あ ど れ な り ん

主にブルベを中心に趣味と日頃の鬱憤を晴らすために書こうと思います。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その8 稚内~紋別

2020-05-04 15:13:17 | ブルベ
8月15日。スタートしてから6日目の朝を迎えた。
朝起きると、外は明るくなっていた。当然だ、もう9時を回っている。

急いで身支度をしてホテルを出た。
これも当たり前のごとく、2台有った先客のバイクもいなくなっていた。
時間は10時前。今日は221kmだから、夜の22時に紋別に到着予定だった。

事前に調べておいた自転車店に行ってみたが、まだ時間が早く店は開いていなかった。
そもそもお盆休みだったのかもしれない。
それに、どちらかというとオートバイ関連を扱う店で自転車用のサドルが置いてあるようには見えなかった。

コンビニで朝食後、まずは宗谷岬へと向かう。
国道236号線宗谷ヒストリーロードに入ると、向かい風が一層強くなった。
最高速度が17kmを越えない。
壮絶な風との戦いになった。

この日からロキソニンを飲むようにした。
しかし、お尻が痛いしサドルがどうにもしっくり来ない。
岬に到達する手前でかなり前上がりのセッティングへと変えた。
大事なところへの圧迫が増えるが、幸いデリケートゾーンのえぐれが大きいので大事な部分の痛みは無かった。
最初からこうすれば良かったのか?
とにかく、この2つの処理でお尻の痛みがだいぶ和らいだ。

沖縄までの看板


向い風に苦しみながら宗谷岬へ辿り着いた。

モニュメント(石碑)は人が並んで撮影していたので諦めた。
トイレのためにうろついていると、R札幌の吉田さんが居て、立ち去ろうとしていたところだった。
なので、おおよそ最後尾にいることが認識出来た。
聞くところによると、この後も向かい風であると言う。
これまでの方向とはおおよそ逆方向に向かうというのに、向かい風だというのが信じられなかった。

フォトチェックポイントのあけぼの像で写真を撮って(現状)最北端の地を後にした。

宗谷岬のあけぼの像前にて


既に半分以上は走っているが、宗谷岬を過ぎたところで折り返した気分になった。

途中ののどかな牧草地


天気が悪く写真がいまいち


あけぼの像からすぐのところで吉田さんが待ち構えていて、写真を撮ってくれた(しかし、その写真は入手できず)。
オホーツク海側に降りると斜め向かい風でまともに前に進めなかった。
比較的、横方向が強かったので宗谷岬までよりはスピードを出せるようになったものの、最高時速は23kmまでしか出せなかった。
これは気温の低さも影響していたと思う。
この日も天気が悪く、一日中曇り空で肌寒かった。正確な気温は覚えていないが、15度くらいだったと記憶している。
向かい風の中、ウィンドブレーカーを着ざるを得なかった。
おまけになかなか眠気が取れない。
ノロノロ走っていると、大学生くらいのツーリスト達に抜かされてしまった。

予定していたコンビニに着いたが、予定よりだいぶ遅い。
64kmを5時間以上掛けて走っていた。
コンビニでは寒さを凌ぐため、裏手の草地に身を隠して食事をした。

ひたすら海岸沿いを走る。
道端に掲げられている旗は勢いよくバタバタバタ!と音をたてながらなびいていて、いかに風が強いかが伺いしれた。
時速はおおよそ、17~20kmくらいでしか走れていなかった。
時折、海岸に背を向けて走ると追い風が背中を押し、途端にスピードが上がるので一瞬だけ楽をすることが出来た。

途中の長閑な牧草地


何もない


この日の次の記憶は95km地点で眠気が収まらないので眠気覚ましのドリンクを飲んだのと、
ここまで7時間以上もかかっているので焦ったということ。
6時間寝たのでこの日はカフェインを飲まない予定だったが、パワーが出ないので仕方なく飲むことにしたのだった。

眠気が取れない一番の原因は疲れだろうが、昨晩の食事も悪かったようだ。
久しぶりに肉を食べたくなって、肉多めの弁当を睡眠の前に食べてしまったことによって睡眠が浅くなったのだと思う。
長期間のブルベで肉自体が悪いわけではないが、経験不足を露呈したといえる。

更に次の記憶は夕方まで飛ぶ。
枝幸だったと思うが男2人女1人の3人組とすれ違った。
近くで走っている人がいるのは安心できる。

本格的な夜間走行になり、どこかで一瞬立ち止まったとき、先程の3人組が自分を追い抜いていった。
…! 列車に乗れる!
と、思い急いで自転車に乗って追いついた。
付いていって良いかを確認してから最後尾についた。

良かった。これで紋別まではなんとか行けそうだ。
しかし安心したのもつかの間…

パァーッン!!!


