けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

夏の終わりの上高地 2020.8.25~27

2020-08-29 12:56:58 | 旅行
 仲間と企画した子ども向けの映画会が無事終了。参加者も予想以上に多かった。暑い中みんなでチラシを配るなど準備した苦労が報われて嬉しかった。

 8月末というのに酷暑が続く。連れ合いはこの夏あまり野外に出掛けていなかった。避暑を兼ねて一緒に馴染みの平湯キャンプ場に行くことにした。
(多くのHP・ブログの記事、図書を参照したり引用させて頂きました。ありがとうございます)
 8月25日の9時に出発。昼は郡上八幡の蕎麦屋に入っ。『蕎麦正まつい』という初めてのお店。
 お蕎麦と天婦羅を頂いた。

 美味しいお蕎麦だった。
 おすすめします。
 平湯キャンプ場に到着。いつもと同じ辺りにテントを張ることができた。
 『ひらゆの森』の露天風呂に入湯してから
 夕食のバーベキュー。食後はいつもの様に飲みながら焚火を楽しんだ。

 笠ヶ岳が見えている。8月26日。平湯バスターミナルを10時発のバスに乗り上高地へ。
 釜トンネル手前の梓川。バスの車窓から。
 大正池が見えた。
 大正池の停留所で降りることが多いが、今日は帝国ホテル前で降りた。
 ホテル前の石垣で。ソバナの花。

 同じ石垣で。ノコンギク(野紺菊)。白く見えるが薄紫色の花。
 ホテルの横を通り梓川の河畔に向かった。
 中国山地で沢山見かけたキンミズヒキの花。

 ハンゴンソウ(反魂草)。キク科キオン属の多年草。 花はキオンに似るが、キオンは葉に切れ込みがない。本州中部~北海道に分布。
 名の反魂とは魂を呼び戻すこと。手の平のような葉が下を向くので幽霊の手を連想して名付けた、という説もある。 
 ヒョウモンチョウ。
 ミヤマウツボグサ(深山靫草)。
 ホタルブクロ(蛍袋)。
 面白い。花弁が反り返っている。何だろう?
 葉はこんな感じ。
 判明。クサボタン(草牡丹)。キンポウゲ科センニンソウ属。花弁に似て反り返っているのはガク片。有毒。冬には大部分枯れるが、茎の基部が木質化して下部が残る。葉は長い葉柄を持ち3出複葉。 
 同じくクサボタン。花が終わればこんなことに! 花柱が羽毛状に伸びる。日が当たるとキラキラ輝くように見える。
 白い尾のような花が林床でよく目立った。
 サラシナショウマ(晒菜升麻)。キンポウゲ科サラシナショウマ属の多年草。和名は若芽を茹でて水にさらして食べたことに由来。根茎は升麻(ショウマ)という生薬として利用される。
 アズマヤマアザミ(東山薊)。キク科アザミ属。山地の沢沿いの林下や林縁に生える多年草。日本固有種。
 梓川の河原に出た。前穂の稜線にかかる雲が晴れようとしている。
 帝国ホテルからの道はまっすぐ田代橋に。いつもは大正池から来て田代橋を渡り、梓川右岸を河童橋に向かう。今回は田代橋を渡らずに梓川左岸を河童橋に向かって歩いた。
 ここからの焼岳の眺めも素晴らしい。
 対岸からこの広い河原を見て「あそこに行ってみたい」と思っていた。木陰に平らな石を組んでベンチを作った。修学旅行生がグループ毎に並んで歩いていくのが見える。
 想像以上にこちらからの眺めも素晴らしい。
 イタドリの雌花。休憩の後、川沿いの遊歩道を歩き始めた。
 またハンゴンソウの花。星か花火のように可愛い。

 ウワミズザクラ(上溝桜)の実か。バラ科ウワミズザクラ属の落葉高木。
 舌状花が1枚だけだが。メタカラコウ?

 ゴマナ(胡麻菜)。キク科シオン属の多年草。葉は長さ13~19cmの長楕円形。粗い鋸歯がある。
 名は葉がゴマに似て食べられる草という意味。下はゴマの写真。葉が“細長い”以外、似ていない。
 Wikipedia「ゴマ」より写真を引用
 葉をもむと、かすかにゴマの香りがするからという説もある。 これは確かめていない。
 左岸からの眺めはかなり素敵だ。
 ベンチで休んでおられた方にお願いして写真を撮って頂いた。
 ノコンギクと明神岳。薄紫色の花が美しい。
 ヤマハハコ(山母子)。キク科ヤマハハコ属の多年草。中国山地で見たホソバノヤマハハコと比べて、葉の幅は若干広いように見えた。
 シラネセンキュウ(白根川芎)。セリ科シシウド属の多年草。葉は3出羽状複葉。 花は白い5弁花。 

 キツリフネが沢山咲いていた。
 前に出ている唇弁は2枚でできている。

 唇弁がこんなに開くとは知らなかった。
 イヌトウバナ? コウシンヤマハッカ?
 河童橋が近づいた。穂高連峰がスッキリ見えてきた。
 案内板。ピークの名を確かめた。
 トモエシオガマ(巴塩竈)。花の色は褪せてしまっている。ハマウツボ科シオガマギク属の多年草。本州中部以北の亜高山帯~高山帯に分布。日本固有種。
 河童橋に到着。6月より賑わっていた。橋の上で写真を頼まれた。少し休憩して岳沢湿原へ向かう。
 木道の下に可愛いピンク色の花。アカバナ(赤花)。アカバナ科アカバナ属の多年草。山麓や野原の水湿地に生育する。なるほどその通りだ。
 花弁は4個。先端が2裂する。雄しべは8個。うち4個が長い。  
 いつ見ても美しい岳沢湿原。水鳥は見当たらなかった。
 オオカメノキ。赤い実が熟しつつある。
 湿原を後に先へ進む。
 土石流で寸断された遊歩道が修復されていた。

