川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

在日コリアンの日本国籍はなぜ「剥奪」されたか

2008-11-12 07:04:00 | 在日コリアン
 前に「在日特権」をなのる方のコメント(1月26日のブログをご覧ください)がありました。この人たちの主張を読んでいただいたことと思います。遅まきながら僕の意見です。今回は「国籍剥奪」について。

 彼らの主張。

 1952年の在日コリアンの国籍離脱は日韓両政府の合意に基づくもので当時民族団体の反対もなかった。むしろ独立国家の公民であるとしてこれを歓迎し、やりたい放題をやった。在日コリアンはこの時から韓国または朝鮮の国籍となったから社会保障の権利も参政権も祖国にある。国民年金だの地方参政権だのを日本社会や政府に求めるのは理不尽な在日特権のさらなる要求で許すことが出来ない。


 ①日韓両政府間の合意は「?」  
 
 僕は自分で原資料に当たり研究したわけではありませんが友人知人先学などの研究を読んだ限りではそのような合意があった気配はありません。大韓民国政府が樹立されたのが1948年で50年からは朝鮮戦争中です。もちろん、日韓に外交関係はありません。正式な会談や合意の記録はありません。非公式な合意があったというならその根拠を示すべきです。
 その後の日韓会談で韓国側は在日コリアンの日本国籍選択権を認めるよう主張したことがあります。(民団などの反対を意識して強く交渉したとはいえませんが。)これを考えると韓国政府が51・2年頃、在日コリアンの日本国籍離脱に合意したという主張には無理があるとおもわれます。

 ②民族団体は反対しなかった。

 この頃の在日コリアンの団体で強力だったのは「民戦」(在日朝鮮民主戦線)という組織です。この組織は北朝鮮政府を支持し、日本共産党と一体になって反米反政府闘争に全力を注ぎました。韓国政府を支持する民団(在日大韓民国民団)は義勇軍を組織して祖国の戦争に参加しました。韓国が存亡の危機にあったのです。両団体はいずれもそれぞれの立場から祖国統一戦争の当事者となり、日本国内でも激しく対立しました。
 彼らが日本政府の国籍剥奪に反対するどころか、独立した韓国または朝鮮の国民として行動したことは明らかです。仮に日本政府の措置に反対し、国籍選択権を主張する運動が起こったとしたら両団体によってたたきつぶされたことでしょう。そのような人は「民族の裏切り」「非国民」という断罪を免れることは出来なかったとおもわれます。

 ③だからといって「剥奪」は正当化出来ない。

 仮に韓国政府が合意していたとしても在日コリアンが保持していた日本国籍を本人の意志に反して取り上げることは出来ません。それは日本国憲法はもちろん、国際条約で普遍的に認められた個人の権利なのです。現代の国民国家では国籍と市民権は分かちがたく結びついており、如何なる権力と雖も個人の意志に反し剥奪することは出来ません。
 当時65万人といわれた在日コリアンの内たとえ一人でも日本国籍を維持したい人がいたとしたら政府はその権利を保障しなければならないのです。

 植民地支配が終わってまだ5・6年の当時でも既に日本に生活の基盤を築き、この地で生きる道を選択していた人は決して少なくはありません。日本生まれの人も多く自分は外国人だなどと考えたこともない人もいます。それらの人々にとって故郷は日本にあり、朝鮮半島にあるのは先祖の墳墓だけだったのかも知れないのです。
 日本政府が在日コリアンの内、公務員であった人の即日帰化(1952年4月28日。国籍剥奪の日に無条件に帰化を認める)を認めたのもそうした現実の反映です。
 また、52年以後、民族団体などの「民族の裏切り!もの」などという攻撃を受けながら日本への帰化を申請した人の数は決して少ないとはいえないはずです。日本政府が厳しい帰化条件を付け、これらの人の願いをはねつける姿勢をとり続けたにもかかわらずです。国籍選択の機会が保障されていたら事態は余程変わっていただろうと思われます。
 庶民が生きるとはそういうものです。住み着いたところで営々と生活の基盤をつくる他はありません。国家や有力団体に翻弄されるのはごめんです。せっかく住み着いた日本の地で日本国民として生きるのがなぜ「民族の裏切り」でしょう。だとしたら「民族」などくそ食らえと僕だったら思ったのかも知れません。日本政府がこれらの人々の国籍選択の権利を奪ってしまったことは如何なる理由をあげつらおうと正当化できるものではありません。

