2月26日(火)二日目の海上行動
天気はやっと回復傾向に。今日もまず自走で辺野古崎先端のN4護岸に向かった。風波とも結構強く、漕ぎ進めるのが大変だった。
昨日の反省からフロートを越えるのに空カヌーが必需品と判断し、後ろにつないで運ぼうとしていたら、ベテランのYさんが「自分が運びますから」と言ってくれた。申し訳なかったがお願いした。
N4護岸前のフロートに到着。護岸を見ると、その先端で昨日被覆ブロックを下ろしていたクレーンの姿はなく、一人の作業員がしばらく測量している姿をみた。しかしN4から折れ曲がるように長島方向に伸ばしていくK8護岸の作業を行う様子はなかった。
琉球新報より引用
その代わり、N4護岸の付け根の部分にダンプが栗石を落とし、ユンボがうち固めて護岸を補強する作業をしていた。結局、この日は一日この作業が続いたようだ。
しだいに波も上がってきたので我々は浜に戻った。天気が回復し暑さを感じるぐらいになったが、午後は一部のメンバーが抗議船に乗り作業の様子を確認してから終了した。
2月27日(水)安和桟橋
天気は晴れ。風もなく気温も上がってきた。
今日は、辺野古を埋め立てる土砂を運ぶ運搬船が土砂を積み込んで出港するのを止めるため、琉球セメントの安和桟橋に向かった。
桟橋のそばの浜からカヌーを漕ぎ出し桟橋に向かった。桟橋に来るとその下に入った。
運搬船が接岸する桟橋にはネット(抗議活動を妨害するため!)が張ってある。そのネットにロープを繋いで抗議するメンバー、桟橋の中で待機して抗議するメンバーに分かれて行動した。安和での行動は初めてだったが、自分は後のグループで行動することになった。
当初GBは2挺だけ。海保の動きはゆっくりしていた。応援のGBが来るのを待って、海保はまずネットに繋いだロープをほどき始めた。始め丁寧にほどいていたが、GBの挺長は時間を見て指示を出し、ハサミを使ってロープを切り始めた。「5人の海保に囲まれて…」「解けるように結んだので隊員も解いていたのに、上から指示が出たらハサミを使い始めた」と、Nさんは悔しそうに振り返っていた。
その後、足ヒレを付け海に入った海保の隊員が両側から桟橋の下に入ってきた。事前に「(GBは桟橋の中にははいれないので)海に入った隊員がカヌーを追いかけ、GBの方に追い出して拘束する」「(海に入っている隊員より)カヌーの方が速いので気をつけていれば拘束されにくい」と聞いていた。しかし海保の動きを見ていると様子が違っていた。間隔をあけて一列に並ぼうとしていた。桟橋の運搬船のいる方にカヌーが近づけないようにしているのだと思った。多くのメンバーは海中の隊員を避けて反対側に出ていた。しかしそこにいては船の出航を阻止できないと思い、桟橋の先端辺りに留まった。桟橋の下から出たり戻ったりして、いつでも運搬船の方に出るぞと思わせたかった。桟橋の上を見ると、港湾の作業員がこちらを覗いて気にしていた。
しばらくその状態が続いた。自分のすぐそば、5mの所には一人の海保の隊員が浮いていた。足ひれを動かし立ち泳ぎしていたが無理に近づいて来る様子はない。やはり海保の狙いは運搬船からカヌーを遠避けることだとわかった。事前に「カヌーが全て拘束されないと運搬船は出港しない」と聞いていたので、この位置を保つのが相手にとって一番嫌だろうと考え、周りの様子を伺いながらその場所をキープしていた。
しかし、運搬船は錨をあげて出港し始めた。驚いたが、拘束されていないメンバー二人と抗議船の方に向かって全力でカヌーを漕いだ。かなり沖まで漕いで拘束された。
その後、ゴムボートの抗議船「ポセイドン号」が、全速力で海保のGB を振り切り、入ってくる運搬船に向かって突進した。ポセイドンは速かった。あんなにスピードが出せるとは知らなかった。ポセイドン号のおかげで、入港する運搬船は一旦スピードを落とした。
後の打ち合わせで「久しぶりに長時間(2時間近く)出港を遅らせることができた」と笑顔でNさんが話した。ちょっと嬉しかった。
入港した運搬船が出港するには長い時間かかるので、海上行動は午前中で終了し、昼食後は安和桟橋入口の抗議行動に参加することになった。
