けいはんのはざまにて

心にうつりゆくあれこれについて忘れぬうちに書きとめよう

2020年3月の沖縄訪問(19日・20日)

2020-03-26 13:09:43 | 沖縄
 3月19日(木)。雨。雷注意報も出て海上行動は中止。

 海上行動のテントの猫たち。

 キャンプ・シュワブ正面ゲート。Yナンバー(米軍関係の車)に抗議。通勤の車はアピール。今日は1日ゲート前で活動した。

 8時30分、ゲート前に向かう。聞き慣れた歌声。川口真由美さんだ。明日・明後日、コロナウイルスの影響で予定した形とは違うが、宜野湾市と読谷村で右田さんと一緒にライブを行うそうだ。

 今日も9時・12時・午後3時に工事車両の搬入があった。 本来、集中行動日の木曜日。コロナのためそれも現在休止中。だが各地の「島ぐるみ」に参加する人たちは朝から続々とゲート前にやって来た。

 工事車両を迎えに行くパトカーがゲートを出ていく。それを合図にテント下で集会をしていた参加者は工事用ゲートの前に向かう。自分で椅子を出し座り込みを始める。

 集会が始まり、あいさつや報告・歌・シュプレヒコールをしていると、やがて機動隊が出てくる。今日の2回目、3回目は機動隊の隊長が出てきてからが長かった。

 歌いまくるKさん。

 Kさんが前に出てウチナーグチを交えた唄を歌った。防衛局や政府をやっつけ子や孫のために頑張ろうという内容の楽しい替え歌を次々と元気一杯に歌って下さった。

  川口さんもいつものパワフルな歌声で何曲も歌ってみんなを元気付けてくれた。

 座り込む川口さん。

 カチャーシーを踊る人々。
 歌が終わるとすぐにカチャーシーの曲が流れ始めた。「またやるのか!」と嬉しかった。前回来た12月、初めてカチャーシーによる抗議活動を体験した。県民の方の柔軟で素敵なアイデアに感心した。座り込んでいた人々が次々と立ち上がって踊りだす。6、7分間も踊り続けると結構くたびれる。しかし、とにかく楽しい。機動隊を前にみんなが笑顔で抗議活動できるなんて最高である。機動隊の隊長も苦笑いしながら見ている。搬入はいつもより10分以上は遅れたと思う。

 今日はゲートでなく国道を行く一般車の方を見て踊った。雨の中、米軍基地の前でカチャーシーを踊りまくる自分たちはどう見えるのだろう。

 あっけにとられる人、あきれ顔の人、笑いながら拍手する人、手を振ってくれる人。それぞれ色々で、見ていて楽しかった。

 テントやゲート前で聞いた話も勉強になった。北谷(ちゃたん)浄水場のピーフォス(PFOS  有害な有機フッ素化合物)汚染の問題。汚染源は米軍の嘉手納基地で使われている消火薬剤と推定される。

 米軍の調査結果を外務省は受け取っているが「米軍が認めないので公表できない」と言っているそうだ。むろん米軍は地元自治体が求めている立ち入り調査も拒否している。「日米地位協定」を楯にしたあまりに酷い人権侵害だと思う。
 また日本になかった水道水中のピーフォスの基準値を、根拠も示さずに決めた。その結果、汚染水の数値が基準値以下になったという。

  さらに、水道水から体内に取り込まれるピーフォスは一部分であり、食物や大気から取り込まれる方が多いそうだ。だからこれは北谷浄水場の水に頼っている地域だけの問題ではないことも指摘された。この問題はさらに勉強して多くの人に知らせなければと思った。

 3回目の座り込みでは催促されて、連れ合いと二人、皆さんの前で挨拶をさせてもらうことになった。とても恥ずかった。

 3月20日(金)。今日は祝日(春分の日)ですべての工事がなかった。

 今日帰阪するが、最終便の飛行機なので、午前中は海上行動に参加するつもりだった。工事がなくて何よりだがいい天気だったのでカヌーに乗りたかった。
ゆっくり荷物の準備をしてから連れ合いと辺野古の街を散歩した。
 坂道の多い辺野古の街。
 美容院の前に咲いていたベゴニアの花。

