今回の日程は23日(月)~29日(日)。ゲート前「6日間連続の500人集中行動」と重なった。カヌーチームで海上行動をする予定だが、1日はゲート前の集中行動に参加しようと思っていた。
23日夕方、辺野古の宿に到着。荷物を片付けて海に出てみた。
海のテントはもう誰もいなかった。前の浜は潮が引き広い干潟が現れている。よく見ると無数の小さな砂山 … 。焦げ茶色のビー玉のようなものが同じ向きに動いている。ミナミコメツキガニだ。カニなのに前に向かって歩く変わり者のカニだ。近づくとソロリと砂にもぐっていく。愛らしい生き物。得した気分で宿にもどる。
宿はこの日の集中行動でゲートを5時間半も開けさせなかった熱気と疲労感が漂っていた。関西の大学から来た学生たちや「森友問題」を世に知らしめた豊中市議のKさんも宿泊していた。「森友」問題を「発見」したいきさつなどを間近で聞くことができた。
24日(火)早朝。海上行動の集合場所へ。「前線通過」「雷注意報」の予報。海上は安全第一。本日の海上行動は中止と決定。早くも集中行動に参加できる日が来た。宿に戻りウェットスーツを脱いで着替えてキャンプシュワブのゲート前に向かう。
ゲート前はすでに数百人の人が座り込んでいた。驚いたことにいつもは置いてない機動隊の大型車両がゲート正面に置かれている。そのため座り込みの列が大きく車道にはみ出している。
23日夕方、辺野古の宿に到着。荷物を片付けて海に出てみた。
海のテントはもう誰もいなかった。前の浜は潮が引き広い干潟が現れている。よく見ると無数の小さな砂山 … 。焦げ茶色のビー玉のようなものが同じ向きに動いている。ミナミコメツキガニだ。カニなのに前に向かって歩く変わり者のカニだ。近づくとソロリと砂にもぐっていく。愛らしい生き物。得した気分で宿にもどる。
宿はこの日の集中行動でゲートを5時間半も開けさせなかった熱気と疲労感が漂っていた。関西の大学から来た学生たちや「森友問題」を世に知らしめた豊中市議のKさんも宿泊していた。「森友」問題を「発見」したいきさつなどを間近で聞くことができた。
24日(火)早朝。海上行動の集合場所へ。「前線通過」「雷注意報」の予報。海上は安全第一。本日の海上行動は中止と決定。早くも集中行動に参加できる日が来た。宿に戻りウェットスーツを脱いで着替えてキャンプシュワブのゲート前に向かう。
ゲート前はすでに数百人の人が座り込んでいた。驚いたことにいつもは置いてない機動隊の大型車両がゲート正面に置かれている。そのため座り込みの列が大きく車道にはみ出している。
危険極まりない。何という嫌がらせ。やがて機動隊がいつもの様に米軍基地の中からやってきた。隊長がハンドマイクで形式的に警告し、指揮棒の合図で強制排除が始まった。
自分も排除され、鉄柵と大型車両と隊員が作る人垣で囲まれた歩道の「檻(おり)」に押し込められた。入れられた途端、閉じ込められた人たちが外に出ようとして内側から押して来た。それに対抗して機動隊員たちが外から押し返す。ある隊員に左胸をきつく突かれた。両者に挟まれる圧力に必死で耐える。危険を察知した人の制止の声でやっと押合いが終わった。この日は2回排除が行われた。
翌25日(水)は「4・25海上座り込み」行動の日。カヌー82艇、抗議船11隻、128名の参加。海上パレード、海上抗議集会、阻止行動。昼からは浜の集会に270名が参加。カヌー等の片付けを終えてゲート前に向かった。
午後4時過ぎ。この日2回目の排除に間に合った。写真を見てわかるように大型車両のまわりを警備員と機動隊員を並ばせて、座り込める場所を昨日よりさらに狭くしていた。
自分も排除され、鉄柵と大型車両と隊員が作る人垣で囲まれた歩道の「檻(おり)」に押し込められた。入れられた途端、閉じ込められた人たちが外に出ようとして内側から押して来た。それに対抗して機動隊員たちが外から押し返す。ある隊員に左胸をきつく突かれた。両者に挟まれる圧力に必死で耐える。危険を察知した人の制止の声でやっと押合いが終わった。この日は2回排除が行われた。
翌25日(水)は「4・25海上座り込み」行動の日。カヌー82艇、抗議船11隻、128名の参加。海上パレード、海上抗議集会、阻止行動。昼からは浜の集会に270名が参加。カヌー等の片付けを終えてゲート前に向かった。
