田園都市の風景から

筑後地方を中心とした情報や、昭和時代の生活の記憶、その時々に思うことなどを綴っていきます。

佐賀城公園をぶらり

2019年10月23日 | 日々の出来事

 だいぶ前のことになります。7月の暑い盛りに佐賀県庁まで行きました。写真は昭和25年建築の旧館です。落ち着いた感じの良い建物で、かすかに南国の香りがしないでもありません。訪問したのはとなりの新館で、こちらは11階建ての現代風の庁舎でした。

 県庁がある一帯は佐賀城の大きな堀に周りを囲まれています。佐賀城本丸のほか、学校、図書館や博物館などの公共施設やテレビ局があり、広い公園になっています。

 ぶらぶらと公園内を歩いてみました。

  城址を取り巻く掘割に蓮が密生していました。

  掘割沿いの散策路。佐賀県の県木はクスノキで、公園内には楠の大木が多いです。

  美術館の横には岡田三郎助のアトリエが移築されていました。岡田三郎助は佐賀県出身だったのですね。

 佐賀城址です。右は天守台。天守閣は享保年間に焼失しています。左の門は鯱の門。佐賀藩は35万7千石の大藩で、城郭もそれなりに大きいです。

  門の屋根に一対の鯱があるので、鯱の門と呼ばれます。

 佐賀城本丸歴史館です。平成16年に本丸御殿の一部が復元されました。大玄関にはアームストロング砲のレプリカや当時の臼砲が置かれています。以前に内部を見学したことがあります。

 明治7年に起きた佐賀の乱では、当初、城に陣取っていた政府軍を佐賀軍が攻め敗退させます。この乱での政府軍の死傷者の大半がここで出ました。鯱の門にはその時の弾痕が残っています。佐賀の人は「乱」とは呼ばずに、「役」や「戦争」と呼んでいるようです。

 門の向こうに大砲が見えます。

  

 当時佐賀藩がアメリカから輸入したカノン砲のレプリカです。近くの佐嘉神社にも同じような大砲が置かれています。明治維新当時、佐賀藩は反射炉の建設や大砲、蒸気機関の製造など近代産業技術の振興に力を入れていました。上野戦争の際には佐賀藩のアームストロング砲が威力を発揮しました。

  

 この日は県内各地の観光パンフレットをもらいに行きました。お隣の長崎や熊本と比べてやや印象の薄い佐賀ですが、どこかの町を歩いてみようかと思っています。あまり足を踏み入れていないところが良いですね。焼き物の里、有田などは結婚前に家内と陶器市に行ったきりです。

 

 

 

 

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4 コメント

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九州よりさんへ (お母ちゃんの徒然)
2019-10-23 10:35:24

鯱の門はかつて赤松小学校の門でもありました
母校です
昔の商業高等学校も同じ門でした
九州よりさんには昔々のお話でしょうか (*'▽')

いまでしたら文化財ですが
よく遊んだものです その当時朽ちた鯱の門でしたよ
返信する
佐賀の見学 (tango)
2019-10-23 13:41:54
海岸線は全部回りました
七山も昨年十数年ぶりに回りましたが様子が変わって
いました。虹の松原も好きで3回くらい・・
唐津城のきれいな姿を橋の上から楽しみ、とても好きでした
ダンスのお仕事で市内は何回も見学いたしました
静かで好きな佐賀です
バルーンフェスタが見たいのですが・・・?
行きたいところが多すぎます(わらい)
コスモスもテレビでニュースを見て、行きたいなぁと思っています!
佐賀城は知りません(^^♪
返信する
お母ちゃんの徒然様 (九州より)
2019-10-23 21:07:30
数年前、諸富町でチャンポンを食べた後、佐賀城公園に行ったことがあります。
城掘の手前に赤松小学校前という信号がありました。
家内はこの公園が気にいって、ベンチでぼーっと座っていたいと言っていました。
鯱の門は昭和30年代に解体修理されたそうです。
いずこもそうですが、昔の寂れた風景は綺麗に化粧直しされています。
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tango様 (九州より)
2019-10-23 21:16:56
バルーンフェスタは一度見たいと思っているのですが、
アクセスがちょっと敷居が高いですね。
佐賀城本丸は一見の価値があります。
明治維新に出遅れた佐賀藩ですが、
日本の近代化への佐賀の人たちの意気込みが感じられます。
一昨日、キリン花園のコスモスを見に行きましたが、
あまりの渋滞に駐車場まで行きつけず、引き返しました。
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