高木浩光@自宅の日記 - 2年前に書いた懸念がいよいよ現実のものになりつつある
個人の違法性(の疑い)がコンピュータウィルスで暴露される,という話.
手段の違法性(違法ではないけど)を越えて,結果の正当性が優越してしまっているのは,古くからある道徳の問題だが(Kohlbergの選択的ジレンマの研究などは,まさにこの手の問題をどう考えるのかをテーマにしている),行為者(このケースは校長先生)や暴露された個人情報が変われば,人々の判断も(そして,判断の枠組みも)変わるんだろうか.
風評の流布のような社会的制裁が,法と治安システムに則った制裁に先行する,というのは,松本サリン事件等いまに始まったことではない.以前と違うのは,ネット社会の発展によって,このような制裁が比較的やりやすく(起こしやすく)なったことと,社会的制裁が誤りだった時に,被害者の名誉回復が非常に困難なことだろう.
「炎上」「祭り」のようなものは,以前のネット社会なら一部の掲示板など限定的な騒ぎであったのだが,「ネットで話題の出来事」をネタにするニュースサイトが出現したことで,より衆目を集めるようになっているよう思う.
個人の違法性(の疑い)がコンピュータウィルスで暴露される,という話.
手段の違法性(違法ではないけど)を越えて,結果の正当性が優越してしまっているのは,古くからある道徳の問題だが(Kohlbergの選択的ジレンマの研究などは,まさにこの手の問題をどう考えるのかをテーマにしている),行為者(このケースは校長先生)や暴露された個人情報が変われば,人々の判断も(そして,判断の枠組みも)変わるんだろうか.
風評の流布のような社会的制裁が,法と治安システムに則った制裁に先行する,というのは,松本サリン事件等いまに始まったことではない.以前と違うのは,ネット社会の発展によって,このような制裁が比較的やりやすく(起こしやすく)なったことと,社会的制裁が誤りだった時に,被害者の名誉回復が非常に困難なことだろう.
「炎上」「祭り」のようなものは,以前のネット社会なら一部の掲示板など限定的な騒ぎであったのだが,「ネットで話題の出来事」をネタにするニュースサイトが出現したことで,より衆目を集めるようになっているよう思う.