 ( ゚д゚ )


自分の足元でチューブが破裂した。
なんて間が悪いんだ。
列車に乗ってまだ5分10分かしか経っいない。。

最後尾にいたWさんに少し手伝って頂き、チューブを交換した。
Wさんには目処が経ったところで先に行って頂いたので、また独りになってしまった。

この日はずっと振りそうな天候だったが、ここに来て遂に降り出した。
途中まではパラパラと雨が降っていたが、途中から少し雨脚が強くなったので雨宿りしながら走った。

時間は0時を回った。ホテルまであと30km。
普通の調子ならばあと一息という距離だが、とにかく眠いし、もうフラフラ。
このままのペースだと2時間以上掛かりそうだ。
我慢出来なくなり、扉付きのバス停の待合室で寝ることにした。
まさか辿り着けなくなるとは思いもしなかったが、稚内までの辛さや危険具合を考えると、休まざるを得なかった。

時間は0時半。
着られるものは全部着て、背負っているトレランバッグを枕にし、アルミシートを体に巻きつけ、ベンチの上で横になった。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その7 札幌~稚内

2020-05-03 15:56:34 | ブルベ
8月14日。スタートしてから5日目。

目覚しが鳴った。
何とか1時間寝られたようだ。
眠いのはもちろんだが、何とか起き上がった。
今日が勝負だ。
稚内まで到達すれば、その後は時間制限がさらに遅くなるので余裕が出る。
そう言い聞かせて、まだ空が暗い中、再スタートを切った。
5日目の未明。時間は3時40分。

少し先のコンビニで朝食を取る。
その後、明け方になってまたも雨が降ってきた。
またか!
もう、うんざりだが天気には逆らえない。
仕方なくレインウェアを来た。
しかし、空は明るいため、この後は止みそうだったので少し希望が持てた。

1時間くらいで雨を抜けたと思う。
雨が上がったあとは気温も上がり、蒸し暑くなった。
この日越えなければならない登り区間のうち、最初の登りだったと思う。
道路の反対側で鹿とバイクがぶつかる事故があり、バイクの前側は大破。
鹿は傍らで天に召されていた。
そういえば過去ブルベを走っていて、鹿が道路脇を走って驚いたりしたことがあったので気を付けなければと思った。
ふと、自分の脇を追い越したツーリングバイクのライダーが左手をサムズアップしてくれたのに気付いた。

あ!

咄嗟に手を挙げて答えた。バックミラーで見ていてくれたら良いけど。
もしかしたら、今までも同じような事をしてくれるライダーの人は居たのかもしれない。
そう思うと申し訳なくなった。
その後も、バイクツーリングしている人から何度もサムズアップを貰い、とても元気を貰うことができた。

休憩予定のコンビニまで来た。
座ってモグモグしながら休憩していると、見た感じ、自分より相当速い人がやって来たが、
「くっそお、遅くなっちまったぜ」という、焦りと悔しさが表情に出ていた。
ブルベペースで進めば大丈夫なはずだが、余りミスは許容できない時間なのは確かだった。

次の休憩予定のコンビニまで来ると、ここでは数名の参加者に会うことが出来た。

途中で若干道を間違えたり、道の駅みたいなとことに寄ったりしたことは覚えている。
この日は朝の雨以外は晴れており、数名の参加者と抜きつ抜かれつしていた。

CEFオロロンウインドファーム


特に名前はないようだ


そして記憶は羽幌のPC前まで飛ぶ。
なんとか順調に来ることが出来た。
丁度良くドラッグストアが有ったので寄った記憶はあるが、何を買ったかは憶えていない。
新規クローズの1時間15分前の14時51分。無事、PC5のセブンイレブン羽幌役場前店(1354.6km)に到着することができた。
PCに到着すると吉田さんや他のスタッフの人達がおり、参加者でごった返していた。
「意外と早かったね」と言われ、気にしていてくれた事に感謝した。

どうやら、台湾人が来ないらしい。
彼らに対しては、このPCも遅れて良いと言ったか、最後に間に合っていれば良いと伝わっているようだ。
あれ?とは思ったが、深くは突っ込まないことにした。
先に着いていた台湾人に「台湾に行ったことあるよ」と英語で話しかけたが通じずガッカリした。

