けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

2019年6月の辺野古訪問(5)ー 塩川の闘い ー

2019-06-30 23:29:38 | 沖縄







6月24日(月)。今日もまた悪天候のため海上行動は中止になった。
クッションに帰って相談し、再度始まった塩川港からの土砂積み出しを止めるために、同宿のカヌー・抗議船の仲間たちと一緒に本部(もとぶ)方面に向かった。
名護市街を越えると、辺野古への土砂積み出し場所として利用されている「琉球セメント」安和桟橋が見えてくる。車から見る限りユンボやダンプは動いておらず、運搬船への積み込みはないと判断できた。
桟橋を過ぎると海の色が赤く染まっていた。「もしかして安和桟橋の広場に積まれた赤土が流れた?」と考えて車を停めて確認した。桟橋のある広場には、採石場からダンプで運ばれた土砂(赤土)が大量に積み上げられている。


6月25日撮影の安和桟橋構内。土砂(赤土)が大量に積み上げられている。。

6月1日札幌の集会で、奥間さんが紹介したスライド。安和桟橋の空撮写真。土砂にはブルーシートがかけられている。

無許可で港湾施設内に土砂を堆積させたことは県の条例違反に当たる。しかし最近県がそれを許可してしまい問題になっている。よく見ると、どしゃ降りの雨で採石場から大量の赤土が海に流れ込んでいるのは、岸壁やベルトコンベアよりもこちら側の小さな川の河口からだった。









塩川港に到着した。本部に向かう国道449号線から港に降りる道の脇に駐車スペースを見つけた。そに車を停めて岸壁に向かった。
南側の岸壁に台船が停泊していた。その手前を防衛局は緑色の金属製のフェンスで囲っていた。その前には「テイケイ」の警備員たちが塩ビパイプの棒に結んだ赤いネットを持って列をなし、あたかも“人間フェンス”のように立ちふさがっていた。



話によると、今朝塩川港に到着した時、県民の共有スペースであるはずの港湾内の広場を防衛局はフェンスと“人間フェンス”で囲って勝手に占拠し、ダンプ以外を通さないようにしていた。
そのため仲間の人数が少なかったはじめの間に30台のダンプに入られたという。県の職員も来て防衛局に港湾の占拠をやめるよう説得したが、防衛局は聞き入れなかったらしい。何様のつもりか防衛局は。しだいに仲間の人数も増え「公共の場所を勝手に占拠するな」と抗議しながら押し返し、安和のように回りながらデモをするスペースを確保してダンプの動きを止めた。入るダンプも出て行くダンプの動きも完全に止めていた。













その後、那覇からのバスがゲート前の搬入がないので塩川に来てくれ、抗議する人数も増えて昼までその体勢を保つことができた。しかし昼近くになり出ていくダンプの運転手のトイレ休憩も配慮が必要だというリーダーの判断で、止めていたダンプを外に出した。こちらも休憩に入ることになったが、その隙を見計らって防衛局・機動隊はダンプの前に“人間フェンス”を並べて停止していたダンプを侵入させ始めた。





























体制は崩れていたが、気づいた者から次々とダンプの前に立ちはだかり、座り込んでダンプを止めに入った。機動隊も一人ずつ引き剥がしてダンプを動けるようにしたが、剥がされた人もすぐうしろのダンプの前に集まりダンプを止めた。これをずっと繰り返し、ダンプがまとまって岸壁に向かうのを止め続けた。
結局16時近くになり、防衛局と相談していた機動隊は遠くに駐車していたカマボコ車をダンプの通路そばに持ち込み壁にして、その向こう側に排除した人を囲い込む拘束(ゲート前のやり方)を始めた。リーダーはこの状態を見て、今日の行動の終了を宣言した。
リーダーは塩川での闘いを安和桟橋のように“順法闘争”で逮捕者を出さないで続けていくためにこの判断を下した。内心「もっと粘りたい」という気持ちを持っている仲間は多かったと思うが、みんな指示に従った。はじめの30台が入ってからはダンプ38台の侵入に食い止めたことを確認してこの日の闘いを終了した。



 ちなみに、この写真を見て欲しい。1台づつダンプに張り付き止めている時に、手を伸ばしダンプの荷台を撮影したらこの写真が写っていた。これが「ガンズリ」(破砕された岩石)として高額で売買され、辺野古の埋め立てに使われているのだ。酷過ぎる。

