あさねぼう

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如月 小春

2020-11-20 19:55:19 | 日記
如月 小春(きさらぎ こはる、本名:楫屋 正子〈かじや まさこ〉、出生名:伊藤 正子、1956年2月19日 - 2000年12月19日)は、劇作家、演出家、エッセイストである。
東京都杉並区出身。東京女子大学文理学部哲学科卒業。

劇作家・演出家として活動し、野田秀樹・渡辺えり子らとともに1980年代の小劇場ブームをリードした。また、エッセイストとしての著作も多く、司会者・コメンテーターなどとしてもテレビにも出演していたほか、アジア女性演劇会議実行委員長・日本ユネスコ国内委員会委員・兵庫県立こども館演劇活動委員・立教大学講師なども歴任した。

小学校時代を中野区の哲学堂公園付近、中学・高校時代を武蔵野市の成蹊中学校・高等学校で過ごし、その間、同校と交換留学制度のあるオーストラリアのニューサウスウェールズ州カウラ高等学校に留学した。

大学在学中に東京大学とのインターカレッジ劇団、「劇団綺畸(きき)」で活動を始め、1976年(昭和51年)に処女戯曲 『流星陰画館』を発表した。その後『ロミオとフリージアのある食卓』(1979年初演)、『ANOTHER』(1981年)、『工場物語』(1982年)などの作品を次々と作・演出した。同じ劇団に吉見俊哉、瀧川真澄[2]、竹内晶子がいた。

1982年(昭和57年)、「綺畸」を脱退。翌年自らの劇団「NOISE」を設立し、『DOLL』(1983年)、『MORAL』(1984年 - 85年)などを上演した。これらでは音楽・映像など他分野とのコラボレーションによる、従来の演劇の枠にとらわれないパフォーマンスが行われた。劇団「NOISE」には約30名の劇団員が所属し、マスコミからは「都会派演劇集団」と評されることもあった[1]。

2000年(平成12年)12月19日、クモ膜下出血のため死去。44歳没。

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