けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

2018年9月の辺野古訪問~ 沖縄知事選挙の報告 ~(3)

2018-10-07 11:10:38 | 沖縄
「玉城デニー知事誕生!!」

(1)「大東ひやみかち うまんちゅの会 決起集会」



9月25日(土)。
昼の飛行機で大阪から駆けつけた九条の会のUさんと、夕方の辻立ちから一緒に行動した。夕食の後は港区公民館で行われる集会に向かった。
公民館を探して市民会館の辺りを歩いていると、夜なのに人だかりがしている建物があった。
名護市の期日前投票所だった。18時半を過ぎていたが、車の行列ができ、みんな続々と投票所に向かっていた。今回はやはり期日前投票が多くなりそうだ。









公民館を見つけ、入口に向かう。川口真由美さんの熱唱が聞こえてきた。いつもながらパワフルな歌声を会場に響かせていた。
歌の後、スピーチが始まった。元名護市長の稲嶺進さん、ヘリ基地反対協の仲本興真さん、最後は照正組社長で元商工会会長の照屋義実さんだ。
三人の訴えは気迫に満ち感銘を受けた。
照屋義実さんの話を初めて聞いた。論理的でわかりやすく説得力があって、心を揺さぶる話だった。
人を惹きつける魅力があって「この人が知事候補でもおかしくないな」と思った。



この日は亡くなった翁長知事の四十九日。集会のまとめに登壇した比嘉靖さんはそのことに触れながら話をした。
最後に「みなさん、今夜はこの形でやりましょう」と、隣同士で手をつなぎ合って行う「がんばろう!」を提案された。
少し照れくさかったが、素敵なアイデアだと思った。会場は大いに盛り上がって閉会した。

後で聞いたが、比嘉靖さんは2010年の名護市長選挙に立候補された方。
稲嶺進さんも立候補したので話し合って比嘉さんが立候補を取り下げ、稲嶺市長が誕生した。立派な方である。


「ひやみかち うまんちゅの会」のFBより引用
集会名の「ひやみかち」は「さあ!」と気合を入れる言葉。「うまんちゅ」は「みんな」。「大東(おおひがし)」は名護市街の区域で「大北」「大南」もある。
「ひやみかち うまんちゅの会」とは、玉城デニーさんの公式の選挙母体の名前だ。

(2)「電話作戦」(その1) 28日(金)



沖縄の選挙は沖縄県民のもの。手伝うにしても自分たち“よそ者”は、縁の下で言われた事だけやるべき。
沖縄の事情や県民の気持ちもよく分からず沖縄の言葉で話せない自分たちは「電話で支持を呼びかける」運動はやるべきではないと考えていた。
しかし今夜から台風24号が沖縄を直撃する。相手は始めから期日前投票にかけている。台風で当日の投票率が落ちれば敗北の可能性が高い。
今日の期日前投票の呼びかけが決定的に重要になる。なのでどうしても人手が必要なら、今回は自分たちも「電話作戦」に協力すべきだと判断した。



Kさんが他の事務所に問合わせ「15時から17時まで二人来て欲しい」と要請があった。自分たちは三人で行き、三人で電話をかけまくった。
「もう期日前投票に行かれましたか?」と聞くと、電話に出られた方はほとんど「デニーさんに入れてきたよ」とか「これから行くよ。もちろんデニーさんに入れるよ」とうれしい返事ばかり。
「反応がいいですね!」と言うと、まとめ役の方が「支持者の推薦名簿だからね」と。なるほど。
「デニーさんは大丈夫だよ、がんばってね」と楽観的に言われる方もいたが「大接戦と聞いているよ。頑張らないと負けちゃうよ!」と心配する声も聞かれた。


大城松健さんのFBより引用

電話室のまとめ役は前名護市議の大城松健(しょうけん)さんだった。先日の選挙で惜しくも落選された。
とても暖かくて人間味があり面白そうな人だ。市議を続けられないのは本当にもったいないと思った。
色々な話を聞いた。元々クラシックギターのギタリストで、名護の文化運動のまとめ役もやっておられる。
中学の時、やはり元々ギタリストだった海勢頭豊さんが演奏する「アルハンブラ宮殿の思い出」を聞き「この道しかない」と決断したいう。
自分も中学の頃その曲に感動し、ちょっとだけ練習したことを思い出した。