2019年6月の辺野古訪問(4)ー 沖縄 慰霊の日 ー

2019-06-30 11:11:58 | 沖縄



6月23日。沖縄慰霊の日を迎えた。去年初めてこの日に摩文仁の丘に行くことができた。快晴の一日。沖縄の梅雨明けが発表された。
もう一度参加したいと思ってこの日程で沖縄に来た。しかし今年は雨の降る鬱陶しい天気。後でわかったが、30年ぶりの雨の慰霊の日だったそうだ。
もうやめようか、という雰囲気を漂わせていたNさんを急かして車を出してもらう。宿の仲間6人で県南・糸満市を目指した。



去年「遺族でもない自分たちは式典には参列できないだろう」と諦めていた。ところが“宿の主”Iさんはちゃっかり入場していた。「別に普通に入れてくれたよ」というIさんの言葉を信じて今年は式典にも参列するつもりだった。昨年は車ですんなり平和祈念公園に入れた。今年は手前の「清明の丘公園」の駐車場に誘導された。そこからシャトルバスで祈念公園の式典会場のすぐ近くまで送ってもらえた。















初めに平和の礎(いしじ)に向かった。雨もあがり、家族の名前が刻まれた礎の前で、佇んで弔ったり語り合っておられる県民の皆さんが各所におられた。
昨年も正装した米軍兵士の姿を見かけたが、今年は米軍関係者・家族と思われる一団がいた。その一人はかなり位の高い軍人に見受けられた。インタビュー中だったので勝手に写真を撮らせてもらった。その方は後で式典に登場した。米軍の代表として慰霊碑に献花した一人だった。









平和の礎を抜けると断崖絶壁が間近に迫る「平和の広場」と呼ばれる場所に出る。中央に「平和の火」が灯されている。
説明によると、この火は沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島で採取した火と、被爆地広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」からの火を合わせたものだそうだ。この火を写真に収めようとカメラを構える人が、自分を含めてたくさんいた。













まだ入ったことがないと言う方がおられたので平和祈念資料館に入場した。今日は無料で入ることができる。あまり時間が経ってなかったが、昨年安倍首相など政府要人が公園に入って来た11時20分が近づいたので資料館を出ようとした。すると丁度SPに囲まれて岩屋防衛大臣が資料館に入ってきた。式典まで待機するため館内の部屋に向かっていたのだろう。
「しまった!」と思った。公園入口で政府関係者に抗議するタイミングを逃してしまった。入口ではまだ抗議行動をしていたので一緒に声を上げた。向かい側に日の丸を掲げ「安倍首相歓迎」の横断幕を持った怪しい一団がいた。抗議する県民や団体との間は県警が入って規制していた。









式典「沖縄全戦没者追悼式」の時間が迫ってきた。一般入場のテントに向かった。何列かに別れて並び空港の検査の要領で荷物と体の金属反応がチェックされた。列はそれほど長くなく、チェックも厳しくなくて気持ちよく入場できた。めいめい空いている席を探して着席。なるべく前の席を探した。
11時50分に来賓が入場。安部首相は玉城知事とともに入場した。
政府からは安倍首相の他、岩屋毅防衛相、宮腰光寛沖縄担当相、河野太郎外相、根本匠厚労相が参加した。沖縄県民を軽んじていないと見せかけるポーズだと思った。議会からはいつものように大島理森衆院議長、伊達忠一参院議長の各議長が出席した。

内容は
「1 謝花副知事による開式の辞  2 新里沖縄県議会議長による式辞  3 黙とう  4 宮城沖縄県遺族連合会会長による追悼のことば  5 各界の人からの献花  6 玉城知事による平和宣言  7 山内さんの「平和の詩」朗読  8 来賓あいさつ 安倍総理 大島衆議院議長 伊達参議院議長  9 富川副知事による閉式の辞」





玉城デニー知事の心のこもった平和宣言と、安倍首相の心のないあいさつを直接聞き比べることが出来た。
玉城知事の平和宣言は紹介されているので、新里沖縄県議会議長による式辞を紹介する。式典で渡されたプリントに全文が載っていた。





沖縄県民の平和への願いが本物であることがよく伝わってきた。心を打つ内容だった。



式典の後駐車場に戻り、車で「魂魄の塔」(こんぱくのとう)に向かった。魂魄の塔は平和祈念公園の前の国道331号線を西に進み、ひめゆりの塔のあるひめゆり平和祈念資料館の手前の交差点を左の海に向かう方に進んでいく。駐車スペースが少ないので多くの車が路駐されていた。我々もそうしてから魂魄の塔に行き、花を捧げて哀悼の意を示した。











その後、すぐ近くにある広島県の戦没者の慰霊碑の前の広場で行われている「6・23国際反戦集会」に参加した。カヌーチーム辺野古ぶるーのメンバーからの訴えもあった。参議院選挙の予定候補者の高良鉄美さんもあいさつした。トレードマークの帽子にかぶせて「3つの防止」に努めたいという話をして場内をわかせていた。