 これは?
 これは? 垂れ下がった変わった花を付けている。
 花の終わりかけたコウモリソウ(蝙蝠草)。キク科コウモリソウ属。
 キンミズヒキ。

 ミヤマニワトコ(深山接骨木)の赤い実。スイカズラ科。ニワトコの高山種。本州の日本海側に分布。樹高が低く(1mほど)草のように見える。
 嘉門次小屋に到着。6月は休業中だったが賑わっていた。
 ビールで乾杯。そばと岩魚定食を頂いた。
 嘉門次小屋は上條 嘉門次(かみじょう かもんじ)が明神池の畔に建てた小屋。嘉門次(1847年生)は上高地で杣・山見廻り人夫・猟師をしていた。ウォルター・ウェストン夫妻を北アルプスへ案内したことで有名になった。
 嘉門次小屋HPより「ウォルター・ウェストン夫妻をを案内する上條 嘉門次」
  山小屋の営業は1925年息子の夫人が始めた。本格的な営業は1966年4代目の代から。小屋は国の登録有形文化財に指定。
 明神橋を渡り明神館に向かう。
 沢山の花が咲いていた。サラシナショウマ。
 メタカラコウ。
 そしてトリカブト。サンヨウブシ(山陽附子)。キンポウゲ科トリカブト属。
 関東~中国地方に分布。なるほど。氷ノ山の山裾で見たトリカブトもこれだったのだ。和名は山陽の岡山県で発見されたことに由来する。

 山地帯~亜高山帯の林内・林縁に生える多年草。葉は直径30cmほどで5~7中裂する。花は青紫色で上から咲く。確かに。
 ほとんどのトリカブト属は猛毒だがサンヨウブシは数少ない無毒のトリカブトだそうだ。
 明神館に到着。小屋の前にあるコナシ(ズミ)。小さなリンゴのような実を沢山付けていた。
 木陰のベンチで休憩。隣に山帰りの男性の方がおられたので声をかけた。「槍から奥穂まで歩いて来た」と言われた。「ということは大キレットを歩いて?」と質問。その時のようすをスマホの写真を見ながら聞かせて頂いた。

 「…天気はとても良かった。周りの景色を眺めて足元を見ると恐怖感で前に進めない。ひたすら足元だけを見た。腹ばいの状態で進む時もあった。誰かに誘われても二度と行きたくない。体力・体調・天候が許す時、覚悟を決めて行く所だと思う」という主旨のことを言われた。だろうと思った。

 コウシンヤマハッカ(甲信山薄荷)。シソ科ヤマハッカ属。高さ60~80cmの多年草。葉は対生し卵形~狭卵形で幅4~6cm。先端は3裂しない。

 カメバヒキオコシの変種で花は青紫色。カメバヒキオコシの葉の先は3裂して尾状に伸びるのに対し、本種は葉の幅が広く3裂しない。
 山梨県~長野県南部に分布。

 これは平湯キャンプ場で見た花。花はコウシンヤマハッカにそっくり。しかし葉が3裂しているので、これがカメバヒキオコシだと思う。
 こちらはカニコウモリ(蟹蝙蝠)。キク科コウモリソウ属。
 大規模ながけ崩れの跡。
 サラシナショウマの花で吸密するジャノメチョウの仲間。
 明神橋~河童橋間の梓川左岸の道は川にえぐられた場所が多くあった。
 平坦地の林内の道は無事。
 ユキザサの実。これから真っ赤に熟すはず。
 クロクモソウ(黒雲草)。ユキノシタ科チシマイワブキ属の多年草。
 エゾクロクモソウ(蝦夷黒雲草)を基本種とする変種。日本固有種。
 キツリフネの花。その上はつぼみ? 向こうに実ができている。その上は閉鎖花?
 静かな川面に映った林と青空。
 これもサンヨウブシ。
 ところが、小梨平に来ると別のトリカブトが登場。ヤチトリカブト(谷地鳥兜)。キンポウゲ科トリカブト属。サンヨウブシと違いトリカブトらしい葉をしている。本州中部に分布。高山帯の草原や亜高山帯のやや湿った所に生育。

 8月上旬の熊による被害のため小梨平キャンプ場は閉鎖中。
 もったいない。
 河童橋に戻った。いつものソフトを頂く。穂高連峰に別れを惜しみつつバスターミナルへ。ところがバスの時間を勘違い。「平湯行き毎時0分発」だった6月と違い、8月24日~は「毎時30分発」に。時間があるのでビジターセンターに戻った。
 センターの「今咲いている花」のコーナー。見てきた花の名前がよく分かった。またセンターの周りは沢山の花が咲いていた。
 特にヤチトリカブト。
 センター裏の清水川沿いに沢山咲いていた。
 ハナバチも吸密に来ていた。
 これもシラネセンキュウ?
 ノコンギク。
 ミヤマアキノキリンソウ。
 メタカラコウ。
 ソバナ。清水川沿いに今日見た花のおさらいのように色々な花が咲いていた。
 清水川のバイカモ(梅花藻)。そろそろバスセンターへ。

 なぜかヤマカガシが。動かないので死んでいたのかも。
 平湯に戻り「ひらゆの森」で汗を流してキャンプ場へ。今夜は寄せ鍋。涼しいので鍋料理も美味しい。その後はまた焚火を楽しんだ。
 8月27日。朝食の後ゆっくりしてから撤収。10時に出発。
 平湯から笠ヶ岳がよく見えていた。この日は6月と同じく白鳥から国道158号線で大野に出て、そこから勝山の福井県立恐竜博物館へ。

 コロナのため事前にネット予約して入場できる状態。今日は平日なので当日の手続きで入場できた。
 去年孫を連れて来た時はゆっくり見学できなかったが、今日はじっくり眺めることができた。
 テリジノサウルスの巨大な爪。
 ダイノベンチの恐竜博士もマスク姿だった。閉館時間まで粘って博物館を後にした。暑い大阪が待っている。

映画『ひめゆり』の感想

2020-08-29 12:02:41 | 感想
 8月21日。大阪の第七芸術劇場で映画『ひめゆり』と『日本人の忘れ物~フィリピンと中国の残留邦人』を見た。特に『ひめゆり』は大きな衝撃を受けた。柴田昌平監督が「ひめゆり学徒隊」生存者の証言と記録フィルムで構成したドキュメンタリー映画(2006年)。

 沖縄に行く時には是非訪ねて欲しい「ひめゆり平和祈念資料館」。その第4展示室。暗い室内に浮かび上がる学徒・教員200余名の遺影。温かい言葉で記された一人一人の人柄。夢多き10代後半だった少女達。その笑顔と言葉が突き刺さる。

