8月11日(土)。台風14号が本島に接近中。雲が次々と流れている。
今日は那覇市の奥武山(おうのやま)公園陸上競技場で行われる県民大会に参加した。
8時半、辺野古バス亭からヘリ基地反対協の仕立てたバスに乗車。バス停で待つ高齢の男性の方に話しかけた。「自分は(ゲート前で)座り込みはようやらんが、こういう時は行くんだ」とおっしゃっていた。途中休憩のPAには各地からのバスが続々と到着。「辺野古の工事を、土砂投入を何としても止めたい!」「共に翁長さんに哀悼の意を表したい!」と思う人たちが沖縄中から会場に向かっていることが実感できた。
途中から空がどんどん暗くなっていった。「何とか昼まで持ってくれ…」と祈りつつバスを降り、旅行カバンを引きずりながら会場に向かう。陸上競技場に入りトラックを踏まないよう置かれた敷物の上を通ってフィールドへ。そこは一面広い芝生に覆われていた。
すでに多くの人が到着して座っている。自分も乗って来たバス(名護東海岸地区)の幟(のぼり)が立つ辺りに腰を下ろした。
開始前だったが、海勢頭さんと娘さんともう一人の女性、合わせて三人で海勢頭さんの歌を歌っておられた。「喜瀬武原(きせんばる)」を久しぶりに聴くことができた。バスが早く到着してくれたことに感謝した。
しかしその頃から時折強い雨が打ち付ける空模様になってきた。頭にビニール袋を乗せて凌いでいると、後ろの方がカッパを渡して下さった。集会後、お礼を言ってお返しすると「差しあげますからまた(沖縄に)来て下さいね」と温かいお言葉を頂いた。
歌の後、大会の始まる時間までに県民投票運動を中心になって取り組んだ(元シールズの)元山くんの感謝と決意の挨拶、南城市長の瑞慶覧長敏さんの追悼の雄叫び、そして翁長知事の今年の(そして最後の)「6.23平和宣言」の音声が会場に流された。自分も周りの人も泣いていた。
翁長さん。「これ以上の基地はいらない」という人々の思いを代表し、「辺野古に新基地は造らせない」という意志を最後まで貫き通して下さり、本当にありがとうございました。
琉球新報電子版(2018.8.11)より
いよいよ11時、県民大会が始まった。親川共同代表挨拶の後、全員で翁長知事に対して黙祷を捧げた。
そして知事の次男である翁長雄治さんが登壇した。「最後の最後まで、どうやったら辺野古新基地を止められるのか。病室のベッドの上でも、資料を読みあさり、頑張っていた」と療養中の知事の様子を語られ、「沖縄は試練の連続だったが、一度もウチナーンチュの誇りを捨てることなく闘って来た。ウチナーンチュが心を一つにして闘う時、お前の想像より、はるかに大きな力になる」と何度も言われてきたことを話された。
その後、色々な方の挨拶が続いた。雨風はますます強くなってきた。だが、周りを見ても誰も立ち上がる人はいない。終りに副知事(知事職務代理)の謝花さんが壇上中央へと進んだ。4日も病床で「県民からの私への負託に応えたいというのは撤回のことだ」と言って撤回への強い決意を示し続けた知事のことを紹介し「埋め立て承認の撤回については聴聞の審理状況も踏まえ、辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強く熱い思いをしっかりと受け止め、毅然として判断してまいります」「これからも県民一丸となって、心を一つにして、ともに頑張ってまいりましょう」と力強く宣言された。
最後に共同代表の玉城愛さんが決議文を読み上げるために前に出た。読み上げる前に会場に「沖縄島を取り巻く海は誰のものですか?空は、土地は誰のものですか?…私たちの子や孫に引き継いでいくために、どうか自分の大切な人たちに伝えてください」と訴えられた。「… 私たちは豊かな生物多様性を誇る辺野古・大浦湾の美ら海に新たな基地を造らせない。沖縄県民の命とくらし、沖縄の地方自治と日本の民主主義と平和を守るためこの不条理に対し全力で抗い続ける。…」(決議文・部分)
台風14号の雨風の中、7万人もの人がこの大会に駆けつけた。くじけそうな気持ちをみんなで建て直すことができた素晴らしい大会だった。
大会中も終わった後も2、3種類の下劣な言葉を大音響で延々と叫び続ける「右翼?」の街宣車を横目に、雨に濡れながら今宵の宿に向かった。
一休みして夕方の5時、県庁前へと向かった。那覇在住のカヌーチームの仲間が初めて那覇で企画したデモ行進に参加するためだ。合計13人のかわいいデモだったが、警備の警官の姿もなく国際通りの歩道をゆったりのんびりと歩き、コールして、辺野古の「土砂投入反対」を訴えた。途中参加してきた人もあり、いいデモだった。
終了後交流会に参加し、初めての方とも知り合いになれた。その後の一杯飲みではカヌーメンバーや割って入って来られた自分と同い年の地元の男性の方から色々な話を伺うことができた。
次は勝負の知事選の時に参加できれば、と考えている。