けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

2019年2月「県民投票」と辺野古訪問(2)

2019-03-04 22:44:23 | 沖縄

2月26日(火)二日目の海上行動



天気はやっと回復傾向に。今日もまず自走で辺野古崎先端のN4護岸に向かった。風波とも結構強く、漕ぎ進めるのが大変だった。
昨日の反省からフロートを越えるのに空カヌーが必需品と判断し、後ろにつないで運ぼうとしていたら、ベテランのYさんが「自分が運びますから」と言ってくれた。申し訳なかったがお願いした。





N4護岸前のフロートに到着。護岸を見ると、その先端で昨日被覆ブロックを下ろしていたクレーンの姿はなく、一人の作業員がしばらく測量している姿をみた。しかしN4から折れ曲がるように長島方向に伸ばしていくK8護岸の作業を行う様子はなかった。


琉球新報より引用

その代わり、N4護岸の付け根の部分にダンプが栗石を落とし、ユンボがうち固めて護岸を補強する作業をしていた。結局、この日は一日この作業が続いたようだ。



しだいに波も上がってきたので我々は浜に戻った。天気が回復し暑さを感じるぐらいになったが、午後は一部のメンバーが抗議船に乗り作業の様子を確認してから終了した。




2月27日(水)安和桟橋



天気は晴れ。風もなく気温も上がってきた。
今日は、辺野古を埋め立てる土砂を運ぶ運搬船が土砂を積み込んで出港するのを止めるため、琉球セメントの安和桟橋に向かった。





桟橋のそばの浜からカヌーを漕ぎ出し桟橋に向かった。桟橋に来るとその下に入った。









運搬船が接岸する桟橋にはネット(抗議活動を妨害するため!)が張ってある。そのネットにロープを繋いで抗議するメンバー、桟橋の中で待機して抗議するメンバーに分かれて行動した。安和での行動は初めてだったが、自分は後のグループで行動することになった。

当初GBは2挺だけ。海保の動きはゆっくりしていた。応援のGBが来るのを待って、海保はまずネットに繋いだロープをほどき始めた。始め丁寧にほどいていたが、GBの挺長は時間を見て指示を出し、ハサミを使ってロープを切り始めた。「5人の海保に囲まれて…」「解けるように結んだので隊員も解いていたのに、上から指示が出たらハサミを使い始めた」と、Nさんは悔しそうに振り返っていた。





その後、足ヒレを付け海に入った海保の隊員が両側から桟橋の下に入ってきた。事前に「(GBは桟橋の中にははいれないので)海に入った隊員がカヌーを追いかけ、GBの方に追い出して拘束する」「(海に入っている隊員より)カヌーの方が速いので気をつけていれば拘束されにくい」と聞いていた。しかし海保の動きを見ていると様子が違っていた。間隔をあけて一列に並ぼうとしていた。桟橋の運搬船のいる方にカヌーが近づけないようにしているのだと思った。多くのメンバーは海中の隊員を避けて反対側に出ていた。しかしそこにいては船の出航を阻止できないと思い、桟橋の先端辺りに留まった。桟橋の下から出たり戻ったりして、いつでも運搬船の方に出るぞと思わせたかった。桟橋の上を見ると、港湾の作業員がこちらを覗いて気にしていた。

しばらくその状態が続いた。自分のすぐそば、5mの所には一人の海保の隊員が浮いていた。足ひれを動かし立ち泳ぎしていたが無理に近づいて来る様子はない。やはり海保の狙いは運搬船からカヌーを遠避けることだとわかった。事前に「カヌーが全て拘束されないと運搬船は出港しない」と聞いていたので、この位置を保つのが相手にとって一番嫌だろうと考え、周りの様子を伺いながらその場所をキープしていた。



