けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

2018年8月の辺野古(4)「8・11県民大会」

2018-08-13 18:18:05 | 沖縄



8月11日(土)。台風14号が本島に接近中。雲が次々と流れている。
今日は那覇市の奥武山(おうのやま)公園陸上競技場で行われる県民大会に参加した。





8時半、辺野古バス亭からヘリ基地反対協の仕立てたバスに乗車。バス停で待つ高齢の男性の方に話しかけた。「自分は(ゲート前で)座り込みはようやらんが、こういう時は行くんだ」とおっしゃっていた。途中休憩のPAには各地からのバスが続々と到着。「辺野古の工事を、土砂投入を何としても止めたい!」「共に翁長さんに哀悼の意を表したい!」と思う人たちが沖縄中から会場に向かっていることが実感できた。





途中から空がどんどん暗くなっていった。「何とか昼まで持ってくれ…」と祈りつつバスを降り、旅行カバンを引きずりながら会場に向かう。陸上競技場に入りトラックを踏まないよう置かれた敷物の上を通ってフィールドへ。そこは一面広い芝生に覆われていた。

すでに多くの人が到着して座っている。自分も乗って来たバス(名護東海岸地区)の幟(のぼり)が立つ辺りに腰を下ろした。
開始前だったが、海勢頭さんと娘さんともう一人の女性、合わせて三人で海勢頭さんの歌を歌っておられた。「喜瀬武原(きせんばる)」を久しぶりに聴くことができた。バスが早く到着してくれたことに感謝した。



しかしその頃から時折強い雨が打ち付ける空模様になってきた。頭にビニール袋を乗せて凌いでいると、後ろの方がカッパを渡して下さった。集会後、お礼を言ってお返しすると「差しあげますからまた(沖縄に)来て下さいね」と温かいお言葉を頂いた。

歌の後、大会の始まる時間までに県民投票運動を中心になって取り組んだ(元シールズの)元山くんの感謝と決意の挨拶、南城市長の瑞慶覧長敏さんの追悼の雄叫び、そして翁長知事の今年の(そして最後の)「6.23平和宣言」の音声が会場に流された。自分も周りの人も泣いていた。
翁長さん。「これ以上の基地はいらない」という人々の思いを代表し、「辺野古に新基地は造らせない」という意志を最後まで貫き通して下さり、本当にありがとうございました。


琉球新報電子版(2018.8.11)より

いよいよ11時、県民大会が始まった。親川共同代表挨拶の後、全員で翁長知事に対して黙祷を捧げた。
そして知事の次男である翁長雄治さんが登壇した。「最後の最後まで、どうやったら辺野古新基地を止められるのか。病室のベッドの上でも、資料を読みあさり、頑張っていた」と療養中の知事の様子を語られ、「沖縄は試練の連続だったが、一度もウチナーンチュの誇りを捨てることなく闘って来た。ウチナーンチュが心を一つにして闘う時、お前の想像より、はるかに大きな力になる」と何度も言われてきたことを話された。



その後、色々な方の挨拶が続いた。雨風はますます強くなってきた。だが、周りを見ても誰も立ち上がる人はいない。終りに副知事(知事職務代理)の謝花さんが壇上中央へと進んだ。4日も病床で「県民からの私への負託に応えたいというのは撤回のことだ」と言って撤回への強い決意を示し続けた知事のことを紹介し「埋め立て承認の撤回については聴聞の審理状況も踏まえ、辺野古に新基地は造らせないという翁長知事の強く熱い思いをしっかりと受け止め、毅然として判断してまいります」「これからも県民一丸となって、心を一つにして、ともに頑張ってまいりましょう」と力強く宣言された。



最後に共同代表の玉城愛さんが決議文を読み上げるために前に出た。読み上げる前に会場に「沖縄島を取り巻く海は誰のものですか?空は、土地は誰のものですか?…私たちの子や孫に引き継いでいくために、どうか自分の大切な人たちに伝えてください」と訴えられた。「… 私たちは豊かな生物多様性を誇る辺野古・大浦湾の美ら海に新たな基地を造らせない。沖縄県民の命とくらし、沖縄の地方自治と日本の民主主義と平和を守るためこの不条理に対し全力で抗い続ける。…」(決議文・部分)







