Crónica de los mudos

現代スペイン語圏文学の最新情報
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カバージョ・デ・トロヤ

2019-08-29 | 出版社

 独立した出版社というより、正確にはペンギン・ランダムハウスのスペインにおける一ブランチ、ある種のレーベル。サンティアゴのペンギン・ランダムハウス支局を訪れたことがあるが、壁にずらりと描かれた各ブランチのロゴ、それらはかつては立派な独立出版社でした。ここで同じものを見ることができる。アギラール、アルファグアラ、デ・ボルシージョ、グリハルボ、ルメン、プラサ・アンド・ハネス、スダメリカーナ、ベルガラ、タウルス。これらがすべてペンギン傘下の単なるブランドと化している。一極化が進行したのは世紀の変わり目。プラサ・アンド・ハネスがすでにペンギン傘下のモンダドーリに買収され、その後、他の会社も次々に。2010年代にアルファグアラが統合され、現在のかたちがだいたいできあがっているようだ。

 このカバージョ・デ・トロヤというブランドはペンギンのスペイン支局で2004年に立ち上げられた。ここの情報によると創設したのはコンスタンティーノ・ベルトロというスペインの編集者で、トロイの木馬というブランド名は、巨大な多国籍企業のなかに文学の多様性と将来性を保証する「小さな仕掛け」を築くという主旨のもとに決まったよう。

 これはミネアポリスのコーヒーハウスプレスとは違う形の独立系文学出版の可能性を示唆している。

 たとえばアルファグアラから毎年刊行されるスペイン語文学を見ていると、その2~3割はいわゆるビッグネームであり、このレーベルはビッグなネームをつくるためのカタパルト、すなわちアルファグアラ賞という文学賞も抱えている。私が読んできた数少ない受賞作、どうみても「なぜ?」という作品もあり、受賞者がその後もコンスタントに質の高い作品を書き続けているかと言えば、やや微妙。とはいえ、たとえばコロンビアのフアン・ガブリエル・バスケスに代表される、次世代の大物作家を輩出してきたことは事実である。いっぽう、アルファグアラのラインアップに混じってくる二軍半、つまり大した実績もないが将来性を買われてオルグされた若手、には、正直申し上げてあまり大した作家はいない。二軍半の戦力面では、アナグラマやプレテクストといった、いわゆるマイナー出版社のほうがよほど見る目がある。

 しかし、現実問題、チリやペルーの国内規模でビジネスをしている出版社にビッグビジネスは望めない。バルパライソにあるキンドベルク、あるいはサンティアゴのウエデレスなど、可愛らしい健気な版元が世界には無数にあるのだが、そこで生まれた質の高い文学作品が国境を越えて「世界化」した段階でペンギンのような多国籍企業のエージェントが現れる。良くも悪くもそれが今現在の「世界文学」というアメーバ的生き物の実態なのである。

 こういう新しい可能性の萌芽を各国のマイナー出版社だけに任せておいていいのだろうか。コーヒーハウスプレスのような寄付に頼るビジネスモデルはスペイン語圏では無理目ではなかろうか。ベルトロがそう考えたのかは知る由もないが、資金繰りが楽な企業の一ブランチとして青田買いの市場をつくっておくという発想はユニークである。

 ここで最初の10年に刊行された作家たち

 残念ながらあまり知らない人たちだ。

 かろうじて名前を認知している作家を挙げると、メルセデス・セブリアン(下記編集担当)、エルビラ・ナバーロ(下記編集担当)、マリオ・レブレーロ、アルベルト・オルモス(下記編集担当)、ルイス・マグリニャ、マルタ・サンス、リナ・メルアーネ、クリスティーナ・モラレス

 しかし今も続いている。

 そして、ベルトロが一線を退いた後、2014年からは思い切った新機軸を打ち出した。それはかつてこのレーベルから巣立っていった作家たち自身に1年交代で選書と編集を任すというもの。