しかし、運搬船は錨をあげて出港し始めた。驚いたが、拘束されていないメンバー二人と抗議船の方に向かって全力でカヌーを漕いだ。かなり沖まで漕いで拘束された。
その後、ゴムボートの抗議船「ポセイドン号」が、全速力で海保のGB を振り切り、入ってくる運搬船に向かって突進した。ポセイドンは速かった。あんなにスピードが出せるとは知らなかった。ポセイドン号のおかげで、入港する運搬船は一旦スピードを落とした。
後の打ち合わせで「久しぶりに長時間(2時間近く)出港を遅らせることができた」と笑顔でNさんが話した。ちょっと嬉しかった。







入港した運搬船が出港するには長い時間かかるので、海上行動は午前中で終了し、昼食後は安和桟橋入口の抗議行動に参加することになった。

お昼に、うるま市の方からのソーキそば、また他の方からも蒸しパンやぜんざい、果物のタンカンなど色々な差し入れを頂いた。どれも美味しかった。元々のお弁当もあって腹12分目ぐらいになった。







桟橋入口の抗議行動は素晴らしかった。入口の前でゆっくりとグルグル歩き続ける。前の国道を右折して入ろうとするダンプの数を、少しでも減らし遅らせることが目的である。







信号が一回変わるのに90秒かかる。一回毎にダンプを1台しか入れないのが目標。そのため対抗車線を走って来て桟橋入口の交差点で繰り返し右折してUターンする人。そのせいで1車線化する対抗車線をゆっくり直進することでダンプが簡単に右折できないようにする人。ダンプの前をゆっくり歩いて横断する人。それらの協力があり、その上で右折してくるダンプを無理のない程度に入口でストップさせるのが、数十人のグルグル歩きだ。
危険の無いように、そして機動隊の弾圧を受けないように、山城さんたちが適宜声をかけて指揮していた。一緒に歩いたカヌーチームのMさんが「今日は機動隊を少しも介入させなかった。すごい」と感心されていた。憎きダンプの前に立ちふさがりたくなるのが人情だが、引くところは引くように山城さんは絶妙なタイミングで指示を出しておられた。山城さんが言うように素晴らしい「遵法闘争」だと思った。





それにしても、ダンプに積まれた「石材」の写真を見て欲しい。「赤土が含まれているのでは?」と質問して官邸から嘘つき呼ばわりされた東京新聞の望月記者。菅官房長官はこの事実を見に来なさい。嘘つきは貴方の方だ!


2月28日(木)ゲート前の座り込み



夜半から蒸し暑い。地面は雨で濡れていた。7時30分テント2に集合。船長の海況判断を参考にカヌーの海上行動は中止と決定、抗議船の監視活動だけになる。自分は今日帰阪するので、みんなに再訪を伝え挨拶して宿に戻った。





カッパを着てゲート前へ。途中、米軍と埋め立て工事のためにしているトンネル工事で国道が陥没している現場を見ることができた。昨日安和にカヌーを運ぶ時、軽トラでここを走ったが、かなりの衝撃があった。防衛局は碌でもないことばかりする。







8時40分からバリロードの後ろに(あとで前に)座り込んだ。今日はうるま、沖縄、北中城の市民の方が来られて賑やかなゲート前になった。





船長のN さんが指揮をとった。始めにうるま市の方が美しいテノールで「座り込めここへ」などの歌をリードしてみんなで元気を出し合った。しかしその間も頭上を2機の米軍ヘリが爆音を響かせながら北方へ飛び去った。



次に各地域代表の報告。どの方も24日の県民投票に向けた取組と結果について報告された。その中である方が、昨年9月の知事選と比べ、自民党支持者の投票が率にして10数%低いが、全体の投票率は10%だけ低い。つまり知事選は投票に行かなかった人が県民投票には投票したと考えられる。素晴らしいことだと言われた。自分もなるほどと思った。







その方の話の途中、後ろから防衛局職員の、ハンドマイクを通してがなり立てる不快な声が聞こえてきた。その方の話が聞こえなくなり腹が立った。
すぐに機動隊の隊長がやって来て、搬入の妨げになるので直ちに立ち去れ、と警告を始める。我々がシュプレヒコールで対抗すると、隊員たちがぞろぞろと歩いて来て前に立ち並び、強制排除が始まる。県民投票の前と何一つ変わらぬゲート前の現実を再体験することになった。













