唯物論者

唯物論の再構築

数理労働価値(第三章:金融資本(3)労働力商品の資源化)

2023-10-09 09:28:30 | 資本論の見直し

(4b)労働力商品の資源化

 貸出利率において実体化した差額略取は、部門収益の主要な利益源泉から労働力を除外する。もちろん金融部門においても部門労働力からの剰余価値搾取は可能である。しかしさしあたりそれは、金融部門における主要の利益源泉ではない。金融部門において労働力は、各種消費財や資本財と同じ一つの経済資源として現れる。それはその有する技能に応じて、購入価格や維持費に個別に差異を生じる一つの物財である。そしてそのように労働力を捉える限り、労働力は他の消費財や資本財とさほど差異を持たない。当然ながらそのような物財は、剰余価値を生まない。これまで生産部門収支において確認してきたのは、その資本主義的利益が剰余価値搾取から生じることであった。そこでの剰余価値は、生産過程において可変資本から派生した。すなわち生産資本の資本主義的利益は、生産財の剰余生産から生まれる。しかしその剰余生産を可能にしたのは、労働力の有する技能に対応しない労賃体系である。もし部門支配者が労働力にその有する技能に対応する労賃を与える場合、その分だけ生産財の剰余生産も減じ、剰余価値も減じる。しかも先の(2d)で述べたように、金融部門は自部門の労働力に高賃金と労働環境を提供する必要を持つ。金融部門が取得する剰余価値は、もっと小さなものになる。加えて言うと部門業務に要する各種の不変資本経費が、それを一段と小さくする。さらに労働力がその剰余生産に即した労賃を得るなら、剰余生産は消失し、剰余価値も生じなくなる。この剰余価値の消失は、労働力を物財と同様の経済資源に扱ったことの当然の帰結である。ところがこのときに該当部門において資本主義的利益も生じなくなる。またそれゆえに金融部門は、その資本主義的利益を他部門から取得する。そこでの資本主義的利益は、交換過程において不変資本から派生する。具体的に言うとその資本主義的利益は、融資元金に付随する利子として生まれる。この場合に金融部門の利益は、端的に言うと自部門の可変資本から搾取した利益ではない。ところがこの剰余価値消滅の一方で、金融部門における資本主義的利益は、金融部門の融資業務から生じる。そして融資業務は、一つの労働である。先の想定のように金融部門が労働者に技能に対応する労賃を与えるなら、金融部門において資本主義的利益が生じない。しかし金融部門において資本主義的利益は生じている。このことは金融部門が労働者に技能に対応する労賃を与えていないことを示す。そしてそうであるならやはり金融部門は、剰余価値を搾取していることになる。ここには一方で剰余価値搾取の終焉が宣言され、他方で剰余価値搾取の持続が確認される。とは言えここでの確認可能な剰余価値搾取は、次の点で旧来の剰余価値搾取と異なる。

・他の生産部門に比べて優遇された高賃金と労働環境
・労働力の有する技能に対応した労賃体系の偽装
・不変資本所有に対応した労賃体系
・剰余労働の相対的増大に即した剰余価値搾取


