私の幸せを追求してみる

着物だとかスピリチュアルなこととか

私の中心に私を置く

2014-12-08 20:03:17 | 言葉や導き
先日、『在』という文字を書きまくってグラウンディングという感覚を得た私に
今日降りてきた言葉は『己の中心に己を置く』というものでした。

自分自身が自分を認め、揺るがない自己を心の中心に据える。
イメージとしては、坐禅の『坐』の字のような感じです。

人間関係に振り回されてしまうとか
人に頼られること、人の役に立つことに『依存して』しまうとか
(いわゆる共依存という意味であり、奉仕や布施の精神とは似て非なるものです)
人の反応を過度に気にしてしまうとか、一人でいることが耐え難くつらいとか
そういう状態というのは自分の中心を相手や他人に明け渡している状態ではないかなぁと思います。

自分を認め、揺るがない自分を自分の軸とすることで
自分と他人のバランスが上手に取れるようになるのではないでしょうか。

モラハラを受けて自己評価が病的に下がっていることに気づいたばかりの頃
自己啓発の本やビジネス本を読みまくり、知識で武装しようと躍起になっていました。

知識を得て、考えて考えて。

もちろん、一つひとつ何かを会得することで自分に自信をつけるというのも
自己評価を上げるためには大切なプロセスではあるのですが
「もっと知識を」と渇望するということは、潜在意識下では
『今の自分では不十分である』ということになってしまうのでしょうね。

知的好奇心を満たす、というのとはとっている行動や手段は同じでも
その根本にあるものが違うので、不安や焦燥感からは、どうりで解放されないわけです。

自分の心の中にこそ、自分の居場所があるのだと、今では安心感とともにそれを信じられる。
だからどこに居ても誰と居ても一人でいるときでも、寄る辺ない心細さはもう、感じません。


神様や仏様のお導きは、時に大きな方向転換をもたらすこともあるけれど
進むべき道を照らした後は、ゆっくりとゆっくりと
その人の成長度合いや歩調に合わせて下さっているのだなぁと
本当に、本当にありがたく思います。

『在』という字とグラウンディング

2014-12-06 14:43:02 | 言葉や導き
少し前のことになりますが、筆ペンを衝動買いし、だからと言って何を書くでもなく眠らせておりました。

そして先日、増上寺の夕勤行でお経のシャワーをたっぷりと浴びさせていただいたあと
本屋に行こう!と思い立ち、浜松町の文教堂を覗いたところ、
林香都恵さんという方の書かれた『一文字セラピー』という本が平積みになっていました。
それを見て、これはあの筆ペンを使うチャンス!と思い立ち、購入。
(筆記具は、自分が書きやすいもの、書いていて心地よいものなら何でもOKとのことでしたが
私は筆ペンが使いたかったのですw)

本の内容というか使い方としては
「こういう気分の時にはこの文字を書いてみましょう」といったもので
悩み事で眠れないときには『切』という字をゆっくりと大きく書いて
心をリセットしましょうとか、固定観念に縛られて身動きが取れないときには
『飛』という字で飛躍の度胸を付けて軽やかに飛び立ちましょう。
というもの。


その中に、『在』という字には自分の存在を認める力がある、と、ありました。


子供の頃、いい成績を取ることでしか親の関心を引くことができなかったこと
大人になっても、職場でのいじめや孤立、夫からのモラハラなどで受けてきた
無力感や自己否定は、私を認めてくれる人たちとの出会いや鬱病の治療
神社やお寺への参拝などにより、かなり改善されてきているとはいえ思いの外根深く

(実際、医師からも、何十年という間受けてきたストレスで鬱病になっているから
感知するのにもそれなりに時間はかかりますよ、と言われています)

‘自分を認める’と、顕在意識のうえでは解っていても、潜在意識にまで
それを落とし込むことの難しさを痛感していたところだったので
このページに出会うために、導いて頂けたのだと思いました。


そして実際に書くと、当然、一発で満足いくような字など書けるものではなく
何度も何度も書いて、けれど筆ペンのインクは少なくてあっという間に掠れてしまうし
紙も大量に消費するので、ついには仕事帰りに筆と半紙、墨汁などを買い込んで
さらに大きな字で、『在』という字を書きまくっていました。

そして昨夜、入眠する直前に突然‘地に足がついた’と感じました。


和服を自分で着られるようになり、神社やお寺への参拝を繰り返して護られていることに気づき
筆で文字を書くことで書道にも興味を持つようにもなり、ああ、私は日本人だなあと思い
この日の元の国を足の下に強く、その繋がりを感じ、この国のどこもかしこも
そして、この世界のどこもかしこも、私の居るべきところ、在るべきところであり
どこに居てもいいのだと、感じることができました。


