私の幸せを追求してみる

着物だとかスピリチュアルなこととか

導かれて、人生が変わったという体験

2014-08-30 11:15:56 | 言葉や導き
4年程前、求職中に見つけた派遣会社の紹介で、今の会社(現在は直接雇用)で働くようになった。
ハローワークで紹介を受けた中の一つで、履歴書を送ってから一週間近く音沙汰もなく
正直、脈がないなと諦めていたところだった。

諦めていたので、ようやく一件採用の話を頂いていた会社へ、三日後の月曜日から
通うことで話が決まった、という日に、突然電話がかかって来た。

先に話が決まっていたところは週三日ほどの出勤で、また、フルタイムで働けるわけではなかった。
住宅ローンの自己負担分と公共料金のすべては私が支払っていて、社会保険や税金を引くと
それらの支払い金額に届くか届かないか、という状態で、他が決まらないので縋るようにして決めたものの
内心は困り果てていたところだった。

そこに、その派遣会社から電話がかかって来た。
時給がまず400円違い、週5日でフルタイム。
これなら月々支払わなければならない分は十分入るし、自分のお小遣いも確保できる。


先約のあった企業には申し訳なかったが、断りの電話を入れさせていただいた。


ハローワークの求人票に記載されていたのとは別の営業所への配属だったが、
自宅からはより近くて却って好都合だった。

勤め始めて2か月ほど経ったころ、本社から異動してきた人がいた。
身に纏った空気が神社のそれのように澄んだ人、という印象を受けた。

実際にその人は、誰にでも優しく大らか。
まるで理想の母親のような、兄のような、とにかく懐の深い人で
私が他人を頼ることができない、甘えられないこともすぐに見抜かれ
「でも、俺には甘えられる(頼ることができる)でしょ?」と笑った。

母にも甘えらず、夫にも甘えさせてもらえなった私にとって、
(結婚当初、甘えてみたところ「なんで俺がお前なんかを甘えさせてやらなきゃならないんだ、
ふざけるな」と散々なじられたため、その後は甘えることも頼ることもできない)
その言葉はカルチャーショックとも言えるもので、すぐにはそれが何だかもわからなかった。
時間が経ってからやっと、甘えてもいいのだ、と、心がほんのりとあたたまった。

私はまるで小さな子供のように、その人に懐いた。
‘優等生タイプに見えるけど、その実は不器用な子供のまま’なのがお見通しだという安心感があった。

私が他の人と些細なことでもめたことがあり、意地を張って謝れずにいた時に
その人は「でも、本当は判ってるんでしょ?」と
仕方のない子供を諭すような声で、優しく言った。


母親の口からききたかった言葉だ。
夫にかけてもらいたかった言葉だ。

その一言で、それまでの私の人生すべてが救われたのだ。


と、同時に。
世の中にはこんなにやさしい人もいるのになぜ私は、私を傷つけることを
ほんの一瞬も躊躇わない夫にしがみついていたんだろう、と、初めて思った。
初めて、『モラルハラスメント』という言葉に向き合った。

本やネットで集めたモラハラの事例に登場していたのは、登場人物の名前が違うだけで
そのほとんどが夫が私にしてきたことだった。


その後、ほんの一年半で、兄のように慕ったその人(実際には私より年下だが)は本社へ戻ることになり、
私は自分で自分をちゃんと支えられるようになろうと、自分の立て直しにかかった。
自己評価が低すぎることは、異動したその人から指摘されていたので、精神科へも通い
心の休まらない地雷原のような家から、夫から、離れて過ごす時間を作った。

精神科のクリニックを探していた時、仕事帰りに通いやすいようにと浜松町周辺で探した。
ネットで見つけたクリニックの先生とは残念ながら相性が悪く
(私の話をさえぎっては、我慢が足りないなどと責められるのがつらくて、2回でやめた)
通院前よりも沈んだ気持ちで大通りに出た時、立派な門が見えた。