お昼に、うるま市の方からのソーキそば、また他の方からも蒸しパンやぜんざい、果物のタンカンなど色々な差し入れを頂いた。どれも美味しかった。元々のお弁当もあって腹12分目ぐらいになった。
桟橋入口の抗議行動は素晴らしかった。入口の前でゆっくりとグルグル歩き続ける。前の国道を右折して入ろうとするダンプの数を、少しでも減らし遅らせることが目的である。
信号が一回変わるのに90秒かかる。一回毎にダンプを1台しか入れないのが目標。そのため対抗車線を走って来て桟橋入口の交差点で繰り返し右折してUターンする人。そのせいで1車線化する対抗車線をゆっくり直進することでダンプが簡単に右折できないようにする人。ダンプの前をゆっくり歩いて横断する人。それらの協力があり、その上で右折してくるダンプを無理のない程度に入口でストップさせるのが、数十人のグルグル歩きだ。
危険の無いように、そして機動隊の弾圧を受けないように、山城さんたちが適宜声をかけて指揮していた。一緒に歩いたカヌーチームのMさんが「今日は機動隊を少しも介入させなかった。すごい」と感心されていた。憎きダンプの前に立ちふさがりたくなるのが人情だが、引くところは引くように山城さんは絶妙なタイミングで指示を出しておられた。山城さんが言うように素晴らしい「遵法闘争」だと思った。
それにしても、ダンプに積まれた「石材」の写真を見て欲しい。「赤土が含まれているのでは?」と質問して官邸から嘘つき呼ばわりされた東京新聞の望月記者。菅官房長官はこの事実を見に来なさい。嘘つきは貴方の方だ!
2月28日(木)ゲート前の座り込み
夜半から蒸し暑い。地面は雨で濡れていた。7時30分テント2に集合。船長の海況判断を参考にカヌーの海上行動は中止と決定、抗議船の監視活動だけになる。自分は今日帰阪するので、みんなに再訪を伝え挨拶して宿に戻った。
カッパを着てゲート前へ。途中、米軍と埋め立て工事のためにしているトンネル工事で国道が陥没している現場を見ることができた。昨日安和にカヌーを運ぶ時、軽トラでここを走ったが、かなりの衝撃があった。防衛局は碌でもないことばかりする。
8時40分からバリロードの後ろに(あとで前に)座り込んだ。今日はうるま、沖縄、北中城の市民の方が来られて賑やかなゲート前になった。
船長のN さんが指揮をとった。始めにうるま市の方が美しいテノールで「座り込めここへ」などの歌をリードしてみんなで元気を出し合った。しかしその間も頭上を2機の米軍ヘリが爆音を響かせながら北方へ飛び去った。
次に各地域代表の報告。どの方も24日の県民投票に向けた取組と結果について報告された。その中である方が、昨年9月の知事選と比べ、自民党支持者の投票が率にして10数%低いが、全体の投票率は10%だけ低い。つまり知事選は投票に行かなかった人が県民投票には投票したと考えられる。素晴らしいことだと言われた。自分もなるほどと思った。
その方の話の途中、後ろから防衛局職員の、ハンドマイクを通してがなり立てる不快な声が聞こえてきた。その方の話が聞こえなくなり腹が立った。
すぐに機動隊の隊長がやって来て、搬入の妨げになるので直ちに立ち去れ、と警告を始める。我々がシュプレヒコールで対抗すると、隊員たちがぞろぞろと歩いて来て前に立ち並び、強制排除が始まる。県民投票の前と何一つ変わらぬゲート前の現実を再体験することになった。
両手両足を掴まれ、鉄柵でしきられた歩道に運ばれ閉じ込められる。延々と続くダンプ、トラック、コンクリートミキサーの車列。ため息とともに怒りと悲しさがこみ上げる。この暴挙を止められない。シュプレヒコールで抗議するしかない。悔しい。情けない。
県民投票の24日は一日中雨だった。それでも足を運び投票された多くの県民の方たち。投票に込められた思いや圧倒的に示された「辺野古は許さない」という民意を、こうまで平気で足蹴にする政府。絶対に許せないと思った。
帰阪したら、またできるだけ多くの場でできるだけ多くの人に伝えたい。「沖縄の民意は決まった。問われているのは私たち全国の国民の民意。政府に対して『沖縄の民意を尊重せよ!』『辺野古の工事をすぐに中止せよ!』『アメリカと再交渉し、まず普天間を返還せよ!』と一緒に声を上げよう」と。