 ④「同化か追放か」

 吉田茂首相の日本政府にとって(おそらくはGHQにとっても)在日コリアンは最大の厄介者集団にみえました。朝鮮戦争の勃発以来は朝鮮半島の社会主義的統一(「赤化」)におびえました。このとき日本共産党と一体になって反米反政府のゲリラ闘争に踏み切ったコリアン左派の力は政権の足下を揺るがせるものとしてなんとしても弾圧しなければならないと認識したのでしょう。
 国籍剥奪は「同化か追放か」を迫る在日コリアン政策にとって不可欠だったのです。同化とは何があってもおとなしく従うことです。追放とは国籍を持つ国に送り返すことです。これ以後かなり長期に亘って日本政府の在日コリアン政策はこれで一貫しました。50年代末にはじまる在日コリアンの「北朝鮮帰還」の悲劇もその帰結といえるでしょう。
 
 日本政府は朝鮮半島の二つの政府の応援団になった二つの民族団体の存在を奇貨として在日コリアンから市民権としての国籍を剥奪した。これは正義と人道はもとより日本国憲法と国際法に反する蛮行であった。僕はこう考えています。

 <追加>在日コリアンとは日本の植民地であった朝鮮半島から日本に渡航してきた人々およびその子孫で現在、韓国または朝鮮籍を持つ人のことを言う。これらの人々はサンフランシスコ条約によって日本が連合国から独立する日まで日本国籍をもっていた。日本政府はこの日(1952・4・28)一片の法務府通達によって全員の国籍を剥奪した。一人一人の国籍選択権を認めないばかりか、これほどのことを法律でなく通達ですますという考えられない措置であった。
 外国人とされた在日コリアンは参政権はもとより、社会保障を受ける権利などを失い、いっそう社会的差別にさらされることになった。
 ちなみにドイツ在住のオーストリア人にはオーストリア独立後、引き続きドイツ国籍を維持するかオーストリア国籍を取得するかの選択権が付与された。

 

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2 コメント

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日本韓国両政府の合意の下で。 (A)
2009-08-24 21:39:34
■朝鮮人の日本国籍喪失をめぐる・・・補足
http://www.tamanegiya.com/tousenjinnnouso18.1.1-.html

http://www.tamanegiya.com/ura.html

この方のHPの記述は、在日三世で帰化済みの浅川晃広名古屋大学専任講師が「正論」2005年8月号に掲載された論文を基にされています。『』内が引用部分です。

中でも注目すべきなのは、『「講和発効時に日本国籍喪失在留朝鮮人」と題する、昭和二十六(一九五一)年十二月二十三日の「朝日新聞」記事』で、そこには『「在日朝鮮人の国籍問題に関する日韓会談は、国籍、永住権、日本における待遇、引揚げの際携行する荷物と本国送金などの点に就いて原則的に意見の一致」を見、「終戦前から日本に引続き在留する朝鮮人は対日講和条約発効と同時に日本国籍を失う」ことなどで韓国政府と日本政府は合意している。』とあり、1952年4月の「通達」の5ヶ月前に、「国籍喪失」が日韓政府双方によって合意されていることがわかる。

また、この方のHPは、10月20日からの日韓会談直前の『昭和二十六年十月十一日の「在日朝鮮人に韓国々籍」という朝日新聞の記事の存在がある。これは「韓国政府は十日の閣議で在日朝鮮人に韓国の国籍を与え、その人権および財産に保護を与える事に決定した」と報じただけの記事』の存在も私たちに教えてくれる。『もし韓国政府が日本政府と交渉して、在日朝鮮人に国籍選択権を付与する意志があるのなら、こうした決定はそもそもありえない。それゆえに、日本国籍喪失については、韓国政府も強い意志を有していたことは明白である。』

1951年の日韓会談直前の韓国側のこの『意思』を考慮した決定が、会談で行われたと考えるのが自然だ。この時点で日本側にこの韓国側の意思に逆らってまでかねてからの日本側の意思であった国籍選択権を在日朝鮮人に与えられただろうか。無理だろうな、と思う。