台風14号の雨風の中、7万人もの人がこの大会に駆けつけた。くじけそうな気持ちをみんなで建て直すことができた素晴らしい大会だった。



大会中も終わった後も2、3種類の下劣な言葉を大音響で延々と叫び続ける「右翼?」の街宣車を横目に、雨に濡れながら今宵の宿に向かった。













一休みして夕方の5時、県庁前へと向かった。那覇在住のカヌーチームの仲間が初めて那覇で企画したデモ行進に参加するためだ。合計13人のかわいいデモだったが、警備の警官の姿もなく国際通りの歩道をゆったりのんびりと歩き、コールして、辺野古の「土砂投入反対」を訴えた。途中参加してきた人もあり、いいデモだった。
終了後交流会に参加し、初めての方とも知り合いになれた。その後の一杯飲みではカヌーメンバーや割って入って来られた自分と同い年の地元の男性の方から色々な話を伺うことができた。
次は勝負の知事選の時に参加できれば、と考えている。


2018年8月の辺野古(3)「ラブ子転覆事件の公判」

2018-08-13 17:33:03 | 沖縄

8月10日(金)。晴れ。台風が近づいているためか今日は風があった。
カヌーの海上行動はなく、抗議船の監視活動だけ行われた。カヌーのメンバーは那覇地裁で行われる公判に向かった。


転覆したまま汀間漁港まで曳航された「ラブ子」

潜水している仲間の力で半分起こされた「ラブ子」(「チョイさんの沖縄日記(2015・4・28)」より)

「ラブ子転覆事件」。「ラブ子」と言う名の抗議船が海保によって転覆させられた事件。2015年4月28日、ラブ子はカヌーチームとともに、防衛局による大浦湾のボーリング調査の抗議活動をしていた時、海保のGB2挺に挟まれ拘束された。停止しているラブ子に海上保安官が乗り込み定員超過になった状態の中で、海の中にいた保安官が船尾に乗り上げる様にして転覆させた。ラブ子の乗員の命を危険にさらし、ラブ子号も二度と使えなくなってしまった大事件だ。

事件の後、船長による刑事告訴(不起訴決定)と船の所有者による国家賠償訴訟が提起され、これまで闘われてきた。
今日は国賠訴訟の裁判の大詰め、被告側証人(海上保安官)の尋問が行われた。



那覇地方裁判所101号法廷で、10時から昼休憩をはさんで17時まで、4人の証人の尋問及び反対尋問が行われた。幸い31名分の傍聴席に参加した全員が座ることができた。

被告側代理人(弁護士)の尋問は、調書と証人(事件に関係した4人の海上保安官)本人の口から、
①抗議船ラブ子が海保の警告も聞かずに、いかに無茶な「暴走」をしていたか
②2挺のGB(GB11、GB28)で挟むように停止させてからも、後進をかける等まだ危険運転をする可能性があったので安全確保のために拘束した
③ラブ子転覆の原因は海上保安官が乗り込んだためではなく、船首にいたラブ子の乗員が左舷側を船尾に移動したためだ
と、主張し印象付けるために行われていた。



それに対しての原告側代理人(弁護士)の反対尋問は、当日のNHKニュースで放送された「ラブ子転覆の瞬間」の決定的な映像を各証人の尋問で効果的に使っていた。4人の証言それぞれの矛盾を突いて「間違いない」と宣誓した証言を撤回する証人もいた。また尋問の中で、4人の証人の中にこの日初めて辺野古の海で警備活動をした保安官が2人もいることが分かった。

②の「危険運転の可能性」についても、証人は始め「(ラブ子に乗り込んだ理由は)安全を確保できるように興奮状態の乗員を鎮めるため」と言っていた。しかし停船させた時の船長の状態を聞かれ、「興奮状態」などではなくすでにデッキの上に座り込み無抵抗だったことが証人の証言からはっきりした。
③について被告側代理人は(ラブ子が左舷側に傾いて転覆した事実に合わせるためか)証人が船の乗員に「左に寄るな」と注意した、かのように証拠のない「証言」を言わせていた。
 しかし原告側代理人は、
 ・乗員が左舷や船尾に集中したのではなく、6人定員のラブ子に最大5名の保安官が乗り込み、人数が集中した船尾左舷が海水面近くまで沈み込んでいたこと
 ・その状態で海中にいた保安官が両手で左舷を持ち、勢いをつけて船に乗り込もうとした直後にラブ子が転覆したこと
 を、映像で一目瞭然に示した。



