「玉城デニー知事誕生!!」
(1)「大東ひやみかち うまんちゅの会 決起集会」
9月25日(土)。
昼の飛行機で大阪から駆けつけた九条の会のUさんと、夕方の辻立ちから一緒に行動した。夕食の後は港区公民館で行われる集会に向かった。
公民館を探して市民会館の辺りを歩いていると、夜なのに人だかりがしている建物があった。
名護市の期日前投票所だった。18時半を過ぎていたが、車の行列ができ、みんな続々と投票所に向かっていた。今回はやはり期日前投票が多くなりそうだ。
公民館を見つけ、入口に向かう。川口真由美さんの熱唱が聞こえてきた。いつもながらパワフルな歌声を会場に響かせていた。
歌の後、スピーチが始まった。元名護市長の稲嶺進さん、ヘリ基地反対協の仲本興真さん、最後は照正組社長で元商工会会長の照屋義実さんだ。
三人の訴えは気迫に満ち感銘を受けた。
照屋義実さんの話を初めて聞いた。論理的でわかりやすく説得力があって、心を揺さぶる話だった。
人を惹きつける魅力があって「この人が知事候補でもおかしくないな」と思った。
この日は亡くなった翁長知事の四十九日。集会のまとめに登壇した比嘉靖さんはそのことに触れながら話をした。
最後に「みなさん、今夜はこの形でやりましょう」と、隣同士で手をつなぎ合って行う「がんばろう!」を提案された。
少し照れくさかったが、素敵なアイデアだと思った。会場は大いに盛り上がって閉会した。
後で聞いたが、比嘉靖さんは2010年の名護市長選挙に立候補された方。
稲嶺進さんも立候補したので話し合って比嘉さんが立候補を取り下げ、稲嶺市長が誕生した。立派な方である。
「ひやみかち うまんちゅの会」のFBより引用
集会名の「ひやみかち」は「さあ!」と気合を入れる言葉。「うまんちゅ」は「みんな」。「大東(おおひがし)」は名護市街の区域で「大北」「大南」もある。
「ひやみかち うまんちゅの会」とは、玉城デニーさんの公式の選挙母体の名前だ。
(2)「電話作戦」(その1) 28日(金)
沖縄の選挙は沖縄県民のもの。手伝うにしても自分たち“よそ者”は、縁の下で言われた事だけやるべき。
沖縄の事情や県民の気持ちもよく分からず沖縄の言葉で話せない自分たちは「電話で支持を呼びかける」運動はやるべきではないと考えていた。
しかし今夜から台風24号が沖縄を直撃する。相手は始めから期日前投票にかけている。台風で当日の投票率が落ちれば敗北の可能性が高い。
今日の期日前投票の呼びかけが決定的に重要になる。なのでどうしても人手が必要なら、今回は自分たちも「電話作戦」に協力すべきだと判断した。
Kさんが他の事務所に問合わせ「15時から17時まで二人来て欲しい」と要請があった。自分たちは三人で行き、三人で電話をかけまくった。
「もう期日前投票に行かれましたか?」と聞くと、電話に出られた方はほとんど「デニーさんに入れてきたよ」とか「これから行くよ。もちろんデニーさんに入れるよ」とうれしい返事ばかり。
「反応がいいですね!」と言うと、まとめ役の方が「支持者の推薦名簿だからね」と。なるほど。
「デニーさんは大丈夫だよ、がんばってね」と楽観的に言われる方もいたが「大接戦と聞いているよ。頑張らないと負けちゃうよ!」と心配する声も聞かれた。
大城松健さんのFBより引用
電話室のまとめ役は前名護市議の大城松健(しょうけん)さんだった。先日の選挙で惜しくも落選された。
とても暖かくて人間味があり面白そうな人だ。市議を続けられないのは本当にもったいないと思った。
色々な話を聞いた。元々クラシックギターのギタリストで、名護の文化運動のまとめ役もやっておられる。
中学の時、やはり元々ギタリストだった海勢頭豊さんが演奏する「アルハンブラ宮殿の思い出」を聞き「この道しかない」と決断したいう。
自分も中学の頃その曲に感動し、ちょっとだけ練習したことを思い出した。
電話の担当時間が終わり、安次富さんたちにあいさつして事務所を出た。
すでに暴風が吹き始めていた。世冨慶(よふけ)のスーパー「カネヒデ」で台風が来ている間の食料品を買い求めた。スーパーと隣のビデオレンタル店は台風に備える人たちで大混雑だった。
(3)「電話作戦」(その2) 30日(金)