電話の担当時間が終わり、安次富さんたちにあいさつして事務所を出た。
すでに暴風が吹き始めていた。世冨慶(よふけ)のスーパー「カネヒデ」で台風が来ている間の食料品を買い求めた。スーパーと隣のビデオレンタル店は台風に備える人たちで大混雑だった。

(3)「電話作戦」(その2) 30日(金)

28日から二日間続いた暴風がやっと収まった。いよいよ投票日がやって来た。
選挙当日、投票に行く人がほとんどいなかったために敗れる、という最悪の事態だけは免れそうだ。しかし昼過ぎまで、降ったり止んだりの生憎の天気が続いた。
元スタッフのEさんは台風対策のため二日間一緒に宿に泊まってくれた。今朝はEさんとともに庭の倒れた椰子の木やバナナの葉などを片付けた。











名護までの道中や名護の街の中は倒れた街路樹や枝や葉がそこら中に散乱していた。
自分たちにも何か手伝えることはないかと市内を歩いてみた。ひっくり返った看板や転げた植木鉢を直したりした。
多くの名護市民は自分の家や店舗の周りの後片付けに追われていた。これではまだまだ投票どころではなさそうに見えた。

それでも昼過ぎには片付けも一段落するだろうと考え、午後から「電話作戦」に協力したいと思った。
今日もKさんに連絡をお願いし、12時過ぎから昨日と別の事務所で棄権防止の電話をかけるお手伝いをした。



今日は支持者名簿ではなかったが「玉城デニーの後援会事務所です」と言うと、多くの方が「もう(期日前投票に)行ったよ!」とか「片付けが終わったら行くよ!」と答えて下さった。
暴風で停電したため電話がつながらない家がとても多かったが、自分の感覚では5対1ぐらいの割合でデニー支持が多いように思った。

だが選対本部から途中何度も「投票率が上がっていない!!」と、悲鳴のようなファックスが回ってきた。期日前の票を加えてもまだ前回の投票率に達していなかった。
みんな危機感を持って最後の最後まで頑張った。



電話での感触はとても良かったが、気になったのは若い人の動き。彼らは携帯しか使わない。だから確認の電話はできない。
名護市長選では若者の票の動きが選挙結果を左右したと聞いた。今回は、はたして…。

結局自分たちは18時半まで電話作戦に参加した。
宿のEさんからメールがきて「停電で冷凍庫がダメになったので、冷凍してあった鶏肉を使って水炊きを作った。一緒に食べましょう」との優しいお言葉。
「ギリギリまで電話を」という気持ちはあったが宿に向かった。「決着は午後11時半過ぎ」と聞いていた。ゆっくりご飯を頂いて事務所に戻ろうと思った。

(4)玉城デニーさん、当確!!


琉球新報電子版2018年9月30日より引用

「若者の動向」なども、すべては杞憂に終わった!

投票所が閉められた8時過ぎから「玉城デニー優勢!」とか「玉城デニー当確!」という投稿がSNSに登場。始めは「ガセネタ?」と信じられなかった。
しかし次々と同様の情報が上がってきたので「本当? 本当に信じていいの?!」と若干の疑念は残りつつも、喜びがこみ上げてきた。
夕食の準備を手伝いに来られ、一緒に鍋を囲んでいたEさんのご家族と、何度も「バンザイ!!」をし何枚も写真を撮った(残念ながらアップはできないが)。













食事が終わり、急いで電話をかけていた事務所に戻り、集まったみなさんとテレビのNHK開票速報を凝視する。
そして午後9時33分。ついにアナウンサーが「デニー当確」を発表。
テレビに映るデニーさんたちのバンザイに合わせて事務所のみんなでバンザイをした。まさに狂喜乱舞の状態だった。









残念なことに、車の運転がある自分だけは乾杯に参加できなかった。それが唯一の心残り。
11時過ぎまで開票を見た。相手候補との票差がどんどん開いていく。勝利の余韻に浸りながら事務所を後にした。

今回の選挙では、金と権力に屈しない沖縄県民の誇りと勇気、そして底力を見た。
また沖縄県民がどれだけ翁長知事を慕っていたか、敬愛と感謝の念を持っていたのかを知ることができた。

当確発表の後、事務所を訪れた比嘉靖さんは、次のようなことを言われた。
①稲嶺さんも翁長さんもそうだったように、デニーさんも、県民がしっかり支え、県民がしっかり育てていくことで、二人のようなすばらしい知事、今までにないようなりっぱな知事になるだろう。
②知事選挙に続いて那覇市長選挙も、辺野古埋め立ての是非を問う県民投票でも勝利して、政権側の横暴に止めを刺さねばならない。