 映画のスタートもその少女達の遺影から。沖縄戦の映像をはさみ22名の生存者が、体験した事実を体験した場所で語っていく。
 沖縄戦では、沖縄にあった21の男女中等学校(今の中学・高校)の生徒まで戦場に動員された。男子は14歳~19歳、上級生は「鉄血勤皇隊」下級生は「逓信隊」として物資輸送や電報などの配達。女子は15歳~19歳、陸軍病院での看護活動に充てられた。

 「ひめゆり」は、併置されていた沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校から動員された学徒隊を指す名前。両校共通の校友誌「姫百合」から戦後そう呼ばれるようになった。
 軍医から看護教育を受け動員に備えていた生徒たち。1945年3月23日。222名の学徒と教師18名は南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院(低い丘に横穴を掘り粗末な2段ベッドを置いただけの施設)へ。

 負傷兵の看護。水くみ。死体埋葬等々。寝る間も寝る場所もない日々が続く。「座るか立って休むしかなかった」「赤十字の旗が立つ病棟で看護するのだと思っていた」。現実は絶え間なく砲弾が飛び交う戦場の只中だった。
 手や足を押さえるのを手伝いながら見た負傷兵の切断手術。軍医に「捨ててこい」と言われ持ち上げた時の(切断された)手や足の重さ。「学生さ~ん」と呼ばれ苦心して取った負傷兵の傷口に食い込むウジムシの群れ。艦砲の直撃を受けて即死した友。脳髄や内臓が外に出たり手足が吹き飛び胴体だけになった遺体も。たった数10cmの違いが生死を分ける戦場の現実。

 5月下旬、日本軍の南部撤退に伴い陸軍病院も撤退。歩けない重症患者に毒薬が配られる場面の目撃証言。重症の友達を残して移動する苦しさ…。やがて学徒隊は南部の伊原周辺に終結した。ガマに避難していた住民を軍が追い出し、そこに軍や陸軍病院が入った。
 しかし6月18日。学徒隊に突然「解散命令」が出される。米軍が目前にせまる中、生徒や教員は壕を出て各自の判断で行動することに。その結果それまで3ヶ月間の犠牲者が19名だったのに対し解散後わずか数日で100名余りが死亡した。

 「ひめゆりの塔」は「伊原第三外科壕」と呼ばれたガマの前に建てられている。そのガマでは6月19日、米軍のガス弾攻撃を受け、学徒を含む80名あまりが死亡。壕を出た生徒たちはアダンの茂みなどに身を隠しながら行動。だが砲弾や銃弾に倒されて次々と死亡。手榴弾で自決した仲間も。「日本が戦争に勝った時、もし自分が捕虜になっていたら恥ずかしくて生きていられない。だから手榴弾があったら自分も死んでいた」「『最後にお母さんに会ってから死にたい』という友達の言葉で自決を思いとどまった」「別れる時先生が言われた『早まった行動はとるな』という言葉がなければ…」。

 沖縄師範女子部と県立第一高女では陸軍病院に動員され亡くなった生徒・教師136名、動員以外で亡くなった生徒・教師91名、合わせて227名が沖縄戦で命を落とした。

 「なぜ自分だけ生き残ったのか…」
 思い起こすだけで苦痛なはずの体験。その証言を映像として後世に残し伝える決意。亡くなった友や恩師に代わって残し伝える決意がひしひしと伝わってくる。戦争と戦場の現実。それを体験者の“言葉の力”によって観る人すべての脳裏に深く焼き付けてくれる映画だった。
 
 製作からすでに14年。亡くなった証言者も多くおられるはず。証言者の意向によりこの映画はビデオ化されていない(当然だろうと思う)。
 映画館のポスターに添えられた演出家・宮本亜門さんの言葉「私の一生のお願いです。『ひめゆり』を観てください」に全く同感。ぜひ機会を見つけ、あるいは上映会を企画するなどして、このドキュメントを見てほしい。多くの人に知らせて頂きたい。
(事実関係は「ひめゆり平和祈念資料館」HPの「ひめゆり入門」等を参照)

中国山地の山(4)「中蒜山」2020.8.16

2020-08-20 11:48:11 | 登山
 3時半に目が覚めた。もちろんまだ夜中。テントを出て夜空を眺める。場内の街灯、周囲の山や木立が邪魔にはなる。しかし今夜も素晴らしい星空。天の川もよく見えた。
 昨夕のキャンプサイト 南東の方向
 東の空を見た。山際に新月に近い細い月-有明の月-が出ている。その斜め上。月に負けない明るさで星が輝いている。金星-明けの明星-だ。
 金星から火星に線を引きその延長線をたどる。その線-黄道-上にあるはずの土星と木星。もう西の山に隠れたようだ。
 金星の斜め下にオリオンの上半身が見える。秋の星座がもう … 。“星座の中の星座”オリオン。その星々の光も、金星の輝きの前では目立たない小さな点にしか見えない。惑星や衛星を照らす太陽光の威力を思い知る。見上げた時間は15分ほど。今日も二つ、流星を見つけた。
 テントを片付けた後のキャンプサイト
 蒜山はここから近い。あわてる必要はない。ゆっくり朝食をとり、ゆっくりテントを撤収した。鏡ヶ成をちょうど10時に出発。
 Googleマップより
 今日登る「蒜山(ひるぜん)」は鳥取県と岡山県の県境にある。蒜山三座と言って、西から上蒜山(1202m)、中蒜山(1123m)、下蒜山(1100m)からなる連山だ。
 休暇村蒜山高原から見た蒜山連山(2019年5月)
 登山口は岡山県真庭市の中蒜山登山口。 「塩釜の冷泉」という有名な泉のそばにあるらしい。今まで鳥取・島根に帰省する途中、何度となく蒜山を通った。しかし立ち寄るのは休暇村くらい。「塩釜の冷泉」は今回初めて存在を知った。
 駐車場に車を置く。お盆休みのためか「Go To キャンペーン」のためなのか暑いのに大変な人出。皆が進む方についていく。すぐにこの池があった。
 イワナの養殖池。電動で水車を回しイワナに酸素を供給している(と思う)。
 冷泉の手前にあった立派なキャンプ場。観光客向けの飲食店や土産物の店もある。賑やかな観光地だ。
 これが「塩釜の冷泉」。交代で泉のそばに降り、手を浸けたり顔を洗って歓声を上げる。もちろん自分も。
 これが泉の湧き出す場所。ここでは水を汲めない。水場は登山口のすぐ横にあった。しかし長蛇の列。あきらめて鏡ヶ成の水の入ったペットボトルのまま10時40分、登山開始。
 はじめは丘陵地を歩く。

