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今日のコラム

2013-08-06 05:18:13 | 日記


8月6日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

自分をほめる心境

 私はいま、二十代の夏の日のことをなつかしく思い出します。日のあるうちいっぱい仕事をし、晩にはタライに湯を入れて行水をするのです。仕事を終えたあとの行水は非常にさわやかで、“自分ながらきょう一日よく働いたなァ”という満足感を味わったものです。

 自分ながらきょうはよくやった、と言って自分をほめる、自分をいたわるという心境、そういうところに私は何だか生き甲斐というものを感じていたように思うのです。

 お互い毎日の仕事の中で、自分で自分をほめてあげたいという心境になる日を、一日でも多く持ちたい、そういう日をつみ重ねたいものだと思います。



2013年8月6日天声人語(OCN*朝日新聞デジタル)

天声人語

▼それは過去の記録ではない。写真家の石内都(いしうちみやこ)さんが、ドキュメンタリー映画『ひろしま』の中で言う。「私が生きている今の時間を撮っている」。被爆して亡くなった人の服や靴などの遺品を作品にしてきた

▼それらは石内さんにとっては「生きもの」だ。「写ってね」と念力をかけて、カメラを向ける。ワンピースなら、着ていた女性のことを思う。彼女の透明な容姿が見えたような気がしたら、「こんにちは」と声をかけてシャッターを切る

▼その撮影作業や、カナダで開いた写真展の様子を、日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド監督が映画にした。原爆忌をはさみ東京や大阪などで上映されている。核の悲惨を物語るのはキノコ雲だけではないと、今更のことを考える

▼遺品の持ち主はどんな人だったのか。見る側も想像に誘われる。壊れた眼鏡の写真に「最後に見たのは何だったの」と問いかける人がいる。「ここにいるよ」という呼びかけを聞いたと話す人もいる。死者を感じ、死者と語る。映画が示すのは、そんな「新しい経験」としての広島だ

▼ある時、写真展の会場に広島から修学旅行の女生徒がきた。偶然だった。ホーグランド監督は記念写真を撮らせて欲しいと頼み、その場面を映画の一コマとした。1945年に命を奪われたのはこんな子たちだったのだという痛切なメッセージだ

▼「広島は表現され尽くしている」。石内さんは以前そう思っていたという。描かれるべき広島の「今」はまだまだあった。


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