 2015年はエルビラ・ナバーロが8冊を担当、うちの一冊ガブリエラ・イバラ『会食者』は批評受けも成功だった。2016年は栃木に住んでいた日本小説も書いている変わり種アルベルト・オルモスが6冊を担当、フランコ時代など直近の過去と地味に向き合う作品を優先して取り上げたとのこと。2017年はララ・モレーノが6冊を担当、うちの一冊アロア・モレーノ・ドゥラン『共産主義者の娘』はフランコ時代に東ベルリンに亡命していたスペイン人コミュニティの実態を描き、好評を博した。そして2018年のラインアップから私も読んだ本が混じってくる。

 2015年以降は毎年カラーが指定されている。2017年は青(上の二冊)、そして2018年は緑(下の5冊)。編集担当はメルセデス・セブリアン、ラインアップは次の通り。

 ピラール・フライレ(1975年サラマンカ生まれ)『田舎暮らしの良いところ』はその名の通り、幼い娘を連れた夫婦が引っ越した先の辺境でてんてこまいするという、サンティアゴ・ロレンソ風の隠遁もののよう。エドゥアルド・ムスリップ(1965年ブエノスアイレス生まれ)『フロレンティーナ』はガリシアからアルゼンチンに移住した作者自身の祖母を描いた小説。サラ・コルドン(1983年マドリード生まれ)『スペイン語は2を押す』は米国滞在時のドタバタを綴ったエッセイのようで、これはパラパラめくってみたが、とっても楽しそうな本でした。シルビア・テロン(1980年マドリード生まれ)『ウンブラ』はスペインには珍しいSF。ミゲル・ロアン(1981年マドリード生まれ)『バルカン半島マラソン』は旧ユーゴ諸国をめぐる旅行記。小説に限らず、幅広いジャンルの書き物が選ばれているのも、ユニークなところ。

 そして2019年の編者は二人。

 ひとりはここでも紹介した詩人のルナ・ミゲル、そして作家のアントニオ・J・ロドリゲス、どちらも1990年代生まれ。9年前の様子を一見するかぎり、こんな奴らに任して大丈夫?と言いたくなるニーチャン・ネーチャンですが、10年経てば人も成長しよう。こうやって世代交代を促すことで新しいものをうみだそうという、創業者の意図が今なお受け継がれていると思いたい。ぜんぶ読むのはとうてい無理だが、少なくとも今後ともコレクションしたいシリーズがまた増えた。

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コーヒーハウスプレス

2019-08-22 | 出版社

 ここ数年ラテンアメリカの「なぜそれを?」という本を次々に英訳している変な出版社がミネアポリスにある。ウィキペディアによれば、前身はアラン・コーンブラムという人が1970年にアイオワで出していた謄写版印刷の雑誌。コーンブラムはこのお手製雑誌『歯磨き粉』を出版事業に拡大し、1983年ミネソタに場所を移して非営利出版社コーヒープレスハウスを創業、その後は経営者を変えて今に至る。ちなみにアラン・コーンブラムという同姓同名の判事がいたが別人。出版業のコーンブラムさんは見るからにチャーミングな方で、2014年に65歳でお亡くなりになりました。ということは1949年生まれ、雑誌を出したのが21歳で、コーヒーハウスの開業が34歳だった。現在のコーヒーハウスのHPのスタッフ紹介に、今なお彼がいる理由も、なんとなくわかる気が。

 この出版社、非営利ということで、運営は寄付に頼っているようだ。HPの横列いちばん左にサポートというところがあるので、そこをクリックすれば概要が分かります。ちなみに、個人寄付者のなかに、翻訳好きなら誰でも知っているある日本人のお名前がありました。

 スタッフは女性ばっかり。

 一度訪問してみたい。ミネソタ。

 12月にグアダラハラで会えるかも。

 彼らのミッションは「読者をインスパイアし、文学とは何か、何ができるのか、誰のものなのかといった定義を拡大することで社会をより豊かなものにし、観衆とアーティストが交流する新しい空間をつくりだす」ことなのだそう。創業以降、米国の非白人作家の本に特化することで知られるようになり、カレン・テイ・ヤマシタらの著書を世に送り出した。近年は翻訳も増えている。非営利(売れるか売れないかは考慮に入れない)という形をとりつつ、同時に妙に学術的な装いをとること(権威化)も避け、翻訳も含めた現代文学のアヴァンギャルドに特化することで切り開いた境地ということだろうか。