(4b1)金融部門における労賃体系

 金融部門にとって部門労働力の労賃は、該当労働力の市場価格である。そしてその市場価格は、金融部門にとって該当労働力の実評価額である。しかし労賃が労働力の実評価額であるなら、それは労働力の実現利益と相応しなければいけない。金融部門における物財は貨幣資本であり、それ自体は生産物ではないし、最終的に部門に還流する。したがって金融部門の部門利益は、全て融資業務の労働力から生じる。ところが金融部門が労働力に対し実現利益を引き渡すと、金融部門における剰余価値は生じないし、資本主義的利益も生じない。そして資本主義的利益が消失すれば、金融部門の部門支配者の生活収入も消失する。一方で金融部門の部門支配者は、人並み以上に裕福に生活している。したがって金融部門は、労働力に対し実現利益を引き渡していない。つまりその部門労働力の労賃は、労働力の実評価額ではなく、実現利益でもなく、それより小さい額面である。やはり労働力は剰余価値を生産し、それを搾取して部門支配者の生活が成立する。したがって労働力の評価額も、一方で市場価格と称して金融部門が小さく設定するが、その実績はその評価額より大きい。そしてそのように金融部門が労働力の実評価額を恣意設定できるのであれば、逆に部門支配者の実評価額も恣意設定が可能となる。それゆえに金融部門における労賃体系では、一方で部門支配を高収益労働に扱い、他方で末端業務を低収益労働に扱う。部門支配者の高収益労働の内容は、端的に言えば部門不変資本の所有事実それ自体である。そして金融部門の場合にその部門不変資本は、端的に言えば貨幣資本である。すなわち金融部門支配者の高収益労働とは、貨幣資本の所有者であることに尽きる。そしてその所有者である立場において、彼は労せずに労賃の名目で資本主義的利益を得る。一方で金融部門の部門利益を生んだのは、金融部門の融資業務である。金融部門は部門支配者の利益を、その部門利益から捻出する。それゆえにその労賃全体は、その実現利益より常に小さい。部門支配者の利益は、その減額分に対応する。そしてその減額分を、融資業務に関わる労働力全体が痛み分けをする。その痛み分けは、融資業務における末端者ほど負担が大きく、逆に部門の統括者に近づくほど負担が小さい。それどころか部門は末端者の労賃を減額し、統括者の労賃を積み増しする。他方で金融部門の部門利益は、あらかじめ貸出利率により限定されている。それゆえにその労賃体系の全体も、その限定利益の分配体系となる。その労賃体系の内実は、労働力の有する技能に対応したものと言うより、不変資本所有への関与規模に対応する。あるいは金融部門が部門支配者の資本主義的利益を、あらかじめ部門利益から控除する。とは言えそれでも金融部門の末端労働者は、やはり他の生産部門の労働者より優遇された労賃と労働環境を得る。それゆえにその剰余価値搾取は、旧来の剰余価値搾取に比して緩和されている。そしてその労賃が最低限の人間生活を保障するなら、その労働者における自らの処遇に対する不満は、他部門の労働者ほどに深刻ではない。この緩和された労使関係は、旧来の生産部門における労使対立を変質させる。その緩和された労使対立は、金融部門労働者の労賃を平均賃金より高く設定し、残りの全利益を部門支配者の収益にする。金融部門内における所得格差は一層激しいものとなるが、平均より高い労賃が労使対立を抑止する。その変質の根拠は、金融部門の収益が基本的に、他部門から取得した利益であることに従う。


(4b2)技能対応労賃における剰余労働の相対的増大

 特別な技能を有する労働力が、物財生産を個人経営している場合、その労働力が有する特別な技能は、彼の生産財の量または質を増大させる。そこでの生産財の量的増大は、生産財の実単価を安くする。しかしその物財の市場単価が元のままなので、その量的増大分だけ彼の収入が増える。これに対して生産財の質的増大は、生産財の実単価を変えない。しかしその高品質の生産財は、もともと市場単価が高い。それゆえにやはりその質的増大分だけ彼の収入が増える。そしてそれらの増収は、彼により多くの生活資材をもたらす。ところが彼が資本主義経営における雇われた労働者であるなら、それらの増収を手にするのは彼でなく、該当部門の部門支配者である。このとき部門支配者が実現するのは、剰余労働の相対的増大である。そしてその増大した剰余価値は、特別剰余価値である。上記の労賃体系は、この相対的増大させた剰余価値搾取の分配体系である。剰余労働の相対的増大において、部門支配者は労働時間の絶対的延長ではなく、同じ労働時間における生産財の量または質の増大を目指す。それが実現するのは、部門業務の重労働化である。現代の資本主義経営では、労働時間の延長には残業手当が支給され、重労働にもそれに見合う労賃の特別手当が支給される。しかし黎明期の資本主義経営では、労働時間の絶対的延長でも重労働化でも、労賃は据え置かれた。このときの労賃は最低限必要な生活資源に等しく、労働時間が延長されても、重労働であっても、労賃に差異が無かった。しかしその奴隷に等しい労働環境を、労使の力関係の変化が一掃した。そのように考えるなら、上記における技能に対応した労賃体系は、この労働環境の改善の一環を成すように見える。ところが部門利益が貸出利率に限定される場合、金融部門は融資貨幣量および部門利益を既に固定している。したがってそこでの生産財の量質増大は、部門利益を増大させない。その代わりに部門経営が実現するのは、その物財生産に要した労働者の移動か、その労賃の減少である。部門利益は、その労賃減少分だけ増大する。そして部門支配者は、それに対応して有能な労働力の労賃を増大させる。もちろんこの有能な労働力とそうでない労働力の間の限定利益の再分配は、有能な労働力が実現するだけでなく、有用な不変資本によっても実現できる。そのときは有用な不変資本を導入した部門支配者が、有能な労働力として現れる。そして限定利益の再分配も、その部門支配者に集中する。その物財生産に要した労働者は移動されるか労賃が減少し、その一方で部門支配者は有能な経営者として賞賛される。これらの技術進歩は生産財を安価にし、消費者と有能な労働者、および部門支配者の生活を向上させる。一方でそれは、部門支配者以外の労働者の生活を不安定にする。ただし特別剰余価値の宿命に従い、部門経営におけるその増収効果は一時的である。しかしそれがもたらした所得格差の拡大は、世代をまたがる形で、進歩の日陰に貧困と恐怖の暴力支配を醸成する。


