Crónica de los mudos

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サラマンドラ

2018-10-31 | 出版社

 スペイン語圏の出版業は世紀の変わり目を境にランダムハウスとプラネタという二大メジャーグループへの統合が進んだ。看板はアルファグアラでもランダムハウス傘下、看板はセッシュ・バラルでもプラネタ傘下ということで、各企業の独自色が薄れる傾向にあるのは否めない。そんななかで、小規模ながらも独自の路線を歩んでいるブランドを、ネットを通じて訪問してみよう。

 ボルヘス等を世界に送り出したアルゼンチンの名門エメセー社は、1939年、内戦を逃れて亡命してきたガリシア出身の人々によって立ち上げられた。1947年、後にアルゼンチンの外務大臣にもなる弁護士で作家のボニファシオ・デル・カリルを社長に迎え、これ以降、国内外の大物作家を数多く抱える大企業に成長する。デル・カリルはカミュ『よそもの』やサンテグジュペリ『小さな王子』のスペイン語版翻訳も手掛けた。1992年に息子ペドロ・デル・カリルが後を継ぎ、ドイツに生まれブラジルで育った妻ジークリート・クラウスを実質上の経営に当たらせる。ここから世紀の変わり目までの8年間に夫妻が手掛けたベストセラーはロバート・ジェームス・ウォラー『マディソン群の橋』、アンドリュー・モートン『ダイアナ妃の真実』、ソエ・バルデス『日々の無』、リチャード・プレストン『ホット・ゾーン』、アンヘレス・デ・イリサリ『イスラムの女とキリスト教の女』、マリアンネ・フレデリクセン『ハンナの娘たち』。キューバの作家バルデスやスペインの作家イリサリ、あるいはスウェーデンのフレデリクセンなどは日本では知られていない。

 2000年にエメセーがプラネタ傘下に入る。このときデル・カリルとクラウスはスペインのエメセーだけを買い取った。今あるエメセーはプラネタ傘下のエメセー・アルゼンチンのみ。夫妻は新しい社名をサラマンドラとする。そして自分たちのルーツを父が翻訳したサンテグジュペリにあるとし、スペイン語圏、翻訳を問わず、自分たちが手掛けたいと思う本だけを扱う方針を立てる。

 新興の出版社だったが、スペイン・エメセーと契約が残っていた書籍が大量にあったことから、この種のマイナー出版社が作家や読者の信用を勝ち取るのに必要な「最低でも10年」を経ることなく、そこそこのスタートを切る。そして、まさしく神からの贈り物のように届けられたのが、ハリー・ポッター・シリーズだった。

 サラマンドラの社史にはこのハリポタという嵐を「乗り切る(サバイブする)」というふうに書いてある。打ち出の小づちともいえるハリポタに乗っかって真面目な事業を怠るということがないようにした、と言いたいのだろう。運のいいだけの奴ら、というレッテルを貼られるのを回避するのに成功したと。

 最初の10年で夫妻が獲得した作家たち。ダイ・シージエ(戴思傑)は『バルザックと小さな中国のお針子』、シャーンドル・マーライは『最後の出会い』という作品がスペインでものすごく売れたらしいが、日本語では読めないのでは。マーライをスペイン人に読ませたのはハリポタ紹介とならぶ大ヒットだったのだとか。イレーヌ・ネミロフスキーは『フランス組曲』がスペインでも非常によく売れているようだ。アングロサクソン圏からはゼイディー・スミスやニコール・クラウスといった若い女性作家も敢えて紹介、このあたりのセンスは妻ジークリードのものでしょうか。ほか、ダニエル・メイソン『調律師の恋』、マーク・ハッドン『夜中に犬に起こった奇妙な事件』、フィリップ・クローデル『灰色の魂』、『リンさんの小さな子』、パオロ・ジョルダーノ『素数たちの孤独』。なかなか渋いラインアップだが、これらはすべてハリポタという美味しい猛毒を中和するため。これ以外にも地味な翻訳を数多く出していることをアピールしているところがなんとなく可愛らしい。ハリポタがあればチリの前衛詩だってスワヒリ語の小説だって翻訳出版できるしさ。最後『カイトランナー』、『千の輝く太陽』が日本語でも読めるカーレド・ホッセイニが今のところの一推しとしている。二大メジャーのカタログにはない、こういう編集者の声が聞こえるのが、マイナーのいいところ。

 いわゆるヤングアダルトなど、新しい分野にも進出し始めたのが2010年ごろで、2014年からはその幅がいっそう広がりを見せる。現在、私が注目しているのはグラフィック・ノベルとノワール。翻訳を得意とする会社らしく、グラフィック・ノベルも英米仏が中心だが、スペイン産もちらほら。よくわからないスペイン産のノワールについても、これを足掛かりに少し調べてみたいと思う。

 HPを開けるとJ.K.ローリングやデニス・ルヘインといったビッグネームが並ぶが、その間から探すべきはスペイン語の名前。面白そうなご夫妻にもいつか会ってみたいものだ。


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