 雑草に美しい花が咲いていた。
 もうすぐ完成する公園。

 辺野古川を渡った高台。「辺野古平和之塔」。戦没者の芳名碑である。
 ここにはもう造られないと思うが作業ヤード予定地。
 辺野古ぬ浜。貝殻を拾って歩いた。
 宿に戻る途中、山裾に生えていたクワの葉を取ってきた。ヤギが好きな葉。夏子(写真のヤギ)にプレゼントした。先日「学びの森」近くの道端で「ヤギに食べさせる」アカメガシワを採取している人がいた。今度はアカメガシワを見つけて夏子に食べさせたい。

 まだ十分時間があったので高速バスでなく路線バス(77番)で那覇まで行くことにした。

 車窓から見える金武ダム。

 海勢頭豊の名曲「喜瀬武原」のバス停。
 金武町にあるキャンプ・ハンセンのゲートの一つ。
 ゲート前の店。

 沖縄市コザ。
 うるま市のキャンプ・コートニーだったと思う。

 比嘉西原。道路のこちら側にイオン・ライカムがある。



 キャンプ・キンザ―

 沖縄では地名と同じ苗字が多い。

 知っていないと読めない地名。苗字にもある。

 やっと県庁前に到着。
 77番のバスは、名護バスターミナルから辺野古、宜野座、金武、うるま、宜野湾、浦添、那覇バスターミナルまで、146もの停留所がある。辺野古からは2時間半~3時間かかる長旅だった。途中下車して歩いてみたい所がいくつもあった。

 また5月か6月にやって来る予定だ。

2020年3月の沖縄訪問(17日・18日)

2020-03-26 10:58:08 | 沖縄

 3月17日(火)晴れ。風も弱い。
 予定通り今日は全員で安和桟橋に向かった。

 桟橋にいる大型運搬船。

 浜にカヌーを運び、出漕の準備をする。

 後方でダンプの土をユンボがコンベアに載せている。桟橋の運搬船は4000トン以上も積める大型船。出航まで時間があるので準備した後、桟橋出口の抗議活動を手伝いに行った。

 出口の前をゆっくり横断して抗議する。

 素早く動き回って一時停止を長引かせる仲間。

 初め機動隊員は一人。参加者が増え、素早く動き回る仲間も来た。これはかなわんと隊員はあわてて応援を呼んだ。30分だけの参加だったが役にたてたと思う。

 桟橋を来た土砂は最後にこのコンベアで船に落とされる。

 桟橋の向こうに運搬船の操舵室が見える。積載量4250トンの文字。10トンダンプ425台分の赤土が積めるということだ。

 時間がきたので全員で運搬船に向かって出漕した。海上保安官の安全を考えて、運搬船の側面に行くことは避けている。船首・船尾部分の桟橋の下に行き、桟橋から垂れ下がっているネット(抗議活動のカヌーが近づかないために設置されている)に取り付く。

 出航までの時間に余裕があり十分準備できた。ネット近くにいたメンバーがすべて桟橋の下から外に出され、フリーにカヌーを漕いでいたメンバーも確保されて運搬船が出ていくまでに1時間30分かかった。

 入れ替わりで入った運搬船が接岸する。

 海保のGBに浜近くまで運ばれる。
 上陸した時には午後1時を回っていた。お昼を食べ差し入れのアンダーギーを頂いてから、再度桟橋出入口の手伝いに行った。

 桟橋の入り口。左折して入るダンプに抗議して座り込む。

 座り込む人を排除する県警機動隊。

 入り口に左折して入ろうと列を作るダンプ。
 桟橋入口では左折車の進入に座り込みで抗議したが、すぐに機動隊の排除が入った。出口では参加人数が増えて、中の作業ヤードにダンプがたまってきた。

 出口付近。ゆっくり歩いて抗議する。

 ダンプの列ができる。

  列が長くなってきた。

 出口前を横断できないように立ち並ぶ機動隊員。

 すると機動隊員が集団でやって来て、隊長が「横断禁止措置!」と宣言し、中のダンプがある程度さばけるまで我々が横断できないように封鎖した。
 午後3時、カヌーを車に積み込み安和を後にした。入口の前を通る時、抗議活動しているみなさんが「カヌーチーム、ありがとう!」と盛大に手を振って見送って下さった。照れくさかったが、嬉しかった。

