泉を聴く

徹底的に、個性にこだわります。銘々の個が、普遍に至ることを信じて。

里に帰った少女

2022-06-30 20:23:10 | 読書
 5月に仙台に行ったとき、大学の先輩が営んでいる「マゼラン」という古本屋で買ってきた本。
 店内をぐるっと見回して、直感で選んだ一冊。ほぼタイトルと表紙だけで。
 でも、どんぴしゃりだった。
 まるで、小説のお手本のよう。小説って、こうやって書くんだよと教えられた気分。
 最初からぐいぐい引き込まれた。
「児童書」というくくりは一応あるけど、大人でも十分に読み応えがある。今、ドラマ化したって全然おかしくない。
 12歳の少女、マミ子が、ある日、バスで塾に行こうとしたら、まったく見覚えのないところに来てしまった。
 金色の銀杏の葉っぱが敷き詰められた神社で、マミ子は杏子(キョウコ)という同い年の子と出会い、心を通わせるようになる。
 で、どうやら、誕生日プレゼントにマミ子の母からもらった年代物のコートに入っていた古びた切符のせいなのではないかと、マミ子は思い当たる。
 切符は2枚あり、もう1枚は使っていた。
 残り1枚。マミ子は、どうしてももう一度杏子に会いたくなって、バスに乗り、その古びた切符を使う。
 そうしてやっぱり杏子に会えた。
 杏子は、突然いなくなってしまった母親ともう一度会いたいと願っており、マミ子と一緒なら探しに行けるからと頼み、マミ子も受け入れて二人で探しにいく。
 結局会うことはできなかった。帰り道、マミ子は杏子のいる世界がずいぶんと昔なのだとわかっていく。
 バスに乗り遅れそうになりながらも、杏子の助けを得て、なんとか現代に帰れた。
 マミ子もまた、母子家庭に育ち、今、新しい父を母から紹介されたばかりで心が揺れていた。
 母と娘の話であり、離婚と再婚の話でもあります。
 母の知られたくない過去を娘が勝手に探っていると勘違いした母は、娘を思わずビンタしてしまう。
 次の日、娘は、杏子と一緒に見た海までいく。母に手渡された日記を持って。
 日記には、杏子がマミ子と会ったことが記されており、別れた後のことも書かれていた。
 海辺に来たマミ子は、日記に書いてあることと同じ道を辿ってしまう。
 が、同じにはならなかった。
 そこに、新しい展開と解決があります。
 流れるような展開。しっかりとした構成。
 そして文章の美しさ。丁寧さ。的確な比喩。
 たまたま買った一冊が、今の私にとってどんぴしゃりだと、その本を置いていた本屋への信頼も増す。
 この文庫本が出版されたのは1985年ですが、著者の「あとがき」には「1976年師走」と書かれている。
 ご存命なら79歳ですが、6年前に亡くなっていました。
 本は出会いだなとまじまじと思う。私が生まれたのは1977年の1月5日。ちょうどこの「星に帰った少女」の単行本が本屋に並んでいたとき。
 45年経ってこのように、お互いが求め合って出会うのですから。
 古本屋にしかない出会いというものも、今回、味わうことができました。
 小説の持っている力というものも。

 末吉暁子 著/偕成社文庫/1985
 

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