しかし、圧巻だったのは、最後の演者、キム・キガンさんの「慰安婦」をテーマにしたパフォーマンス(一人芝居)だった。
短い時間だったが胸に迫り涙を誘う感動的な内容だった。演技の中で、使った朝鮮の人形(?)を配って回るシーンで自分もその人形を受け取った。その人形は今は宿のクッションに飾ってある。







この日はもう一つ良いことがあった。追悼式に一緒に行ったメンバーで名護十字路にある料理屋「ここぺり」に夕食に行った(もちろん飲む方も)ことだ。
以前抗議船の船長をしていたNさんが開いたお店だ。前から一度行きたかったのに行けなかったお店。料理はどの品も、新鮮な食材をとても繊細な味付けで料理されていた。
機会があればぜひお出かけください。



2019年6月の辺野古訪問(3)ー K8・K9へ /ピースキャンドル ー

2019-06-30 00:30:14 | 沖縄



6月21日(金)。
相変わらずの梅雨空だが、船長の「午前中は何とか持ちそうだ」との判断で海上行動が実施されることになった。もちろん自分も参加した。



松田ぬ浜の沖から平和丸にカヌーを牽引してもらい、自分たちは船に乗船して辺野古崎先端のK 8護岸に向かった。





台船はすでに護岸に接岸していた。台船の上でユンボが赤土をダンプカーの荷台に移し替える作業を始めていた。以前と同じくショベルふた掻きで10トンダンプの荷台がいっぱいになる。
赤土を運び出している時はカヌーの阻止行動は難しい。カヌーがフロートを越えて近づいてもその作業は止まらない。突然上空を米軍ヘリ2機が連なって西の方へ飛んでいった。暫く抗議船の上で監視活動を続け、大浦湾の奥のK 9護岸に向かった。







しかしK 9でも同様に、ユンボが赤土の上に乗り赤土をダンプに移しかえていた。
こちらはフロートから護岸の台船までの距離が近いので作業がよく見える。4月に見た時より土砂はさらに赤土そのものに近づいている。
酷い。海を汚すこの赤土を「ガンズリ(破砕された岩石)」と呼び、商品価値が無いのに本物のガンズリより高額な値段で買い付ける。そして、海ガメが産卵しアジサシが雛を育てる辺野古の海岸と珊瑚礁の浅瀬(リーフ)に毎日毎日その赤土を投入して埋め立てようとする沖縄防衛局。




2017年7月21日撮影。現在埋め立てをしているK4護岸の内側に当たる海。

その浅瀬には、ジュゴンが餌にしている海草が豊かに茂っていた。それらの生物と生態系全てを破壊し尽くす沖縄防衛局。
阻止行動はできないが、自分たちはカヌーに乗り込んで抗議したり、フロートの状態(阻止行動の時に入りやすい場所がないかなど)をチェックしたり、パドリングの練習を行った。





その後K 8護岸に戻ったが天候の悪化が予想され、阻止行動を行うことも難しいので海上行動は終了することになった。




2019.6.1札幌市で行われた集会で奥間さんが撮したスライドから

K8を見て分かったのは、護岸の長さが計画より短めで止められ、K 9のように護岸の先端にまっすぐ台船を接岸させるのではなく、護岸の途中に半円形の出っ張りを大浦湾側(フロートのこちらからは見えない側)に造り、そこに斜め方向に台船を接岸させていること。
接岸場所はK9に比べて水深も浅く海底の岩礁も複雑で、台船の入れ替えには苦労しているらしい。
我々にとっても、台船は護岸の向こう側にいて距離もあり、阻止行動もやりにくいことも想像できた。



浜に戻り山側を見て気がついたのだが、浜があまりに変貌していた。松田ぬ浜の山側一帯が、珊瑚の破片を含む土砂に覆われていた。土石流に襲われた様な状態だ。上方を見てすぐに分かったが、辺野古漁港をしゅんせつした土砂の置場が雨で崩れたようだ。流出防止策の不備のためと思われた。

この日の夜同宿しているYさんのお誘いを受けて、県政の要職に就いておられた方を金武町に訪ねた。生き方や考え方がとても個性的な方で、興味深い話をたくさん聞くことができた。先日玉城デニー知事が高槻に来られた時に感じたある疑問について話をすると「伝えておきます」と言われた。