  3月18日(水)曇り。
 今日も安和桟橋での海上行動。カヌーメンバーは14名。参加者が多いとカヌーは1回で運べない。ピストン輸送が必要。その分、準備・片付けに時間がかかる。しかし仲間が多いとやはり元気がでる。

 桟橋には栄雄丸という大きな運搬船が着岸していた。しかしいつもはとっくに始まっているはずの土砂の積み込み作業がまだ始まっていない。

 結局、ダンプとユンボは9時過ぎまで動かなかった。

 土砂の積み込み作業がやっと始まった。栄雄丸は土砂の積み込みに4時間以上かかる。よって出航予定時間は午後1時頃になる。カヌーの出艇準備を終えた後、今日も桟橋出口の抗議活動を手伝いに行った。

 出口前を「ゆっくり横断」して抗議する。

 国道の交通量が増えてきた。

 左折待ちのダンプが停車するため混雑する。

 仲間のダンプを道路に入れてやろうとして不規則停止するダンプ。後続の一般車は急停止したり、右折して追い越そうとする。危険である。
 帰りもカヌーのピストン輸送を待つ間「ゆっくり横断」の手伝いをした。美ら海水族館の休館措置が終わり、国道の交通量が増えてきた。今日は「ゴーゴードライブ」による抗議活動もある。 出口の「ゆっくり横断」・国道の「ゆっくり走行」・観光客のレンタカーの車列、がうまく組み合わさって、出て行くダンプを効果的に食い止めることができていた。

 昼食を取ってやっと12時前に出漕。停滞する前線の影響で南からの風が強くなった。しだいに波が高くなっていった。

 桟橋の下。抗議船のゴムボート。

 とても大きな運搬船、栄雄丸の船主部分。
 波が強くなってきた。

 まだクレーンを動かし土砂の積み込みをしている。

 GBで浜に戻されるときに見えた、次の運搬船。
 桟橋に取り付くメンバー、自由漕行のメンバーに分かれて抗議活動を行い、今日も出航を1時間以上遅らせることができたと思う。

2020年3月の沖縄訪問(16日)

2020-03-26 05:31:13 | 沖縄
 3月16日(月)。晴れたが波風ともに強かった。

 辺野古ぬ浜は、穏やかなカヌー日和に見えた。しかし自漕でK4護岸の端(写真の護岸の右先端)辺りまで来ると、急に風が強くなった。乗り込む抗議船が来ないので、そのままK4護岸に沿って風に逆らいながらカヌーを漕いだ。日頃のトレーニング不足のため、台船の桟橋代わりに使われるK8護岸まで漕ぐのは中々大変だった。

 テトラポッドの向こうにK8護岸が見える。ユンボが作業中。苦労して到着したが、台船の入れ替え作業には間に合わなかった。 K 4護岸角から抗議船に乗れていたらと少し残念だった。

 長島の間を抜けて大浦湾に入る。

 海は今日も辺野古ブルーに輝く。

 いつも沖に待機している大型巡視船。
 大浦湾に入り、オイルフェンスとフロートによって大きく迂回させられながら一番奥のK9護岸に向かった。

 辺野古で一番始めに工事がスタートした場所がこのK9護岸。2017年4月25日。カヌーによる抗議活動に参加して間もなくのこと。この護岸予定地の海岸で工事開始の式典が行われた。砕石を入れた大きな網袋がクレーに吊り下げられ初めて大浦湾に落とされた。自分のすぐ目の前。大勢の海保や警備員に取り囲まれて。新聞は「辺野古の埋め立て作業開始」と書き立てた。あれからもうすぐ3年。まだ工事を止められない。大変悔しく腹立たしく残念である。

 着岸中の台船にはまだ沢山の赤土があった。近くの「海ガメ産卵場整備」作業を監視に行った。今日はカヌーに乗り換え接近して様子を見た。

 「海ガメが上陸しやすいように浜辺を広げる」という理由で、打ち上げられた流木やゴミを撤去することはまだ許せる。

 しかし浜を覆っていたグンバイヒルガオ等の植生をはがし、浜のそばに立っていた大きな樹木(モクマオウ?)を切り倒して台船をつなぐ杭にしていた。台船の上に沢山の樹木の幹を積み上げているので、他にも倒された樹木があると思う。これは自然環境の破壊ではないのか?
 追伸:帰阪してから撮影した写真をよく見てから気付いたことを知らせたい。

