次どうするの?」と聞いても何も答えない。心配と不安で毎日を過ごしていました。
主人は、「ほっとけ!これではアカンと本人が本当に気付いたときに、行かせてやったらいいんや!」と言って毎日毎日、仕事に連れていくのです・・・・・
好きな野球をやらせてもらって、野球では活躍している姿を親に見てもらうこともできず、野球が終わってからは、塾に行かせてもらって、一緒に来た桐蔭の仲間は、全員国立大学に合格を果たしたのに、落ちたのは自分だけ。親に対して申し訳ない、自分自身が情けないという気持ちでいっぱいだったと思います。このまますぐに浪人生活に入っていって、はたして、今までの自分とは違った自分になれるのか?悩んで悩んで苦しんだと思います。
そんな中で、3月から、父の仕事について現場に行くようになり、父の働いている姿を一番近くで見て、働いて家族を支えるというのはどういうことなのかを、心の底からしっかりとわかって、心が少しずつ変わってくる。
・・・・本人の口から、「KGに行く。授業料を払ってください。がんばります!」という言葉がありました。その言葉を聞いた主人の顔は私以上に喜んででいたような気がします・・・・・
どんな言葉をかけるより、どんな偉い人に説得されるより、親が必死になって働いている姿を子供に見せる。一日ではなく、毎日毎日、一緒に仕事をして、「働く」という事はどういうことなのかを子供にしっかり見せてやる。それが子供に対する親の最大の「教育」ではないかと思います。
去年の夏、桐蔭は小倉高校の100周年に招かれて遠征に行きました。私も同行しました。福島投手、原捕手、ヤクルトスワローズの安田投手・・・数々の名選手だったOBがそろった「晴れの舞台」であるその試合に、彼はベンチ入りせずに、ユニフォームを着て、ネット裏に座って試合を見ていました。ベンチに入れなくても、自分にはチームに役に立てることがあると覚悟を決めていたようでした。
夏の大会前の紀三井寺での球場練習。一通りの練習が終わって、紅白戦。試合に出られない3年生のメンバーも出場して、名前をスコアボードに入れてもらって、出れないメンバーが大活躍をして、仲間や練習を見に来た父兄たちから大きな歓声を浴びたそうです。彼らにとっての「夏の大会」でした。
手紙の最後に、・・・・「桐蔭高校野球部OBボールボーイの母」・・・・とありました。
試合に出られなかったメンバーだからこそ、余計に、「桐蔭の野球部」としての誇りを持って生きていってもらいたいと思います。試合に出る出ないは、あとになって考えれば、微々たるものしすぎません。そこで過ごした3年間をこれからの人生にどう生かしていくか。
これから始まる予備校生活も、野球に負けないくらい肉体的にも精神的にも苦しいものです。自分が本気になればなるほど苦しさは増してきます。ただそんな時は、3月、4月の2ヶ月間、お父さんと一緒に働いた日々を思い浮かべてください。それと比べれば、どんなことでも乗り越えられる。
素晴らしいお手紙、本当にありがとうございました。すぐに結果だけを求めて、意味のあることだけしかしないような風潮がある今の時代に、素晴らしい親の姿を見せていただきました。
僕らも親に感謝する気持ちを忘れやんと、
頑張らなあかんなって思いました!
久々にコメントさせて頂きます。
ただ一言ええ話ですわ・・・残業しながら涙が溢れて仕事出来ません。
お父さん嬉しかったやろうなぁ・・・。
勇気の出るコメント、ありがとうございます。