いつも海上行動でGBに乗せられると、左右の配置(バランス)に気を配る海保。船に乗る者にとっては当たり前だ。それなのに証人は「(乗り込む時)船上の様子を確認しなかったのか」と質問され「(水中から)船に乗り込む時、船上に何人いるかとか、どこにいるとか、特に気にならなかった」などとほざいていた。思わず「嘘をつくな!!」と大声をあげそうになった。



朝の海上行動の打ち合わせで「何かあったら連絡する弁護士」K弁護士の弁護活動を初めて拝見した。証人尋問のやり取りなどテレビ番組を見ているようで興味深かった。
次回公判は9月5日。いよいよ原告側の証人尋問だ。参加できないのが本当に残念だが「正義はわれにあり」だ。強力な助っ人もいるので不安はない。証人(海の仲間)の皆さんには頑張ってもらいたい。事件からすでに3年。一日も早く完全勝利を勝ち取り、みんなで喜び合いたい。


2018年8月の辺野古(2)「海上行動と国道事務所の集会」

2018-08-13 17:14:03 | 沖縄



8月9日(木)。薄曇り。
昨日8日の夕刻、膵がんで闘病中の翁長知事の容態が急変しそのまま死去された。あまりに急な知らせだった。



今日の海上行動は7時30分に集合してすぐに全員で翁長知事の冥福を祈り黙祷を捧げた。知事の無念さを想うと涙が出てきて仕方なかった。
県民を代表し、平和な暮らしを願う県民、そして全国の人の思いに沿って最後まで新基地建設に反対し続けた翁長さん。あまりに大きな喪失だが、自分たちは倒れた知事のためにも前に進むしかない。











「せめて今日一日、防衛局も作業を止めていてほしい」と祈りながら、K4護岸のクレーンや人の動きに注目してカヌーを漕いだ。
しかし甘かった。土砂投入予定の辺野古崎先端の護岸を遠望すると、そこに沢山の作業員と動き回るクレーンやトラックが見えた。現政権の冷酷さ、無慈悲さを見せつけられた思いがした。
この二日間はフロートの手前で抗議したが、今日はみんなで一斉にフロートを越え、阻止行動を行った。フロート内で拘束されてからも作業員に工事を止めるように声を限りに叫び続けた。「頼むからもっと作業員に声が届く所まで行って!」と言うと、海に浸かりカヌーに手を掛け拘束していた海上保安官も、分かってくれたように感じた。





GBに乗船し浜に戻される途中キャンプ・シュワブの方を見ていると、掲揚台のポールにはいつもの様に日の丸と星条旗が翻っているのが目に入った。予想通りとは言え、怒りが沸いてきた。「世話になり迷惑もかけ続けている自治体の首長が亡くなったというのに、半旗も無しか」と思っていると、進行方向を水陸両用戦車がシュワブの浜に向かって横切って行くのが見えた。「沖縄とはこういう所なのだ」と無言で告げられたように感じた。



昼食の後、台風14号に備えてみんなでテント2の片付けをした。そして宿に帰り、少しだけゲート前の集会に参加した。



「名護の国道事務所前で午後3時半から集会がある」と聞いていたので、「クッション」代表のIさんの車を借りて5、6人の方と一緒に名護市街に向かった。
「オール沖縄会議・現地闘争本部」山城博治部長名で提出していた「抗議・質問書」に国道事務所から回答があるので、それに向けた門前集会だった。
沖縄防衛局は7月14日午後11時頃、夜陰に紛れるようにして新たに高い柵とバリロードを設置した。「歩行者の安全のため」などと言い、明らかに抗議活動の妨害のために一段と歩道を狭め、座り込みの余地を減らすのが目的だ。ALSOKの大きな諸君が後ろに立つと歩道の幅は60cmになっている。2014年、ゲート前に殺人鉄板が置かれたことから始まった様々な妨害行為をなぜ国道事務所は認めているのかを問い質す「質問書」であり交渉だ。