両手両足を掴まれ、鉄柵でしきられた歩道に運ばれ閉じ込められる。延々と続くダンプ、トラック、コンクリートミキサーの車列。ため息とともに怒りと悲しさがこみ上げる。この暴挙を止められない。シュプレヒコールで抗議するしかない。悔しい。情けない。



県民投票の24日は一日中雨だった。それでも足を運び投票された多くの県民の方たち。投票に込められた思いや圧倒的に示された「辺野古は許さない」という民意を、こうまで平気で足蹴にする政府。絶対に許せないと思った。



帰阪したら、またできるだけ多くの場でできるだけ多くの人に伝えたい。「沖縄の民意は決まった。問われているのは私たち全国の国民の民意。政府に対して『沖縄の民意を尊重せよ!』『辺野古の工事をすぐに中止せよ!』『アメリカと再交渉し、まず普天間を返還せよ!』と一緒に声を上げよう」と。

2019年2月「県民投票」と辺野古訪問(1)

2019-03-04 22:39:02 | 沖縄

2月23日(土)辺野古到着とピースキャンドル







夕刻、辺野古に到着。ちょうど「クッション」の夕食タイム。賑やかな室内を予想して中に入る。ところが中は静かで誰もいない…? 見回すと調理場でIさんだけが夕飯の準備をしていた。

Iさんに声をかけて受付をお願いした。いつものように前払いで宿泊代を払い、事情を聴く。静かな訳がわかった。そうだった。今日は土曜日。ピースキャンドルの日だった。
今までにもチャンスはあったろうに、自分はまだこの取り組みに参加したことがなかった。Iさんは「あまり時間がないのに、ここにいたら」と言ったが、せっかくのチャンスなので大急ぎで走ってキャンプシュワブのゲート前に向かった。



すっかり暗くなった国道331号沿い。キャンプシュワブだけが煌々として明るい。電気代が「無料」(「思いやり予算」=我々の税金)なので、基地内を常時明るく照らしても平気なのだろう。









ゲート前に近づくと、手にほの暗い灯りを持つ一群の人影が見えてきた。その灯りはペットボトルのキャンドルライトの灯りだった。
20人ぐらいの人が灯りをかざし国道を行く車に「辺野古の海を埋め立てないでください」「県民投票に行ってください」と、優しい言い方で呼び掛けている。それがこの行動のスタイルのようだ。

通り過ぎる車からクラクションを鳴らしたり、窓を開け手を振ってくれる人もいた。名護の市長選や9月の知事選の時も感じたが、沖縄では当たり前のこの路上のやり取りが心地よい。毎週土曜日にずっと家族で続けておられるこの行動。今日初めて参加できてとても嬉しかった。





県民投票前日ということもあり、「クッション」には沢山の人が宿泊していた。旧知の方とも何人もお会いできた。
夕飯の後、Iさんお勧めの映画をみんなで見た。東チモールのドキュメンタリー「カンタ!ティモール」。インドネシアから独立を勝ち取るまでの、あまりに悲しい出来事の連続。衝撃を受けた。知らないでいたことの罪を感じさせる映画だった。

さて。明日からまた自分にできることをわずかでもやっていけたら、と思っている。


2月24日(日)『県民投票』投開票日





県民投票の当日は、一日中雨模様の生憎の天気だった。毎週日曜日に実施しているカヌー教室も、残念ながら取り止めになった。



その雨の中を、糸満市米須にある「魂魄(こんぱく)の塔」を昨日出発した若者たち(などの)一団が、日の暮れた19時過ぎ、やっと辺野古に到着した。道中県民投票の呼び掛けを続けながら、80km以上もの距離を歩き続けてきたのだ(※途中自転車を利用する場合もあり)。自分も出迎えるためゲート前のテントに向かった。