 ゲンノショウコ。
 これもゲンノショウコ。
 ここでもキンミズヒキを見た。
 ここから登山道らしくなる。
 こんなところにミヤコアオイ(都葵)が。ウマノスズクサ科カンアオイ属の常緑の多年草。日本固有種。近畿以西から島根県、四国西部、九州(福岡県、大分県、熊本県)に分布。低い山地の広葉樹林の林床に生育。ギフチョウの幼虫の食草。
 いくつか沢を越えて…
 三合目に到着。ここから登山道は杉並木の間を進む。

  この直登がきつかった。急角度の道が延々と続く。
 四合目。杉並木の急登が続く。眺望はない。

 五合目。やっと平坦部が現れた。

 五合目に石造りの古い祠がある。平坦部はすぐに終わりまた急登が始まった。

 六合目。まだ1000mを越えない。眺望ゼロのまま。
 杉並木の直登がこれでもかと繰り返し現れる。
 七合目の先も直登。ますます傾斜が厳しくなる。
 八合目。ついに1000mを越えた。杉並木も終わる。しかし直登の急登は続く。
 樹高が次第に低くなりやっと眺望が開けた。
 稜線の道に出た。右(東)は下蒜山。左(西)が中蒜山。上蒜山はまっすぐ進むようだ。
 花も出てきた。ハナニガナか。
 爽快な稜線歩き。眼下に蒜山高原が広がる。
 ホツツジ。稜線の登山道に沿ってホツツジの大きな株があった。
 建物が見えた。人もいる。あれが頂上か。

 暗く写ったが、おなじみのツリガネニンジン。
 ヤマハギ。
 またホツツジの群生。
 12時50分、山頂に到着。登山口から2時間10分。アルプス並みの急登。苦しかった。
 蒜山高原をバックに。今までで一番汗をかいた、という印象。自分の他に親子連れと仲間連れの方が休んでおられた。
 幸いな事に、この大きな雲がちょうど太陽を遮ってくれた。落ち着いて昼食をとることができた。
 ここまで来て判明した重大な事実。
 中蒜山からは大山も烏ヶ山もその雄姿を見ることができない! 上蒜山が視界を遮り全く見えない。ショック。かろうじて矢筈ヶ山(やはずがせん)から船上山の山並みが上蒜山の右裾に見えていた。
 しかし麓の眺めは爽快。昨日・一昨日歩いた西方の山並み。道後山も吾妻山もどれとは言えないが見えているはず。
 写真を撮って下さったのは二人組の方。車2台で来て上蒜山・下蒜山の登山口にそれぞれ車を置き、朝7時に下蒜山から歩いてきたそうだ。下蒜山の登りも非常にきつかったという。

 このあと上蒜山まで8時間弱の縦走になりそうと言われた。「ぜひ自分も涼しい季節にチャレンジしたい」と言ってお別れした。
 頂上付近でイブキトラノオを見た。

 同じくマルバダケブキ(丸葉岳蕗)。キク科メタカラコウ属の多年草。「本州中部地方から東北地方の山中に多く、四国にはまれにみられる」(Wikipedia「 マルバダケブキ」)とあるが大山山系にも分布しているようだ。
 これが下蒜山。ここまでの稜線歩きは楽しそうだ。
 オトギリソウ。
 これはヤマハギだったか?
 ヤマハギの丸い葉と違う。実の鞘の雰囲気はヌスビトハギ(盗人萩)か。近似種が多いらしいのではっきり言えない。
 登山道を行き来していたオニヤンマ。近くの木に停まり休憩していた。
 登山口辺りが見える。
 ヤマジノホトトギス。面白い形の花。
 花被片(下に付く白地に紫の水玉模様の花弁)は6個。3個の内花被片と3個の外花被片がある。外花被片の方が幅が広い。外花被片の付け根に袋状のふくらみがある。花被片の外側には細毛が生える。
 雄しべは6個。雄しべの花糸は互いに寄り添って立ち、上部で反り返って先端に葯を外向きつける。花糸には紫色の斑点がない。上の写真では少しわかりにくいので下の写真を参照。

 HP『Tam's素人植物図鑑』「ヤマジノホトトギス」より写真を引用
 雌しべの花柱の先は3つに分かれ、各枝の先はさらに2裂し、紫色の斑点がある。 
 花被片と雌しべについている紫色の水玉模様はどんな効果があるのだろうか。昆虫に聞いてみたい。
 おっと出てきた。
 ママコナ(飯子菜)。ハマウツボ科ママコナ属の一年草。 山地の林縁などの乾いた場所に生育する半寄生植物。
 花弁に2つ並んだ白い膨らみが米粒のように見える。写真に見えるように先端が針状で鋸歯のある苞がある。花期は6~8月。花の盛りが過ぎると白い膨らみが濃い赤色に変わる。
 下りは見つける余裕があった。ショウジョウバカマの葉。