芝、増上寺。


子供の頃に通っていた幼稚園はお寺さんが経営していたもので、卒園遠足で増上寺を参拝したのを思い出した。
これも何かのご縁かもしれないと、懐かしい気持ちで足を向ける。
最初に見えたのは大門で、それをくぐった先に、主に塗られた山門が見えた。

大殿(本殿)前の大きな石段には覚えがあり(子供の頃のアルバムにも写真が残っている)
小さく「ただいま」と挨拶をした。

大殿の中には椅子が並べられていて、ところどころに人が腰かけていた。
大きな阿弥陀如来像の左側、法然上人の像の前では若い御坊様を筆頭に、5~6人の一般の方が
一心に木魚を鳴らしておられた。(夕念仏会、というらしい)

お焼香を済ませ、私も椅子に腰を下ろさせていただくと、太鼓の音が響いて念仏会が締めくくりに入った。

それからほどなくリンの音が響きお経を唱えながら、7~8人の御坊様たちが入っていらして
夕勤行が始まった。
(最初のうちは「お金も払っていないのにどうしよう」とソワソワしたが
どうやら、特別にご回向を申し込むのでなければ自由に参拝できるらしい)
とりあえずは静かに座ってお経を聞かせていただく。
大勢の御坊様たちによるお経の大合唱が大殿に響き渡り、疲れ切った心が、ゆるゆると解れてゆく。

20分ほどののちにお経が終わり、御坊様たちがまた静かに本殿の奥へと戻られてゆく。
手前にいらした御坊様の、「また明日もお集まりください」の言葉に、いつでも来ていいのだと知る。

本殿の裏手の階段を降りかけた時に、ふと、
『いつでも守られている』という言葉が心の中に降りてきた。



そのころの一連の流れを思い起こして気づいた。
就職が土壇場でひっくり返ったところから始まり
(もしかすると、なかなか採用が決まらなかったところからかもしれない)
私を救ってくれたその人(本人にそんなつもりはなかっただろうが)との出会い
増上寺のある浜松町(芝)に降り立ったことのすべてが
おそらくは、導かれてのことだったのだと。




私たちはいつでも、大きくて優しい力に守られ、導いて頂いている。
それに気づくことができるようになったことが今、とてもとてもありがたい。
お導きに気づける心、それに感謝できる心、そのものが幸せなのだと思う。

「人間関係を諦めるな」と

2014-08-29 14:16:57 | 言葉や導き
心の中に時折、投げ込まれる言葉がある。

先日投稿した本屋の話のように、文字として目に飛び込んでくる場合もあるが
ふと、心の中に浮かぶような、降りてくるような、
私を導いてくれるような内容の言葉だ。

人によってはもっと‘声’として聴こえることもあるのかもしれない言葉。

子供の頃や、今よりもっと以前には、何らかの『真理』や『本質』のようなものが
前後の脈絡もなくいきなり、心の中に飛び込んでくることが多かったが、
ここ最近はもっぱら、ネガティブな思考に囚われそうになった時に
教え諭し、手を引いてくれるような、力強く温かな言葉だ。



そして昨日、私が受け取った『言葉』は
「人間関係を諦めるな」というものだった。



* * * *  



子供のころは小児喘息で体も気も弱く、さらには生真面目で、周囲にうまくなじめず苛められることが多かった。
妹には寛容な母は私に対しては厳しく、いじめに遭っていることを打ち明けられずにいた。
ほんの数人の友人の一人に、「もっと仲良くなりたいのに壁があって近づけない」と泣かれたことがあった。
自分では壁を作っているつもりはなかった。
どうしたら良いのかわからなかった。