その通りだと思った。自分たちは沖縄県民の闘いに応えるためにも、自分たちの足元で、安部政権を倒す闘いに一層力を尽くさねばと思った。


2018年9月の辺野古訪問~ 沖縄知事選挙の報告 ~(2)

2018-10-05 18:20:25 | 沖縄
「街頭での活動」
(1)辻立ち
25日から、名護市街地で「オール沖縄」の玉城デニー候補を応援する活動に参加した。



7時20分、2月の名護市長選挙でもお世話になった事務所に到着した。正面のイメージカラーの緑の幕に「故・翁長知事の遺志をうけつぐ県政を」と大書してある。「未来の世代のため沖縄にこれ以上の基地はいらない」と最期まで安倍政権に抵抗を続けた翁長知事。その志を決して無駄にしてはならない。

ちょうど入口から、おそろいの黄緑色のTシャツを着て、手に幟(のぼり)や看板を持つ人たちが出て来た。7時半から1時間、近くのスーパー・サンエー前交差点で道行く人に手を振りあいさつをするためだ。これを「辻立ち」と言う。朝と夕方(16時半から1時間)の交通量の多い時間に行う。昼に行うこともあった。



昨日から来ている兵庫県の方たちと一緒に交差点に向かう。海上行動でお世話になっているKさんも自転車に幟をつけ追いかけて来た。いつも元気で明るく仲間思いのKさんと再会のあいさつを交わす。
参加者は交差点の四箇所に別れ、車道や歩道を通行する市民に「おはようございます!」「行ってらっしゃい!」とあいさつする。



仕事や学校へと急いでいるのに、歩道を歩く人はもちろん運転中の人も、沢山の方が手を振り会釈してあいさつを返してくれる。車で交差点を右折しながら手を振る人も。思わず「気をつけて!」と返す。ビラ配りでも感じたが、沖縄の方は人との対話をとても大切にされているのだと思う。



朝一番で恥ずかしくもあり、始めは小さな声しか出ないが、道行く人が返してくれるあいさつに元気づけられ、段々大きな声が出せるようになった。返事があれば「ありがとうございます!」と頭を下げて感謝の気持ちを表す。「デニーさん必勝!」の思いを互いに共有できる瞬間だ。

ちょうど通学時間でもあり、学校に向かう小・中学生、高校生にもあいさつし、何かしら声をかける。小学生のお父さんぐらいの年齢の方が、毎朝7時45分~8時15分まで旗を持って横断歩道に立たれる。子どもたちみんなに声をかけながら安全指導をされていた。毎朝声をかけてくれる親以外の大人がいるのは良いことだなぁと思った。

(2)道じゅね


Wikipedia「エイサー(恩納村瀬良垣青年会)」より引用

27日のお昼前、名護十字路周辺の商店街を「道じゅね」と呼ばれる練り歩いての宣伝活動を行った。元々はエイサーの練り歩きから来ているそうだ。



「辻立ち」もそうだが、公職選挙法は宣伝行為の規制が多く、決められた運動員以外、街頭で「玉城デニーをお願いします!」とは言えない(「お願いします」が引っかかる)。だから、発する言葉には注意が必要だ。自分たちはコーラーの言葉に合わせて、ひたすら「デニー!」と声を合わせて練り歩いた。コーラーはカヌーチームの仲間であるOさんという若い女性の方。本当は毎日道じゅねしたかったが、彼女は宣伝カーの“ウグイス嬢”を頼まれ多忙な身。今回はこの日だけの練り歩きになった。



名護十字路商店街は、全国の商店街の例に漏れず、閑散として人通りはごく少ない。店の人には声が届いたかもしれないが、ややもったいない感じだった。

(3)ポスティング



25日にチラシのポスティングを行った。法定ビラを配りきれていない事務所の仕事を手伝った。慣れない土地なのでKさんが現場まで案内し、細かい指示を聞いてから4、5人単位でポスティングを始めた。時々雨が落ちて来る天気だったので、ビラが濡れないよう気を使いながら配って歩いた。濡れてシワクチャになったビラはゴミと化し、迷惑な気持ちにさせるだけなので。