ここまで来れば、時間的な余裕が出来る。
次のPC6は450km先の網走(1808.9km)。2日後の13時11分がクローズ時間。換算すると時速10.1kmで進めば良い。
宿を取っていない人はこの後どうするか相談していた。
本来の予定ではこの先の初山別にあるホテル兼温泉にて仮眠する予定だった。
何せ、今日も300km以上走らなければならない。
しかし、そんな時間は無いので宿を取っている稚内へと向かう。
その前に腹ごしらえしたくなった。
流石にまともな物を食べたくなって、町の食堂へ赴いた(一休食堂)。
海の幸が乗った名物の羽幌ラーメンはもう売り切れで残念だった。
そもそも、昼の営業時間終了まじかでラーメンすらも、これなら出来るという状態だった。

塩ラーメン。旨かったです。


さて、先に進むが、お尻が限界に近くなっていて、真剣にサドルの交換を考え始めていた。
自転車ショップを探すも、どうやら稚内までは無さそうだ。
それならホームセンターはと思ったが、有っても営業時間内に辿り着けそうにない。

サドル(CobbのFifty-Five)はやや特殊な形状で、デリケートゾーンが深くえぐれているエリアが広い。
対して、その周りは角が立っていて、しかもベースは撓らない。
若干サドル幅が狭かったこともあり、その角の部分に体重が乗ってしまい、ことさら痛い。
激痛に耐えかね、途中の道の駅的なところで持っていた手ぬぐいでサドルを巻き、
さらに窪みの中にコンビニ袋などを入れて、デリケートゾーンに負担を分散させることにした。
これで何もしないよりはマシになったが、こんなやり方では直ぐに崩れてしまい、
途中から効果が有るのか無いのか分からなくなった。

ほぼ夕闇になった頃、ハンドルを切る際にクリック感を感じたが、気付いていない事にした。

ヘッドがやばいと思った頃


夜の8時半前に天塩に到着。
あと60kmで稚内というところまで来た。
またラーメンを食べたかったが、店を行き過ぎてしまったので仕方なくコンビニ飯を食べた。
ここで、このブルベがきっかけで知り合いになったOさんに会う。
彼は台湾人と一緒に走っていたはずだが、その台湾人だけ先に行ってしまったらしい。
Oさんはをこのまま天塩に泊まるとのこと。
この先は動物が飛び出したりして危険なので日が明けてからの方が良いと町の人(?)から聞いたと言う。
自分も出来ればそうしたいが、稚内に宿を予約してあるし、出来れば次の日からゆっくり走るようにしたい。
とにかく、あと60km走れば峠を越える。
そんな思いだった。

しかし、この60kmが辛かった。

オロロン街道に入ると街頭が無くなる。
本当に真っ暗だった。
街道に入って直ぐ、風力発電機がいくつも連なっているところにやってくる(オトンルイ風力発電所)。
闇の遥か先の空は街の明かりが反射して薄く白くなっている。
風車のてっぺんに取り付けられた赤いライトやその麓にある施設の明かりがある以外は、
自転車のライトとそれに反射する下向き矢印の道路標識だけが光って見えた。
風車はが回っており、ゴゴゴゴーという唸りのような音が暗闇に怪しく響いている。
本来は観光名所となっているところのようだが、夜に来ると不気味でしかない。
そして、風車の有る一帯を過ぎると、本当に何も無くなった。
オロロン街道に風力発電所以外に何も無いというのは知っていたが、何も無いというのがどういうものかは分かっていなかった。

これが何も無いということか…

比較的、海に近いはずだが波の音が全く聞こえない。
わざわざ海の方をライトで照らしてみたが見えるほど近くではないようだ。
少し走ると、遠くの方に光る点が見えた。
どうやら信号機のようだ。
しかし、その信号機が走っても走ってもなかなか近づかない。
信号機が有るのはT字路なので、数キロ先であることは確かだ。
etrexで縮小してみたが、やはりかなり遠くだ。
いかに平坦で何もなく直線の道路であることが分かる。
時おり車が後ろからやってくるのがバーエンドミラーに映る車のライトで分かるが、その車もなかなかやって来ない。
体感では5分くらいはかかっていた。

民家も無く、前後に走っている人も見えないので心細いのも有ったが、
このような開けた景色の良いところを夜走ってしまったことにも後悔した。
実は数キロ走ったところで引き返そうかとも思ったが、稚内に着きたいという思いの方が勝った。

