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かつて銀昆で…

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知らないことだらけ

2022-02-07 10:55:38 | 日記

半藤一利さんの本を読んでいて、
和製漢語のことが出てきたので、
メモ代わりに書き記しておこう。

明治維新によって外国語が流入してきた。
そこで時の文人たちは懸命にそれらを翻訳したわけで、
「社会」「経済」「科学」「汽車」「野球」などが有名だ。
森鷗外が訳したものとしては、
「交響楽」「詩情」「空想」「民謡」「女優」「長編小説」「短編小説」
といったものがあり、夏目漱石先生には、
「不可能」「価値」「連想」「打算」「電力」「無意識」
といった新しい言葉がその著『吾輩は猫である』に登場するという。

どれもよく使う言葉である。

この年齢になっても勉強になることが多い。

春のうららの隅田川~♪は、滝廉太郎の「花」だ。

 春のうららの隅田川 のぼりくだりの舟人が
 櫂のしづくも花と散る ながめを何にたとふべき

この詩に原典があることを知らなかった。

 春の日のうららにさしていく船は棹のしづくも花ぞ散りける
 
『源氏物語』の「胡蝶巻」にある歌である。
ちゃんと調べてみよう。


政治的小説家

2022-02-03 22:52:24 | 日記

石原慎太郎の小説は中学生から高校生にかけての時期に初めて読んだ。文庫本を何冊か買ったのだが、大江健三郎や福永武彦、遠藤周作などもこの時期、初読だった。ようするに好奇心で読みあさり始めた年齢に出会ったというものだった。読後感は明確に覚えていないが、乾いた修飾のない文体で、それ以前に読んでいた三島由紀夫の作品と相当異なるな…という印象だった。アメリカの作家たち、特にヘミングウェイの文体に共通している感触があると感じた。その後、石原慎太郎は政治者という印象しかない。小説も発表されていたが読んでいなかった。『秘祭』は購入している。この人の対談はたまに読んでいた。文人のと対談が多かった。三島由紀夫との対談が面白かった記憶がある。野坂昭如とのも面白かった。

 
石原慎太郎のことをおれは女友達と話したことがない。女性たちはこの作家にほとんど興味を示さない…というのがおれの感覚だ。あまりに政治的だからであろうか。あるいは、氏のどこかに女性に対する、幾分突き放したような視線の持つ冷徹さを感じ取っているからだろうか。
 
「太陽の季節」だけがクローズアップされるが、「行為と死」や「完全な遊戯」などの作品から、『青春とはなんだ』や『おゝい、雲!』といった痛快青春小説もあるし、政治の世界と通底するのかもしれないが、新宗教の世界をルポした『巷の神々』という書もある。おれはこの本を数回読み返している。また、名言集本も出していて、寺山修司の言葉集と対になっているような格言が集められている。だが、共通項もあるのが面白い。たしか、石原も寺山もAB型ではなかったか。非常に広範囲に物事や状況を眺めることができる才能を持っているのが特徴だと思う。石原慎太郎は、五木寛之と全く同じ生年月日だ。五木さんの言葉を聞きたい。五木さん、日刊ゲンダイにまだ連載されているのだろうか。また、石原は立川談志と親しかった。面白い組み合わせだな。ある意味、良質な東京人。偽悪的なところがよく似てる。

世界・わが心の旅

2021-12-08 12:39:31 | 日記
ラジオ番組で流す音楽を選んでいて、2003年頃までNHKのBSで放送していた「世界・わが心の旅」という番組のテーマ曲(立原摂子=作曲)をDLした。この番組は10年間続いていたそうで、実に多くの方々が出演し世界各地を旅した。
 
記憶に残っているのは麿赤兒さんのマリアナ諸島、高田渡さんのドイツ、三国連太郎さんのベルリン、小川国夫さんのスペイン、君原健二さんのギリシャ、高野悦子さんのポルトガル、米原万里さんのプラハなどだ。
 
その中で最も印象に残っているのは、美術史家である若桑みどりさんの回で、レオナルド・ダ・ヴィンチを巡る旅だったのだが、若桑さんのダ・ヴィンチへの思慕が濃縮されたような番組となった。すばらしい番組だった。若桑さんは2007年に亡くなられたのだが、今も彼女の著書から学ぶことは非常に多い。
 