 私が読んで「これは素晴らしい本だが商売にはならんな……」と思いこんでいたスペイン語の本がここで次々と英訳されている秘密、なんとなく分かった気がします。コーンブラムさんの写真、額に入れて飾っておきたいくらい。

 ラテンアメリカ文学の主要なところ。

2019年はアリア・トラブッコ・セラン(チリ)『引き算』、チリの若手によるロードノベルで、旧ブログで紹介したのですがファイルが遺失、どこへ行ったんでしょうか。たしか軍事政権時の亡命世代の娘と息子が、亡命者の遺骨を載せて、アンデスへ車で旅に出るという話でした。英訳はソフィー・ヒューズさん、同じチリの作家リナ・メルアーネの序文付き。マリオ・レブレーロ(ウルグアイ)『空白の言説』はアニー・マクデルモットさんが訳してます。訳者も女性が目立つ。

 2018年はグアダルーペ・ネテル(メキシコ)『冬が明けて』、訳者はやはり女性のロザリンド・ハーヴェイさん。ロケ・ララクイ(アルゼンチン)の珍作『ラ・コメマドレ』も訳者は女性のヘザー・クリアリーさん。こんなヘンテコな小説を翻訳刊行できるのはここだけでしょう。ところが、驚くことに、スペイン語圏ではほぼ無視されているこの小説が、米国の方々で各種の賞にノミネート。受容と批評におけるこの地域差、いつか第三者の立場で真面目に考えたほうがいいのかもしれない。

 2017年はベロニカ・ゲルベル・ビセッチ(メキシコ)『空集合』。スタイリッシュな英訳の担当はクリスティーナ・マクスイーニーさん、イギリスの方らしいのですが、私は深い縁ができているので、ぜひ一度会いたいです。バレリア・ルイセリ(メキシコ・米国)『どう終わるのか教えて』は小説ともエッセイとも分類のつけがたい本で、著者自身が英訳しているということは、私が読んだスペイン語版から大幅に書き足しがあったものと思われる。西英両方を読まないといけない作家バレリア、とうとうコーヒーハウスの特別編集者になったようだ。ディエゴ・スニガ(チリ)『カマンチャカ』はミーガン・マクドウェルさんが訳を担当。バレリア・ルイセリ+クリスティーナ・マクスイーニー『俺の歯の話』についてはいずれ詳しく紹介したい。ダニエル・サルダーニャ・パリス(メキシコ)『奇妙な犠牲者たちにかこまれて』も訳者はクリスティーナ・マクスイーニー、どうしてこんなに彼女と読書歴がかぶるのか。あるいは非スペイン語圏でこういう変な小説を好んで読んでいるのは私と彼女だけなのか。

 コーヒーハウスが出す翻訳と自分が目を付けた本がどれくらいかぶるのか、今後もひとつの評価軸にしていきたいと思う。日本でも同じような出版社を立ち上げたらいいだけなのかもしれませんが、一介の語学教師にそんな胆力はないし。

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サラマンドラ

2018-10-31 | 出版社

 スペイン語圏の出版業は世紀の変わり目を境にランダムハウスとプラネタという二大メジャーグループへの統合が進んだ。看板はアルファグアラでもランダムハウス傘下、看板はセッシュ・バラルでもプラネタ傘下ということで、各企業の独自色が薄れる傾向にあるのは否めない。そんななかで、小規模ながらも独自の路線を歩んでいるブランドを、ネットを通じて訪問してみよう。