遠かった信号機に辿り着き、その先の「砂の駅」で止まった。
オロロン街道沿いには休憩施設が2つ在って、そのうちの1つ目となる。
トイレ施設の前では若いサイクリストがテントを張っていた。
やはり彼も「寒い」「防寒具はそれ程持っていないので辛い」と言っていた。
ここでは前を走っていた人に追いついたが、その人は自分には目もくれず先に行ってしまった。
協力出来たら楽だったのに…。

あと40kmだ。
が、しかし、寒いし向かい風だしで辛い。
そこから数キロ走ったところでついに眠くなってきてしまった。
むしろ、ここまで良く保った方だ。
この時点で1460km。前日に300km。1時間寝て270km。時間も22時半を回っている。
走りながら意識を失いかけたので、しかたなく自転車を降りて歩くなどした。
さすがに何もないというのにも耐えきれなくなり、ラジオを聞いたり、
マサズチャンネルをダウンロードして聞いてみたりしたが、
スマホのスピーカーでは走っている間は聞こえず、直ぐに切ってしまった。

ノロノロ走って、次の休憩施設「浜勇知」までやって来た。
実は砂の駅以外にこのような施設が有ることは知らなかったので、ここに立ち寄れたのはラッキーだった。
辛いので、ここでも一休みした。

あと、もうちょっと…。
寒さと向かい風に耐えながら、変わらずノロノロと進み、抜海(稚内の10km西の漁港)を抜け、やっと稚内までやって来た。

時間は1時を過ぎていた。
すき家がやっているのは意外だった。
何か地元の店で食べたいと思ったが、開いてる訳がない。
こんなことなら、すき家でさっさと済ませるべきだった。
仕方なく、またセイコマで弁当を買ってホテルで食べることにした。

ホテルには先客の自転車が2台有った。
これだけでも安心できる。
ホテルはビジネスホテルだし、連絡もしておいたので受付に人が居た。
禁煙ルームは取れず、喫煙ルームに消臭スプレーを掛けておいてもらう予約だった筈だが、
話が通っていなかったようで、その場で消臭スプレーを受け取り自分で吹きかけることになった。

宿泊階に着くと、あからさまにタバコ臭い。
部屋に入っても臭かった。
早速、弁当を食べると部屋の中に弁当の匂いが充満し、またスプレーを掛けた。

1000km以上は未知の世界だったが、なんとか5日連続300kmを走りきり気が抜けた。
やっと、、やっと寝られる!
6時間くらいだが、充分と思えた。
シャワーを浴びた後、急いで布団に潜り込んだ。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その6 瀬棚(須築漁港)~札幌

2020-05-02 18:53:40 | ブルベ
2時半に起きると、メッセンジャー通知が来ていた。
読むと、R札幌からで「島牧付近で熊出没のため、夜間の走行を控えろ」とのこと。

この時、判断を大幅に誤ってしまう。
ストップしなければいけないなら、時間延長が有るはず。
と、勝手に判断してしまった。
さらに明るくなってからなら6時くらいまで寝られる。
と、良いように考えてしまった。
そんなことで、結局、5時45分まで寝てしまった。

起きたあと朝食を食べたが唾液が出ない。
こうなると飲み込むまでに時間が掛かる。
旅館の人に状況を聞いたりしていたらスタートが6時18分になってしまった。
目の前を蛍光イエローの台湾人と、このブルベがキッカケで知り合いになったOさんが走り去って行った。
日がだいぶ登っていて、既に蒸し暑い。
まずい!もしかすると最後尾か?
焦ってスタートしたものの、膝の痛みは変わらずなかなか先に進まなかった。

40km程だったかコンビニに立ち寄ることにした。
するともう一人の台湾人Eさんがやって来た。
おそらく、彼が最後尾だろう。
外国人の彼ならR札幌から何か別の情報をもらっているのではないか聞いてみたが、持っている情報は同じだった。

さらに先に進んだ。
この日はコース内最難関の峠が有る。
その前に予定通り、今日スタートから100km地点の道の駅シェルプラザ・港で休憩した。
唾液が出ないときは塩飴を舐めると多少改善されるが、この時は改善しなかった。
旅館で握ってもらったおにぎりがなかなか喉を通らない。
またも休憩に時間が掛かってしまった。

空は薄曇りで昼になるとさらにジリジリと暑くなってきた。
この後は雨の予報だ。
とにかく先に進まなくては。

道の駅を後にして、峠へと走り出した。
徐々に暗くなる空。
登りに入る前に小降りだった雨は徐々に勢いを増した。

膝が痛いのは相変わらずだが、お尻の方も耐え難い痛みになっていた。
もう、普通には座っていられない。
バイクを降りて、角度を変えてみる。
少しの時間は良いが、すぐに痛みがぶり返してしまう。
そんなことを、2~3回は繰り返した。