ゲート前では沢山の人が、急ごしらえだったそうだが歓迎の準備をして待っていた。山城さんの司会で「ご苦労様」集会を持った。沢山のお母さんたちが準備したおにぎりやぜんざい、お餅などで苦労をねぎらい、20時のニュースをスマホで確認し、出口調査の「反対多数」を確かめてから、みんなで喜びあった。







その後、宿のクッションに戻った。山城さん、歩き続けた若者たちの幾人か、その他沢山の人が集まり、飲んだり食べたりしながらテレビの開票速報を見た。元シールズのOさんも参加していたそうで、クッションにも来ていた。







「40万票越えました! 23時40分からデニー知事がネット中継で記者会見するそうです」







「辺野古反対が43万票を越えました! 全ての市町村で辺野古反対が多数を占めました!」 本当に良かった!!





NHKの出口調査では、県政与党の支持者の他に、多数の無党派層が投票し、圧倒的に「埋め立てに反対」を支持している。
世代別では18・19歳で「埋め立てに反対」を支持する割合が高いことが目を引いた。嬉しいことだ。







山城さんと文子おばあは抱き合って喜んでいた。みんなのリクエストに応えてクッションに泊まっているFさんが「東崎(あがりざち)」の替え唄「辺野古崎」を歌った。良かった。今のみんなの気持ちにふさわしい歌だと思った。


2月25日(月)海上行動



県民投票の翌日。午前中は曇り、午後から時々晴れ。朝のテント2の打ち合わせ。司会のTさんが「始めは名護の東海岸だけの問題とされていた辺野古の問題が、やっとここまで来た…」と、20年以上になる運動の歴史を振り返るように、しみじみと語っておられた。









海は穏やかだった。最初は自走で辺野古崎先端に建設中のN4護岸までカヌーを漕いだ。護岸の大浦湾側に被覆ブロックをクレーンで下ろす作業をしていた。すぐにフロートを越えて阻止行動に入った。しかし。フロートの下にあった鎖の錘(おもり)がはずしてあり、不安定なフロートに四苦八苦した。はじめ何度もフロートから滑り落ちて体力を消耗した。空カヌーを利用して何とか自分のカヌーをフロートの向こうに入れ、乗り移ることができた。午前中に2回、午後1回フロートを越えた。





足ひれをつけて海に飛び込み、カヌーを拘束する海保の若者や、GB に乗っている海保の若者たちに「昨日県民投票に行ったか」「結果をどう思うか」「これからどちらを向いて仕事をするべきか」と、自分も問いかけたし、他のメンバーも問いかけた。中には本音で答えていた海保もいたそうだ。県民投票が自分のやっていることを考え直すきっかけになって欲しいと思った。


2018年12月沖縄訪問の記録(2)

2019-03-03 18:04:55 | 沖縄
12月25日(火)瀬嵩からの海上行動

 昨日は強風と波浪で工事もなく、海上行動も中止。

 今日は3日ぶりの海になった。仲間と車で瀬嵩に向かう。薄曇りから漏れる朝日で銀色に輝く大浦湾が美しかった。





 抗議船2隻、カヌー10艇が参加。K9護岸近くのフロートに向かう。K9では土曜日と同様、大型台船の土砂をパワーショベルが次々とダンプに移し替えていた。

 1時間が経過した。空になった台船がタグボートに引かれてK9を離岸する準備に入る。

 フロートの内側で警戒していた海保のGB が一斉にフロートから50mほど離れ、こちらに向き直し、我々を抑止する態勢に入る。しかしフロートの外にいる自分たちは待機したまま。今日は離岸する台船への行動はあえてスルーした。
 一方、離岸する台船を避けるために、フロートの近くに移動して待っていた次の台船が、しびれを切らしたようにタグボートに引かれて向きを変え始めた。どうやら、我々を抑止するためにスタンバイしたGB が邪魔で、フロートに沿ってK9護岸に向かうつもりだったのを諦めたらしい。台船はタグボートに引かれて、ゆっくりとフロートから離れて行き、これから離岸しようとする台船より向こう側に移動していった。
 今日は、離岸する台船をスルーし、接岸する台船に阻止行動を集中したことが、結果的に効を奏した。まず一旦接岸しようとスタンバイした台船を、別の場所に移動させることができた。次に台船が護岸に近づこうとし始めた時、次々とカヌーがフロートを越えて入り、GB をあちこち走り回らせたことで、台船が護岸に接岸するのをさらに遅らせることができた。
 GB に拘束された後も、しがみつく保安官が足ヒレを動かして台船からカヌーを少しでも離そうとするのに対して、(危険のないように)保安官と反対側のパドルを必死に漕ぎ続け離されないように頑張った。そうしながら保安官に説得を続けた。