 9日の浜の写真。浜の中央付近(写真では左側)に背の高い樹木が10本近くたっている。

 同じく9日の写真。張り出した根が特徴的な樹木(モクマオウか?)が写っている。

 16日の写真。特徴ある根を持つ樹木がバッサリ切り倒され台船を係留する杭にされている。

 16日の写真。台船の後ろでわかりにくいが、浜の中央付近の樹木がすべてなくなっている。

 16日の写真。台船の上に切り倒された樹木の太い幹や枝や根が積まれている。

 これが「ウミガメ産卵場整備」の実態である。
 前にも書いたが、海ガメの産卵が多く観察されていた辺野古側とちがい、辺野古崎の大浦湾側は海ガメがほとんど観察されない。原因は色々あると思うが、思い浮かぶのは大浦湾は辺野古崎から急に深くなるので、海ガメがエサにする海藻を得られにくいのではないかと思う。

 「海ガメのために広い砂浜を用意しました!」と、環境に配慮したかのごとく見た目だけ取り繕う。そのために今ある大切な自然を破壊する。愚かな行為である。

 対岸の瀬嵩の浜で休憩して再度K9に戻った。

 かなり波風が強くなった。流されそうになりながらフロートの内側に入れそうな場所を探す。ここならと思うフロートとフロートの隙間にカヌーを押し込んだ。カヌーの片側がフロートに乗り上げてバランスを崩し、あえなく沈。風でカヌーが押し戻されなかなか艇を起こせず少し焦った。風上に移動してから艇を起こすべきだった。ようやく這い上がりカヌーの上にうつ伏せになって重心を低くし、フロートを後ろに押すようにして何とか中に入れた。そこから入ったのは二人だけで、他のメンバーは岸寄りの場所から入った。

 今日は台船の入れ替え作業にカヌーで近づけた者は誰もいなかった。




 しかし海上保安官にカヌーを確保されて漂っていることで、台船の入れ替え作業を3・40分間は遅らせることができた。

2020年3月の沖縄訪問(15日)

2020-03-25 18:02:27 | 沖縄
 3月15日(日)。やっと晴れた。
 今日は大宜味村にお住いのGさんのお宅を訪ねて農作業を手伝いたかったが、残念ながら日程が合わなかった。そこで久しぶりに高江のテントを訪問することにした。
 瀬嵩方向に車を走らせるのは久しぶりだ。 途中、オスプレイが墜落した近くの浜辺、ジュゴンの見える丘、慶佐次のヒルギ林、コーヒー農園、やんばる学びの森、等に寄り道した。