(4)Vロード作戦



27日から、いよいよ「三日攻防」に突入。台風24号の影響が心配だ。
この日の夕方、色々な事務所のメンバーと一緒に幹線道路(国道58号線の数久田交差点辺り)に集合。道の両側に幟を立てて立ち並び、帰宅を急ぐ市民に手を振って宣伝した。反応はとても良かった。



兵庫から来ていた13名も帰り、辻立ちも寂しくなっていたので、総勢40名近く(幟はそれ以上)が並ぶとなかなか壮観だ。大勢で取り組むと元気が出る。
国道は名護湾に面しており、台風の影響で風がかなり強かったが負けずに頑張った。しかし30分過ぎた頃から急に強い雨が降り始め、残念ながら撤収することになった。

(5)大学近くで辻立ち



28日。台風24号は沖縄直撃のコースをたどっていて今後の天候の悪化が予想された。夕方の辻立ちは無理と判断し、昼に実施することに決まった。
元名桜大学のI先生の提案で、今日から大学の後期授業が始まるので若者たちに訴えようと、大学前の交差点に行って辻立ちすることになった。



「台風が来るから早く投票に行くように呼びかけたいね」ということで、午前中「投票に行こう」というプラカードを作った。頑張って沢山作った。
現地は風通しのよい小高い場所にある交差点で、強まる風の中で幟とプラカード両方持って立っているのは大変だった。





交通の便が良くないためか、経済的に恵まれた家庭の子弟が多いのか、自家用車で通学する学生が目立った。学生の反応はなかなか良くて、手を振ってあいさつしてくれたり、交差点で待っている間、空いている車の窓から話に応じる学生が何人もいた。ネットでの玉城候補に対する悪質なデマがはびこっているらしいが、どうか影響されることなく、自分で判断して投票所に足を運んでほしいと思った。

その他、台風に備えて街に掲示してある掲示物などの固定をチェックし、補強する作業などもお手伝いした。

2018年9月の辺野古訪問~ 沖縄知事選挙の報告 ~(1)

2018-10-04 14:09:55 | 沖縄


The yomiuri shimbun, via associated press(ニューヨークタイムス10月1日電子版より引用)

9月24日(月)
8月上旬に訪問したばかりの沖縄にまたやって来た。目的は1週間後に迫った知事選挙。県による「埋め立て承認撤回」によって工事はストップしている。だから海上行動はない。選挙の手伝いで出来ることは何でもやろうと思っている。


2018年4月24日「500人集中行動」の二日目 キャンプ・シュワブゲート前

県民の意思、全国・全世界の反対の声を無視して工事を強行する安倍政権。
2月の名護市長選挙で負けるはずがなかった稲嶺市長が政権丸抱えの候補にまさかの敗退。それからゲート前の抗議活動の参加者も減少した。
そこで「500人集中行動」(4月)や「あつまれ辺野古集中行動」(8月)も行われたが、護岸工事は進み8月17日に土砂投入の開始が通告されるまで追い込まれた。
オール沖縄内にも不協和音が聞こえてきた。

そうした苦しい状況の中、7月27日、翁長知事はついに「埋め立て承認撤回」を表明した。
8月11日に予定されていた県民大会で翁長知事の「撤回宣言」を聞くことを楽しみにしていた。ところがその矢先の8月8日、突然「翁長雄志急逝」の報が流れた。



11月の知事選挙は9月30日(日)に早められた。
政権側はこの選挙で何としても勝利し、知事権限を奪って有無を言わさず工事を進めようとした。
そのため早くから候補者を宜野湾市長の佐喜眞淳氏に決め、新潟県の知事選挙で効力を示した「名護方式」と呼ばれる“勝利の方程式”で必勝を期し、準備を進めていた。

対して翁長知事の再選に希望を託していた「オール沖縄」側の準備不足は否めなかった。候補者調整さえどうなるかわからなかった。
幸い「翁長知事の生前の録音記録」によって沖縄3区選出の国会議員、玉城デニー氏(自由党)が候補者に決まり、運動はスタートした。


琉球新報電子版(9月24日)より引用

しかし佐喜眞氏側は、前回自主投票の公明党、同様に独自候補を立てていた維新、おまけに希望の党からも推薦を受け、基礎票で圧倒的に有利に立った。
そして業者・団体の締めつけ、期日前投票の徹底・強制、創価学会の全力の組織戦、“客寄せパンダ”こと小泉進次郎氏の3度の来沖、ビラ・SNSによるデマ・謀略宣伝…。あらゆる方法を使って「オール沖縄」側を圧倒しているように見えた。

