今朝の朝日新聞の「折々のことば」に、阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子さんのことばと解説が書いてあり、フムフムと読んで納得でした。
日常の中に、「のに」がつくことは多い。
「してあげたのに」「私だったら○○するのに」
相田みつをさんも書いていますね。
「のに」がつくと愚痴が出ると。
「のに」は明らかに相手はの不満が現れた「YOUメッセージ」なんですね。
「○○なのに、どうしてあなたは△△なの?」
っていう気持ちのことばが隠れています。
この「のに」と思うことは否定せず、どうしてそう思うのか、Iメッセージ(私は)にするとどういう文章になるのかを考えてみると、自分の感情がわかります。
「のに」のままだと、怒りの感情だと思ってしまいますから、自分の根底にある感情や思考のくせに気付くことが棚上げになってしまいます。
江里子さんは、美穂さんが自分の分だけシチューをよそってきて食べていることに、「私だったら2人分持ってくるのに」と思ったそうです。
でも、それはして当たり前のことではなく、サービスなのだと思ったら落ち着いたと書いています。
相手の分もよそって持ってくるのはサービスしてくれていること、もしくは頼まれていないけど私が勝手にサービスしてあげていること。
そんな解釈なのでしょうか。
江里子さんの「のに」を先ほどのIメッセージに変換すれば、「美穂さん、私もシチューが食べたいから持ってきてほしい」になるかな。
ここには「持ってきてほしい」よりも「私も食べたい」の感情が土台にあるのでしょうね。
タイトルから逸れてしまいましたが、「してくれて当たり前」を「してくれなくても当然なのにしてくれているんだ。ありがとう」と変換すると、腹も立たなくなるわけで。
この変換が上手にできるようになると、怒りや自己否定が減って、平常心を保つことにつながっていきます。
ちなみに、私は夫のやり方でお風呂掃除をしていますが、面倒くさがりの私には結構な作業です。
しかし、「変換」すると、「風呂掃除ってこんなに体を動かすんだからエクササイズやわ」と思ってやるようになったら、苦にならなくなりました
おしまい。