28日から二日間続いた暴風がやっと収まった。いよいよ投票日がやって来た。
選挙当日、投票に行く人がほとんどいなかったために敗れる、という最悪の事態だけは免れそうだ。しかし昼過ぎまで、降ったり止んだりの生憎の天気が続いた。
元スタッフのEさんは台風対策のため二日間一緒に宿に泊まってくれた。今朝はEさんとともに庭の倒れた椰子の木やバナナの葉などを片付けた。
名護までの道中や名護の街の中は倒れた街路樹や枝や葉がそこら中に散乱していた。
自分たちにも何か手伝えることはないかと市内を歩いてみた。ひっくり返った看板や転げた植木鉢を直したりした。
多くの名護市民は自分の家や店舗の周りの後片付けに追われていた。これではまだまだ投票どころではなさそうに見えた。
それでも昼過ぎには片付けも一段落するだろうと考え、午後から「電話作戦」に協力したいと思った。
今日もKさんに連絡をお願いし、12時過ぎから昨日と別の事務所で棄権防止の電話をかけるお手伝いをした。
今日は支持者名簿ではなかったが「玉城デニーの後援会事務所です」と言うと、多くの方が「もう(期日前投票に)行ったよ!」とか「片付けが終わったら行くよ!」と答えて下さった。
暴風で停電したため電話がつながらない家がとても多かったが、自分の感覚では5対1ぐらいの割合でデニー支持が多いように思った。
だが選対本部から途中何度も「投票率が上がっていない!!」と、悲鳴のようなファックスが回ってきた。期日前の票を加えてもまだ前回の投票率に達していなかった。
みんな危機感を持って最後の最後まで頑張った。
電話での感触はとても良かったが、気になったのは若い人の動き。彼らは携帯しか使わない。だから確認の電話はできない。
名護市長選では若者の票の動きが選挙結果を左右したと聞いた。今回は、はたして…。
結局自分たちは18時半まで電話作戦に参加した。
宿のEさんからメールがきて「停電で冷凍庫がダメになったので、冷凍してあった鶏肉を使って水炊きを作った。一緒に食べましょう」との優しいお言葉。
「ギリギリまで電話を」という気持ちはあったが宿に向かった。「決着は午後11時半過ぎ」と聞いていた。ゆっくりご飯を頂いて事務所に戻ろうと思った。
(4)玉城デニーさん、当確!!
琉球新報電子版2018年9月30日より引用
「若者の動向」なども、すべては杞憂に終わった!
投票所が閉められた8時過ぎから「玉城デニー優勢!」とか「玉城デニー当確!」という投稿がSNSに登場。始めは「ガセネタ?」と信じられなかった。
しかし次々と同様の情報が上がってきたので「本当? 本当に信じていいの?!」と若干の疑念は残りつつも、喜びがこみ上げてきた。
夕食の準備を手伝いに来られ、一緒に鍋を囲んでいたEさんのご家族と、何度も「バンザイ!!」をし何枚も写真を撮った(残念ながらアップはできないが)。
食事が終わり、急いで電話をかけていた事務所に戻り、集まったみなさんとテレビのNHK開票速報を凝視する。
そして午後9時33分。ついにアナウンサーが「デニー当確」を発表。
テレビに映るデニーさんたちのバンザイに合わせて事務所のみんなでバンザイをした。まさに狂喜乱舞の状態だった。
残念なことに、車の運転がある自分だけは乾杯に参加できなかった。それが唯一の心残り。
11時過ぎまで開票を見た。相手候補との票差がどんどん開いていく。勝利の余韻に浸りながら事務所を後にした。
今回の選挙では、金と権力に屈しない沖縄県民の誇りと勇気、そして底力を見た。
また沖縄県民がどれだけ翁長知事を慕っていたか、敬愛と感謝の念を持っていたのかを知ることができた。
当確発表の後、事務所を訪れた比嘉靖さんは、次のようなことを言われた。
①稲嶺さんも翁長さんもそうだったように、デニーさんも、県民がしっかり支え、県民がしっかり育てていくことで、二人のようなすばらしい知事、今までにないようなりっぱな知事になるだろう。
②知事選挙に続いて那覇市長選挙も、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票でも勝利して、政権側の横暴に止めを刺さねばならない。
その通りだと思った。自分たちは沖縄県民の闘いに応えるためにも、自分たちの足元で、安部政権を倒す闘いに一層力を尽くさねばと思った。