(4c)貸出利率と剰余価値率

 上記における金融部門の利子収入、および労働力商品の資源化は、部門収支における剰余価値率の役割を減退させ、貸出利率にその役割を委ねる。その役割交代を限定するのは、以下の事情に従う。
  ・寡占と貸出利率が限定する利子収入
  ・技能対応労賃における剰余価値の隠蔽
  ・利潤全体における剰余価値の占有率減少


(4c1)寡占と貸出利率が限定する利子収入

 資本主義的利益の主要な源泉が剰余価値搾取にある場合、その利益を限定するのは剰余価値率である。この剰余価値搾取において不変資本規模は、端的に言えば資本主義的利益の大きさに関わらない。しかし金融部門における利益源泉は利子であり、それを限定するのは貸出利率である。それは、貸出貨幣資本の規模に応じて利潤の大きさを規定する。ここでの資本主義的利益は、その利潤から捻出される。それゆえにその不変資本規模は、むしろ資本主義的利益の大きさを限定する。もちろん金融部門も元は生産部門の一つなので、労働力規模に応じて融資業務が増大するなら、その融資業務の増大に応じて取得剰余価値を増大できる。しかし融資業務は、生産ラインの増大で規模拡大できる物財生産と異なる。また融資自体の役割は、物財生産の補助であり手段である。それは目的としての物財を生産せず、むしろそれを略取する。それゆえに融資業務だけが増大しても、部門全体の富は増大しない。そのように増大する場合があっても、もっぱら増大した富は、金融部門と融資先の部門支配者にだけ蓄積する。ただし部門全体において融資業務だけ増大するのもあり得ない。それゆえに金融部門の利益は、貨幣資本の寡占と貸出利率に応じて限定される。


(4c2)技能対応労賃における剰余価値の隠蔽

 上述した通り、金融部門における労賃体系は、剰余価値搾取を隠蔽して技能対応を謳う。すなわちその労賃体系は労働者に対し、労働に応じた労賃を与えたと宣言する。言うなればその宣言は、剰余価値搾取の消滅宣言である。しかし技能対応の労賃体系は、内実的に不変資本関与規模に応じた労賃体系であり、端的に言うと貨幣資本所有に応じた労賃体系である。そして技能対応を謳う労賃体系が実は技能対応でなければ、少なくともその不整合において剰余価値搾取が残る。さらにその労賃体系が、労働者に最低限の人間生活を保障しなければ、そしてそこに十分な部門利益が存在するなら、やはり剰余価値が搾取されている。ただしもともと技能対応労賃は、労働者に最低限の人間生活を保障していない。それゆえに部門支配者から見て、剰余価値はせいぜい労働力の市場価格と実現利益の差異に留まる。しかもその実現利益は、金融部門の資源全体を背景にして実現する。すなわち貨幣資本と部門資産を背景にして、労働力は技能を発揮する。また労働力の技能が、短期に利益を実現できると限らない。これらの事情は、なおのこと労働力の市場価格と実現利益の差異を無くす。そしてその差異がない以上、剰余価値も消滅する。しかし労働者に最低限の人間生活を保障しない労賃は、その雇用者の富裕生活を不可解にする。ただし剰余価値の有無に関わらず、そもそも金融部門における剰余価値は、貸出金利と手数料の部門収益の中に埋没する。その技能に対応する労賃を、部門支配者はもちろん、労働者も知らないし、誰も答えられない。またそうであるからこそ労賃の額面は、最低限の人間生活を保障する値を必要とする。しかし実現するのは、底辺労働者よりましな人間生活に留まる。ここでの技能対応の労賃体系は、その埋没した利益を創出したのは貨幣資本であり、労働力ではないと労働者に説明する。そしてその技能対応の労賃体系は、労働力の市場価格と同義である。したがってそれは、労賃を労働力の需給関係により決定する。しかしその内実は、部門支配者の言い値である。