 沢まで降りて来た。見つけると撮りたくなるツリフネソウ。
 独特な形のツリフネソウの花。昆虫に花粉を運んでもらうために進化したことが知られている。その話を紹介する。
(NPO法人『日本パークレンジャー協会HP』の「自然の不思議コーナー〈No.31 ツリフネソウとマルハナバチ〉」より)
「ツリフネソウは…渦巻状の所から蜜を出しているので、マルハナバチは頭から突っ込んで入って長い口…を伸ばしてようやく蜜にたどり着ける」
「下側の花びらはマルハナバチが花に出入りする際の足場に」なる
「ツリフネソウの花の空間はマルハナバチが入れる大きさになっている」が、
「奥に行くほど狭くなっているので、マルハナバチは後ずさりして出」なくてはならない。
「蜜を吸って…後ずさりして出てくるので、蜜を吸う時や出入りするときに、マルハナバチの頭や背中に確実に花粉がつくようになっている」
「ツリフネソウはマルハナバチを送粉のパートナーとして、花の形や大きさを最適に進化させてきた」と考えられている。
 くたくたになりながら下山。登山口の横が「塩釜の冷泉」水くみ場。今度は水くみを待つ人の列に並ぶ。全身ずぶぬれ状態・汗だくの自分の姿に恐れをなした? すぐ前にいた若いカップルの女性。後ずさりしながら遠ざかっていった。すんませんなあ。
 空になった2本のペットボトルに冷泉の水を満たす。その1本を一気に飲み干す。素晴らしく美味しかった。
 さて、今日の温泉は湯原温泉。ここも帰省の度に通り過ぎるばかり。今回初めての入湯。
 岡山県真庭市の湯原温泉。古くからの湯治場である。旭川の川底から砂を噴き上げながら湯が湧く「砂湯」。露天風呂の“西の横綱”にランクされたこともあるそうだ。しかも混浴。
 ダムのすぐ下が「砂湯」のようだ。すごいロケーション!
 到着。一応男女別の脱衣場はある。『隠そう下半身!!』の看板にも関わらず八割方の男性は守っていない。女性は少なかった。大方の人はほぼ全身隠して入っておられた。ちなみに自分はスポーツ用黒パンツで入湯。
 いくつかある湯舟の底は玉石が敷き詰められている。底から湯が沸いているのだと思う。湯温はかなり高め。
 すぐ横は旭川。その水はダムから流れ出ているためか非常に冷たい。熱くなったら川に浸かるか手桶で水をかぶればとても爽快。

 ダムをバックに写真を撮り合っている親子連れがいた。二人そろっての写真を撮ってあげた。出来栄えをとても喜んで下さった。自分もスマホで撮って頂いた。よく撮れているが公開は控えたい。
 「知るのが遅かった! 次回また立ち寄るぞ!」と決意して帰阪の途に就いた。

中国山地の山(3)「道後山」2020.8.15

2020-08-19 17:38:30 | 登山
 8月15日「終戦の日」。敗戦を直視できず「終戦」とした認識を、4分の3世紀たって未だに克服できない日本。

 ドイツの戦前を振り返るドキュメントや映画は徹底して「加害の歴史」を暴く。日本では大半が「被害の歴史」。

 これではいつまでたっても沖縄に押し付けた犠牲を理解し、沖縄の苦痛を自分ごととして感じたり考えることはできない。
 東アジアと心から和解し、平和で民主的な東アジアを築くためのリーダーシップはとれないだろう。政治の責任は重大。
 Googleマップより
 道後山の位置を確認。広島県と鳥取県の県境の山だ。月見ヶ丘駐車場は広島県側(庄原市)にある。
 今日もいい天気だ。昨夜天体観察でお世話になった方は良い写真が撮れただろうか。朝までに帰宅すると言われた通りもう姿はなかった。
 食事をしてテントを撤収、出発準備を済ませた。7時30分出発。
 気持ちのいい林(若いミズナラ)の中を進む。

 キツネノボタン(狐の牡丹)。キンポウゲ科キンポウゲ属の多年草。
 これは?
 フシグロセンノウ(節黒仙翁)。ナデシコ科センノウ属の多年草。日本固有種。本州・四国・九州の山地の林床に自生する。対生に付いた葉の節の部分が黒いのでフシグロセンノウ。まるで園芸品種のような印象。
 この山でもあちこちで咲き誇っているキンミズヒキ。
 これはミズヒキ(水引)。タデ科イヌタデ属。キンミズヒキはバラ科。
 和名は紅白に見える花序が水引(祝儀袋などに付ける紅白の帯ひも)を連想させるため。 葉の八の字の模様も特徴的。
 駐車場に上がる手前の道の両側はこの植物だらけだった。ツリフネソウ(釣舟草)。ツリフネソウ科ツリフネソウ属の1年草。 
 キンミズヒキに止まるアキアカネ。腹の赤みが増してきている。
 沢沿いの湿った谷間の道。コケが美しい。
 これは…もしかしてミヤマトウバナ?
 セリ科の植物ですが。
 地味な色だがヤマアジサイ?
 途中に立派な休憩所があった。
 コバノフユイチゴ(小葉の冬苺)。バラ科キイチゴ属。別名マルバフユイチゴ。地面を這って所々に根をおろし群落をつくる。
 この独特の形の花は?
 立派な形の茸…
 林を抜けた。この山もワレモコウがある。
 イヨフウロ。
 ツリガネニンジン。昨日登った吾妻山の植生と共通な部分が多い。

 歩いてきた南側を振り返る。東が道後山。西が岩樋山。
 岩樋山(いわひやま)。標高1271m。

 道後山への道は笹に覆い隠されていた。
 オトギリソウ。
 これは…どう見てもシラタマノキ(白玉の木)? ツツジ科の常緑小低木。
 Wikipediaでは「中部以北の亜高山帯以上の草地等、比較的乾燥した場所に生える」と書いている。なぜここに?
 秋にガク片が肥大して果実を覆い白い玉状になるのでシラタマノキの名がつけられた。
 登山道に出ている岩にしがみつくように生えている。間違いなさそう。
「日本の高山植物」豊国秀夫編・解説(山と渓谷社)の「シラタマノキ」に「北海道、本州の中部地方以北、大山、三瓶山の亜高山帯~高山帯の草地や林縁に生える」と書いてある。大山、三瓶山、もちろんこの道後山には山地帯しかないが訳があって分布しているのだろう。
 ホソバヤマハハコ。
 ツリガネニンジンも多く生育する。
 この夏よく見たヤマブキショウマ(山吹升麻)。バラ科ヤマブキショウマ属の多年草。
 
 氷ノ山で見た葉に比べて随分小さい。コイワカガミ(小岩鏡)?
 色はヤマツツジだが。まだ咲いているのは驚き。
 シラタマノキに間違いない。
 日南町役場「日南町希少植物図鑑」によると
「鳥取県内の自生地は大山と岩樋山から道後山周辺 だけである。岩樋山周辺に多く生育している。ここの自生地は分布西限に近く貴重な生育地である。個体数は 100個体以上とやや多く生育環境も良好である」と記載されている。 

 これは?