(1)「大東ひやみかち うまんちゅの会 決起集会」
9月25日(土)。
昼の飛行機で大阪から駆けつけた九条の会のUさんと、夕方の辻立ちから一緒に行動した。夕食の後は港区公民館で行われる集会に向かった。
公民館を探して市民会館の辺りを歩いていると、夜なのに人だかりがしている建物があった。
名護市の期日前投票所だった。18時半を過ぎていたが、車の行列ができ、みんな続々と投票所に向かっていた。今回はやはり期日前投票が多くなりそうだ。
公民館を見つけ、入口に向かう。川口真由美さんの熱唱が聞こえてきた。いつもながらパワフルな歌声を会場に響かせていた。
歌の後、スピーチが始まった。元名護市長の稲嶺進さん、ヘリ基地反対協の仲本興真さん、最後は照正組社長で元商工会会長の照屋義実さんだ。
三人の訴えは気迫に満ち感銘を受けた。
照屋義実さんの話を初めて聞いた。論理的でわかりやすく説得力があって、心を揺さぶる話だった。
人を惹きつける魅力があって「この人が知事候補でもおかしくないな」と思った。
この日は亡くなった翁長知事の四十九日。集会のまとめに登壇した比嘉靖さんはそのことに触れながら話をした。
最後に「みなさん、今夜はこの形でやりましょう」と、隣同士で手をつなぎ合って行う「がんばろう!」を提案された。
少し照れくさかったが、素敵なアイデアだと思った。会場は大いに盛り上がって閉会した。
後で聞いたが、比嘉靖さんは2010年の名護市長選挙に立候補された方。
稲嶺進さんも立候補したので話し合って比嘉さんが立候補を取り下げ、稲嶺市長が誕生した。立派な方である。
「ひやみかち うまんちゅの会」のFBより引用
集会名の「ひやみかち」は「さあ!」と気合を入れる言葉。「うまんちゅ」は「みんな」。「大東(おおひがし)」は名護市街の区域で「大北」「大南」もある。
「ひやみかち うまんちゅの会」とは、玉城デニーさんの公式の選挙母体の名前だ。
(2)「電話作戦」(その1) 28日(金)
沖縄の選挙は沖縄県民のもの。手伝うにしても自分たち“よそ者”は、縁の下で言われた事だけやるべき。
沖縄の事情や県民の気持ちもよく分からず沖縄の言葉で話せない自分たちは「電話で支持を呼びかける」運動はやるべきではないと考えていた。
しかし今夜から台風24号が沖縄を直撃する。相手は始めから期日前投票にかけている。台風で当日の投票率が落ちれば敗北の可能性が高い。
今日の期日前投票の呼びかけが決定的に重要になる。なのでどうしても人手が必要なら、今回は自分たちも「電話作戦」に協力すべきだと判断した。
Kさんが他の事務所に問合わせ「15時から17時まで二人来て欲しい」と要請があった。自分たちは三人で行き、三人で電話をかけまくった。
「もう期日前投票に行かれましたか?」と聞くと、電話に出られた方はほとんど「デニーさんに入れてきたよ」とか「これから行くよ。もちろんデニーさんに入れるよ」とうれしい返事ばかり。
「反応がいいですね!」と言うと、まとめ役の方が「支持者の推薦名簿だからね」と。なるほど。
「デニーさんは大丈夫だよ、がんばってね」と楽観的に言われる方もいたが「大接戦と聞いているよ。頑張らないと負けちゃうよ!」と心配する声も聞かれた。
大城松健さんのFBより引用
電話室のまとめ役は前名護市議の大城松健(しょうけん)さんだった。先日の選挙で惜しくも落選された。
とても暖かくて人間味があり面白そうな人だ。市議を続けられないのは本当にもったいないと思った。
色々な話を聞いた。元々クラシックギターのギタリストで、名護の文化運動のまとめ役もやっておられる。
中学の時、やはり元々ギタリストだった海勢頭豊さんが演奏する「アルハンブラ宮殿の思い出」を聞き「この道しかない」と決断したいう。
自分も中学の頃その曲に感動し、ちょっとだけ練習したことを思い出した。
電話の担当時間が終わり、安次富さんたちにあいさつして事務所を出た。
すでに暴風が吹き始めていた。世冨慶(よふけ)のスーパー「カネヒデ」で台風が来ている間の食料品を買い求めた。スーパーと隣のビデオレンタル店は台風に備える人たちで大混雑だった。
(3)「電話作戦」(その2) 30日(金)
28日から二日間続いた暴風がやっと収まった。いよいよ投票日がやって来た。