午後4時過ぎ。この日2回目の排除に間に合った。写真を見てわかるように大型車両のまわりを警備員と機動隊員を並ばせて、座り込める場所を昨日よりさらに狭くしていた。
そして車両の左右どちらかの人たちを排除した後、内側の隊員が前に出てスペースを開ける。そこから車をどかせて入口をつくり工事車両を入れる作戦をとってきた。排除した人を閉じ込める「歩道監獄」の車両もこんなに長くなった。この日の資材搬入は2回。
26日(木)は終日海上行動に参加。機動隊員に突かれた左胸が午後からまた痛み出した。27日(金)・28日(土)。痛みで利き腕である左腕が使えない。カヌーはやめて集中行動に参加。
27日は写真のように、車両のまわりの警備員と機動隊員を車から離れて並ばせ座り込める場所をさらに狭くした。
排除が始まると同時に、向かい側の歩道にいたリーダーを大勢の機動隊員が取り囲んで拘束し「歩道監獄」に閉じ込める暴挙を行った。
工事当事者の防衛局職員は大型車両の後ろに隠れている。
「監獄」の中ではYさんの司会で整然と集会を行った。歌をうたい各地からの参加者が車両の前に並んで挨拶やアピールを行い交流を深めあった。
この日は9時・12時・3時にそれぞれ30分程度で排除され資材搬入を3度許した。初日に5時間半の交通渋滞を引き起こした機動隊は、隊員の人数を200名に増やし、少しずつ制圧の方法を工夫してきた。
26日(木)は終日海上行動に参加。機動隊員に突かれた左胸が午後からまた痛み出した。27日(金)・28日(土)。痛みで利き腕である左腕が使えない。カヌーはやめて集中行動に参加。
27日は写真のように、車両のまわりの警備員と機動隊員を車から離れて並ばせ座り込める場所をさらに狭くした。
排除が始まると同時に、向かい側の歩道にいたリーダーを大勢の機動隊員が取り囲んで拘束し「歩道監獄」に閉じ込める暴挙を行った。
工事当事者の防衛局職員は大型車両の後ろに隠れている。
「監獄」の中ではYさんの司会で整然と集会を行った。歌をうたい各地からの参加者が車両の前に並んで挨拶やアピールを行い交流を深めあった。
この日は9時・12時・3時にそれぞれ30分程度で排除され資材搬入を3度許した。初日に5時間半の交通渋滞を引き起こした機動隊は、隊員の人数を200名に増やし、少しずつ制圧の方法を工夫してきた。
もちろん参加者も前が排除されたらすぐに横から詰めたり、少なくなった側に移動したり、ゲートから離れた地点でダンプの動きを遅らせる行動をとったり、各自が工夫を凝らした。
だが機動隊も見せしめのように不当逮捕を行い弾圧の手を強めた。6日間連続の行動を成功させるためリーダーは極力不当な弾圧を招かぬよう繰り返し注意喚起をした。
憲法も法律も無視した「歩道監獄」をやめさせられない中で1時間以上の不当拘束中に起こる問題の解決もリーダーは精力的に動いてくれた。
結果、6日間で搬入された資材の量を大きく減らすことはできた。だが完全にストップさせることは叶わなかった。
結果、6日間で搬入された資材の量を大きく減らすことはできた。だが完全にストップさせることは叶わなかった。
28日の集会の最後。実行委員会の共同代表Gさん・Oさんはこの1週間500人以上集めることは成功した。しかし工事を完全に止めることはできなかった。そこは残念だったと挨拶された。自分もそう感じた。これからも集中行動を行うこと、市民の力で工事をストップさせることが提案された。
はじめに声を上げてこの運動を立ち上げた方々。全県全国に呼びかけ運動の輪を広げた方々。大変な準備をして6日間の集中行動が成功するように動いた方々。本当にありがとう。感謝します。
今回の取り組みで、新基地建設に心痛める全国の多くの人々が、呼びかけに応えて今も結集することが確かめられた。
その数の力をどう活かせば、機動隊の組織的な排除の力を上回ることができるか。参加者のアンケートもとられた。次の集中行動に活かせるアイデアが出てきてほしい。自分も今回の行動を振り返り次に生かしたい。
2月の市長選での稲嶺市長のまさかの敗北。沈みがちと聞いていた運動や人々の気持ちを今回の集中行動は大きく励ましたのではないかと思う。