6月24日(月)。今日もまた悪天候のため海上行動は中止になった。
クッションに帰って相談し、再度始まった塩川港からの土砂積み出しを止めるために、同宿のカヌー・抗議船の仲間たちと一緒に本部(もとぶ)方面に向かった。
名護市街を越えると、辺野古への土砂積み出し場所として利用されている「琉球セメント」安和桟橋が見えてくる。車から見る限りユンボやダンプは動いておらず、運搬船への積み込みはないと判断できた。
桟橋を過ぎると海の色が赤く染まっていた。「もしかして安和桟橋の広場に積まれた赤土が流れた?」と考えて車を停めて確認した。桟橋のある広場には、採石場からダンプで運ばれた土砂(赤土)が大量に積み上げられている。
6月25日撮影の安和桟橋構内。土砂(赤土)が大量に積み上げられている。。
6月1日札幌の集会で、奥間さんが紹介したスライド。安和桟橋の空撮写真。土砂にはブルーシートがかけられている。
無許可で港湾施設内に土砂を堆積させたことは県の条例違反に当たる。しかし最近県がそれを許可してしまい問題になっている。よく見ると、どしゃ降りの雨で採石場から大量の赤土が海に流れ込んでいるのは、岸壁やベルトコンベアよりもこちら側の小さな川の河口からだった。
塩川港に到着した。本部に向かう国道449号線から港に降りる道の脇に駐車スペースを見つけた。そに車を停めて岸壁に向かった。
南側の岸壁に台船が停泊していた。その手前を防衛局は緑色の金属製のフェンスで囲っていた。その前には「テイケイ」の警備員たちが塩ビパイプの棒に結んだ赤いネットを持って列をなし、あたかも“人間フェンス”のように立ちふさがっていた。
話によると、今朝塩川港に到着した時、県民の共有スペースであるはずの港湾内の広場を防衛局はフェンスと“人間フェンス”で囲って勝手に占拠し、ダンプ以外を通さないようにしていた。
そのため仲間の人数が少なかったはじめの間に30台のダンプに入られたという。県の職員も来て防衛局に港湾の占拠をやめるよう説得したが、防衛局は聞き入れなかったらしい。何様のつもりか防衛局は。しだいに仲間の人数も増え「公共の場所を勝手に占拠するな」と抗議しながら押し返し、安和のように回りながらデモをするスペースを確保してダンプの動きを止めた。入るダンプも出て行くダンプの動きも完全に止めていた。
その後、那覇からのバスがゲート前の搬入がないので塩川に来てくれ、抗議する人数も増えて昼までその体勢を保つことができた。しかし昼近くになり出ていくダンプの運転手のトイレ休憩も配慮が必要だというリーダーの判断で、止めていたダンプを外に出した。こちらも休憩に入ることになったが、その隙を見計らって防衛局・機動隊はダンプの前に“人間フェンス”を並べて停止していたダンプを侵入させ始めた。
体制は崩れていたが、気づいた者から次々とダンプの前に立ちはだかり、座り込んでダンプを止めに入った。機動隊も一人ずつ引き剥がしてダンプを動けるようにしたが、剥がされた人もすぐうしろのダンプの前に集まりダンプを止めた。これをずっと繰り返し、ダンプがまとまって岸壁に向かうのを止め続けた。
結局16時近くになり、防衛局と相談していた機動隊は遠くに駐車していたカマボコ車をダンプの通路そばに持ち込み壁にして、その向こう側に排除した人を囲い込む拘束(ゲート前のやり方)を始めた。リーダーはこの状態を見て、今日の行動の終了を宣言した。
リーダーは塩川での闘いを安和桟橋のように“順法闘争”で逮捕者を出さないで続けていくためにこの判断を下した。内心「もっと粘りたい」という気持ちを持っている仲間は多かったと思うが、みんな指示に従った。はじめの30台が入ってからはダンプ38台の侵入に食い止めたことを確認してこの日の闘いを終了した。
ちなみに、この写真を見て欲しい。1台づつダンプに張り付き止めている時に、手を伸ばしダンプの荷台を撮影したらこの写真が写っていた。これが「ガンズリ」(破砕された岩石)として高額で売買され、辺野古の埋め立てに使われているのだ。酷過ぎる。