選挙当日、投票に行く人がほとんどいなかったために敗れる、という最悪の事態だけは免れそうだ。しかし昼過ぎまで、降ったり止んだりの生憎の天気が続いた。
元スタッフのEさんは台風対策のため二日間一緒に宿に泊まってくれた。今朝はEさんとともに庭の倒れた椰子の木やバナナの葉などを片付けた。
名護までの道中や名護の街の中は倒れた街路樹や枝や葉がそこら中に散乱していた。
自分たちにも何か手伝えることはないかと市内を歩いてみた。ひっくり返った看板や転げた植木鉢を直したりした。
多くの名護市民は自分の家や店舗の周りの後片付けに追われていた。これではまだまだ投票どころではなさそうに見えた。
それでも昼過ぎには片付けも一段落するだろうと考え、午後から「電話作戦」に協力したいと思った。
今日もKさんに連絡をお願いし、12時過ぎから昨日と別の事務所で棄権防止の電話をかけるお手伝いをした。
今日は支持者名簿ではなかったが「玉城デニーの後援会事務所です」と言うと、多くの方が「もう(期日前投票に)行ったよ!」とか「片付けが終わったら行くよ!」と答えて下さった。
暴風で停電したため電話がつながらない家がとても多かったが、自分の感覚では5対1ぐらいの割合でデニー支持が多いように思った。
だが選対本部から途中何度も「投票率が上がっていない!!」と、悲鳴のようなファックスが回ってきた。期日前の票を加えてもまだ前回の投票率に達していなかった。
みんな危機感を持って最後の最後まで頑張った。
電話での感触はとても良かったが、気になったのは若い人の動き。彼らは携帯しか使わない。だから確認の電話はできない。
名護市長選では若者の票の動きが選挙結果を左右したと聞いた。今回は、はたして…。
結局自分たちは18時半まで電話作戦に参加した。
宿のEさんからメールがきて「停電で冷凍庫がダメになったので、冷凍してあった鶏肉を使って水炊きを作った。一緒に食べましょう」との優しいお言葉。
「ギリギリまで電話を」という気持ちはあったが宿に向かった。「決着は午後11時半過ぎ」と聞いていた。ゆっくりご飯を頂いて事務所に戻ろうと思った。
(4)玉城デニーさん、当確!!
琉球新報電子版2018年9月30日より引用
「若者の動向」なども、すべては杞憂に終わった!
投票所が閉められた8時過ぎから「玉城デニー優勢!」とか「玉城デニー当確!」という投稿がSNSに登場。始めは「ガセネタ?」と信じられなかった。
しかし次々と同様の情報が上がってきたので「本当? 本当に信じていいの?!」と若干の疑念は残りつつも、喜びがこみ上げてきた。
夕食の準備を手伝いに来られ、一緒に鍋を囲んでいたEさんのご家族と、何度も「バンザイ!!」をし何枚も写真を撮った(残念ながらアップはできないが)。
食事が終わり、急いで電話をかけていた事務所に戻り、集まったみなさんとテレビのNHK開票速報を凝視する。
そして午後9時33分。ついにアナウンサーが「デニー当確」を発表。
テレビに映るデニーさんたちのバンザイに合わせて事務所のみんなでバンザイをした。まさに狂喜乱舞の状態だった。
残念なことに、車の運転がある自分だけは乾杯に参加できなかった。それが唯一の心残り。
11時過ぎまで開票を見た。相手候補との票差がどんどん開いていく。勝利の余韻に浸りながら事務所を後にした。
今回の選挙では、金と権力に屈しない沖縄県民の誇りと勇気、そして底力を見た。
また沖縄県民がどれだけ翁長知事を慕っていたか、敬愛と感謝の念を持っていたのかを知ることができた。
当確発表の後、事務所を訪れた比嘉靖さんは、次のようなことを言われた。
①稲嶺さんも翁長さんもそうだったように、デニーさんも、県民がしっかり支え、県民がしっかり育てていくことで、二人のようなすばらしい知事、今までにないようなりっぱな知事になるだろう。
②知事選挙に続いて那覇市長選挙も、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票でも勝利して、政権側の横暴に止めを刺さねばならない。
その通りだと思った。自分たちは沖縄県民の闘いに応えるためにも、自分たちの足元で、安部政権を倒す闘いに一層力を尽くさねばと思った。