(4c3)利潤全体における剰余価値の占有率減少

 労働力の価値は、その肉体維持のための必要財の総体として限定される。労働価値論において物財の価値は、この労働力の価値を基準単位にする。しかし労働力は、それより大きな物財量を生産する。その余剰生産部分に対応した物財が剰余生産物である。そして余剰生産部分に対応した労働が、剰余労働である。資本主義的利益は、この剰余生産物や剰余労働として現れる。それ以外の生産物や労働は、労働力の肉体維持に消費されて消滅する。それゆえに拡大再生産する生産部門において、剰余価値生産は労働力の最重要の効能を成す。ところが金融部門における利潤の主要な源泉は、他部門から収奪した利益である。ここで金融部門が自部門から搾取する剰余価値は、その利潤全体において比重が小さい。それゆえに労働力の剰余価値生産は、金融部門の資本主義的利益にとって副次的な効能に留まる。またそのことが、金融部門労働者の恵まれた労働環境を可能にする。ただし余計に労賃を支払う必要も無いので、金融部門の労賃もほどほど良い水準に留まる。そしてそのことが労働力を、原材料や備品や機械と同じ不変資本にする。労賃はその購入費であり、その肉体は融資業務で償却される物財である。そしてこの労働力の扱いの変化が、労賃に対し物財と同様の質に応じた労賃を得させる。つまり生み出す剰余価値が大きい労働力は、それに対応して自らの労賃を高くできる。やはりここでも剰余価値生産の副次効能化が、剰余価値搾取を緩和させる。この資本主義的利益の剰余価値の呪縛からの解放は、金融部門利益を貸出利率に限定させる。結局ここで実現する金融資本の資本循環は、先に示した剰余価値率を捨象した[金融資本における生産財転換モデル3]と同じものになる。そこでの利潤の大きさは、可変資本規模と剰余価値率によって限定されず、貨幣資本規模すなわち不変資本規模と貸出利率により限定される。


(5)利子収入と平均利潤

 先に示した[金融資本における生産財転換モデル3]における貸出金利の内訳は、金融部門における労賃と寡占が生み出す特別剰余価値である。しかし剰余価値は可変資本からも同様に得られる。さらに金融部門は、預金者などから調達した貨幣資本のための調達金利を支払う。したがって貸出金利の内訳は、さらにその前に示した[金融資本における生産財転換モデル2]の貸出金利の内訳を内包する。結果的にその全体は次のようになる。金融部門の融資先は、これらの全体を貸出金利として元本に上乗せし、金融部門に返済する。なお下段に登場する“寡占特別剰余価値”は、同業金融部門の全体が貨幣資本の独占を背景に、貸出利率の高値安定させて得た独占利益を指す。

  貸出金利の内訳 …調達金利     → 調達元への上納部分
           可変資本維持費用 → 労賃
           可変資本剰余価値 → 不労者所得1
           寡占特別剰余価値 → 不労者所得2

上記の貸出金利は金融部門の収入であり、この収入を上記の四つの要素が構成する。この四つの要素の中で調達金利と可変資本維持費用は、金融部門において基本的に避けられない出費である。金融部門はこの二つを必要な資源出費とみなして除外すると、残りの二つが部門利益として現れる。金融部門はこの二つを合算し、統括労働従事者および部門支配者に対し、労賃加算部分ないし配当金の名目で分配する。なお実際には金融部門における必要出費に、備品や機械などの不変資本維持費や融資リスク対応費用などが加わるし、収入にもそれに準じた手数料が加わる。しかしここではそれらの明細にまで立ち入らない。また上記4c3)に述べた通り、金融部門における可変資本剰余価値は、部門利益において占有率が低い。また金融部門の腹積もりも、技能対応労賃により可変資本剰余価値を全て労賃支出している。それゆえに上記の内訳から可変資本剰余価値を除外するのも不可能ではない。しかしそれは金融部門における固有の事情である。そしてこの固有の事情は、生産部門では有効ではない。生産部門において可変資本剰余価値が消失すると、その部門支配者は差額略取だけで資本主義的利益を得なければならない。それが連携するのは、部門全体が差額略取だけで生活する不思議かつ幻惑の観念論である。それゆえにここでも、上記の内訳から可変資本剰余価値を除外しない。話を戻すと、金融部門における資本主義的利益は、可変資本剰余価値と寡占特別剰余価値で構成される。その大きさを限定するのは、融資に要する調達金利と労賃を度外視すると、融資貨幣資本の規模である。つまりここで資本主義的利益の大きさを限定するのは、可変資本に対する剰余価値率ではなく、不変資本に対する利潤率である。そしてこの利潤率も、上記4a)で示した理由により、平均利潤率が限定する。したがって平均利潤を構成するのも、可変資本剰余価値と寡占特別剰余価値である。