では、日本に在留していた朝鮮人は45年以降、この52年4月の日本国籍喪失まで、国籍選択権を求めただろうか。そんな資料を、私は知らない。

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資料 (A)
2009-08-28 11:43:32
(資料)「正論」05/8月号 名古屋大専任講師 浅川晃広

 戦後六十年を経過しても、「在日は日本政府に一方的に日本国籍を剥奪された」という神話はいまだに生き続けている。

 それは「在日は強制連行の犠牲者」という主張と同様、一部の「在日」とその同調者による、かねてからの特権要求の論拠でもある。近年、「強制連行論」が如何に嘘であったか明らかになってきたが、もうひとつの「国籍剥奪論」も、完全なフィクションであったことは指摘されなければならない。(282頁)

 本稿ではこのフィクションとしての「在日・国籍剥奪論」の問題性と欺瞞性について、その最も代表的論客である大沼保昭・東京大学教授の大部の著書『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂、平成十六年、以下「国籍と人権」)を中心的題材として取り上げる形で、明らかにしてみたい。(282~283頁)

 大沼は(国籍変更が)…韓国との合意すらなく、日本政府の一方的措置であったことを強調している。

 しかし、この指摘は、「講和発効時に日本国籍喪失 在留朝鮮人」と題する、昭和二十六(一九五一)年十二月二十三日の『朝日新聞』記事の存在により早くも否定されてしまう。同記事によれば、「在日朝鮮人の国籍問題に関する日韓会談は、国籍、永住権、日本における待遇、引揚げの際携行する荷物と本国送金などの点に就いて原則的に意見の一致」を見、「終戦前から日本に引続き在留する朝鮮人は対日講和条約発効と同時に日本国籍を失う」ことなどで韓国政府と日本政府は合意している。国籍喪失の「通達」は昭和二十七年四月に出されているが、この「通達」は、すでに数ヶ月前の韓国政府との合意を反映させたものにすぎなかったのである。

 これだけでは、「日本政府が強要した」などという批判の可能性も否定できないのだが、これも昭和二十六年十月十一日の「在日朝鮮人に韓国々籍」という朝日新聞の記事の存在がある。これは「韓国政府は十日の閣議で在日朝鮮人に韓国国籍の国籍を与え、その人権および財産に保護を与えることに決定した」と報じるだけの記事だが、まさしく韓国政府こそが一方的に韓国国籍を「押し付け」ているのである。

 これは十月二十日からの日本政府との会談が開始される直前で、もし韓国政府が日本政府と交渉して、在日朝鮮人に国籍選択権を付与する意志があるのなら、こうした決定はそもそもありえない。それゆえに、日本国籍喪失については、韓国政府も強い意志を有していたことは明白である。日本政府が独自の意志で国籍を喪失させた、という主張そのものが史実に反しているのだ。…

 にもかかわらず大沼は、「在日朝鮮人の意志にかかわりなく――在日朝鮮人の日本国籍を喪失」(国籍と人権)としており、他の論者も同様の主張を展開している。

 この「在日朝鮮人の意志」も検討を要する。確かに、個々の在日朝鮮人の意志確認はされていないが、少なくとも総体として、仮に国籍喪失処理への反対運動、反対声明などがあれば、「意志に反して」と言えよう。もしそうした反対が特になければ、基本的には同意された、ということになる。(284頁)

 とするなら、果たして当時の在日朝鮮人が反対の意志表明をしたことが実証されなければ、少なくとも消極的には合意したことになる。…

 筆者は、当時の在日朝鮮人には、基本的には反対がなかった、いやむしろ、占領体制下で、敗戦国民である日本人よりも上の「第三国人」というステータスを前提に、無法活動を繰りひろげてきた経験(拙稿「『在日』マイノリティの真の『哀れさ』」本誌平成十七年六月号参照)から、日本国籍付与にこそ反対であったのではないかと推測する。(285頁)

 このことを裏付けるように、朝鮮大学を卒業後ノンフィクション作家となった金賛汀によれば、国籍喪失措置について、当時の左翼系在日朝鮮人団体である「在日朝鮮統一民主戦線」(民戦)が、通達の後の昭和二十七年五月に開催した第六回拡大中央委員会において、「日本国籍を喪失させる処置に対する具体的な反対運動は提案されていない」(金賛汀『在日コリアン百年史』三五館、一九九七年)と指摘している。…