 GB で瀬嵩に帰されるまで今日も1時間30分もかかった。瀬嵩近くのフロート出口から出れば、瀬嵩の浜までは15分で帰れる距離である。しかし海保のGBはわざと早足ぐらいのノロノロしたスピードしか出さず、大浦湾口辺りの一番遠いフロート出口まで行って、そこからUターンして大浦湾の奥にある瀬嵩の浜に戻される。
 「スピードを早めるように」と何度も艇長に言った。すでに13時を回っていた。「トイレも昼食も取れない人権無視」を批判した。他の艇に乗せられたメンバーが強烈に抗議して、ようやく抗議船に女性メンバーが乗り移って帰ることができた。
 GB を降りる時「我々は正当な抗議活動をしているだけである」「海保の保安官には我々を理由もなく拘束する権限はない」「我々の時間を奪うことは我々の命の一部を奪っていることになる。保安官は公務員として国民の生命、安全、財産を守る義務があるはずだ。よく考えて欲しい」と艇長に伝えた。



 カヌーを片付け辺野古に戻る途中キャンプシュワブの手前で、自分たちの車はダンプカーの車列の後ろになり渋滞に巻き込まれた。
 自分とSさんは車を降りてゲートまで走った。ウェットスーツとライフジャケットの格好のまま抗議の座り込みに滑り込み間に合った。すぐに自分の番が来て機動隊に排除された。

 12月26日(水) 雨天のため海上行動は中止

映画『ガジュマル食堂の恋』(2014年公開)公式サイトより
 カヌーチームのまとめ役のKさんと、カヌーの運搬等に使っている軽トラを修理するために、久志オートサービスに行った。その帰り道、Kさんが久志の集落の中を車で案内してくれた。
映画「ガジュマル食堂の恋」のガジュマル。昔懐かしい久志の街並み。祝女殿内(ノロドゥンチ)など。とても魅力的な場所だった。いつかゆっくりと訪ねてみたいと思った。









 9時から15時半までゲート前の座り込みに参加。機動隊に3回強制排除された。ここに来る度にお会いするあの人この人の顔。毎回ここに座り・語り・歌い・踊り・抗議する。排除されて、目の前を何百台ものダンプ.トラックがゲートに入っていく。それでもまたここに座る。凄いとしか言いようがない。







 安次富さんが県民投票について、大城さんが名護市議会の攻防について、国会議員の赤嶺さんが石垣島の自衛隊基地に反対している方の思いについて、北上田さんが土砂投入の問題点について話してくれた。

 北上田さんの話について
◆マスコミが「12月14日からの土砂投入で、後戻り出来ない地点に」などと言っている。しかし今回投入された2-1工区は面積で4%だが、1期工事(20ヶ月かかる)が終了しても工事全体の土砂投入必要量の0.7%分を占めるだけ。復旧は十分に可能だ。
◆防衛局が「岩ズリ」と言っている土砂は明らかに赤土だ。提出した計画書には「粘土を40%含む」としているのに、国会で追求されると「10%だ」と平気で言う。県が土砂の検査報告書を求めると、何年も前のどこの土砂かも分からない資料を出してくる。徹底的に追求したい。
◆土砂の値段が相場と比べ、べらぼうに高く見積もられている。ゼネコンに大儲けさせるつもりだろう。等など