集会ではプリント(枚数が足りず写真だけ取らせて頂いた)をもとにKさんから説明があった。
質問を要約すると、
①「道路の占用」は「道路の敷地外に余地がないためやむを得ない」時に認められる。基地内にいくらでも余地があるのになぜ認めるのか
②防衛局は今回の措置を「キャンプ・シュワブ施設関連工事に関わる歩行者等の安全確保のため」としている。その結果、歩道の幅は1mもなくALSOKの警備員が後に立ち並ぶと歩行者の自由な通行に支障を来たしている。もとに戻すよう指導せよ
③「占用許可済表示板」が未設置のまま。指導せよ
④ゲート前のカーブした歩道部分は「占用許可」がないのに、防衛局は勝手にフェンスで規制し歩行者が自由に立ち入ることを認めない。やめさせよ
⑤そのカーブした歩道部分に防衛局は勝手に資材を置いている。許可条件に「占用区域を厳守し、区域外において作業し、又は資材器具を放置してはならない」とある。指導せよ
の5点である。

どれもごく常識的なルールだ。そんな規則(法令)を平気で破る防衛局は許せない。他の数々の法令違反、約束違反と共に徹底的に糾弾しよう。そんな防衛局の言うことを鵜呑みにして何でも認める国道事務所。呆れ果てる。国民の公僕たる者は基本的人権を最大限尊重する義務がある。人権を保障する上で一番大切な「表現の自由の保障」には格別の配慮が必要だ。なのに「見て見ぬふり」「長いものに巻かれて」ばかりでどうする!







集会には海勢頭豊さんも来て「月桃」の歌をみんなで歌った。
事務所側は那覇の本庁の課長が出て来たそうだ。やはり全て防衛局の言う「歩行者保護」の理由を鵜呑みにし、我々の質問に対するまともな回答は一切なかったと言う。明日闘争本部長によって再交渉のための折衝が行われることになった。粘り強くやるしかないが、こんな当たり前の権利が平気で踏みにじられている沖縄の現状は絶対許せない。多くの人に知って欲しい。


2018年8月の辺野古(1)「海上行動とゲート前」

2018-08-13 16:20:34 | 沖縄



8月5日(日)辺野古にやって来た。
4日(土)の「8・4海上大行動」は間に合わなかったが、6日(月)からの「ゲート前2週連続集中行動」、そして海上行動に参加し、11日(土)の県民大会にも参加するつもりだ。

5日は、空港を降りたとたん、沖縄が「暑くない」ことに感激。県庁前で昼食を取り、16時発の高速バス乗車。うるま市(沖縄北IC)で途中下車。「あつまれHenoko」主催の「全国交流集会」に参加するためだ。場所は「ゆらてく」(うるま市生涯学習・文化振興センター)。新基地建設を阻止する各現場(ゲート前、港、採石場など)の報告。ストップさせる方法の提案。集中行動に向けての決意を固め合う集会となった。



8月6日(月)。天気は上々。
海上行動に参加。7時30分、いつものようにテント2へ。出漕の準備をして8時20分、松田ぬ浜に集合。
そこでKさんから「時間は15分を少し過ぎたが、今日は広島に原爆が落とされた日。その年(1945年)の間に、広島・長崎で20万人以上の方が亡くなった。その内、強制連行された人を含めて4万人以上の朝鮮人が犠牲になった。黙祷したいので協力をお願いしたい」と提起があった。全員で黙祷を捧げた。



海上に出た。午前中は風・波共になく、カヌー日和。肋骨損傷の痛みも何とかなりそうで、みんなに遅れずに漕ぐことが出来た。
K1~3護岸を越え、一直線に伸びるK4護岸が見渡せる場所に来た。護岸は全てつながっていた。護岸内のオキナワハマサンゴ「保護」のため、として残されていた開口部も、7月の県の許可を受け、防衛局は「移植を完了した」として、捨石が置かれ閉じられてしまった。後は被覆ブロックを設置するだけだ。







午前中ずっと潜水夫の指示の下、海面下に隠れる一番下のブロックが、クレーンで慎重に置かれていた。しかし午後になると、その上に2段並べるブロックは、あっと言う間に設置されてしまった。







みんなで何度もフロートを越え、抗議行動・阻止行動を繰り返した。しかし、ついに辺野古側護岸の下部(上部6mまでの建造はまだ)全体が姿を現した。悔しい!