標高も上がって寒くもなってきたので、本格的にレインウェアを着ることにした。
止まっていると、さっきの台湾人がやって来て雨雲レーダーの画像を見せてくれた。
すぐ近くに真っ赤なエリアが有り、大雨に晒されることが分かった。
お互い走り始めると台湾人は遅れ、暫くしてフォトチェックポイントまでやって来た。

新見温泉入り口の看板


チェックポイントではスタッフの人が待っていてくれた。
小径車の人が少し先に走り去ったという。
やはり最後尾のようだ。
熊ストップによる時間の延長や救済処置は無いのか聞くと、今のところは何も聞いていないとのこと。
何かしらの処置をお願いしたいと告げ、先へと進んだ。

その後、次の札幌のPCは通過チェックに変更。
その後のPCは2時間遅れの処置となった。

峠を越えて積丹半島の南側の根本の街、岩内へとやって来た。
予定通りセイコマで食事休憩をした。
ここでは雨が止んでいたので、このまま行ければと思っていたが、半島を回り始めると雨風が激しくなってきたので、たまらず再びコンビニへと逃げ込んだ。
すると、さっき食事したにも関わらずお腹が減っていたので、今後のことも考えて再び食事をした。
しかし食べ終わっても、なかなか雨が止まない。
時間が押しているので先へと進みたいが、風が台風並みに激しいし、レーダーを見るともうすぐ過ぎ去りそうだったので、落ち着くまで待つことにした。
15分以上待ったと思う。雨の勢いが収まったところで再び走り出した。
少し向かい風があり、疲れと膝の痛みでなかなか前へ進めない。
実は2日目から自作のキューシート台が壊れてしまっていた。
走りには全く影響の無いレベルだったが、こんなことで残りの1300kmを走りきれるのか心配になってきた。

半島の先端付近まで来たら半島の突端まで行かず、国道沿いに右に折れると野塚郵便局が有って、そこがフォトチェックポイントになっている。

野塚郵便局にて


既に夕方になっており、先を急がなければならないと思った。

走り始めてまもなく、日が暮れてしまった。
街頭がほとんど無いので暗い。
熊が出てくるのではないかと、気が気でならなかった。
幸い、国道ということで、たまに車が通る。
もっと来いと願いながら走った。

再び海岸沿いまで出た。ここまで来たら安全だ。
一息つくためにコンビニで休憩していると、一人の参加者がやって来た。
GPSが壊れてしまい、途中で立ち往生していたという。
このHさんはこの後、DNFしてしまったようだ。

この後の札幌までが辛かった。
高低図に出てこない起伏がやたらとある。
直線的にガツンと登る坂が3回くらいは出てきたと思う。
また、交通量も増えてきた。
札幌に近づくに連れて信号が増え、ついには信号峠へと変わった。
当初は時間内に到着予定だったが、どんどんと遅れていき、ついには20分近くも遅れて到着することとなってしまった。
(2時間遅れの仮想クローズ時刻が23時54分だが、上記の通り、このPCは通過チェックに変更された)。

時刻は日にちをまたいで0時11分になっていた。ここまでで1172km。
コンビニにはR札幌の吉田さんがおり、先に知らされていた今後の処置について説明を受けた。
ちょっと延長の時間や知らせが遅いことに不満だったので、つい文句を言ってしまった。
しかし、大人の吉田さんはやんわりと返してくれたのだった。
そこで落ち着いて考え直し、ブルベの本分を思いだして、遅れたのは自分の判断が甘かったことが原因だし、それは自己責任であると自分に言い聞かせた。
これで、気分的には吹っ切れて次の事を考えられるようになった。

夕飯を食べになか卯へ入った。
大盛りを食べたくてザルうどんを頼んだが、体が冷えているときにこれを頼んだのは失敗だった。

予約しておいたホテルへと移動。
計算すると、1時間しか寝られない。
ホテルの人に、今何を走っているのかと直ぐに出ることを告げると、当たり前だがマジかよという反応をされた。
送っておいた荷物を受け取り、部屋に入ってシャワーを浴びた。
睡眠時間は1時間。
寝たところで起きられるのか?
起きられたところで、明日また300km走ることができるのか?
不安だらけだが、寝るしかない。
せめて熟睡出来るよう、祈りながら目を閉じた。