Crónica de los mudos

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ロケ・ララクイ『ラ・コメマドレ』

2018-11-01 | コノスール

今年出た英訳が好調のロケ・ララクイ『ラ・コメマドレ』、もとはアルゼンチンのエントロピーアというマイナー出版社から2010年に刊行された小説。絶版なので2014年のターナーによる新版を取り寄せて読んでみた。

 作品は二部構成。

 第一部の舞台は1907年、ブエノスアイレス郊外のテンペルレイという町にある、末期がん患者専門の新型サナトリウムに勤めていたキンタナという医師の残した手記という形をとる。サナトリウムでは、怪しげなスペイン語を話す英国人医学者アロンビーの主導で、鋭利なギロチンで首を切り落とされた直後、その首がなにかを話せば死後の世界の検証につながるという説に医師たちが熱中していた。そして一部の患者の同意をとりつけ実験が始まる…。

 というのは粗筋だが、実際には脱線に次ぐ脱線で、キンタナがストーカーじみた思いをよせるメネンデス看護婦にまつわるエピソードや、医師どうしの哲学じみた議論など、なんともとりとめがなく、そして手記というスタイルをとっているせいか文体が簡素すぎて(形容詞が驚くほど少ない)、正直申し上げて読み進めるのがつらい。マッドサイエンティストの現れるスラップスティックで文体が特殊、ということであれば、多少アルゼンチン文学を読みなれている人間なら誰しもがアドルフォ・ビオイ・カサーレスの短編を思い出すだろう。この第一部の終盤は、首を切られて死んでいった患者に恋をしていた医師が自ら進んで被験者になって首を切られるなど、笑っていいのか眉をひそめていいのかわからない展開になり、100ページにもなっていないのに「いったいどこに落としどころが…」と心配させるという意味ではセサル・アイラにも通じるものがある(アイラは100ページが来たら落ちがなくとも小説は終わらせるという方針で書いているそうだ)。

 いっぽう第二部は2009年のブエノスアイレスを舞台に、ボディアートで世界的に有名になったひとりの男が、自分をテーマに博士論文を書いているリンダ・カーターなるカナダ人にあてた手記という形で進む。こちらは第一部より豊饒な文体だが、書いているのが異常なアーティストなので一部とは違う意味で読みにくい(私はリーダビリティを高く評価する人間ではないけれど)。語り手は幼いころからの性生活やアーティストとしての成功体験などを語りつつ、双頭の赤子や自らの指の切断、自分とよく似たルシオという男を成型してドッペルギャンガーを作りノルウェーのビエンナーレにエビータという題(死体盗難事件に関係させている)でパフォーマンスをしたことなどを語り、そのうちにテンペルレイにあるかつてサナトリウムだったという施設を訪れ、そこでセバスティアンという男と出会う。

 一部と二部は結局最後につながるのだが、そこに有機的な物語は生まれることなく小説は終わりを迎え、そして読者は「いったいなんだったんだ、これは?」と考えてしまうが、その問いは決して不快を伴うものではなく、ある種の消えない気がかりのようなもので、おそらく小説のあちこちにあったのであろうヒントを求めて読み返そうかとすら思わせる。冒頭にあるソシュールの引用、自らを栄養源として成長を繰り返す動物と植物の中間生物コメマドレ、キンタナのたどった運命、二部の語り手が実際に手掛けたパフォーマンスの再現、彼が最終的に目指しているらしき、グッゲンハイム美術館に自分をエンボーミングして永久展示する計画。こうした無数の仕掛けを丁寧に追いかけていけば何かが見えてくるかもしれない、と(少なくとも)予見させるという意味では並々ならぬ作品だ。

 作者のロケ・ララクイは1975年ブエノスアイレス生まれ。この作品を書くのに10年かかり(20代後半から30代前半にかけて?)、国内外の文学賞に送り付けていたが、これが皆なしのつぶてに終わり(そりゃそうだろう)、たまたま送ってみたエントロピーアの編集者が読んで「面白いが2部の人体切断描写を和らげて」と注文し(最初はどんな内容だったんだ?)、運よく刊行の運びとなった。2014年には二作目の小説『動物エクトプラズムに関する報告書』を出していて、私も縁があれば読んでみたい(きっと読みにくいのだろう)。

 謎の自己消化植物コメマドレ、直訳すれば「母食い」で、日本語だと著者の名前と韻を踏むのが面白い偶然。複数の人間が言葉を持ち寄ることで完成する偶然詩のことをシュルレアリズムの手法で<優美な死骸>というが、この小説にも、(疑似)科学的探究の名目で行われた頭部の切断と、(きわめて商業的な)芸術的探究の名目で行われる人体改造とが、時代を越えて偶然につながりあうという意味での面白さ(とグロテスクさ)を見ることができる。

Roque Larraquy, La comemadre. Turner, 2014, pp.157.(英訳あり:Comemadre. Translated by Heather Cleary, Coffee House Press, 2018)

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