 嘉陽集落の浜。岬の向こうが安部集落のある浜。
岬の突端辺りに、3年前オスプレイが墜落した。

 浜にはキャンプをして楽しむ家族連れがいた。

 ジュゴンの見える丘。辺野古方面の眺め。

 アップすると、大浦湾のようすが見える。



 晴れた日のジュゴンの見える丘からの眺望は本当に素晴らしい。

 SUP(スタンドアップパドル)で遊ぶ集団がいた。

 ジュゴンの見える丘ではシャリンバイ(車輪梅)が咲いていた。バラ科の低木。本州では5月頃に開花する。

 慶佐次のマングローブのそばにある公園。

 カヌー体験施設があり、多くの人が準備運動していた。

 ヒルギ林内の遊歩道。

 ヒルギの支柱根。

 上方から下に向かって伸びる枝のようにして泥に刺さる。

 がくが赤いのでオヒルギの種子か。

 ヤエヤマヒルギの種子(胎生種子という)。下に落ちて泥に突き刺さり、芽を出し成長していく。

 まだ青いアダンの実。熟すとオレンジ色になる。

 コーヒー農園。

 濃厚なマンゴージュースとレアチーズケーキが美味しかった。連れ合いはグービー(グミ)ジュースとクリームブリュレ。

 独特な色と形の花。ヒスイカズラというそうだ。

 フィリピン原産らしい。

 やはり本州より2か月くらい早く咲くようだ。

 農園の日向ぼっこしていたネコ。

 やんばる学びの森の築山の上。

 やんばるの森の木々は、新緑の黄緑色が鮮やか。

 学習施設、宿泊施設のある立派な施設だ。



 ビジターセンターにあるハブのアルコール漬け。

 リュウキュウイノシシの頭骨。切歯・犬歯・小臼歯・大臼歯のようすがよくわかる。

 築山の芝に生えるナンゴクネジバナ。ランの仲間。
 ポインセチアが大きく育っていた。
 施設にはいい感じのオートキャンプ場や遊具、入浴施設もあった。今回初めて訪ねた学びの森。270度(残り90度は太平洋の方向)広がるやんばるの森の眺めは雄大で素晴らしかった。機会があればぜひ訪問して下さい。

 高江に到着。今はこのテントだけ。

 テントにはどなたもおられなかった。

 ゲート前には警備員が一人立っていた。ヘリパッド(オスプレイパッド)や軍用道路の補修工事の時は常時10数名の警備員がいる。今はノグチゲラの営巣・子育ての季節(3~6月)なのでこの状態なのだろう。

 帰路は東村の平良から大宜味村の畑作地を通り、津波に抜けて名護に入り辺野古へ戻った。
 途中、天ぷらと蕎麦が美味しいと教えてもらった店(「江洲の花」)に寄ったが満員で入れなかった。とても残念だった。人家がめったにない地域だが予約が必要な人気店だった。

2020年3月の沖縄訪問(12日・13日・14日)

2020-03-25 16:26:29 | 沖縄
 3月12日(木)。曇り後小雨。
 打ち合わせの後、急ぎ準備して辺野古ぬ浜に向かう。土砂運搬船が大浦湾沖に来ていると連絡があったからだ。

 浜に出た。海は素晴らしく穏やか。カヌーを下ろし急いで出艇した。K 4護岸まで自漕し、そこから抗議船に乗船。長島の間を抜けて大浦湾へ。6隻の運搬船が1列に並びこちらに向かっている。

 運搬船が大浦湾に入るためには、普段締め切られているオイルフェンスを開けなければならない。その開口部近くまで来て抗議船を降りてカヌーに乗り込む。
 自分の班は目前まで迫って来た先頭の船と開口部の間を目指して全力疾漕。運搬船をオイルフェンス内に入れさせないためだ。1艇が粘ってかなり接近した。
 しかし結局すべてのカヌーがGB(海上保安官の乗っている船。形はゴムボートのようだが鋼鉄製) から飛び降りた海上保安官に確保されてしまった。









 カヌーから撮影した大浦湾のサンゴ。
 別の班は停泊中の台船に土砂運搬船が近づくのを止めるため、長島とオイルフェンスの隙間からフェンス内に突入した。抗議船がもう少し早く開口部に到着できてカヌーがスタンバイできていたら違った展開もあったかと少し残念に思った。

 カヌーをけん引して辺野古ぬ浜に向かうGB。

 小さな津波のように盛り上がる波。

 リーフの端で波は急に波高を高める。
 GBで大浦湾から辺野古ぬ浜に戻される時とても怖い思いをした。このGBの乗組員は辺野古での経験が少ないのか、辺野古崎の先、長島・平島のリーフの端辺りを進んだ。リーフの端は、外洋に向かって急に深くなっている。外洋から来た波はリーフの端に当たると波高を急に高める。
 GBは横から大波を食らい、左右に大揺れした。転覆しそうだった。「スピードを上げて!」とカヌーメンバーに言われ、いつもわざとゆっくり進むGBの速さを2倍くらいに上げて何とかその場を脱出した。

 トイレを済ませ、抗議船に乗船して出発。大浦湾奥のK9護岸に向かった。

 護岸に着くと、接岸している台船の土砂は空になっていた。

 交代で次に接岸する台船はまだ運搬船から土砂を受け取っていた。

 抗議船を降りてカヌーをフロートに沿って走らせる。岸寄りと岸から離れた場所に分かれて待機した。自分は離れた所からフロート内に入ってスタンバイする。

 飛び出すカヌーを待っているGB。
 交代の台船の土砂の積み込みが終った。タグボートが空の台船を引いて離岸し始める。スタンバイしていた我々は一斉に台船を目指して飛び出した。

