6月19日(土)曇り
数週間前に予告されてはいましたが、こんな日があるといいなと想っていた一日がついにやってきました。
Yくんが10時半頃、車で我が家まで迎えに来てくれて昼頃には足立区にある自宅につきました。それから日が暮れる頃まで豪華で楽しい宴を張ってくれたのです。
Yくんは北高88年入学の「中国帰国生徒」(おばあちゃんが「残留婦人」)です。僕が北高に赴任して2年目に<帰国生徒担当>となった4月に入学してきた16人の生徒の一人です。
91年3月卒業後もOBのCamp、結婚式(96年)などで顔を合わせました。しかし、97年夏、北軽井沢のCampでお連れ合いのEさんと赤ちゃんだったSさん共々一泊二日を過ごして以来は久しく会う機会がなかったのです。
専門学校卒業後会社員となって全国各地を飛び回ったり、運送会社で働いた後、数年前からは都心を拠点とするタクシードライバーになっています。川越からの車中でこの13年の歩みを聞きました。
中国からやってきて日の浅いEさんと二人で三人の娘さんを育てながら懸命に生きてきた日々です。Sさんは中2,Aさんは小6,Yさんは5歳になりました。
丈夫な体に恵まれたとはいえ、仕事はきつく家に帰ることが出来ない日々が続いたり、腰を痛めて転職を余儀なくされたりもしました。
タクシードライバーになって3年、不況のあおりで水揚げは落ちる一方ですが、仕事の面でも家族の生活の面でも今、ようやく安定の局面を迎えることが出来たのです。
家は都営アパートの4階にあります。車から降りると女性ばかり数人の歓声が中空から響き渡りました。Yくん一家のほかにお姉さんの春江さんも来てくれていました。
春江さんは一つ上です。2004年4月、一人娘のRさんと日光への日帰り旅行(第一回きいちご移動教室)を楽しんで以来です。
「一週間前に弟に知らされて以来、夜も眠られませんでした」。こういって僕が元気なのを喜んでくれました。
見たこともないような大きな画面の液晶TVのある部屋で開宴を待ちます。やがて二つ並んだテーブルに三人がつくったという料理が運ばれてきます。
見事な鯛の丸揚げ餡かけを中心に中国の家庭料理が所狭しと並んでいきます。その豪華さに驚きます。
昔、母が元気な頃、正月や神祭には我が家の表の間には手作りの皿鉢料理が並びました。磯魚の活け造リや鯛を酒と薄口醤油で炒りつけたものをはじめとして各種のお寿司(カマスの姿寿司・海苔巻き)、昆布巻き等々。母が前夜から丹誠を込めて造っていました。
そんな日のことを思い出しました。最後にできあがったばかりの水餃子が次々に運ばれてきます。今日はまた何という日なのでしょう。
予定時間間際にY介くんとお連れ合いのHさん、息子のKくんがOくんの車で到着。いよいよ開宴です。
Y介くんOくんはYくんの同級生です。こんなうれしい集いが用意されているとは直前になるまで僕にはわからなかったのです。(つづき)