 アップしてみる。
 判明。ノギラン(芒蘭)。キンコウカ科ノギラン属の多年草。
 葉は束生し10個ほどの根出葉。葉身は倒披針形で長さ8~20cm。
 花期は6~8月。根出葉の間から高さ20~50cmの花茎を伸ばし総状花序のやや多数の花がつく。花茎には葉がつかない。
 花には苞があり長さ2~4mmの短い花柄がある。花被片は黄緑色で、長さ6~8mmの線状披針形で上向きに咲き、花後も落ちない。
 雄しべは6個あり、花被片より短く、花糸は無毛。
 子房は中位で3室あり各室に多数の胚珠があり柱頭は3裂する。 

  このアザミは?
 カワラナデシコ。
 マツムシソウ。
 あれが頂上か。
 ヤマジノホトトギス。
 8時45分、山頂に到着。標高1269m。登山口(月見台駐車場)から1時間余り。
 ここも一等三角点がある。
 山頂の向こうもなだらかな斜面が続いている。
 どちらを眺めても穏やかな山頂風景。
 自分がいる間、だれも山頂に来なかった。
 吾妻山でも見たこの花。
 この独特の葉。
 ここにも咲いているが。何だろう?
 チダケサシ(乳茸刺し)か。ユキノシタ科チダケサシ属。茎葉は少なく長い花茎に乳茸と呼ばれるキノコを刺して持ち帰ったので「チダケサシ」の名が付いたという。  
 これはミヤマトウバナではなくトウバナ(塔花)か。シソ科トウバナ属。
 上ぎりぎりに花を付けるウツボグサ。後ろはホソバママハハコ。
 普通のニガナ。
 ダイセンオトギリか。
 アザミの花を吸密するアゲハチョウ。
 ヒヨドリソウ。花が終わりかけ。
 ヤマブキショウマの雌花。
 これは?
 コオニユリ。
 マツムシソウとシラホシヒメゾウムシ(左)。
 マツムシソウと?
 イヌツゲ(犬黄楊)か。モチノキ科モチノキ属。
 ツゲはツゲ科ツゲ属。ツゲの葉は対生、イヌツゲは互生。 
 山頂近くの登山道にはこうした石を積み上げた山がいくつもある。路面をきれいに整備するためか、他に意味があるのか、気になった。
 シモツケソウ?
 イヨフウロ。
 これもイヨフウロ。花が大きくて美しい。

 これは?
 ワレモコウのアップ。花期は8月から10月。

 HP植物雑学辞典の「ワレモコウ」より引用
 引用した写真のように、花は上部から咲き始める。花弁はなく、暗紅色のガク片が4枚と雄しべが4本。雌しべは小頭状。
 ワレモコウはがく片がずっと残るため秋遅くまで花が咲いているように見える。 
 ヤマハギ。
 この丁寧な石積みは何だろう。
 きれいなヤマジノホトトギスが咲いていた。
 朝見たこの花は… やっと判明。
 キバナアキギリ(黄花秋桐)。シソ科アキギリ属の多年生植物。本州~九州の低い山地の木陰に育つ。
 葉は対生し長さ5~10cm・幅4~7cmの三角状ほこ形。茎の先に花穂を出し、長さ3cm程度の淡黄色の二唇形の花を数段付ける。花期は8〜10月。
 写真で花から長く伸びるのが雌しべ。花の中の紫色の粒に見えるのは「仮雄しべ」と言う。雄しべはちょっとややこしいので、以下HP『松江の花図鑑』を参照する。
 HP『松江の花図鑑』より「キバナアキギリ」
 雄しべは下の唇弁に付いているが…

 HP『松江の花図鑑』より「キバナアキギリ」
 1対の太い雄しべの付け根辺りに、枝が飛び出すように紫色の葯が付いた「仮雄しべ」が1対付いている。

 1対の「仮雄しべ」の葯は先端が合着している。なぜこんなことになっているのか。 
 Wikipedia「キバナアキギリ」の説明の中に「…花筒の雄しべには潜り込んだ昆虫の背に花粉を付ける構造がある」と書いてあるのを思い出した。
 この雄しべのつくりを見て想像できることを書いてみる。
① 花に潜り込んだ昆虫は、「仮雄しべ」の“ダミー”(不稔の)葯が目立つので、それを触ったり上に乗ったりする。
② この葯は先がつながっているので1対の「仮雄しべ」がレバーの役割を果たす。昆虫がそれを押したり上に乗ることでレバーにくっついた本当の雄しべが下に下がる。
③ 本当の雄しべは下向きに葯を付けているので、葯が昆虫の背中に当たり中の花粉が背中に付く
④ その昆虫が次の花に潜り込むとき、上唇から伸びる雌しべの柱頭に背中の花粉が付いて受粉を手助けする
 という仕組みになっているのではないか。ぜひ自分で確かめてみたい。

『日本の野生植物 草本III合弁花』平凡社〔1981年〕p.80より 写真5
 ※後日図書館に行き、Wikipedia「キバナアキギリ」が参照していた〈佐竹義輔・大井次三郎・北村四郎 他『日本の野生植物 草本III合弁花』平凡社〔1999年〕p.80〉を確認した。該当の部分を引用する。
「…写真5は花冠の断面図。上唇の下側に沿って花柱が伸び、柱頭が2裂しているのがわかる。上下唇の境目あたりから、前方に湾曲しているのが完全雄蕊(ゆうずい)で、花糸状に見えるのは葯隔である。その先端の黒っぽい部分が正常な葯で、葯隔の反対の端にある退化したもう一つの葯を、花筒にもぐりこんだ昆虫が押すと、葯隔はてことしてはたらき、虫の背中に花粉をつける仕掛けになっている」
 やはり、「てこ」の原理で「虫の背中に花粉をつける仕掛け」になっているのだ。
 これが普通のアキギリ(HP『四季の山野草』より「アキギリ」)

 前からは毒々しく見えるツリフネソウ。
 最後にキンミズヒキの全体像。
 10時15分、月見台駐車場到着。往復2時間45分。今夜も引き続き観測する人が残っていた。
 明日は最後の山「蒜山(ひるぜん)」だ。「休暇村 蒜山高原」に電話してみたがキャンプ場は一杯だった。隣の「休暇村 奥大山」(※前「鏡ヶ成国民休暇村」)に電話するとフリーサイトはまだ空いていた。
 スキー場を麓まで降り国道183号線に出て鳥取県方向へ向かった。日南町から日野町へ(途中から国道180号線)、鳥取県西部の中心河川・日野川に沿って下っていく。
 日野町の「根雨(ねう)」の街に到着。日野川を西に渡ってすぐ目についた「ごはんやブランチ」で昼食を頂いた。美味しくて雰囲気のある良いお店だった。根雨のスーパー「丸合」で今夜と明日の食材を仕入れ鏡ヶ成を目指した。

