あさねぼう

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鳩山 由紀夫

2020-08-09 19:13:47 | 日記
鳩山 由紀夫(1947年〈昭和22年〉2月11日 - )は、日本の政治家、経営工学者。一般財団法人東アジア共同体研究所理事長、中国・西安交通大学名誉教授、アジアインフラ投資銀行国際諮問委員会委員、凱富能源集団(中国語版、英語版)名誉会長兼上席顧問。学位はPh.D.(スタンフォード大学、1976年)。

衆議院議員(8期)、内閣総理大臣(第93代)、内閣官房副長官(細川内閣)、新党さきがけ代表幹事(第2代)、旧民主党代表(初代)、同幹事長(初代)、民主党代表(第2・7代)、民主党幹事長(第7代)などを歴任した。

2013年に「友紀夫」に改名したことを明らかにし、文藝春秋やニコニコ動画などでこの名義での活動をしているが、公式ウェブサイトやTwitterでは「由紀夫」のままである。

新党さきがけ​
1993年6月18日、政治改革を巡り自民党を離党。6月21日、武村正義らと新党さきがけを結成し、新党さきがけ代表幹事・事務局長に就任。第40回衆議院議員総選挙(旧北海道4区・さきがけ公認)で3期目当選後、非自民・非共産連立政権で成立した細川護熙内閣では内閣官房副長官(政務)に就任し、新党さきがけ代表の武村官房長官、代表代行の田中秀征首相特別補佐、日本新党代表幹事で、のちに、新党さきがけに移籍する荒井聰とともに細川内閣を支えた。
日本社会党委員長村山富市を首班とする自社さ連立政権では、さきがけ初代代表幹事園田博之の内閣官房副長官就任にともない、後任の幹事長として政権を支えた。
1994年秋、北海道経済界や保守陣営から翌春の新人対決の1995年北海道知事選挙に再度出馬がとりざたされ本人も乗り気だったが、村山と武村と井出正一の説得で断念。佐藤静雄の当時の所属政党自由連合と自民党の共同推薦候補伊東秀子を平和・市民代表田英夫らと共に支持や支援したが横路後継で新進党と日本社会党の推薦候補の前副知事堀達也に敗北した。
1995年7月、第17回参議院議員通常選挙で新党さきがけ代表幹事として山中燁子を北海道選挙区で擁立を画策したが、山中は辞退した。


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