大人になって夫と出会って、結婚の話が出た時、一日も早く家を出たくてその話にすぐに飛びついた。
付き合い始めて3か月のことだった。もっと時間をかけて相手を見極めるべきだった。
結婚前にはとても優しかった夫は、結納を済ませたあたりから態度が豹変、
突然「ケンカ売ってんのか」と言って怒り出しては1時間でも2時間でも私を詰り続けた。
一体何が気に障ったのかもわからず、訊ねても「そんなこともわからないのか」と怒鳴られる。
『モラルハラスメント』という言葉を知ったのは、結婚して15年がたったころだった。
否、言葉自体を知ったのはもう少し前だが、それが我が家に関係のある言葉だと受け止めることができなかったのだ。

怒鳴られて、謝っても謝っても許してもらえなくて途方に暮れて、悲しくて
でも、夫のすることに私が傷つくことを夫は許さなかったので、お風呂に入りながら声を殺して泣いた。

あるとき、階段で転んで怪我をした私を見て夫が
「ざまあ見ろ」
と、言った。

実の母親との関係も上手くいかないのだから、他の人との関係が上手くいくわけがないのだ、と、思った。


私は、人間関係というものを諦めていた。
人間が生まれて初めて築く人間関係は、母親との関係なのだという。
それすらも上手くいかなかった私なんかには、人間関係を築くなんて無理なのだと、諦めていた。



母や夫から認められなかった分、仕事に打ち込んだ。
仕事ならば結果を出せば認められるし、応援してもらえる。
知識を付けて足元を固め、`自分の人生’を自分に取り戻そうとビジネス書を読み漁り視野を広げた。
意識して笑顔を心がけたこともあり、一部の人たちを除いて、人間関係は概ね良好だった。

けれど、向上心を高めるほどに、同僚たちとの間に温度差が生まれた。
視野が広がるほどに、問題点がいろいろと目につき、それらを改善しようとせず放置する上司に対して
疑問や不満が湧き上がるようになった。

自己や自我を取り戻し、もう誰からも押さえつけられたくない私と、
目の前の仕事をただこなせばいいと枠を造り、そこからはみ出ると踏みつけにかかる上司。
事を荒立てず、表面上の平穏を求める同僚たち。

同僚たちはもちろん、表面上和気あいあいと接してくる。
けれど他人の顔色をうかがうことにかけて年季が違う私には、その目が笑っていないことに否応なく気づいてしまう。
理解者が全くいないわけではない。
自分が間違ったことを主張しているわけではないと、背筋を伸ばし、まっすぐに前を見据える。


でも、ふとした瞬間に、足元から孤独は這い上がってくる。


もう、潮時だろうか。
やっぱり私にはダメなのだろうか、と、ため息をつこうとしたその時
「人間関係を諦めるな」と、音を伴わない言葉が畳みかけるようにして降りてきた。




占いでは、私はちょうど次のステップへと進む時期にあるという。
だからこそ、諦めの連鎖に戻ってはいけないと教えようとしてくれたのかもしれない。
理解し、支えてくれる人たちとの縁まで、諦めごと切り離してはいけないと諭してくれたのかもしれない。
あれほど欲していたくせに手を伸ばすことが怖くて躊躇っていた‘人との絆’を
私も手にしていいのだと、教えてくれる言葉なのかもしれない。

きっとそれは今、私がこなすべき課題で、それをクリアした先でその見えないあたたかな力は
私に新しい導きの言葉を用意してくれていることだろう。
次の道が開けたら、それを合図にまっすぐ進めばいいと、私の心は『知って』いるのだ。

金運根付け

2014-08-27 22:36:41 | 日々是開運
モチーフは、ひきゅうとかいう中国茶の空想上の動物だとか。

なんでも、金運、それも宝くじや株、ギャンブルなどの流動的なお金をよぶというので、購入してみました。

BIGも10億円のが発売されていますしね!

当たるといいな!!!

