あさねぼう

記録のように・備忘録のように、時間をみつけ、思いつくまま、気ままにブログをしたい。

ポストコロナ

2020-05-07 10:02:48 | 日記
ポストコロナ(1)国際関係
長期的に世界は「連帯」に向かう
第一に、国際関係においては、「世界の連帯」が生まれると考えられる。やや楽観的過ぎると思われるかもしれない。短期的には感染の恐れのある外国人に対する排外主義が続くだろう。最近のNew York Timesの記事では、「xenophobia(外国人恐怖症)」という言葉を目にする機会が増えた。「全世界鎖国」という前代未聞の事態を経験した世界には、しばらく排外主義が跋扈(ばっこ)するに違いない。
 しかし、長期的(5年、10年くらいの単位)に見ると、世界は連帯の方向に向かわざるを得ない。今回得られた大きな教訓の一つは、感染症は一国のみでは決して対応できないということだ。今後も人々が移動する以上、パンデミックは起こりうる。しかも、交通機関の発達と海外渡航人数の拡大は、パンデミック発生の危険性を押し上げる。
今回、米国での感染拡大の要因として、トランプ大統領と中国との協力不足を指摘する声は大きい。本来は、中国に専門家を派遣するなどして協力して対処すれば、感染症に関する情報も入り、米国だけでなく世界の被害は小さかっただろう(過去のSARSなどの感染症拡大の際には米中協力が実現している)。
これまでわれわれが想像している以上に、世界は繋がっているのだ。情報共有や国際協調なくしてパンデミックは防げないことを全世界の人々は強く認識した。第一次世界大戦後に国際連盟がつくられ国際協調の機運が生まれたように、第二次世界大戦で国際連合ができて地球規模の問題に共通して対応する制度が生まれたように、今回のコロナ危機でも新たな国際協調の仕組みや機運が生まれるだろう。危機は歴史を前に進めるのだ。感染症に限らず、気候変動や移民・難民の増加など、国際社会の連帯や協調が必要とされるテーマは非常に多い。
コロナ危機は、これまで必要性が唱えられながら十分にできていなかった「世界の連帯」を推し進めることになる。世界の連帯の必要性が高まることで、国連が2030年に向けて定めたSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みも今後は加速して進むことになるだろう。


ポストコロナ(2)政治
「政府の強大化」への懸念
第二に、政治では「政府の強大化」が起こる。この点は、筆者の知る限り、日本のメディアではまだ、あまり大きく取り上げられていないようだ。しかし、Economistをはじめ世界のメディアでは、ポストコロナに向けた頻出のテーマとなっている。今回の危機で、世界の大半の国の政府が、外出自粛や企業の経済活動制限などの私権制限を課す一方、巨額の財政支出を余儀なくされている。今回のような戦後最大の危機においては、政府こそが国民の健康と生活を守る最後の砦(とりで)であることが改めて浮き彫りとなった。
筆者は元来「小さな政府」論者である。とはいえ、今回のような危機においては、政府の大きな役割が不可欠であると考えている。非常時には、経営危機を回避し困窮者を支援するため巨額の財政支出が不可欠であるからだ。また、感染症の拡大防止のためには、法的根拠を持った強制力が必要であり、そのためには政治家(大統領や首相、議員)の決断が不可欠であるからだ。
しかし、危機が終わった後には、このような私権制限や巨額の財政支出は直ちにやめなくてはならない。一部の非民主的な政府では、強権的な政治指導者の生き残りに繋がりかねないし、政府が借金まみれになって破綻することもありうるからだ(私の見る限り財政破綻の問題についても大きく論じられていないように思われる)。また、一度生まれた組織や補助金は、既成事実化・利権化する事例も過去にたくさんあった。したがって感染症収束後は、非常時の権力を行使しないように監視することが重要だ。国民やメディアが十分に監視して、危機収束後はコロナ以前の政府の権限に戻るようにすべきであろう。