 ボルヘス等を世界に送り出したアルゼンチンの名門エメセー社は、1939年、内戦を逃れて亡命してきたガリシア出身の人々によって立ち上げられた。1947年、後にアルゼンチンの外務大臣にもなる弁護士で作家のボニファシオ・デル・カリルを社長に迎え、これ以降、国内外の大物作家を数多く抱える大企業に成長する。デル・カリルはカミュ『よそもの』やサンテグジュペリ『小さな王子』のスペイン語版翻訳も手掛けた。1992年に息子ペドロ・デル・カリルが後を継ぎ、ドイツに生まれブラジルで育った妻ジークリート・クラウスを実質上の経営に当たらせる。ここから世紀の変わり目までの8年間に夫妻が手掛けたベストセラーはロバート・ジェームス・ウォラー『マディソン群の橋』、アンドリュー・モートン『ダイアナ妃の真実』、ソエ・バルデス『日々の無』、リチャード・プレストン『ホット・ゾーン』、アンヘレス・デ・イリサリ『イスラムの女とキリスト教の女』、マリアンネ・フレデリクセン『ハンナの娘たち』。キューバの作家バルデスやスペインの作家イリサリ、あるいはスウェーデンのフレデリクセンなどは日本では知られていない。

 2000年にエメセーがプラネタ傘下に入る。このときデル・カリルとクラウスはスペインのエメセーだけを買い取った。今あるエメセーはプラネタ傘下のエメセー・アルゼンチンのみ。夫妻は新しい社名をサラマンドラとする。そして自分たちのルーツを父が翻訳したサンテグジュペリにあるとし、スペイン語圏、翻訳を問わず、自分たちが手掛けたいと思う本だけを扱う方針を立てる。

 新興の出版社だったが、スペイン・エメセーと契約が残っていた書籍が大量にあったことから、この種のマイナー出版社が作家や読者の信用を勝ち取るのに必要な「最低でも10年」を経ることなく、そこそこのスタートを切る。そして、まさしく神からの贈り物のように届けられたのが、ハリー・ポッター・シリーズだった。

 サラマンドラの社史にはこのハリポタという嵐を「乗り切る(サバイブする)」というふうに書いてある。打ち出の小づちともいえるハリポタに乗っかって真面目な事業を怠るということがないようにした、と言いたいのだろう。運のいいだけの奴ら、というレッテルを貼られるのを回避するのに成功したと。

 最初の10年で夫妻が獲得した作家たち。ダイ・シージエ(戴思傑)は『バルザックと小さな中国のお針子』、シャーンドル・マーライは『最後の出会い』という作品がスペインでものすごく売れたらしいが、日本語では読めないのでは。マーライをスペイン人に読ませたのはハリポタ紹介とならぶ大ヒットだったのだとか。イレーヌ・ネミロフスキーは『フランス組曲』がスペインでも非常によく売れているようだ。アングロサクソン圏からはゼイディー・スミスやニコール・クラウスといった若い女性作家も敢えて紹介、このあたりのセンスは妻ジークリードのものでしょうか。ほか、ダニエル・メイソン『調律師の恋』、マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』、フィリップ・クローデル『灰色の魂』、『リンさんの小さな子』、パオロ・ジョルダーノ『素数たちの孤独』。なかなか渋いラインアップだが、これらはすべてハリポタという美味しい猛毒を中和するため。これ以外にも地味な翻訳を数多く出していることをアピールしているところがなんとなく可愛らしい。ハリポタがあればチリの前衛詩だってスワヒリ語の小説だって翻訳出版できるしさ。最後『カイトランナー』、『千の輝く太陽』が日本語でも読めるカーレド・ホッセイニが今のところの一推しとしている。二大メジャーのカタログにはない、こういう編集者の声が聞こえるのが、マイナーのいいところ。

 いわゆるヤングアダルトなど、新しい分野にも進出し始めたのが2010年ごろで、2014年からはその幅がいっそう広がりを見せる。現在、私が注目しているのはグラフィック・ノベルとノワール。翻訳を得意とする会社らしく、グラフィック・ノベルも英米仏が中心だが、スペイン産もちらほら。よくわからないスペイン産のノワールについても、これを足掛かりに少し調べてみたいと思う。

 HPを開けるとJ.K.ローリングやデニス・ルヘインといったビッグネームが並ぶが、その間から探すべきはスペイン語の名前。面白そうなご夫妻にもいつか会ってみたいものだ。

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