8月7日(火)。晴れ。今日は沖縄も蒸し暑かった。
昨日と同様、ゲートからの搬入はなし。採石場も港も動きがない。集中行動に参加している仲間は、みんな無気味な思いでいる。

自分は午前中、海上行動に参加。午後3時から座り込みにも参加できた。
海上行動は、被覆ブロック設置完了後どんな工事をするか。17日の「土砂投入」に向けての準備のようす。17日の政府側のセレモニーを監視できる場所を探す。などのために監視活動を行った。







K4護岸のフロートに沿って進むと、護岸の上をブロックを積んだトラックが走っている。「?」と見ていると、完成した護岸の上面の採石をユンボで整地し、その上に敷き詰めるためのブロックのようだった。















しばらく監視し、17日に「土砂投入」する予定の辺野古崎先端に。フロートからはよく見えないので、護岸の中をよく見るために、長島・平島へ向かった。長島の灯台に向かう階段の上からは、ある程度中の様子が見えた。平島に上陸し、島の上部に登る道を仲間と探った。アダンのブッシュに阻まれ、遠望がきく場所はなかった。


モクビャッコウ



ウコンイソマツ

島の岩礁で珍しい植物を見つけ写真に撮った。長島で見たのがモクビャッコウ(木白香)。常緑小低木。平島ではウコンイソマツ(鬱金磯松)を見つけた。やはり常緑小低木。小さな黄色の花が美しい。ともに絶滅危惧種だ。





それにしてもこの周辺のリーフの美しいこと。6月にも書いたが、地形、地質、気候、潮流など微妙なバランスで成り立つ自然環境を、この工事はメチャクチャに破壊しつつある。問題は護岸の中だけで止まるはずもない。この貴重な自然と景観は沖縄と人類の宝物だ。末代まで大切に保護することが我々の使命であるはず。どうか一度自分の目で見て、工事を止める声を上げて欲しい。



テントで昼食をとった後、みんなでK4護岸の内側がよく見える高台に行った。ここから見ると、護岸で囲まれた海面の広大さがよく分かる。そこは沖縄でも他にないような貴重な海草や海藻の生育場所だ。それらは工事と護岸の閉め切りによって、すでに死滅の道を歩みつつある。何としても埋め立てをストップさせて、護岸を撤去しなければならない。一緒に声をあげて欲しい。











午後3時の搬入を阻止するゲート前座り込みに参加した。ゲート前に新設された「歩行者保護施設」を初めて見る。「一体何考えているんだ、防衛局は?!」と、思うしかない異常な現実。許せない。「防衛局!人権なめんな!」と思った。



8月8日(水)。晴れ。今日も蒸し暑い。
相変わらず搬入はない。防衛局は早めの盆休みでも取っているのだろうか?



今日もK4護岸に沿って監視活動を行った。「土砂投入」が予定される辺野古崎先端に向かう。昨日は1つも無かった根固め用袋材(石材をネット状の袋に詰めたもの)が、護岸の上にずらりと2段に積んである。
作業の様子を見る。内側に敷いてある防砂シートの上端を護岸の上に広げ、クレーンで順序よく袋材をシートの上に置いていく。時間を計ると2、3分に1袋のペース。17日の土砂投入の準備を着実に進めているのだろう。





水際の作業ではないのでフロート越えの阻止行動はやめて、プラカードや呼び掛けで作業員や海上保安官に抗議の意思を伝えた。
東方の積乱雲から雨が落ちていたので、抗議活動を終えて浜に引き返した。
その後、希望者は残ってCさんにカヌー技術を教えて頂き練習した。基本的で実戦的な技をしっかり身に付けていきたいと思う。


涸沢キャンプ(4)