 国会議員の方が数名と、ある県の教職員組合が青年部の若い先生たち30名を引き連れて来られた。それぞれとても嬉しく心強かったが、挨拶だけしてすぐに帰って行かれたのが残念だった。せめて少しの間でも一緒に座り込みに参加してくれたら、どんなに元気が出たことだろうと思った。

 12月27日(木) 海上行動

 明けの明星がとても明るい。やっと天気が回復した。しかし風が強い。今日の行動はどうなるかと思いながらテント2へ向かう。船長は「難しい」との考えだが、カヌーメンバーの相談で「出艇の準備をし、瀬嵩の浜に行って判断する」ことになった。結局、海上行動を実施することにした。







 北寄りの風なので、山を背にして南向きに広がる瀬嵩の浜は無風状態だった。しかし大浦湾を進むにつれて風が出始め、波が立ってきた。追い風に助けられるようにK9護岸のフロートまでスムーズに行けた(逆風になるので帰りは大変である)。









 護岸に接岸中の台船では、山積みの土砂を今日もパワーショベルがせっせとダンプに移し替えていた。自分は午後の飛行機で帰阪するので、10時頃までに台船が離岸し阻止行動することになれば一緒にフロートを越えようと思っていた。しかし残りの土砂の量から、それは諦めざるを得なかった。やがて風が強くなり始め、風速が10mを越えたので11時前には全員海上行動を終了することになった。





   年末年始を利用してゲート前に集まる人が増えているそうだ。みんな辺野古への土砂投入に、居ても立ってもいられないのだと思う。自分は一旦帰阪し、関西で「辺野古」アピール等の活動を続けたい。「また2月に!」とカヌーの仲間やクッションの人たちに挨拶してお別れした。電車がもうすぐ高槻に到着する。

2018年12月沖縄訪問の記録(1)

2019-03-03 17:56:14 | 沖縄
 今日は2019年3月3日。長い間ブログに触れていなかったがその間に辺野古へ二度通った。その記録をまとめておきたい。

12月20日(木)辺野古到着
 那覇空港の高速バス停。時刻表を見ると「宜野座IC」 に停車するバスが2時間先までない。いつも宜野座で降りて路線バスに乗り換える。少し遠回りだが、名護市の「世冨慶(よふけ)」のバス停まで行くことにした。
 世冨慶に向かう途中、名護湾の対岸に埋め立て用土砂を積み出すために、急きょ使い始めた琉球セメントの安和桟橋が見えていた。

 辺野古は世冨慶から少し戻ることになる。国道を渡り、向かいのバス停から辺野古行きのバスに乗った。
 乗車中にバスの運転手さんにとても親切にして頂いた。「第二辺野古」のバス停で降りる時も「気をつけて頑張ってくださいね」と、自分が辺野古の活動の参加者だろうと察して励まして下さった。嬉かった。年末だがバスはまだ冷房がきいていた。

 宿「クッション」で、沖縄平和サポート代表のIさんに挨拶してからテント2に向かった。
 カヌーチームはまだ海から戻っていなかった。辺野古の松田ぬ浜に出てみた。孫の玩具になればと波打ち際の貝殻を拾い歩きながらのんびり待っていた。仲間たちはぬ浜ではなく瀬嵩の浜に上陸し、17時半頃テント2に帰着した。

 天気が心配だが、明日から海上行動に参加する。少しでも埋め立て工事を止められるように微力を尽くしたい。


12月21日(金)高江へ
 今日は応援要請に応えて高江に向かった。「6時までに」との連絡で、同宿のFさんAさんと一緒に車で宿を4時半に出た。
 運転はFさんがした。国道331号線は殆ど対向車がなく、5時半過ぎにはN1ゲート前に到着した。沖縄の夜明けは遅い。真っ暗の中そこだけ照明で照らされる下に、いつものようにアルソックの警備員が立っていた。森が明るくなったのはやっと7時半頃だった。

