6月3日(木)晴れ
朝のうちに映画「にあんちゃん」を見た。
北林谷江さんの逝去を聞いてからの宿題だったが鶴ヶ島中央図書館にVTRがあり、借り出すことができた。
1959年の作品だから高校生の時に見たに違いないが、教員になってからも一度は見たのではないか。映画の場面場面を思い出しながら見ることが出来たのだ。
北林さんは冒頭の「哭(な)き女」として登場するばかりでなく、安本一家と関わりの深い人物としてたびたび登場してくる。
僕は「ごうつくババア」という言葉を思い起こした。
パソコンで調べてみるとこうあった。
「この、ごうつくババぁ」の「ごうつく」は、「業突く」です。
「業突張り」なお婆さんということで・・・。
「業突張り」とは、「業をさらす」ことで、強情な人や貪欲な人を罵っていう言葉です。
本来は、あまり良い意味では使わない言葉ですが、使い方や使う人によっては、“愛情”ある言葉になるかもしれませんね。
出典http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232120177
朝鮮戦争が休戦になった頃の炭坑のムラは不況のどん底、エネルギー革命(石炭から石油へ)が拍車をかける。そんな時代を生き抜く庶民の姿の一つだ。
リアリズムの極限を表現しているが、“愛情”がないとはいえない。
北林さんという人はすごいと改めて思った。40くらいの年頃でこんな在日コリアン一世の姿を見事に演じているのだ。
安本さん一家が居た大鶴炭坑はこの映画を作る頃にはすでに閉山しており、ロケは対岸の炭坑で行われたらしいが、今となっては貴重な炭坑の風景が記録されている映画でもある。
僕は1980年頃に筑豊を訪ねたことがあるが閉山して久しく炭住やホッパー跡などがわずかに往時をしのばせてくれるだけだった。それでもボタ山はあちこちにあり、その一つ二つに登ってみた。
ほんの半世紀前の日本の社会に確かにあった炭坑とそこに生きる人々の生活さえ、歴史の彼方に消し去った「現代日本」。その報復は人間の劣化という形で確実に人々をむしばんでいる。
映画「にあんちゃん」は歴史の彼方から生きるとはどういうことかを私たちに問いかけてくれる貴重な作品である。
「日記」を書き残した末子さんはもちろんのことだがそれをもとにして映画を作ってくれた人たちにも感謝したい。
「にあんちゃん」の著者・安本末子さんが通っていた入野小学校のHPに気づいた。「にあんちゃん」を今のこどもたちに伝えようとするこの学校の先生の姿が尊い。
唐津市立入野小学校「にあんちゃん」http://www2.saga-ed.jp/school/irino-es/index.html
01年8月にカツヨシさんと佐賀に住む旧同僚・山下さん夫妻を訪ねたとき、いろは島というところで泊まった。今地図で見ると入野というところは行けない距離ではなかった。意識はしていたはずだがなぜか寄れなかった。
山下さんを思い出したので午後になって娘さんが働いている川越の学校に行ってみた。この5月の連休に帰ってきたばかりだという。
お母さんが亡くなって3年が経つ。お父さんは故郷の町の世話役で手帳のカレンダーは真っ黒だという。そうだろうなあ。安心するやら、うらやましいやら。
また何時か訪ねることが出来たら今度は「にあんちゃんの里」にも寄ってみよう。
にあんちゃんの里http://blog.goo.ne.jp/moritobio33/e/ae18571f21c07d4efe0dbf90340ee7ad
川越だより「北林谷江さん にあんちゃん」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2ef4d30b3f5852e88628711e0acd8065
朝のうちに映画「にあんちゃん」を見た。
北林谷江さんの逝去を聞いてからの宿題だったが鶴ヶ島中央図書館にVTRがあり、借り出すことができた。
1959年の作品だから高校生の時に見たに違いないが、教員になってからも一度は見たのではないか。映画の場面場面を思い出しながら見ることが出来たのだ。
北林さんは冒頭の「哭(な)き女」として登場するばかりでなく、安本一家と関わりの深い人物としてたびたび登場してくる。
僕は「ごうつくババア」という言葉を思い起こした。
パソコンで調べてみるとこうあった。
「この、ごうつくババぁ」の「ごうつく」は、「業突く」です。
「業突張り」なお婆さんということで・・・。
「業突張り」とは、「業をさらす」ことで、強情な人や貪欲な人を罵っていう言葉です。
本来は、あまり良い意味では使わない言葉ですが、使い方や使う人によっては、“愛情”ある言葉になるかもしれませんね。
出典http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1232120177
朝鮮戦争が休戦になった頃の炭坑のムラは不況のどん底、エネルギー革命(石炭から石油へ)が拍車をかける。そんな時代を生き抜く庶民の姿の一つだ。
リアリズムの極限を表現しているが、“愛情”がないとはいえない。
北林さんという人はすごいと改めて思った。40くらいの年頃でこんな在日コリアン一世の姿を見事に演じているのだ。
安本さん一家が居た大鶴炭坑はこの映画を作る頃にはすでに閉山しており、ロケは対岸の炭坑で行われたらしいが、今となっては貴重な炭坑の風景が記録されている映画でもある。
僕は1980年頃に筑豊を訪ねたことがあるが閉山して久しく炭住やホッパー跡などがわずかに往時をしのばせてくれるだけだった。それでもボタ山はあちこちにあり、その一つ二つに登ってみた。
ほんの半世紀前の日本の社会に確かにあった炭坑とそこに生きる人々の生活さえ、歴史の彼方に消し去った「現代日本」。その報復は人間の劣化という形で確実に人々をむしばんでいる。
映画「にあんちゃん」は歴史の彼方から生きるとはどういうことかを私たちに問いかけてくれる貴重な作品である。
「日記」を書き残した末子さんはもちろんのことだがそれをもとにして映画を作ってくれた人たちにも感謝したい。
「にあんちゃん」の著者・安本末子さんが通っていた入野小学校のHPに気づいた。「にあんちゃん」を今のこどもたちに伝えようとするこの学校の先生の姿が尊い。
唐津市立入野小学校「にあんちゃん」http://www2.saga-ed.jp/school/irino-es/index.html
01年8月にカツヨシさんと佐賀に住む旧同僚・山下さん夫妻を訪ねたとき、いろは島というところで泊まった。今地図で見ると入野というところは行けない距離ではなかった。意識はしていたはずだがなぜか寄れなかった。
山下さんを思い出したので午後になって娘さんが働いている川越の学校に行ってみた。この5月の連休に帰ってきたばかりだという。
お母さんが亡くなって3年が経つ。お父さんは故郷の町の世話役で手帳のカレンダーは真っ黒だという。そうだろうなあ。安心するやら、うらやましいやら。
また何時か訪ねることが出来たら今度は「にあんちゃんの里」にも寄ってみよう。
にあんちゃんの里http://blog.goo.ne.jp/moritobio33/e/ae18571f21c07d4efe0dbf90340ee7ad
川越だより「北林谷江さん にあんちゃん」http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/2ef4d30b3f5852e88628711e0acd8065