旅の途中で観る夢は(おやじの旅日記)

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北鎌倉円覚寺にも行きました。

2024年01月27日 10時26分10秒 | 旅の途中で

 去年の旅の思い出。

 北鎌倉お寺巡りも、円覚寺が最後。

 

 ↑ 北鎌倉の改札口を出て。

 

 

 ↑ 東海道線の踏切。

 

 

 ↑ 円覚寺の前には、大勢の観光客が。

 

 

 

 

 ↑ 北鎌倉駅に電車が着くたびに、大勢の人が流れてきます。

 

 

 ↑ 円覚寺総門。

 鎌倉時代後半の弘安5年(1282)、ときの執権北条時宗が中国・宋より招いた無学祖元禅師により、円覚寺は開山されました。

 開基である時宗公は18歳で執権職につき、無学祖元禅師を師として深く禅宗に帰依されていました。

 国家の鎮護、禅を弘めたいという願い、そして蒙古襲来による殉死者を、敵味方の区別なく平等に弔うため、円覚寺の建立を発願されましたとか。

 

 

 ↑ 円覚寺案内板。

 

  

 ↑ 山門

 三門は三解脱さんげだつくう無相むそう無願むがん)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされています。

 

  

 

 

 ↑ 山門。

 

 

 

 

 ↑ 仏殿。

 仏殿は、円覚寺のご本尊が祀られている建物です。

 大正12年(1923)の関東大震災で倒壊しましたが、昭和39年(1964)に再建されました。

 禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物です。

 

 

 ↑ 仏殿案内板。

 

 

 ↑ 模様子ものが行われたようです。

 

 

 ↑ 選仏場

 選仏場とは、仏を選び出す場所という意味で、修行僧の坐禅道場のことです。

 元禄12年(1699)に伊勢長島城主松平忠充が、江戸の月桂寺・徳雲寺住職一睡碩秀の薦めにより、大蔵経を寄進するとともに、それを所蔵する場所と禅堂を兼ねた建物として建立されました。

 

 

 ↑ 居士林

 「居士」とは在家の禅の修行者を指し、居士林は禅を志す在家のための専門道場です。

 もと東京の牛込にあった柳生流の剣道場が、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄贈され、移築されました。

 現在も学生坐禅会、土日坐禅会、また初心者でも参加できる土曜坐禅会が定期的に開かれています。

 

 

 ↑ 方丈庭園

 本来は住職が居住する建物を方丈とよびますが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われています。

 

 

 

 

 ↑ 妙香池 

 創建当初よりある放生池ほうじょうちで、江戸時代初期の絵図に基づき、平成12年(2000)、方丈裏庭園と合致した自然の姿に復元しました。

 向こう岸の露出した岩盤を虎の頭に見立てて、「虎頭岩ごとうがん」と呼んでいます。

 

 

 

  

 ↑ 舎利殿

 舎利殿には、源実朝公が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利ぶつげしゃり」というお釈迦様の歯が祀られています。

 鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する、最も美しい建物として国宝に指定されています。

 

 

 ↑ 開基廟。

 

   

 

  

 ↑ 黄梅院。

 円覚寺の中でも最も奥に位置しており、黄梅院を見てから引き返していくというのが私の円覚寺参拝。

 私の定番コースにもなっています。

 円覚寺の拝観出来る塔頭の中でも美しい庭が特徴的です。

 

 

 ↑ 訪れた時には。

 

 

 ↑ 黄梅院。

 

 

 

 

 ↑ 聖観音堂。

 

 

 ↑ 黄梅院本堂。

 黄梅院(おうばいいん)は、第十五夢窓疎石(夢窓国師)の塔所。

 本尊は:千手観音菩薩。

 

  

 

 

 

  

 ↑ 黄梅院を後に、戻ることに。

 

  

 ↑ 妙香池を横目で見ながら  

 

  

 ↑ 円覚寺方丈門。

 

 

 ↑ 白鹿胴。 

 

 

 ↑ 仏殿の脇を通り。 

 

  

 

 

 

 

 ↑ 円覚寺の総門付近の紅葉。

 北鎌倉の旅でした。