(6)生産価格論

 金融部門がG-W-G’の貨幣資本の運動において利益の発生を貸出利率で捉えるようになると、その中で労働力商品も利益を実現するための一つの物財に転じる。そしてその資本一般の運動は、入力資本と出力資本の差額略取の運動として現れるようになる。ちなみに金融部門の差額略取は、安い物を高く売りつける差額略取ではなく、少ない貨幣を多い貨幣で買い取らせる差額略取である。この金融部門における差額略取の価値論は、金融部門に留まらずに生産部門一般における部門の収支理解に転じる。その理解は、少ない労働力を多い労働力で交換させる差額略取である。そのために生産部門は資本循環の起点を変更し、自らを金融部門と同じG-W-G’の運動に変える。すなわち生産部門の財取引も、金融部門と同様に、少ない貨幣を多い貨幣で買い取らせる差額略取となる。それゆえにそこでの生産部門が抱える生産工程は、あたかも資本蓄積を実現するための詐欺的手順に転じる。もちろんこの収支理解の方法は、特段目新しいものではない。それは貨幣経済が浸透する早い時期に、既に商業資本において実現している。そして家計収支の理解をする際に、各家庭でも実現している。とくに労働報酬を貨幣で受け取る労働者は、家計収支の理解をする際に自らこの収支理解を実現している。しかしこの差額略取の利益説明は、相互利益となる物財交換を説明できない。差額略取の理解では、物財交換において差額略取を受ける相手は、常に損をする。その場合に彼は、相手から物財と異なる価値資源をさらに受け取らない限り、物財交換をする必要を持たない。そしてその異なる価値資源に労働力が現れる。つまり一方が物財を与えるだけの物財交換でも、必ず他方が労働力を返す。むしろ労働力の交換があるなら、取引一般において物財は不要である。それゆえに物財交換の一般的説明も、貨幣の差額略取ではなく、労働力の等価交換に転じた。すなわち物財自体に価値は無く、労働力こそが価値の実体である。物財交換は常に相互の等量の労働力の等価交換であり、それゆえに相互利益となっている。この時点で差額略取の価値論は、過去のものとなったはずであった。ところが金融部門における差額略取の価値論の復活は、生産部門においても復活し、経済活動一般を説明する価値論として復活する。そしてさらにそれをマルクスは労働価値論に再生させた。それが生産価格論である。しかし生産価格論が表現するのは、つまるところ差額略取の価値論である。それゆえに生産価格論は、そもそもそれが生じたところの労働価値論と矛盾する。とは言え生産価格論は、さしあたり可変資本と不変資本、およびそこから発生する利益の部門収支を理解する上で有効である。その有効性は、金融部門における寡占特別剰余価値と同様に、生産部門における剰余価値が、生産財取引の結果でのみ実現することに従う。(2023/10/09)

続く⇒第三章(4)価格構成における剰余価値の変動   前の記事⇒第三章(2)差額略取の実体化

数理労働価値
  序論:労働価値論の原理
      (1)生体における供給と消費
      (2)過去に対する現在の初期劣位の逆転
      (3)供給と消費の一般式
      (4)分業と階級分離
  1章 基本モデル
      (1)消費財生産モデル
      (2)生産と消費の不均衡
      (3)消費財増大の価値に対する一時的影響
      (4)価値単位としての労働力
      (5)商業
      (6)統括労働
      (7)剰余価値
      (8)消費財生産数変化の実数値モデル
      (9)上記表の式変形の注記
  2章 資本蓄積
      (1)生産財転換モデル
      (2)拡大再生産
      (3)不変資本を媒介にした可変資本減資
      (4)不変資本を媒介にした可変資本増強
      (5)不変資本による剰余価値生産の質的増大
      (6)独占財の価値法則
      (7)生産財転換の実数値モデル
      (8)生産財転換の実数値モデル2
  3章 金融資本
      (1)金融資本と利子
      (2)差額略取の実体化
      (3)労働力商品の資源化
      (4)価格構成における剰余価値の変動
      (5)(C+V)と(C+V+M)
      (6)金融資本における生産財転換の実数値モデル
  4章 生産要素表
      (1)剰余生産物搾取による純生産物の生成
      (2)不変資本導入と生産規模拡大
      (3)生産拡大における生産要素の遷移


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