私の幸せを追求してみる

着物だとかスピリチュアルなこととか

思い込みを手放して、自分の枠から踏み出してみる

2015-08-09 20:34:46 | 思うこと
物事は何でも、自分の目で見て自分の耳で聴いて、自分の肌感覚で触れてみないと分からない。
偏見や思い込みは自分の枠を小さくガチガチに固めてしまう。

その小さな世界の中で、私たちは自分に限界を設定して
己の無力さを呪ってみたり小さな優越感に浸ったり
他人を見下してみたりと、つまらない小競り合いをしている。
失敗をすること、間違えることを恐れて、息を潜めるように目立たないように細心の注意を払ったり
自信の無さを覆い隠そうとするかのように、他人を威嚇してみたり。

安定はあるが自由度のない職場は人員を増やすことに消極的で、
いつだって抱えきれないほどの仕事に追われ、クタクタになって帰宅の途につく。
仕事をこなすことだけが人生の目的になってしまい、夢を手放したことすら忘れたかのような上司たちは
私たちの余暇を食いつぶすことに対して、当然、ひとかけらの疑問も抱かない。


ねえ、私の夢って何だった?
私の人生の目的って、身を粉にして会社のために働くこと?
正社員でもなく、単なる契約社員だってのに?


職場の人間関係は良い。
彼らのために尽力すること自体はやぶさかでない。

でも、でもね?

健康のために食生活を整えたくとも、無農薬の野菜や抗生物質を投与されてない動物の肉は割高で、
安全な食品を毎日取り入れるにはお金がかかり、栄養が偏ったり
保存性をよくするための添加物の入った安価な食品を食べ続けて、アレルギーや成人病のリスクを高めている。

そんな小さな枠の中で、私たちは日々ストレスをためながら己をすり減らして生きている。


昨年秋の健康診断に引っかかっていたことも忘れて
「体力のキャパシティ上げないと!」
などと息巻き、睡眠時間を削って筋トレに励んだりしていたところ、当たり前だが体調を崩した。
疲れがピークに達したり、自律神経のバランスを崩した時に必ず出てくるおなじみの症状や疾病が
これでもかというほど一気に出た。

そんなガタガタの身体とメンタル状態の中で
神社仏閣好きで、スピリチュアルや願望実現・引き寄せの法則大好き人間の私は、自分自身に問いかけた。
「私の人生、このままでいいの?」


よくない。
ってか、この枠の中で右往左往していたって、住宅ローン(自己負担分)や、
うっかり着物を買い過ぎた支払いに追われるばかりで(これは自己責任)
時間もお金も余裕なんてできない。
いつまでたっても(モラハラ夫と)離婚できない。


体調を崩しても自分の余暇を食いつぶされても、自分を守るのも自分を幸せにするのも自分の責任。
「私はこんな小さな枠の中にずっといるのか?」
現状を変えるなら、自分にかけてきた制限を取り払って行かなければならない。

本屋で一度は素通りした、ジョセフ・マーフィー氏の
『欲しいだけのお金が手に入る!』
という本を手に取った。
興味はあっても、タイトルがあからさま過ぎてレジに持っていく勇気側なかった本だ。
‘お金儲け’をはしたないこと・悪いこと、のように思ってきた。そういう教育を受けてきた
その制限を取り払ってみようという気になったのだ。

私が入り込んでいた、小さな枠からほんの片足を出してみた。


体調を崩して我に返る以前、私は、代々木八幡宮や近所の鮫洲八幡神社の出世稲荷さんに手を合わせては
「正社員に登用されますように」
などと、可愛らしい願掛けをしていたものだが、ボロゾーキンと化した私の目の前に
舞い込んできたのは、なんとネットワークビジネスの話だった。

「お前、いつまでもそんな小さな枠の中にいるわけ?」
と、お稲荷さん(というか眷属の狐さん)がニヤニヤしている姿の妄想つきだ。

(参考:鮫洲の出世稲荷さん)

それまでの私は、世の多くの人々と(おそらくは)同じように
ネットワークビジネス=ねずみ講!悪いお金儲け!
と、ガチガチな偏見のまなざしを向けていた。

けれど、このときはまあ、聞くだけ聞いてみようという気になった。
誘われたセミナーとやらに行ってみることにした。
もう片足も出してみてもいいかな。まぁ、聞いてみてやっぱり「ねずみ講!悪!」と思うようなら
断って走って逃げればいいや、と。


神社仏閣好きで信心深い私は、おかげさまでとても運がよく、
苦しいときや辛い時に導いてもらえたり、大小様々な場面で守っていただけたりと
見えない力の恩恵を普段から感じている。
だから、今回の話だってほんとうに危ない話だったら、そもそも私の前には来ていない。

あるいは間違いだったとしても、私の学びとなるのだろう。


何事も自分の目で見て確かめて、思い込みの小さなブロックを突き崩して出てこい、と。
背中を押されて(という気になって)腹をくくって馴染んだ枠から出てみれば
思いのほか心は凪いで不安はない。
これまでいちいち苛立っていた些末なことにも何故だかとても寛容で居られる自分に気づく。


変化を怖がっていたら、自分の枠からは出られない。
思い込みや古い価値観に縛られたままではブレイクスルーは起こらない。

古い価値観を一つ手離して一歩を踏み出してみた時に
ワクワクする心を感じたなら、それはきっと見えない力のGOサインだ。

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