僕の中で、twitterの役目が終わったような気がする。これは僕が今、生きているこの瞬間が、大事な仲間、恋人、妻たちと体験してきたこの人生が物語そのものであることを示す、その書物を書くための訓練だったのだ。ありがとう。界王さまのところで訓練した悟空みたいな。あとは書くよ。文学を。
やっぱり自分たちの心の深井戸みたいなところに入っていったら、どこかで海のイメージに通じてると思ってます。それは無理なく思えることで。それを理屈で証明しろと言われたら困るんですが。
今年の方向性は今月で決まり、来年の方向性は春には決まるな。
もう単年度計画では足りない。時間が早く過ぎるのか、やることがたくさんあるのか、行動が遅いのか、軸はよくわからないけど、1年では短すぎて、3年では遠過ぎる。2年でなんとかしよう。
I decided to go to Mumbai and Singapore in this September if I get a bonus.
Cafe is a means of self-expression, place of declaration of intention. From now, it's the places for self-creation.
最近のカフェ業界におけるフルサービス回帰の流れは、心理的あるいは身体的に大きな政府を志向する流れと考えても違和感なかったり。
カネとモノより、光と声が際立つ場所の広がりを望む。
Unceasing conversation is not necessary in cafe.
クリアランスセールで買おうと思っていたコートを買いに行ったら店ごとなくなってた。縁がなかったんだなあ。
世界がマクドナルド化するどうかはこの先微妙だが、日本がカフェ化するのはほぼ決まったような。方向性はふたつ。セブンカフェとゲンロンカフェ。余裕の共存、となるかどうか。
日経エレクトロニクスを読んだりしている。最新号の特集は『やさしい機械』。機械に合わせなくていい機械がそろそろ続々くる、ということですね。でも結局ポイントは、温かさとか柔らかさとか匂いとか、そういうインターフェイスだと思うな。
こないだ初めて静脈認証でお金をおろした。何の違和感もなく。ビッグデータ化する人体はいよいよ地球内生命の枠組みを超えて、宇宙世紀の入り口に差し掛かって来たような気がしました。思い切り大袈裟に言ってみれば。
赤ん坊を見ていて思うのは、背伸びは冒険だ、ということ。機械に背伸びは出来るのか。ストレッチの痛い気持ち良さよ。
国際電気標準会議次期会長 野村淳二パナソニック顧問インタビューより。氏は直流と交流の電力網を一緒にした社会を創りたいとのこと。100年以上前の論争が現代に蘇る理由は、エネルギー損失の削減のため。なかなか革命的な議論ですね。
電力線がデータ線になる未来。未来はUSBの向こうからやってくる。
いい歳してガソリンの匂いが嫌いで、だから車も好きではないのですが、ぶつからないEVが出てきたら乗ってみたいです。