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川越だより

妻と二人あちこちに出かけであった自然や人々のこと。日々の生活の中で嬉しかったこと・感じたこと。

 「南国土佐をあとにして」   鯨③

2010-06-18 09:10:05 | ふるさと 土佐・室戸
土佐・鯨と来ればやはりペギー葉山の「南国土佐を後にして」(1959年)ですね。僕が高3の時のことです。若い方は知らないかもしれません。

 こんな歌詞です。


作詞:武政英策、作編曲:武政英策

1 南国土佐を 後にして
  都へ来てから 幾歳(いくとせ)ぞ
  思い出します 故郷の友が
  門出に歌った よさこい節を
   土佐の高知の ハリマヤ橋で
   坊(ぼん)さんかんざし 買うをみた

2 月の浜辺で 焚火を囲み
  しばしの娯楽の 一時を
  わたしも自慢の 声張り上げて
  歌うよ土佐の よさこい節を
   みませ見せましょ 浦戸をあけて
   月の名所は 桂浜
3 国の父さん 室戸の沖で
  鯨釣ったと 言う便り
  わたしも負けずに 励んだ後で
  歌うよ土佐の よさこい節を
   言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
   潮(しお)吹く魚が 泳ぎよる
   よさこい よさこい

 歌のヒットに合わせて小林旭の同名の映画(日活)も作られ、彼は大スターへの道を切り拓きます。

 映画「南国土佐を後にして」(1959年)の中でペギー葉山が歌っています。どうぞお聞き下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=kBDDWlENyWM&feature=related

 ○この歌は武政英策の作品とされていますが元々は「鯨部隊」に所属した四国の兵士たちが中国の戦線で故郷をしのびながら歌った唄なのです。高知県(土佐)出身者も多かったのでしょう。

 http://www7.ocn.ne.jp/~gunka/showa.html#9.よさこいと兵隊

 ○鯨部隊の慰霊塔です。

 歩兵第234連隊(通称号:鯨6882部隊)http://www.geocities.jp/bane2161/hohei234rentai.htm


 ○「戦地へ来てから幾歳ぞ」「自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節を」

 東京に遊学して僕も時にこの唄を声張り上げて歌うようになりました。唄の歴史を知ってからは中国戦線で父を失った同級生を思い出すようになります。やがて中国人の友人も出来ます。いやでも前線を想像します。

 3番になると調子が高ぶってきます。自分を育ててくれた室戸の人々を誇りに思う気持ちにかわりはありませんが歴史の流れにもてあそばれた先輩たちと日中の友人たちの心の内を思わないわけにはいきません。日本の中国侵略戦争はいやしがたい苦しみを日中の人々に与え続けてきたのです。

 
 ○それではもう一度ペギー葉山の声をお聞き下さい。

 御畳瀬(みませ)・浦戸(うらど)は地名です。「見ませ」「裏戸」と掛詞になっています。
http://www.youtube.com/watch?v=JziDNVUum2M

 ○資料 日活映画「南国土佐を後にして」http://www.nikkatsu.com/dig/DVDLINEUPS/dvd_line_HEROS01.html#nangoku