あさねぼう

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城山三郎 1957(昭和32) 『輸出』から1976(昭和51年)は「毎日が日曜日}

2019-07-24 17:36:43 | 日記
城山三郎 シロヤマ・サブロウ
(1927-2007)名古屋生れ。海軍特別幹部練習生として終戦を迎える。一橋大学を卒業後、愛知学芸大に奉職し、景気論等を担当。1957(昭和32)年、『輸出』で文学界新人賞を、1959年(昭和34年〉『総会屋錦城』で第40回直木賞を受賞し、経済小説の開拓者となる。吉川英治文学賞、毎日出版文化賞を受賞した『落日燃ゆ』の他、『男子の本懐』『官僚たちの夏』『秀吉と武吉』〉、『もう、きみには頼まない』で第44回菊池寛賞。2002年(平成14年)朝日賞。

昭和32年の作品『輸出』は、日本が敗戦から脱却し、高度経済成長のスタートを切った時期だ。この時代、プロペラ機が太平洋を渡っていた時代に、すでに外国で活躍している商社マンたちがいたのだ。
その朝、ロサンゼルスに滞在する沖は本社からの国際電話を受けた。カラカスで高い成績を残している小久保という社員が失踪したというのだ。渡米してきた重役の指示を受け、沖はカラカスに飛ぶことになった。
ロサンゼルス、カラカスを舞台に、いくつもの人間模様が展開される。資本主義という大きなカラクリ装置の歯車として。
「インチキをやれるのが一流商社、それをまねするのが二流商社、インチキもやれないでいるのが三流商社」、印象に残るセリフだ。


☆ 昭和32年(1957)の「輸出」の時は、私は10歳です。海外駐在員の、日本の製品(ミシン)を売っている商社マン二人(沖と笹上)の凄まじいロサンゼルスでの生活、ビジネスマンの人生とは?を描いた短編小説です。そのから18年後の昭和51年(1976)は「毎日が日曜日}がベストセラーになった。57歳で定年になった笹上と9歳下の沖のその後の人生の続編の長編小説です。私は28歳で社会人になりでの8年がたち、1973年の石油ショックの後で、経済の高度成長から低成長に移行した時期でした。昇進・不遇・栄転・左遷・定年の人間模様です。「輸出」から「毎日が日曜日」は、日本の高度経済成長の真っ盛りの中での物語です。(つかさ)

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