今回、同じ文字を繰り返し繰り返し書くことで、
それがアファメーションとなって潜在意識に落とし込めたのではないかな、と思われます。

そう考えると、書くのは良い意味を持った言葉や文字にしないと危険ですね。
間違っても‘金けt(ry’なんて書いたら…怖いですw




一文字セラピー
林 香都恵
日本文芸社

おみくじ(辛口)

2014-12-04 21:31:49 | 言葉や導き
先日の芝東照宮でおみくじ付きの『禊紙(みそぎのかみ)』という
ありがたいウェットティッシュを授与して頂いて来ました。



そして、おみくじ。


中吉

「良い結果を得られれば、自身の成長に繋がる。
結果までの過程も大事だが、結果を出してこそ一人前と評価されるもの。
途中の過程で自身を評価することは、自己満足に過ぎない。
結果にこそ、すべてが凝縮されているのだ」

願望:結果に満足すると後に失う
健康:我慢することも健康につながる
仕事:良くも悪くも結果こそすべて
勝負:攻撃は最大の防御なり
金運:金を当てにすると貯えも底を突く
人望:勇気を持った行動は人の心を動かす


なかなか痛いところを突かれた感じですが
どの占いにも「今は成長の仕上げで、次のステージに進むとき」出ていることもあり
あとひと踏ん張り!と思っておりましたが、小さな成長や小さな成功に満足せず慢心せず
常に上を目指し続けなさい、という神様からの叱咤激励を頂けたのだと思うと
とてもとても有難くて幸せだなぁと思います。


「途中の過程で~」の件を特に、心に刻み付けて漫然と時を無駄にしないよう
そして、いつでも神様は見守ってくださっているのだと安心して
日々を時を大切に、高みを目指して生きてゆきたいと思います。

芝東照宮へお参りするといつも良いものを見せてもらえる

2014-12-03 20:46:26 | 日々是開運
芝東照宮。
ご祭神は日光東照宮と同じく、ご存じ徳川家康公。
東京都港区の芝公園の中で、増上寺の並びにあります。

日光のとは違ってこぢんまりとはしていますが、鷹揚で力強い‘気’に包まれている感じがとても心地よいです。

こちらの敷地内の、三代将軍家光公お手植えと言われる大銀杏(公孫樹)も大好きで
行けば必ず4~5分は見上げていると思います。
和服の時だと、抜いた衣文に後頭部が当たりますw

木の下にいると、木が吸い上げた大地のパワーを‘おすそ分け’のように降り注いでくれます。
それが心地よくて、木を見ると枝の下に入って気のシャワーをざぶざぶと有難く浴びさせてもらっています。



これが公孫樹。
秋なのでほんのり色づいていますが、何しろ大木なのですでにまっ黄色の若い銀杏と比べて
まだほとんどの葉が緑色をしています。


ところで、タイトル。

この芝東照宮にお参りする度、面白いものであったりきれいなもの、おめでたい光景など
『良い物』を見せていただけます。

最初は、リアルマリオカートw
神社から歩道に出ようとしてまずは右側を確認した瞬間、目に入ってきたのは真っ赤なキノコ…
もとい、キノコを被り遊園地にあるようなゴーカートみたいな乗り物に乗った男性。
えっ!?と思って改めてみると、キノコの後ろには真っ赤なマリオと緑のルイージ。
ちなみにちゃんと、ナンバープレーとはついていましたw

次に行った時には、帰り道、増上寺の土塀を背景に写真を撮る色打掛に綿帽子姿のお嫁さんに
紋付き袴の旦那さんという、若き新婚カップル。
写真を撮っていたのは結婚式場の担当さんと思しき男性。

前回は鳥居横の空き地にぽつんと一輪だけ咲いた、紫色のクロッカス。

そして今回。
前回お花を見せていただいて嬉しかったとお礼を申し上げ、歌碑を眺めたりして
境内をうろうろしていたところ、目の前の小枝に見たこともない色柄の小さな小鳥が!
あわてて写真を撮ろうと、スマホを取り出している間に逃げられてしまいましたが
狐色の胴体に、青い頭。同じく青いツバサに白色の斑点。
翼には白い小さな星がそれぞれ一つずつ。
それはそれはきれいで可愛らしい小鳥でした^^

こんな感じで、毎度いろいろな良い物を見せてくださいます。
大権現様、太っ腹です。