 カヌーを確保する保安官。
 自分は台船を引くタグボートの近くまで行くことができた。しかし動きを止めることはできなかった。



 台船に山盛りの赤土。この赤土が辺野古の海を埋め立てる。
 K8・K9とも、次の台船の入れ替えまで長い時間がかかるので、今日の海上行動はこれで終了となった。 今日はほとんど日が照ることがなく寒くて大変だった。

 キャンプ・シュワブの工事用ゲート入場を待つコンクリート・ミキサー車。

 座り込んで抗議する県民と排除のため前に立つ機動隊。

 強制排除が始まった。
 宿に戻りシャワー・洗濯・食事を終えてゲート前に向かった。
 3回目の座り込みに間に合った。歌、シュプレヒコールの後、みんなでカチャーシーを踊った。結構長く踊った。体力がいるが楽しく踊れた。機動隊は踊りが終わるまで待っていた。いつもより少し排除されるまでの時間を稼げた。

 今日でゲート前座り込み2076日目。
 追伸。辺野古の街の上空で、今日で3日連続、2機か4機の軍用ヘリによる夜間低空飛行訓練が強行されている。一昨日は夜9時半まで。大きく旋回しながら、ちょうど自分の泊っている宿の真上を繰り返し飛ぶ。その爆音の酷さ。本当に許しがたい。

 3月13日(金)。夜半からの雨で海上行動はなくなった。同宿のメンバーで安和桟橋に向かった。

 はじめに桟橋出口をゆっくり横断し、出ていくダンプの台数を減らした。

 しだいに参加者も増え、それぞれが渡り始めるタイミングを阿吽の呼吸でずらし、ダンプをストップさせる時間が長くなっていった。



  中の作業ヤードでは出口待ちのダンプの車列がどんどん長くなってきた。
 ちょうどその時、リーダーのYさんが来て「今日は入口に左折して入るダンプをぜひ止めたいので、全員入口に集まってほしい」と言われた。少し残念だったが、みんなで入口に向かった。

 その後は、入口にいる皆さんと一緒に午後3時半まで行動した。ゲートに入るダンプの数を1台でも減らせるように努力した。

 本部方向から右折して入るダンプの車列が長くなっているわけでもないのに、わざわざ名護方向に遠回りし戻って来て左折して入ろうとするダンプが多くあった。それも何台も連なってやって来る。

 いつも右折車を意識して抗議活動をしている私達にとって、左折車は大変危険である。ダンプが私達や機動隊員を巻き込む事故。ダンプの後続車の追突や渋滞。後続車が右に車線変更しようとして起きる事故。等々。

 左折車が来る度にダンプのそばに集まって抗議を続けた。しかしその度に大勢の機動隊員がやって来て、私達は歩道に押しやられた。残念ながら左折車の進入を止めることはできなかった。大変悔しい思いをした。

 お昼は近くの食堂で食べた。

 左折車が多く入り、作業ヤードに赤土が貯められていく。

 3月14日(土)。朝方は小雨が降り、寒い1日だった。

 海上行動は抗議船(乗船希望者)のみとなった。ゲート前も、安和・塩川も今日は作業がなかった。 自分は宿の物販コーナーで手に入れた本(「ヤンバルの深き森と海より」目取真 俊 2020年 影書房)を途中まで読んだ。2006年から2019年に新聞・雑誌に発表された著者の評論集。沖縄・辺野古・高江・日本を考える良書。ぜひご一読を。

 午後4時から、海上行動のメンバーで街頭宣伝を行った。

 名護の繁華街、名護十字路。夜は飲み屋で賑わいもあるが昼はほとんど人通りがない。メンバーが交代で訴えたり、踊りでパフォーマンスしたり、横断幕を持って手を振ったり、抗議船の乗船案内のチラシを配ったりした。

 自分はチラシを配った。数は少なかったが、手渡すと、年齢に関係なくほとんどの人が受け取り話に応じて下さった。それがとても嬉しかった。