 しかしながら、…自らの「意志」で日本国籍を取得(帰化)した者は、国籍喪失措置の昭和二十七年以降、…平成十五年までの累計を見ると、なんと約二十七万人もの在日朝鮮人が帰化によって日本国第を取得しているのである。このため、日本国籍を持たない在日朝鮮人は、平成十五年末で約四十七万人にまで減少した。

 確かに昭和二十七年段階における在日朝鮮人の日本国籍取得の総体的な意志は確認できないが、その後は社会状況の変化や個々人の意志によって、希望者は帰化によって日本国籍を取得してきたのである。(286頁)

 次に、「国籍剥奪」に伴う「権利剥奪」の嘘について論じよう。…これに関して大沼は、「日本国民に認められる諸々の権利を否認され、事実上は日本国内住民を対象としながら、法文上は日本国民を対象とする多様な日常の法律関係から排除されることになる」(国籍と人権)と…指摘している。…

 しかし、一連の社会保障制度の中でも最も重要なのは…「生活保護」であるが、これについては、戦後一貫して、昭和二十七年の国籍喪失からも継続して、在日朝鮮人に適用されてきているのである。(287頁)

 生活保護が「国が生活に困窮するすべての国民に対し、その困窮の程度に応じ、必要な保護」を与える(生活保護法第一条)ものであるにも拘わらず、なぜ「外国人」である在日朝鮮人にも適用されるようになったのか。(287~288頁)

 (昭和二十六年)十二月十八日に閣議了解を経た「在日韓国人の国籍及び処遇に関する日本側提案」…は「極秘」扱いで、…「発表セズ」との扱いがなされている。その内容は、「…参政権、公務員となる資格…等は、日本国籍を喪失するとともに当然これを失う」とされている。しかしその一方で「現に享有しているその他の権利又は資格で、一般外国人に禁止又は制限されているものについては、日本に居住する限り引続きこれを認める」と、特別扱いの提案を日本側が行っているのである。

  ここからも、国籍喪失によって、日本政府があらゆる権利を否定した、などというのは完全な嘘であることが明らかとなる。(288頁)

 しかも「該当者約六万名」と…破格に多い。…実に「朝鮮人」については、日本人の五倍の受給率である。

 つまり、生活保護については、日本側提案の段階で国籍喪失後も継続適用することが決定されていたのである。

 こうした提案が公表されなかったのも、戦後間もない段階で、外国人となる在日朝鮮人に対し多くの予算を投じ、日本人の五倍の受給率となる生活保護を継続させることが明らかになれば、世論の強い反発が予想されたからであろう。逆に言えば、日本政府は自国民に対する情報開示を差し置いてまで、在日朝鮮人の生活保護を認めたということになる。(289頁)

 昭和三十一年九月段階で、実に十万二千二百五十三人の在日朝鮮人が生活保護の適用を受けており、日本人は一千人当たり一八・九人という割合に対し、在日朝鮮人は一千人当たり一七四人という、実に日本人の九倍以上の割合で適用されているのである。…

 なお、…現在でも…「行政措置」による外国人への生活保護の適用は継続している。平成十五年度の平均で被保護者総数約百三十四万四千人中、その約三パーセントに該当する約四万一千人の外国人が生活保護の対象となっている。(291頁)

 

「在日」論の嘘: 贖罪の呪縛を解く 著者: 浅川晃広

http://books.google.co.jp/books?id=gYmiyRUQ740C&pg=PT91&lpg=PT91&dq=%E3%80%8C%E8%AC%9B%E5%92%8C%E7%99%BA%E5%8A%B9%E6%99%82%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E5%96%AA%E5%A4%B1%E5%9C%A8%E7%95%99%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%80%8D&source=bl&ots=JxiEd7SRTQ&sig=paDVEPnolI9LtALlctQ5rR_BkTw&hl=ja&ei=gkOXSrDZKsyJkQXQr_i4DA&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=6#v=onepage&q=%E3%80%8C%E8%AC%9B%E5%92%8C%E7%99%BA%E5%8A%B9%E6%99%82%E3%81%AB%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E7%B1%8D%E5%96%AA%E5%A4%B1%E5%9C%A8%E7%95%99%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E3%80%8D&f=false
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