話の聴き方(傾聴)教室 傾聴ハピネス

傾聴ハピネスは「聴くこと」(傾聴)の大切さ・素晴しさを皆様に発信していきます。聴き方が変われば生き方が変わります。

我慢も限界だった

2019-01-29 | 日記
金曜日の午後、仕事が終わったころから何となく奥歯がうずくようになり、土曜日の朝にはかみ合わせができないほどの痛みになりました

風邪気味?疲れ?で歯茎に熱を持ったのだろうと痛み止めを飲んだりしましたが、一向に改善しません。
むしろ、どんどん腫れていっている感じです。
触ってみると歯茎だけでなくあごの骨のあたりも硬くなって痛い。
それでも、一晩寝れば収まると自分をごまかし都合よく考えていました。

しかし、日曜日の朝はさらに腫れがひどくなり、もう、どの歯が痛いのかもわからないくらいの痛み。
耳も痛くなってきました。
なのに、脳は冷めていて、自分の痛みと感じていません。
なんなんだ、この分離している感じは

これまであまり歯を大事にしていなかった天罰が下ったように、50歳を過ぎて一気に歯にガタが来ました。
しゃべることが仕事なので、歯が悪くなるとかなりの悪影響が出ることを身をもって学び、深く深ーく反省し、最近はメンテナンスにも気をつけていますがそれでも今回はアウト!でした。

日曜日の夜はほとんど寝れませんでした。
ああこの感じ、小学生のころ歯が痛くて泣きながら一晩過ごしたことを思い出しました。


月曜日に仕事をし、夕方かかりつけの歯医者さんに緊急で駆け込みました。
それから1時間、ブリッジをガーガー削って金属をガリガリはがし、歯茎の膿をグリグリほじくって・・・・
痛すぎて、声も涙も出ませんでした。
もしかすると気絶するかも・・・なんて思いながら。

先生の「こりゃあ痛かったべ。もっと早く来ればよかったのに」という一言で、ずいぶん我慢してたんだなあとやっと我に返りました。
その後は、お薬をいただきすこしづつ痛みは取れ、今日は腫れがまだ残るくらいになり、元気を取り戻しました。

歯に限らず、我慢をするということはある意味自分の気持ちを大切にしていないこと。
自分が感じる以上に、自分へのダメージは大きいものです。
限界が来るまでほおっておいたりごまかしたりせず、早めに向き合って自分を大事にすることが大切だと、今回の歯痛で学びました






「あなたのためよ」という嘘

2019-01-27 | 日記
「あなたのためよ」というのは、実はその言葉を発したその人自身の感情の吐露である。

言われた方も、言った方も実はそのことに気付いていないことが多い。

もしかしたら、言われた方は気づいている・感じ取っていることは案外ある。

例えば、「あなたのためよ」と親から言われた子供が、「あなたのためじゃなくて自分のためでしょ!」と親に言い返す場面は、まさに言われた方が気づいている状況だ。

相手は何も心配していない・困っていない場面であっても、自分が不安になったり心配をしたりすると、不安感情を相手に吐き出すことがたくさんある。

相手にしてみれば、不安な気持ちを投げかけられて思ってもいなかった不安感情に巻き込まれていくことになる。

甚だ迷惑である。

あなたのためでも何でもない。

むしろその言葉で前向きな気持ちを邪魔される・ブレーキを掛けられることになる。

「あなたのためよ」という前に、自分にどんな気持ちがあって言いたくなるのか自己理解してほしい。

今年も「桜」が来た

2019-01-24 | 日記
我が家のトイレットペーパーは、エリエールの花のプリント入りです。
殺風景なトイレが、このトイレットペーパーのお花模様とほんのり甘い香りで、ちょっとだけかわいい空間になります。

そして、いよいよ、今年もやってきました。
毎年楽しみにしていたあの「桜の花プリント」バージョンがお店に並びました。
早速、購入しました。
この時期しか買えないので、思い切って12個入を2つ

いつもの花模様もかわいいのですが、なんといっても桜は別格の趣があります。
トイレに入っているのに、桜を見られるなんて
このプリントを見ているだけでも、もうすぐ春なんだなあ~と気分はウキウキしてきます。

エリエールさん、毎年ありがとうございます。
どうかこの粋な計らいをずっと続けてくださいませ

実は、5月ごろはカーネーションバージョンもあるのですよ
レアものなので、見つけたときはぜひともゲットしてくださいね

1+1=1

2019-01-23 | 日記
相田みつをさんの「奪い合えば足らぬ わけ合えばあまる」という言葉があります。

読んで字のごとくの意味ですね。
いつも相田さんの言葉には、ハッとさせられ心が立ち止まります。
自分のことだけでなく他人のことも思いやる心を忘れないでいたいと思います。

意味は違いますが、私が最近感じていることを相田さんふうに表現すると
「責め合えば辛し 補いあえば楽し」
です。

我が家では、私の苦手な食べものは「お豆腐」で、大好きなものは「玉子」です。
しかし、夫の大好きなものは「お豆腐」で、苦手なものは「玉子」なのです。
なんとまあ、見事に真逆です

遠い昔のお互い若かりし頃は、「なんで豆腐⁈」「なんで玉子⁈」とお互いの不満を顔に出して言葉に出して険悪なムードになることもありました。

しかし、時がたちいつの間にか歩み寄りと補い合うことができるようになりました。

お互いに苦手なものはちょっとづつでも食べるとか、相手に食べてもらうとかします。
言葉に出して「嫌い、どこが美味しの?」とか言われると嫌ですが、黙っていれば好きな方がどんどん食べて無くなります。

嫌いな人は食べなくて済むし、好きな人はたくさん食べれてうれしい

お互いの足りない部分を補えばどちらも幸せ。

昔の職場の飲み会などでも、私はお酒が飲めないので上司が継いでくれたお酒を、お酒の強い同僚が変わりに飲んでくれました。
その代わり、訪問先でお汁粉をごちそうになったとき、甘いものが苦手な同僚の分まで私が食べたり

1+1=1でうまくいくこともたくさんあると思います。

ダメなところを見つけて相手を責めるより、お互いのいいところを見つけて楽しく過ごす方がきっと心は穏やかで笑顔になると思います。
簡単にできることではないけれど、そうするかしないかは自分次第

聴けるはずの人こそ聴かない

2019-01-15 | 日記
「聴くこと」を学んで実践している人なのに、聴かないのはなぜなんだろう。

普段聴いていることへの反動なのだろうか。

聴く耳を持っているはずなのに、こちらの話しをよく聴かず自分の意見を喋りまくる人はとても多いと感じている。

当然、論点もずれてくる。

思わず、「ちゃんと聞いてる?」「わかってる?」と言いたくなる。
無意味なやり取りに疲弊する。

しかし、私にも思い当たる。
心のスイッチが入ってしまうと、自分の意見を力説していることにはたと気付いて愕然とする経験を何度もしている。

だからこそ傾聴は永遠の学びなのだろう。
常に自分の姿を振り返り、反省し、今度こそ!と肝に銘じることの繰り返しだ。

しゃべりまくっている時の主語は間違いなく「私は」である。

相手に寄り添うときの主語は「あなたは」である。