呼ばれる

2014-08-26 01:22:15 | 日々是開運
あ、そうだ。本屋に寄って行こう。

前後のつながりも脈絡も何もなく、そう思うときは大概、本に呼ばれている。
(本が、というより『私を導いてくれる大きな力』なのだけれど)
そして目に飛び込んできた本を手に取れば、必ずと言っていいほど
その時の私に必要な言葉が記されている。

私を慰めてくれる言葉
疑問に対する答えとなる言葉
背中を押してくれる言葉
支えとなってくれる言葉

そして

人生を変えるきっかけをくれる言葉


心に響く言葉は世の中にたくさんあふれているけれど
その時の私に必要な言葉がタイミングよく転がり出て、沁みる。

そんなとき、この言葉を読ませたくて呼んで貰えたのだと知る。
大きな力はいつでも傍にあって、いつでも守り導いてくれているのだなあと、思う。


大いなる力なのか、それとも本屋の神様なのかは判らないけれど
(本屋の神様というのもいいかもしれない)
とてもとても有難いということです。

たんす屋さんの「15周年誕生祭」

2014-08-24 18:10:18 | 今日の幸せ
たんす屋さんという、リサイクルの着物屋さんの販売会に行ってきました。

なにしろリサイクル屋さんなので、通常の店舗では主に古着や新古品が売られているのですが
今回はあちこちの支店(直営店とフランチャイズ店があります)の合同企画、大規模な展示会ということで
各地のメーカーさんが出店しておられ、今までネットでしか見たことのないあれやこれやを
間近で見て、触れて、目も心も癒されてまいりました。


幸せ


しょうざんの生紬、本場本物の黄八丈、しな布の帯。
色艶や張り、織の打ち込みの硬さ。
ネットで、モニターで見ながら値段の差に疑問を持っていたものが、
出店している業者さんの説明を聞きながら実際に触れさせていただいて、いろいろと謎が解けた感じがする。

同じ名前を冠している織物の、高い商品とお手頃価格の商品の両方を実際に触れさせてくださったのだけれど、
値段の張るものは、手触りも絣などの柄の細かさが全然違う。
どれだけの手間暇をかけて作られたのかが分かる。
その反物にどれだけの熱が込められているのか、どれほどのエネルギーが込められているのか
それがひしひしと伝わってくる。

パワースポットを訪れた時や、相性のいいパワーストーンに触れた時のような感じです。

これだけ手間や情熱をかけて作られたものなら、高いのも当然。
『その技術に払うお金』と考えたら、むしろ安いんじゃないかと思うくらい。
(そうなっちゃうと手が出なくなっちゃうんですけどね;)


ああ、でもだからか。
着物を着ると気が引き締まるし、力が漲る。
周りに心配をかけてしまったくらいひ酷く落ち込んでいた時に、
用事で出かける際、琉球絣の手織りの着物と芭蕉布の帯を合わせたら一気に気持ちが建て直せた。
その時に『帯と着物に引き上げてもらった』のだということは分かったけれど
単に『高価なものを身に着けたからだ』と思っていたけれど、そうじゃなくて、
丁寧に真剣に作られた着物や帯に、そこに込められていたエネルギーに引き上げてもらったのだ。


着物に癒されて力をもらう。
だからきっと、こんなに着物に引き付けられたんだなあと思う。




ちなみに、展示販売会ということでいろいろと掘り出し物もありまして。
来年の夏に着る用の阿波しじらの反物(綿100%・なんと 2000円!)と
野蚕糸の袋帯が、反物価格(裏生地付・未仕立て)で50000円だったので、仕立てとパールトーン加工つけてお願いしてきました。
野蚕糸なのになんでこんな値段????と思い訊ねたところ、切り嵌めだからとのこと。
(ということは、柄部分は野蚕糸じゃないのか?)
とはいえ、手持ちの着物の8割以上には合いそうなので、いろいろと活躍してくれると期待。
昨夜入場券を確認しつつ、良い出会いがあるといいなぁと思っていたのがちゃんと実現。
今日家を出て神社でお願いしたのは「お金の心配をすることなく、無事に離婚できますように」だったけど、帯との出会いのほうが実現!
私の潜在意識が離婚<帯だったことが判明しちゃった感じだけど、引き寄せ自体は成功w

あとは、神様よろしくお願いします><