選挙の先行きは悲観的に思えた。
正直に言うと30日夜の選挙速報で即座に「佐喜眞当確!」が流され、名護の仲間が意気消沈する姿や日本の絶望的な未来が想像されて、沖縄へ旅立つ気分は陰鬱なものだった。







24日の12時過ぎに沖縄に到着。今回は夫婦二人で名護に9日間の滞在。さらに明日25日に一名、さらに27日に一名、同じ九条の会の仲間が到着する。
移動はレンタカー。車に乗り込みカーナビに従ってモノレール牧志駅近くの「さいおんスクエア」へ。その中の公民館で「那覇から辺野古を考える会」主催の辺野古・大浦湾の写真展と映画会が催されるので、それに参加するためだ。


2018年8月11日の県民大会で(奥武山陸上競技場)


同日夕方の国際通りのパレード

8月の辺野古訪問の帰り、11日の「県民大会」に参加した。翌日10時発の飛行機に乗るため那覇に一泊。そこで同じ日の夕方、会が初めて企画した「国際通りパレード(デモ)」に参加でき(遠距離?)会員になった。今回は逆に那覇に到着する日に予定されたこの企画に参加して、その後名護に向かう。

車を駐車場に入れ牧志駅に向かうと、会員のSさんたちが駅前で呼びかけのビラ撒きをしていた。自分たちもビラを分けてもらいスクエア前で少しだけビラまきした。大阪のようにビラの受け取りを冷たく拒否する人はいなかった。ここでは見ず知らずでも、人との関係を無碍に扱わないのだと感じた。





ビラまきの後、会員のNさんが教えてくれた「桜坂劇場」内の喫茶室に行った。
「劇場」は昔風で落ち着いた感じの映画館だ。結構混み合っているが皆さんくつろいだ様子で、老いも若きもニコニコ顔で休日のひと時を楽しんでいる。
窓の外の木陰にテラスがあり、テーブルと椅子が見える。休日の夜はミニコンサートとともにビヤガーデンも開かれるようだ。自分の席のすぐ近くにビールサーバーが見えた。オリオンの生が飲みたくなった。
館内には古本漫画や沖縄の書籍、小物などの展示・販売コーナーもある。「地層と化石が語る琉球列島三億年史」(神谷厚昭)を購入。ボーダー新書という初めて見る出版社の本だ。つげ義春の漫画も買いたかったが、かさばるので諦めた。
壁には映画「1987、ある闘いの真実」のポスターがあった。見たい映画だが「29日から公開」、見る時間はなさそうだ。三上智恵監督作品も、いつもここから上映が始まる映画館だ。美味しいランチを頂き、しばしくつろいた。







スクエア3階の公民館の一室で、辺野古の海の写真展と映画「命の海 辺野古大浦湾」を見た。素晴らしい映画。大浦湾の自然の美しさ、豊かさ、大切さ。「二度と戦争だけはだめ、だから新基地建設は許せない」という戦争体験者の気持ち、座り込みやカヌーで抗議し訴えている人たちの思いが、声高な主張でなく、静かに切々と伝わってくる。「平和で静かな日常を取り戻したいだけ」という瀬嵩にお住まいのダイバーのNさんの言葉が特に印象に残った。ぜひ地元でも広めていきたい映画だ。









映画の中に、昨年8月12日の県民大会で力強く訴える翁長知事の姿が出てきた。今年8月11日の大会では、座るはずだった椅子の上に緑色の帽子だけが置いてあった。悲しくて仕方ない場面だった。
呼び掛けに応じて入場された家族連れの方が、最後まで観賞されカンパもされたのは嬉しかった。
映画会の後、建築家の真喜志好一さんが普天間飛行場と辺野古新基地工事の問題について補足説明してくれた。




上映会の後、平和通商店街を少し歩いてみた。名護から来たMさんにばったり出会った。チラシを配っておられた。みんなそれぞれ選挙に向けて頑張っている。

今回自分たちは久し振りに瀬嵩の「海と風の宿」の世話になる。宿主のNさんは現在入院中だが、いつものようにこの宿での人との出会いが楽しみだ。
明日からはいよいよ名護市街に出て選挙活動に参加したいと思う。