 日野川をさらに下り江府町に入る。江尾の街で川とお別れして山に向かう。写真は「御机みつめの棚田」。正面は大山の南壁。見る角度で大きく姿を変える大山。ここからの眺めも大好きだ。
 「休暇村 奥大山」のキャンプ場に到着。収容人数を半分以下に抑えているそうだ。
 フリーサイト。テント間の距離を大きく取れてゆったりと設営できた。
 設営が終わると車で本館へ。“奥大山の超軟水”で沸かしたお風呂に外来入浴。この休暇村ではフロントで脱衣かごを受け取り浴場に向かう。入浴者数をコントロールするいいアイデアだと思った。

 キャンプ場から大山火山群の一つ「烏ヶ山(からすがせん)」(1448m)がよく見える。昔ここに泊まって子どもと登頂したことがある。
 日も傾いてきたので夕食にかかった。
 今宵もまた焼肉。後の焚火が楽しみだ。

中国山地の山(2)「吾妻山」2020.8.14

2020-08-18 22:23:35 | 登山

 8月12日・13日は2か所ある墓の掃除や墓参り、買い物などをした。海辺の町なので、釣りやシュノーケリングも楽しんだ。
 記憶力の減退が進む母だが魚をさばく技は衰えない。夕方釣ったキスの刺身は絶品だった。

 Googleマップより
 8月14日。母の住む町を後にし「帰省帰りの登山(その1)」として、広島県・島根県の県境の山「吾妻山(あずまやま)」をめざした。
 と言っても多くの人は吾妻山の存在を知らないかもしれない。実は自分も知らなかった。「島根からの帰り道にある山」「キャンプ場のある山」で探して見つけたのがこの山だ。
 10時過ぎに出発。カーナビの目的地に「休暇村 吾妻山ロッジ」を入れる。所在地は広島県庄原市比和町森脇。「エココース」(最短距離)を選ぶ。アップダウンや道幅を考えないのでひどい目に合う時もある。が、この日は良い選択をしてくれた。12時過ぎにロッジに到着。
 ロッジの背後のロケーションが素晴らしい。小さな高まりが山頂のはず。一方ショックなことが。「運営していた業者が撤退した」としてキャンプ場は閉鎖だと。そんなことHPに何も書いてなかった(訂正が間に合ってなかったのか…)。もしかしてこれも新型コロナの影響?
 どうしようもないので、ともかく吾妻山を目指して12時40分に出発。

 ロッジのすぐ上に池がある。ヒシやスイレンが葉を広げ花を咲かせていた。
 真っ赤な花。ゲンノショウコか。
 ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)。ユリ科ホトトギス属の多年草。氷ノ山で葉だけは見かけたが。
 カワラナデシコ(河原撫子)。いわゆるヤマトナデシコとはこの花のこと。
 ヒヨドリソウ(鵯草)の花で吸密するヒョウモンタテハの仲間 。キク科ヒヨドリバナ属の多年草。

 ここから後の山で一番よく見かけたのがこの花。キンミズヒキ(金水引)。バラ科キンミズヒキ属の多年草。氷ノ山と違って次々と違った花が出てくる。楽しみだ。
 頂上の方向とは違うようだが、小さな丘があったので上がってみた。

 丘の上にマツムシソウ(松虫草)が群生していた!マツムシソウ科マツムシソウ属の多年草。日本固有種で山地の草原に生育する。 
 この景色、この花との出会い。吾妻山に来て良かった、と思った。
 今度はツリガネニンジン(釣鐘人参)。キキョウ科ツリガネニンジン属の多年草。和名の由来は花が釣鐘の形、根がチョウセンニンジンの形に似るため。先週白山で見られなかったハクサンシャジンはこの高山型の変種。 
 オオバギボウシ(大葉擬宝珠)。キジカクシ科ギボウシ属 。

 小さな丘を降りて登山道に向かう。
 アザミの花で吸密するヒョウモンタテハの仲間。
 これは?

 イヨフウロ(伊予風露)。フウロソウ科フウロソウ属。 
 登山道に入ってもツリガネニンジンは多く咲いていた。可愛い花。
 ワレモコウ(吾亦紅、吾木香、吾妹紅)。バラ科・ワレモコウ属。 日当たりのよい草地に生える植物。近年、草刈りが行われる草地が少なくなり、しだいにその姿を消している。 
 雌しべの2本の花柱がはっきり見えるカワラナデシコの花。
 山に入るともうヤマハギ(萩)の花が咲いていた。マメ科ハギ属。
 アキアカネも。
 イブキトラノオ(伊吹虎の尾)。タデ科イブキトラノオ属の多年草。先週 白山で立派な花穂を沢山見たばかり。

 オオバギボウシの花の中で待ち伏せするクモ。
 コウゾリナ(剃刀菜・顔剃菜)。キク科コウゾリナ属。
 コオニユリ(小鬼百合)。ユリ科ユリ属。オニユリに似るが全体が小さい。花茎の高さは30〜60cm。自然度の高いところに自生する。
  