6月22日(土)も悪天候が続き、海上行動は中止になった。
毎週土曜日にキャンプ・シュワブゲート前で行われるピースキャンドルに参加した。この取り組みは、2004年からある家族がずっと続けている取り組み。
午後6時半から7時までゲート前でペットボトルのランタンにロウソクの明かりを灯す。そのランタンを道端に置いたり手に持って、目の前の国道329号線を行く車に向かって「辺野古の海を埋め立てないで」などと呼びかける、地道で粘り強い取り組みである。

自分たちの宿「クッション」に同宿している方が一緒に沢山参加された。道を行く車の何台かに1台の運転手が手を振って連帯の気持ちを返して下さるのがうれしい。
名護に向かう路線バスの運転手の方は、帽子の横に手をやって敬礼を返して下さった。うれしい!
ピースキャンドルを主催している家族の娘さんが「○○さんだ!」と言った。毎日利用しているバスなので、互いに見知った間柄らしい。沖縄の方同士の連帯の気持ちが伝わり羨ましく思った。


2019年6月の辺野古訪問(2)ー カヌー教室/雨のゲート前 ー

2019-06-27 21:42:33 | 沖縄

6月19日(水)20日(木)
着いた日から沖縄の梅雨末期のためか悪天候が続いている。
昨日19日の海上行動は中止になった。そこで急きょカヌー教室の開催が決まった。教室のインストラクターはKさん。「世界の6大陸を制覇した」と自称するアウトドアスポーツの達人だ。誘われて自分がサブを務めることになった。カヌー教室初参加の方を含め5名で「海のテント」の前、干潮時には広い干潟となる辺野古川の河口部で練習した。


辺野古川河口部の干潟 2018年4月23日撮影

風が強くて、みんなよく流された。カヌーで海に出る場合、必ず身につけなくてはならない技術の1つに転覆からのリカバリーがある。
何らかの原因でカヌーが転覆したとき、自力でカヌーを元通りに直してその上に乗り上がる技術だ。
その練習をするには足の届かない水深が必要だが、丁度干潮の時間に差し掛かり、深い場所は辺野古漁港の航路の近くにしかない。しかし停止するとすぐに風で航路の方に流される。漁船との衝突の危険があり、残念ながら大切なその練習はできなかった。Kさんのよく考えられた丁寧な技術指導をみんなと一緒に受けることができて、自分にとっても良い練習になった。



今日20日も雨のため海上行動は中止。
朝からキャンプ・シュワブの工事用ゲート前の座り込みに参加した。
警備会社はアルソックからテイケイに変わった。アルソックは警察と関係が深くテイケイは自衛隊と関係が深い会社らしい。警備の様子にも色々興味深い違いがあるという。また触れてみたい。





今日のゲート前のリーダーはヘリ基地反対協の仲本さん。みんなで歌を歌ったり、掛け声をかけて士気を高めているとやがてパトカーがやってきた。
時間は丁度9時。先導するパトカーの後に続いてコンクリートミキサー車、ダンプカー、トラックの車列が近づいてくる。
するとゲートの後ろの高い緑色のネットの隠れている防衛局員がハンドマイクで、邪魔になるから立ち去れと言い出す。
続けて機動隊の指揮官が道路交通法…と言いながらすぐに立ち去れと言い出す。
続けて隊員がずらりと並び、警備員がバリロードを一部撤去して、そこから機動隊員が入ってくる。
自分で立ち上がってください、と言いながら、座り込みをして抗議している人を強制的に排除し始める。



































こうして雨の中、9時・12時・15時と、ダンプ、トラック、コンクリートミキサー車による各種の資材搬入が行われた。
特に12時は激しい雨の中にも関わらず、大勢の方が座り込みに参加され、機動隊によって次々と排除された。
しかし雨にも弾圧にも負けない、毎日毎回の県民の皆さんの粘り強い闘いに頭が下がる。

今日は一日中雨。その中で常に歌を歌いながら励まし合って闘うのが沖縄の闘い方。
何十回、何百回排除されてもへこたれない。沖縄の皆さんにいつもパワーを頂いている。

2019年6月の辺野古訪問(1)ー 雨中の到着 ー

2019-06-27 21:27:37 | 沖縄




6月18日(火)
辺野古到着。沖縄上空は厚い雲に覆われていた。那覇空港は雨。4月下旬以来、2ヶ月ぶりの訪問だ。
宿のクッションには、すでに参院選に向けてオール沖縄の予定候補、高良鉄美(たからてつみ)さんの演説会の幟が立っていた。
明日は水曜日。安和桟橋の行動日。カヌーに乗れますように。

辺野古の宿「クッション」のテラスから見た辺野古の町並み


宿「クッション」の入口