kebaneco日記

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2011年08月26日 | 猫ら&家族
ケバさんが食卓でくつろいでいる。くつろいでる割には目つきが怖いですけど、あたし、なんかしでかしちゃいましたか(笑)?でも、あの迫力あるメッセージっちゅ~か脅迫(笑)?のおかげで、数名パブリックコメントを提出した人が増えましたよ、ありがとう。

ケバが怖い目してる理由、ひとつにはあたしが8月に2度も帰省したことだろう。最初は8月4日5日で、両親の住んでいる地方都市の地域包括支援センターの方と、母の介護保険申請に関する話をするために。そして23日24日は、9月から忙しくなるので現状の最新情報収集・提供のためと、前回の積み残しの作業を片付けるために。シモベの手が行き届いてないのは、理由が理由だけに勘弁してほしいあるよ。

昨年秋に父が入院・手術したときに、母の異変に気付き病院に連れて行き、アルツハイマー型認知症と診断された。その時は、まだ介護申請はしなかった。しかし、今回父が入院して母の症状が劇的に進んだ(あるいは進んでいたことに気づかされた)でことで、なんとしても介護認定を!と思うに至った。でも、一体どうするのかわからない。そこで、あたしは両親が住んでいる市のホームページの「介護保険」セクションの「問い合わせフォーム」を使って、状況を簡単に説明し、どうしたらよいか教えてほしいとメールを送ってみた。

介護保険は、40歳以上の国民全員に保険料の支払い義務があるにもかかわらず、受給資格があるのでは?という状況になった時に、申請するその方法が極めてわかりにくいという重大な欠点を持ってるのではないかと思う。父は定年退職して郷里に戻り、現在住んでいる地方都市の監査委員を2期8年務めていた。7~8年前までとはいえ、行政制度やサービスを監査できる程度の情報を持っていた、その父をして「介護保険はわからない」と言わしめるこの制度、ふつ~の年よりにはわからんぜよ。

それって、いわば入場料を延々払わされているのに、入口がきちんと表示されてない会員制施設のような状態。詐欺じゃん、それ。しかも、少し介護保険のことを知っていそうな人は「運動能力に問題ないと、なかなか認定されないよ」と口をそろえる。だから最初介護保険の申請は行わなかった。でもそれじゃぁ何のための保険なのさ?問い合わせフォームでメールを送るあたしは、ハリネズミが針を垂直に立ててウニみたいになった、最高レベルの警戒状態・ほぼ戦闘態勢だった。それは7月29日金曜日のことだった。

ところが翌週8月1日月曜日の午前中には「メール拝読しました。一度お話したいので、電話ください」というメールが返ってきた。そこからさらに情報を提供し合い、その週の4日の帰省に合わせてアポをとって、直接会って介護保険について話をし、両親の状況と老人の二人暮らしゆえのこちらが抱く心配・懸念を説明する機会を得た。同時に、近所に仲の良い(母の)友達がいるなら、挨拶に行って電話番号を教えてくるとよいなど、かなり具体的なアドバイスも頂いた。また、こちらが想定していなかった父の介護申請についても提案され、入院中の病院に常駐しているコーディネーターと接触するというオファーを受けた(父は結局心配された大腸がんが杞憂だったため、介護申請には至ってない)。

さらにあたしがなかなか帰省できない事情を斟酌し、「今日の午後調査員の予定が空いているので」と、その日のうちに父の病室で母の聞き取り調査をアレンジしてくださった。さすがにそんな即応を予期していなかったため、あたしの側の準備が整っておらず、最初の一歩を間違っては逆効果と思い「母が嫌がるかもしれないし、事前に今日そこまで進めることに対する父の了解を得たい」「あたかも父の面接風を装ってもらえるとうれしいかも」などと、「ちょっと待ってくれ~」ブレーキをかけなきゃいけなくなるくらいの対応の速さ。驚きであり、感謝に堪えない。