 オミナエシ(女郎花)。オミナエシ科オミナエシ属 の多年生植物。秋の七草の一つとして古くから親しまれている。
 ウツボグサ(空穂草、靫草)。シソ科ウツボグサ属の多年生植物。 漢方で使われる薬用植物。カコソウ(夏枯草)、セルフヒールとも言い、利尿や消炎に用いられる。 
  ホツツジ(穂躑躅)。ツツジ科ホツツジ属の落葉低木。白山ではこの高山型のミヤマホツツジを知った。ホツツジの花柱は細くまっすぐ突き出る。ミヤマホツツジは太く上に曲がる。 比較のために白山のミヤマホツツジを再録。
 ミヤマホツツジ(白山のエコーラインで 8月5日)
 これは?
 ワレモコウ。
 ハナニガナ(花苦菜)。キク科ニガナ属の多年草。ニガナ(苦菜)の品種。
頭花は舌状花だけ。ニガナの小花は5個だが、ハナニガナは7~11個程度ある。シロバナニガナ(白花苦菜)の黄色のもの。
 ママコナ(飯子菜)。ハマウツボ科ママコナ属の一年草。
 途中、木陰で昼食をとった。風が通って気持ち良かった。13時50分、山頂に到着。約1時間の登りだ。
 全周遮るものがない。中国山地の多くの山々、また島根半島や宍道湖、中海がよく見えた。東方にはひときわ高く大山が聳えていた。
 標高は1239mだが素晴らしい眺望を持つ吾妻山。花も眺めも素晴らしい山だ。
 山頂の岩の隙間にホソバノヤマハハコ(細葉の山母子)が咲いていた。
 キク科ヤマハハコ属。ヤマハハコより葉が細いことが特徴。葉の幅はヤマハハコ(6~15mm)ホソバノヤマハハコ(2~6mm)。
 分布はヤマハハコが長野県・石川県以北、ホソバノヤマハハコが福井県・愛知県以西。
 すぐ東に連なる烏帽子山(左側1225m)と比婆山(右側1264m)。手前に見える草地には「吾妻山大膳原キャンプ場」がある。涼しい季節、テントを担いでぜひ訪れてみたい。
 写真を撮って下さった方は広島の廿日市の方。廿日市に住む自分の親戚が「空母艦載機が岩国に来てから騒音が酷い」と言っていたのを思い出し尋ねた。その方も同感された。
 米軍岩国基地の軍用機数は今や百数十機。極東最大級の基地になった。沖縄で経験したジェット戦闘機のとんでもない爆音被害を日々受け続けるのは耐え難いと思う。そもそも住宅地のそばに基地を造り訓練するのは本国アメリカではありえないことだという。
 米海兵隊報告書より
 もっと酷い話。ここの戦闘機部隊では、訓練中、手放し操縦や飛行中の読書など、とんでもない行為が横行していた。昨年、米海兵隊の調査報告書で判明。こんなこと許せるか?
 
 14時をまわり下山を開始。登山道に沿ってオニヤンマが行ったり来たりを繰り返す。写真を撮ってみたらわずかに写っていた。わかるだろうか。

 もうススキが穂を出していた。

 キスゲかカンゾウの仲間も。
 池の周りに戻ってきた。コバノギボウシか。
 キンミズヒキの群生。
 湖面に映る吾妻山。

 ロッジのすぐ裏の小さな池。この植物は?
 吾妻山ロッジで外来入浴。500円。気持ち良かった。今晩のキャンプのためにペットボトルや容器に水を確保(昨日の反省を生かして)した。
 フロントの方に周辺のキャンプ場情報を伺う。休暇村だけあって県内の「休暇村 帝釈峡」キャンプ場を紹介された。電話するとやはり「一杯です」と。仕方ないので車に乗り、試しにカーナビに明日登る予定の「道後山」と打ち込む。すると候補に「道後山キャンプ場」と出た。これは好都合。ともかくそこに向かうことにした。
 また「エココース(最短距離)」を選んだが今回は大変だった。上の写真はロッジからすぐの道。狭いが問題ない。しかし道後山へ向かう道の大半は曲がりくねりアップダウンが激しい離合困難な悪路が続いた。ただ利用する車が自分以外にいなかった。離合で恐ろしい目にあうことはなかった。
 どこをどう走っているのか不明のままカーナビに従っていると車はスキー場のリフトが見える道に入った。地図を見ると「道後山高原スキー場」。その一番上まで上がり、さらに離合不可能の狭い道を上がると、突然広い駐車場に出た。「月見ヶ丘駐車場」の表示。聞いたことあると思ったらそこが道後山の登山口だった。

 登山客らしい車もいたが、それより大きな望遠鏡のセットに忙しそうな人々が多かった。どうやら今晩ここで天体観測をするようだ。
 駐車場の奥に故障で使用不能のトイレがあった。その横に「キャンプ場」の表示がある。奥の林がキャンプサイトのようだ。だがそこに「コロナのため8月9日から当分の間閉鎖」という主旨の紙が貼ってある。どうするか。
 一番そばで準備していた方に「駐車場でキャンプしたら(観測に)邪魔ですかね」と聞いた。「自分たちも偉そうに言える立場ではないけど、火を焚いたりライトがつくとね…」と予想通りの答え。

 仕方がない。庄原市西城町には申し訳ないが、駐車場に明かりが届かない場所にテントを設営しキャンプさせてもらった。
 ライトは極力使わず、しかし念願の炭火の焼肉は味わうことができた。
 8月12日の夜ペルセウス座流星群が極大を迎えた。だが母の住む町はその夜は曇りだった。翌13日夜は快晴。ひと眠りした夜半、海岸に出て空を眺めた。すでに上弦の月が出ている。月が隠れる場所で30分間空を見上げた。首が痛い。しかし火球レベルを含め10個以上の流星を見ることができた。

 その翌日が今日14日だ。焚火が終わる頃、駐車場に行ってみた。空を見上げると何と一面雲が覆っている。夕刻尋ねた方に話しかける。スマホに保存された昨日撮った流星の写真を見せてくれた。せっかくこれだけ準備されたのに…と思いながらテントに戻った。

 CANON IMAGE GATEWAY〈写真の撮り方アーカイブ  「天の川」の撮影テクニック〉より
 夜半過ぎに目が覚めテントを出る。木の葉の間から星影が見える。駐車場に向かった。駐車場の広場に出た途端、頭上の夜空の端から端まで天の川銀河が横たわっていた。引用した写真のように銀河の中央部を貫く暗い筋も明瞭に見えた。「良かったですねえ。すごいですねえ」と、観測されている方に話しかけた。
 ここはすでに標高1000m。周りに人工的な明かりは一切ない。特に今日は空気が澄んでいるようだ。めったにない観測日和だと言われた。すでに月が登る時間だが東にある山がうまく月光を遮っている。
 Wikipedia「プレアデス星団」より引用
 夕刻話した方が7×50mmの双眼鏡を貸してくれた。ペガスス座の四辺形の左側。教えてもらった辺りを探すと、初めてアンドロメダ銀河をこの目で見ることができた。予想以上に大きく楕円形の銀河が見えて感動した。
 昴(すばる)=プレアデス星団 も見た。明るく輝く星が7、8個見えた。流星も、赤い火星・白くて大きな木星・今その隣に見える土星もよく見えた。
 偶然にも何て素晴らしい機会に巡り合えたのだと感謝しつつ、お礼を言ってテントに戻った。