この番組が終了する際、制作会社各社から継続の嘆願が出たそうだが、結局終わってしまった。さまざまな事情はあるにせよ、影響を受けた者として、いい番組を見せてもらったと思うし、この番組を通じて知った人たちがいたことは貴重だった。

思い出

2021-11-17 21:38:43 | 日記

2000年から2001年に年代が変わるのは、

20世紀から21世紀になるということで、

世紀を超えた対談が法隆寺と唐招提寺でおこなわれた。

瀬戸内寂聴さんと五木寛之さんの顔合わせだ。

 

秋の日、生憎の雨。

法隆寺の石畳を歩きながら寂聴さんが、

「今から一瞬だけ雨を止ませましょうね~」

と、おれの顔を見て言った。

ふざけているのでも真剣でもない表情。

つまり、普通の雰囲気なのだ。

 

おれは、寂聴さんの持っている傘を持った。

彼女にうながされてのことだ。

両手が空いた寂聴さんは印を結ぶようにして、

「えい!えい!」と叫んだ。

「はい。おしまい。これで少しはマシになるわよ」

そういって傘を持った。

 

・・・・・・数分後、雨が切れた。

その間を縫って、法隆寺石畳を歩く場面を撮影した。

「ね?」と、顔が笑っていた。

 

そんな思い出のある瀬戸内寂聴さん。

享年九九。

 

「一人を慎む」という言葉を今東光から贈られた。

その言葉の持つものを今、思う。


アナフィラキシー・ショック

2021-11-09 16:07:42 | 日記

浜崎あゆみさんが、アナフィラキシー・ショックでコンサートを中止したというニュースが出ていた。

このアレルギー反応は、おれにとっても身近なものだ。とりわけ、今回の新型コロナウィルスのワクチン接種に関して、アナフィラキシー・ショックの症状が障害となって、おれは未だに接種できていない。すくなくとも3人の医師に「重度の日本蕎麦アレルギーで、アナフィラキシー・ショックを起こし、これまで10回程度発症し、その都度救急病院でアドレナリンを接種している」という話をすると、全員が「コロナワクチン接種はやめておくべき」「ワクチン成分が不明なので進められない」という返事。大阪府と市が開いている新型コロナワクチン接種の相談窓口で訊いても、「判断はできないので、もうしばらく様子を見て」と言われた。飲み薬のワクチンが出てくれば、成分もはっきりするから、そこに蕎麦アレルギーを誘発する物質がなければ服用できるということになる。待つしかない。

浜崎あゆみさんが食物アレルギーでアナフィラキシー・ショックを発症したのかどうかはわからない。脚を骨折していたとの情報もあるから、鎮痛のために服用した薬剤か注射によるものと想像できる。

アナフィラキシー・ショックの症状は日本蕎麦、ピーナッツ、甲殻類によるものが強く、呼吸困難、血圧低下、意識低下などを引き起こす。その他の食物でもなる。おれの友人には、リンゴや梨で痒みを伴うアレルギー反応を示す者もいて、最初聴いたとき「リンゴや梨とは……」と唖然とした。気の毒である。

おれの家族にアレルギー体質の者はいないはずで、妹が花粉症かもしれない程度だ。父母も食物アレルギーはなく、おれだけが日本蕎麦アレルギーになった。その原因を母は、「お前を妊娠中、朝昼晩と蕎麦を食べたから」などといって謝っていたのだが、三食とも蕎麦を食べ続けるのは大袈裟だし、もし仮に日本蕎麦をよく食べていたことでおれが蕎麦アレルギーになったというのなら、そのエビデンス(科学的証明)を見てみたい。

まあ、おれが皮膚科かどこかでしっかりと調べてみればいいのだが、日本蕎麦を食べなければ問題ないのならばと……そのままにしてきた。だが、蕎麦粉を使った料理が健康食だと言われ、蕎麦茶などが普通に出てくる状況はなかなか厳しい。フランスのガレットやロシアの蕎麦パン(最後におれがアナフィラキシー・ショックになったのは、京都四条のキエフで食べた黒パン、ライ麦で作られたパンだと安心してい食べたら、実は蕎麦粉を使ったパンだったという話)などがある。海外旅行はもうしないだろうけど、日本のレストランなどで普通に出てきたらどうしようもない。

最近は注意書きを添えているところが増えてはきているけれど。とにかく気をつけよう。