聞き取り調査はその日のうちに無事終了し、あたしはその翌日、母の主治医である脳神経外科医院に立ち寄り「主治医の意見書のための問診票」を提出して帰京した。主治医はそれを元に意見書を作成して支援センターに提出することになっているらしかった。帰京してからも、母との電話のやりとりで認知症ゆえのことと思えるエピソードを「こんなことがありました」「こんどはこんなことを言って電話してきました、でもありえないことです」と、逐一支援センターの担当者にメールしておいた。彼女はそれを調査員にも伝えていてくれたらしく、調査員の報告書には事後的にそれらも書き添えられ、本人がよそ行きを出して妙にしっかり受け答えしていた聞き取り調査の状況だけじゃなくて、かなり日常に近い情報も掲載してもらえたようだった。こういうひとつひとつの対応は、あたしの「地方公務員」イメージを一掃するに十分すぎるものだった。

今週の23日に帰省したその日にも、事前にアポをとっておいて空港から市役所に直行した。父の病状や母の最新の状況、父が退院後自分たちの生活をどのようにしたいと考えているのか(できるだけ長く二人で居宅生活を送りたい、それに必要な公的支援を受けたいし、自費で必要なサービスを買って暮らしたい、ようだ)を伝えて、子どもとしてはそれを実現するために必要なサポートをしたいし、どういう公的支援があるのか支援センターのお知恵を拝借したい、子どもたちで情報を咀嚼して両親にそれを伝えてあげたいと思っているので、とこちらが切り出すと、では、と様々な資料・情報の提供を受けた。また、今後の状況の変化を想定して、母の認知症に関しては脳神経外科ではなく老人医療専門で入院施設もある病院に転院してはどうかと提案を受けた。かなり密度の濃い有益な1時間を過ごせた。

介護認定の会議は今週行われているらしい。父の入院中に母あてに結果が届いてしまうと、意味がわからなくて気分を害する・破棄する・紛失する、ということもありえると思い、弟のところに郵送してもらうようお願いした。支援センターからの郵便物があるときには、毎回事前連絡をしてもらいどちらに送るかを都度変えることもできるし、すべて同居しない家族に送る設定にすることも可能だと言われた。当たり前といえばそうなのかもしれないけど、市役所・支援センターの対応はかなり柔軟、本当に頭が下がる。

スタッフもきちんとしている、制度もきちんとしている(多分;笑)、今なお新たな施設もつくられるようだった。だったらなぜ「入口」をもっとわかりやすく示さないんじゃぁ~、と極めて残念に思ったkebaである。

また、先日帰省したとき母の通院に付き添ってお会いして意見書のお礼を伝えたら、主治医は「要介護認定が貰えるように、ちょっと重めの表現で意見書を書いておきました。聞き取り調査では、お母さん頑張って対応されたでしょうし、お母さんには麻痺もしびれもないので高い判定がつきにくいから」と言ってくださった。先生、ナイス!

週末には弟のところに判定結果が届くはず。神様ぁ~、せめて要支援認定おくんなせぇ~。そして、各地の地域包括支援センターの皆さま、どうぞ介護保険の「入り口」は、訪問して押し売りまでいかないまでも、でっかく表示・告知・周知徹底してあげてくださいまし~

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2 コメント

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Unknown (ちらり~ん)
2011-08-26 13:22:40
>本人がよそ行きを出して妙にしっかり受け答えしていた・・・

本当にチョット見では何の変化も無い様な態度をしますよね。家族ならばこそ微妙な違いが分かるものです。

それにしてもkebaさんの対応素晴らしいです!!

入り口と言えばkebaさんも又、老親介護の入り口に立たれたのですね。
これから日々色んな変化があることでしょうが、ご両親心穏やかな余生が送られることを、そしてkebaさんも安心して見守る事が出来るよう祈っています。
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>ちらり~んさま (keba)
2011-08-26 17:49:26
ありがとうございます。

我が家の救いは、父が81歳という年齢にしては明晰であることと、
夫婦が助け合えば年寄り二人暮らしでもやっていけると信じていることです。

昨年秋に「おかあさんの見当識障害にどう対応していいのかわからない」と悩んでいた状態から、
今回認知症の家族の介護者のためのパンフレットを渡したら、
「読ませてもらう」と喜んでいたものの、「だいぶわかってきたような気がする」とも言っていました。
また、家事負担からの解放も積極的に考えていて
昼食と夕食は配食サービスを契約したと言っていました。

その父も決して健康体ではないので
些細なことでバランスが崩れてしまうこともありえます。
不安がないと言えばうそになりますが、
前を向いて歩いていく以外にないと思います。
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