 高江のN1ヘリパッド(オスプレイパッド)では、工事のために作った仮設道路の表面を全てはがし、米軍仕様の軍用道路に作り替える作業を今日から始める。辺野古に土砂を投入し始めた12月14日から、すでに3回計120台のダンプが資材を入れ終わっていると言う。リーダーの指示で、乗ってきた車をゲート前に並べて置いた。





 8時半頃、車の内側、ゲート前に椅子を並べて座り込みを始めた。並べていた5、6台の車をさらにゲートに近づけるため、必死になって邪魔をするアルソックの警備員と押し合いながら車が完全に路肩の砂利の上に入るように並べ変えた。
 これが功を奏した。機動隊がやって来て我々を排除しながらタイヤの下にゴージャッキ(写真参照)を挟み込み、

ジャッキを上げて車を移動させようとするが、ジャッキの下の小さな車輪(キャスター)が、ぬかるんだシャリに食い込んで動かない。機動隊は車に取り付く人数を増やしたが、それでも簡単には動かせなかった。

















 粘りに粘って10時半から12時半まで2時間ダンプの進入をくい止めることができた。出てくるダンプや2回目の搬入に対しても座り込みをした。

 座り込んで待っている間、Yさんの司会で体操したり歌や掛け声をかけて元気を出し合った。全国から来られた色々な方が防衛局や警備員に語りかけ、考えさせるような話をされた。いい話だった。
 2回目の搬入のダンプが出たあとテントの中でまとめがあった。高江の皆さんが我々の応援をとても喜んで下さったことが一番嬉かった。
辺野古に戻る途中、休憩に立ち寄った慶佐次で、有名なヒルギ林を見ることができた。








 12月22日(土)海上行動参加
 今日から海上行動に参加した。前回(9月下旬~10月始め)は知事選挙の応援だったので久しぶりの辺野古の海あった。









 午前中は瀬嵩の浜から大浦湾に出て、ダンプに土砂を積み込み終った台船がK9護岸から離岸する時を狙って皆で阻止行動を行った。今日は抗議船2隻とカヌー16艇が参加した。しかし相手も対応策を色々考えていて、台船の離岸を遅らせることができなかった。





 台船が停泊している間、フロートにつかまりながらパワーショベルの作業を観察した。パワーショベルは台船に山積みにされた土砂の一番上に乗った状態で作業する。その2掻き分で10トンダンプが満杯になる。1分もかからないうちに、すぐに次のダンプがバックして近づいてくる。ダンプに土を入れる合間に周りの土砂を整理し、土砂の山から降りないまま山が次第に小さく低くなっていく。やっていることは許されないことだが思わずプロの技に見とれてしまった。

 台船からの土砂の搬出作業はとても能率がよかった。しかし台船を接岸できる所がK9護岸しかないので、運搬船や台船を増やしても埋め立て作業全体のスピードアップには限界があることがよくわかった。
 土砂を山盛りにした新しい台船が接岸しダンプへの積み替え作業がしばらく続くので、午後は阻止行動のチャンスが無さそうだった。カヌーメンバーも抗議船に乗って埋め立て現場近くまで行き、監視活動を行うことになった。



 大浦湾から長島、辺野古崎にかけての海は、何時もの通り例えようがないほど美しかった。それだけに土砂を積んで護岸の上を次々とやって来るダンプ、護岸の内側に降りて行き、船からは見えないが次々と海に土砂を投入するダンプが許せなかった。




 12月23日(日)カヌー教室参加

 今日は工事がなく海上行動もないのでカヌー教室に参加した。10名参加。自己紹介してバディ(ペア)を決め、ぬ浜にカヌーを運んで教室を始めた。浜には沢山の高校生が来て「辺野古」について学んでいた。とても嬉しい。



 今朝はきれいな朝焼けが見られた。従って天気は下り坂。うねりはあったが、始めは風もなくて気持ちよく練習できた。基本を学び直すことは何度やっても大事だと思った。
 今日一緒に練習した方は、すぐに海上行動に参加できそうな人ばかりだった。「ぜひ抗議行動でご一緒しましょう」と言い合ってお別れした。