おはようございます。昨日は、26233歩。病院の往復を歩いたのでかなりの歩数になった。
6月15日。国会南通用門で今年も追悼集会が開かれる。1965年、6月15日、国会に突入した全学連と警察隊とが衝突した時に死亡した東大生女子、樺美智子を追悼する集会だ。幼いころから貧富の差に気づき、恵まれている自分の境遇に後ろめたさを持っていた彼女。
東京武蔵野で生まれた彼女は、父が神戸大学の教授になったので関西へ。芦屋に住んで神戸高校に通う。高校でも、おかしいと思うことには先生にでも突っかかっていく性格だったらしい。炭鉱不況で公布の家族の生活が苦しいのを知るとカンパを集めたそうだ。その当時の時代背景もあって、若者は、政治を今以上に熱く語る時代だった。浪人生活を経て東京大学へ。活動に深く入っていく。
彼女のことを昨年の浪人生の日本史の時間に話した。戦後の安保闘争の話をしていた時だ。山川の用語集には載っていない。50年代最後に生まれた私たちが大学に入った時には、学生運動はすっかり下火になってしまっていた。少し興味のあった私は、自治会の組織に入ろうとしたが、あまりの現実とかけ離れたことを話す先輩に、やはりおかしいと思ってやめた。そのあとは、大学レジャーランドの幕開けとともに流された大学時代だった。だからこそ余計に彼女の話をしたかったのかもしれない。
「先生!今日の政治史の授業に、樺美智子出てきました!」
法学部に進んだOGからのラインが届いた。樺美智子のことを、心のどこかに留めていてくれたことがうれしかった。入試が終わって、教えたことをすべて忘れてしまっても、心のどこか片隅に残っているもの。そんなものを持っていてくれたら、これ以上の喜びはない。合格の連絡をもらった時と同じほどうれしい一日だった。