ポストコロナ(3)経済
フリーランスの労働者が台頭
第三に、経済においては、「フリーランスなど独立請負人によるギグエコノミーが台頭すること」が考えられる。「今回、フリーランスなど個人事業主は収入が減って一番大変ではないか」との反論もあるだろう。
しかし歴史的に見てパンデミックは、中世に起きたペストの蔓延(まんえん)が労働者数減少をもたらし、労働者の立場を強めた結果として、近代の資本主義社会発生を促したように、感染症や戦争、恐慌などの苦境が経済構造の下の方の人々の課題を浮き彫りにして、その力を強める方向に働くことが多い。今回のコロナ危機においても、フリーランスをはじめ独立請負人の立場は強まるであろう。
独立請負人は、Uberなどの運転手、芸術・エンターテインメントの担い手、各種インストラクターだけにとどまらない。テレワークや業務の外部化などが進み、企業の業務の一部を請け負う独立請負人は大変多く、これからも増える傾向にある。今後の経済の重要な担い手であるといってよい。
このような独立請負人が担う経済のことを「ギグエコノミー(gig economy)」という。インターネットによるマッチング機能によってギグエコノミーは発展してきた。企業にとっては雇用という形ではなく習熟した労働力を活用できるメリットがあったが、法的な保護が弱いことが課題であった。今回のコロナ危機を通じて、キャンセルおよびコミット料支給や保険加入などこれら独立請負人の立場が結果として高まり、ギグエコノミーが進むであろう。一方で、独立請負人に仕事が奪われることで、近代の経済社会の中核を担ってきた大規模雇用という形態が大きな変革を受けるだろう。


ポストコロナ(4)
「大都市集中密集」を避けた暮らしに
第四に、都市は「大都市集中密集の回避」へ向かうだろう。産業革命以降の歴史は、農村から都市部への人口流出・集中の歴史であったといってもいい。これは日本だけに限らず、全世界で都市化が進んだ。
しかし、今回のコロナウイルス感染で分かったのは、大都市の脆弱性である。武漢から発した感染は主として世界の大都市を中心に爆発した。国立情報学研究所等の調査では、「自宅から職場までの距離が2.5キロ以上の人を全員テレワークで在宅とすれば、逆に2.5キロ以内の人が全員出勤しても、人の移動は8割減る」ことがわかった(4月14日、NHK報道から)。このように対人接触は、大都市の長距離通勤が引き起こしている側面が強い。一方、小さい村や町では、2.5キロ以上離れた職場に公共交通機関を使って通っている人は少ない。この点が都市部以外での感染拡大防止に繋がっているのだ。
近年自然豊かな地域への移住が、一部の人々を中心に注目を集め、人気を高めている。今回のコロナ危機を受けて、大都市が危ないという認識が強まり、この動きは強まるだろう。そしてテレワークの拡大は、当然ながらこのような動きを促進するだろう。
これまで、仮に地元の地方大学を卒業しても、地元にはあまり就職先がないために東京の大企業を選ぶケースも多かった。卒業後も地元にとどまりたくてもできない若者が少なくなかったのだ。しかし、今後はテレワークを全面的に認め、東京ではなく、地元や自分の住みたい場所に住める時代になる。そのことが、感染症対策になり、生活水準を高め、地方の発展に繋がる。よってポストコロナの時代は、大都市集中密集を避けた「田園都市の時代」になると考えられる。


ポストコロナ(5)
志向は「簡素」「芸術重視」へ
第五に、人々の志向(価値観)は「簡素・静謐(せいひつ)・利他など精神的価値と芸術の重視」へと向かうだろう。ある経営者仲間の勉強会で、「これまで飲酒や不要な買い物などいかに無駄が多い生活をしていたかが分かった」「健康に留意して穏やかな生活をしていきたい」「困っている人に援助したい」と言っていた人が多かったことが印象に残った。外出自粛に対して辟易(へきえき)している方が大半であろうが、本当に必要なものを見つめる時間でもある。簡素・静謐・利他といった精神的価値が今一度見直されることになろう。
 また、歴史を見れば、芸術は人々の精神に好影響を与え、社会を進展させてきた。今回、演劇やコンサート、美術館、映画館などが休業に追い込まれた。芸術の重要性を再認識した人も多いことだろう。劇作家の平田オリザ氏が言う通り「芸術を失うことは社会的な損失」なのである。

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