二年目のテッセンが風呂の窓を覆い尽くすような勢いです。花も連日、5つ6つ咲かせます。
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今朝は妻が炬燵(こたつ)をしまいました。抗ガン剤の副作用で僕の足が異常に冷えるので梅雨寒に備えてそのままにしてあったのです。
このところ川越の気温は高く、夜も窓を開け放したままです。こういう時の方が体調はいいのです。
6月19日(土)<Yくん姉弟と友人たち>つづき
歳は下なのですが入学したときからY介くんやOくんはYくんを何かといえば頼りにしていました。
10歳で来日したYくんの方が日本語も達者で日本社会にも通じていたのです。15.6で来日したばかりの二人には灯台のように大事な存在だったのでしょう。
Oくんは直近に来日したばかりで日本語が全く出来ません。学校では定員(15)を超えてまで合格とさせるかどうか大議論があったほどです。ほとんどをマンツーマンの授業とすることになり、すでに転勤されていた忠幸さんが講師として配属されたのです。
忠幸さんはもちろんのことYくんがいなければ卒業というわけには行かなかったのかもしれません。穏やかな性格ですが人に対して優しく誠実な好青年だったのです。
この日は何年ぶりかの再会ですがタクシードライバーの先輩として失業中のY介くんにはこれまでもアドヴァイスしてきたようです。トラック運転手のOくんと3人の会話は中国語でぼくには解りませんが仕事の話が中心のようです。
妻を含む4人の女性たちの会話は盛り上がりっぱなしです。中断するということがないのです。
こちらの話の内容は僕にもよくわかります。
子育てにまつわる春江さんの話が印象に残っています。
受験産業の謀略に引っかかってこどもを「受験」に駆り立てる友人たちとつきあいながら、自分は高一になる一人娘とどういう関係を築いてきたかという実践報告です。
この6年の間に春江さんは自分の生き方に自信を持ってきたのだと思いました。離婚体験も今は「恥ずかしい」とは思わなくなったと言います。新しいお父さんと娘さんとの関係構築も自然で反抗期のやりとりもなかなかのものだったようです。
もともと自分で何事もしっかり考える人です。小さいときから日記をつけていて、高校生の時にそれを読ませてもらったことがあります。
来日にあたり、おばあちゃんが「春江」と一方的に名前を付けたことに対する疑問や思いを日本語でしっかり書いてありました。
僕はそれを「北高新聞」で紹介したことがあります。自分の人生ですから自分で納得できるように生きたいという思いが子供心にも息づいていました。
大人になっても困難に直面しながらも納得できる人生を切り拓いてきたのです。そこから生まれた自信が「親といえどあなたの人生を生きることは出来ない」と力強い「自立」のメッセージを娘さんに送らせるのでしょう。
僕は「自由放任」という言葉を思い出していました。保護をしなければならないときが過ぎたらその人(子)の人格を尊敬して保護の任務を放つのです。「自立」と「共生」の関係が親と子の間にも生まれることが望まれるのです。
精一杯誠実に人生を生きて力強さを獲得した一人の女性に会っている喜びを感じました。それが自分の生徒だった人なのですから我がことのようにうれしいのです。
6時を過ぎても「討論」は終わりそうにないので「継続」を提案して6時半頃にようやく散会となりました。久しぶりにビールを飲んでいい気になった僕が少し疲れてきたのです。
自制して酒をやらなかったYくんが帰りも川越の我が家まで送り届けてくれました。
余ったごちそうはおみやげにして持たせてくれたので三日後の今日まで我が家では妻がいろいろと手を加えて美味しく食べさせてくれました。
Yくんが造ってくれた思いがけないプレゼント。これがまた何かにつながるかもしれません。ありがたい思いを大切にして日々を生きたいと思います。