2018-08-12 21:29:29 | 登山







 8月2日夕方飛んでいた救助ヘリ
 8月3日(金)晴れ。風あり。
 朝、ヒュッテの水場へ洗面に行った帰り道。「涸沢山岳総合相談所」の前にある掲示板の数字を書き換えている人を見た。7月11日からの、槍・穂高連峰周辺の山岳事故の数字だった。
 見ていると「死者」の欄の0を消し、1と書く。「昨日の夕方、救助ヘリが涸沢岳~北穂高岳を捜索していたが、その事故の方が亡くなった?」と聞くと、詳しくは言えない風に「まあそのようです」と答えてくれた。
 肋骨を痛めてなければ自分がこの「1」になったかもしれない、と自戒した。相談所の前のあった「長野県H30夏山情報」というパンフレットを頂いて帰った。大変参考になる資料だった。







  本谷橋の川原
 


  ソバナ

  横尾大橋 向こう側が山荘 
  山荘から見上げる前穂高岳
 7時5分、テント場を撤収。名残惜しい涸沢を後にした。
 一緒に下山する方と抜きつ抜かれつ高度を下げる。今日から週末。続々と上がってくる登山者と挨拶を交わす。いつの間にか奥穂は視界から消え、やがて本谷橋に出た。流れ込む小さな沢の水をすくって顔を洗い、暫し休憩した。
 橋を渡って左岸に広がる針葉樹の樹林帯を通過し、9時54分横尾山荘着。ビールは我慢し炭酸飲料で喉を潤す。山荘から見上げる前穂高岳はとても高く険しく見えた。





  競争のようにして次々と同行者を追い抜く。やがて徳澤園が見えてきた。森の中の楽園といった風情。子どもがソフトクリームを美味しそうに食べている。思わず自分も注文。うまかった!! 



 どこで昼食にするか迷いながら明神館着。帰りもトイレのお世話になった。4日間毎日快便。素晴らしい。
 心を決めて明神橋を渡る。嘉門次小屋の「イワナ塩焼き定食」でいこう。自分が注文した直後、受付の人はイワナ焼きの担当に携帯で電話し、おもむろに焼き上がり時間を示す札を「20分」から「40分」に張り替えた。「40分ですけど、いいですか?」「構いませんよ」と言って心の中で微笑んだ。何しろ帰りのバスは15時40分発。今日はたっぷり時間があるのだ。
 沢の水を引いた水槽の中のビール(大瓶があるのが嬉しい!)の栓を抜き、いつも座る流れの上のテーブルで一人乾杯を始めた。
 相席の方が声を掛けてきた。東京から来られたそうだ。若い頃バイクで来てから(※その頃は自家用車も上高地に入れた)ずっと上高地ファン。今回は小梨平で1週間以上の避暑キャンプ。やがて料理がやってきた。
 尻尾を齧ってから写真を撮ることを思い出した。ここの塩焼きは本当に美味しい。囲炉裏端で時間をかけて焼いているので、頭の先から尻尾の先まで全て食べられる。
 ゆっくり味わっていると今度は隣に同年齢の男性が来られた。何とか夜行バスが取れてこの朝到着。上高地から日帰りでどこに行けるかと考え、徳本峠(とくごうとうげ)に行って来たと。この山行は次回の雲ノ平方面の下見・練習だという。雲ノ平は一昨年自分が訪れた場所。話は大いに盛り上がった。 





 昼食も終わり、明神池から上高地までゆっくり散策した。以前息子夫婦と歩いた時と同じ場所で、サルの群れの本体(=子連れのメスが複数いる)と出会った。その頃よりさらに人慣れしたように感じた。海外の観光客は森で小鳥や鹿ではなくサルに出会える日本の自然にファンタジーを感じるかもしれない。





 メタカラコウの花に寄るハチの仲間















 岳沢の流れに沿って歩く。人通りが増え、やがて河童橋が見えてくる。
 橋の中程で、いつものように一応記念撮影をお願いする。橋を渡り、少し上流側にあるビジターセンター前に行く。広場の脇にベンチがあったので、そこで荷物整理をした。
 すぐそばの、バイカモが群生する清水川にサンダル履きで入ってみた。驚くほど冷たい。足が凍りそうになる。橋から見ていた女性が「サンダルなんて用意がいいわね」と笑っている。
 バイカモの上をイワナが泳いでいた。凍るような水の中でよく生きて動いていられる。ベンチに戻り最後の1杯分の粉でコーヒーを沸かした。「これでしばらく北アルプスともお別れだ」と思った。いや。すぐ来るかもしれないな。