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けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

奈良・和歌山を巡る旅(3)~ 京大白浜水族館・南方熊楠顕彰館 ~ 2019年11月

2020-05-21 13:12:01 | 旅行
 HPじゃらん「白浜温泉 湯処むろべ」より
 11月28日10時前に宿を出発した。食事も温泉も良かった。ぜひもう一度泊まりたい宿だった。
 3日目の予定は、南方熊楠記念館の下にある白浜水族館と田辺市の南方熊楠顕彰館。
(Wikipediaその他のHPやブログの記事、図書を参照したり引用させて頂きました。ありがとうございます)
 HP「ザッツ・京大」より
 昔から水族館が好きである。動物園もいいが、生き物をガラス(アクリル)越しに間近に見られるのがいい。魚やクラゲやカニなど海の生き物は動きがゆっくりゆったりしている。こちらも落ち着いて観察できる。館内が暗くて秘密の場所めいているし暑い時は涼しくてうれしい。
 京大白浜水族館は、正式には「京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館」と言うそうだ。大学の研究施設の一部を開放しているのだ。
 うまいことアワビがガラス面を歩いている
 白浜の周辺の海の生き物を約500種類展示している。特に魚以外の無脊椎動物(タコやエビやウニ等)の展示に力を入れていることがよくわかる。
 ヤドカリがこちらを見ている。
 30年以上前に子どもを連れて来た時は、水槽を並べただけの研究施設らしい質素なつくりだった。しかし時は流れ、今やいかにも水族館である。
 カメノテ。屋久島のソウルフード? 屋久島で何度か食べた。美味しかった。ビールのあてに良い。貝ではなく、エビなど甲殻類の仲間。黒い熊手のような触手で餌をとっている。
 お互いに抱き合ってる? きれいなイソギンチャク。

 お花畑のよう。イソギンチャクは美しい。
 これも動物。ウミシダの仲間。シダの葉のような触手でプランクトンなどの餌をとる。
 美しいが、サンゴを食べるオニヒトデの仲間。
 ヒトデの裏側。たくさんの管足(かんそく)が見える。先が小さな吸盤になっていて、順番に吸着しながらじわじわ進む。
 ヒトデは足を切っても再生する。と聞いて子どもの時に切ってみたことがある。あとどうしたか覚えていない。
 動きが遅いので写真が撮りやすい。ついつい撮ってしまう。
 立派な座布団のようなヒトデ。
 ガンガゼの仲間。棘が多くて細い。うっかり触って刺さると大変だ。ウニの棘は脆くて刺さると抜きにくい。
 パイプウニの仲間。

 これもパイプウニの仲間。裏側が見えている。中央の口の周辺に管足が見える。
 ヒトデもウニも棘皮動物(きょくひどうぶつ)という。どちらも管足で動く。管足は中空の細いチューブ。中に水が送り込まれると管足は伸び、管足の筋肉が縮まると管足も縮んで、水も押し戻される。
 ヒトデ・ウニ・ナマコの関係の説明
 管足は移動のためだけでなく、餌を口に運んだり、からだを隠すため砂粒や藻屑を運んだり、はがされないよう岩にしがみついたり、周りを探る感覚器の役目をするそうだ。万能な器官。
 タカアシガニか。深海に棲んでいる。
 この水族館はアップの写真が撮りやすい。
 セミエビかな。下が頭。

 シャコの仲間か。
 イソバナの仲間。昔は植物と動物の中間の生き物と考えられていた。サンゴなどと同じく動物の仲間。神経も筋肉も口もある。ポリプが群体になって生きている。
 ポリプでできている動物を刺胞動物(しほうどうぶつ)と言う。ポリプはからだが筒状で、上に口が開きその周りに触手を持つ。肛門はなくて食べるのも出すのもこの口から。イソギンチャクはひとつのポリプ。写真のイソギンチャクは透明なので口(触手の中央)からの管が行き止まりなのがよくわかる。サンゴなどは沢山のポリプが一緒になって暮らしている。
 ウミウシの仲間。貝やイカ・タコなどの軟体動物の仲間。貝殻が退化した。
 アンボイナ。猛毒を持つ巻貝。血清もない。
 カイメンの仲間。カイメンは、からだの内側に鞭毛(べんもう)という鞭(むち)のような毛を持つ襟細胞(えりさいぼう)がたくさん並んでいる。鞭毛を一斉に動かして水流を起こし、写真に見える穴から海水を吸い込み、プランクトンなどを捕まえて食べる「ポンプ式生活」(『海岸動物』西村三郎)を送っている。
 動物の最新の系統図(門ごとの分類)があった。人間が含まれる「脊索動物門」は…

 右端のこんなところ。それ以外の門はすべて、いわゆる無脊椎動物だ。つまりこの水族館は動物の中の大部分の門について詳しく展示しているのだ。
 パネル展示も面白かった。
 もちろん魚もいた。

 じっとしている魚は観察しやすい。
 この水族館はこのように見やすい位置に動物が来てくれることが多い。何か工夫があるのだろうか。

 

 水族館を堪能して外に出た。
 水族館の裏はすぐ海。
 礫岩に海蝕洞のトンネルがあった。

 どこでも神様・仏様がいる日本。

 HP「ロカル和歌山」より南方熊楠顕彰館
 白浜水族館を後にして田辺へ向かった。田辺に立ち寄るのは今回が初めて。南方熊楠が1904年38歳の時から、亡くなる1941年75歳まで住んでいた街だ。
 今でも熊楠が住んでいた住居が整備・保存され、その横にこの顕彰館(2006年オープン)が建てられている。なかなか斬新なデザインの建物だ。

 顕彰館は「熊楠が遺した蔵書・資料等を恒久的に保存するとともに広く公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信」する目的で建てられた。
 1929年天皇を田辺湾の神島(かしま)に迎え、戦艦長門の艦上で紀州の植物について進講し、粘菌標本110種を進献したときに撮った記念写真。松枝夫人と。
 進講のようすを描いた場面。「猫楠~南方熊楠の生涯~」水木しげる 386ページより 
 数々のエピソードに彩られた熊楠の人生と業績を紹介しているほか、
 熊楠が研究していた粘菌について紹介している。特に、

 ビデオカメラをつけた実体顕微鏡で
 自分の見たい粘菌の子実体が入っている紙箱を開けて、

 大きなディスプレイに映して見ることができる。
 こんな感じ。

 漫画のような、ロンドンの生活を伝える熊楠の手紙。

 珍しいキノコのアルコール浸け標本などもある。
 顕彰館は熊楠の家の隣にある。この家は1916年熊楠が50歳の時、和歌山で父の後を継いで造り酒屋を営む弟の常楠(つねぐす)の名義で購入した。中屋敷町あり、田辺駅からも近い街の中心部にある。
 元は田辺藩士の屋敷。母屋、土蔵、貸家などがあった。書斎は転居前に住んでいた借宅から移築している。

 この平面図のように広い庭があり、そこが熊楠の研究フィールドにもなっていた。今も当時の面影を残した庭が維持されている。
 この家や熊楠の資料は熊楠亡き後、妻の松枝さんが管理。1955年に夫人が亡くなった後は娘の文枝さん(2000年没)が管理し、田辺市に寄贈された。

 熊楠の家族写真。息子の熊弥、松枝夫人、文枝、女中さん(と思う)。

 庭の向こうに顕彰館が見える。
 母屋の北に蔵がある。
 その中は、当時蔵書や標本資料などが置かれていた。
 蔵の隣に書斎がある。熊楠がいた当時と同じように再現されている。
 この写真はきっとこの場所で撮ったものだろう。
 この漫画(「猫楠~南方熊楠の生涯~」水木しげる)のように、熊楠は普通に裸で過ごしていた。
 有名な森の中での写真だが、生命体として自然と一体化するためだったのかもしれない。
 「猫楠~南方熊楠の生涯~」水木しげる 24ページより
 熊楠は口から胃の内容物を自在に嘔吐できた。嫌な相手を遣り込めるために子どもの頃から使っていた。とにかく面白い人物である。
 学生の頃に初めてその名を知り、関心を持ちながらも深く触れるチャンスがなかった。これを機会に熊楠について勉強を始めている。また訪れると思う。

 お昼は、顕彰館から歩いてすぐの所にある「ララ・ロカレ」に行った。
 元は警察署だった建物。なるほど、という造りだった。図書館や公民館になった後、現在はイタリアンカフェとして利用されている。
 パスタを頂き、ほっこりできた。
 散歩しながら顕彰館に戻る。レトロな建物が多い。
 「南蠻焼(なんば焼)」は田辺名産のかまぼこ(蒲鉾)。南蛮渡来の製法とか。形が正方形で、丸い形の焼付けが付いているのが特徴。
 少し西に田辺城跡がある。城下町の風情が残る落ち着いた街並みだ。
 駐車していた顕彰館に戻ってきた。世界遺産の闘鶏神社(熊楠夫人の松枝さんはこの神社の宮司の娘さんだった)にも行きたかったが今度にして、田辺を後にした。
 帰りは紀勢自動車道、阪和自動車道、国道170号線で帰阪した。

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