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桜三月散歩道

2025-03-31 11:47:28 | 日常の素描
「ねえ君」から始まって、「川のある土地へいきたい」といい、
「だって君が花びらになるのは、狂った恋が咲くのは」…とつづき、
「僕も狂い」、「人も狂う」という歌詞がくりかえされるのが、
井上陽水の『桜三月散歩道』だ。
陽水はなんだか凄い詩を書くのだなぁとアルバムのクレジットを見ると、長谷邦夫とある。

このアルバムを聴いたのは高校生の時で、
漫画雑誌もよく読んでいたのですぐに長谷邦夫の名前に気がついた。
「へえ、漫画家さんが書いた詩か…。才能あるんやなぁ」と思ったのだが、
作者のことより、やはりのこの詩の世界の「狂」の方に惹かれた。

その後、大学で仏教学を学ぶようになり「風狂」という言葉を見つけた。
たしか、梶井基次郎の短編だったと思う。
まだ大学2回生頃だったが、ゼミの池見先生に
「この、風狂と言葉は面白いと思うんですが……」と尋ねてみたら、
先生も「面白いね。私も興味があるんだよ」と、幾冊かの本を紹介してくれた。

風狂とは、仏教が本来的に保持している戒律を逸する行為、行動のことで、
おもに禅宗などで語られることが多い。

おれはすっかりこの風狂というものに夢中になり、
1980年秋、京都市左京区の久多で旗揚げした劇団の初公演『神無月奇談』を書いた。
この戯曲は神隠しに遭遇した少年が三年ぶりに戻って来る話を基軸に、
いろいろと狂った物語が盛り込まれた舞台だった。
この戯曲を書いている時に流していたのが「桜三月散歩道」だった。

桜=三音、三月=四音、散歩道=五音の響きは、
俳句や短歌の五音、七音につながるようで全然違う。
しかし、心地よい感触が発語すると残る。
ぜひ声に出してみてくださいな。
さくら・さんがつ・さんぽみち……「さ」行「さ」音のさらさら感がある。
長谷邦夫さんは素晴らしいなあ…と、
戯曲を書いていた京都市北区玄以通近くの安アパートで声を上げたものだった。
このアパートではその後、1980年12月9日の午後、
卒業論文を書いていた時にFM放送でジョン・レノンが銃弾に倒れたニュースを聴くことになる。

季節は三月に戻る。
陽水の「桜三月散歩道」を今年はラジオで流さなかったが、
三月になるとこの歌が頭の中で流れて来る。
歌いながら歩くこともある。
「川のある町へいきたい」が好きだし、
「城のある町へ」と変えてしまうこともある。
「君が花びらになる」は、やはり梶井基次郎の『櫻の樹の下には』を連想する。
20代のおれは梶井基次郎の小説をよく読んでいたのだなぁ。

さて、長い前置きになってしまったが、おれの、上野卓彦の三月はどうだったのか。

年度変わる三月は終焉の時機でもある。
受け持っていたラジオ番組の終わりが重なった。
足掛け六年つづいていたラジオ大阪の「聴いてもらうも他生の縁」が終わり、
エフエム宝塚の「レディースサロン」「バラのくちづけ」が終わった。
その最終収録が重なったので実にあわただしいひと月だった。
さらに四月から新装される番組の準備もあり、睡眠時間もあまり取れないという、
この年齢(六八ね)にしては凄い、いや、ヤバい暮らしぶりだった。

さらに、農業雑誌取材で島根県江津へ出かけたし、
寒くて氷雨が降って田畑の撮影もできなった。
四月からは時間的な余裕ができるだろうと、
大阪公立大学の市民講座に申し込んだのだがこれがフライングで、
三月に二講座が開講されるという事態に直面。
『高島屋と南海電鉄』という魅力的な講座だったので行かないわけにはいかずにきちんと受講。

この忙しい時期であるにも関わらず映画館に足を運んで二本の映画を鑑賞する。
歯科医院にも通う。
そんなことなら飲み会にも参加できないだろうと質問されると、
「いや、それはまた別の話やん」とばかりに、
新番組の打合せ後に南森町の旨い日本酒と肴の店で五合の銘酒をいただき、
3月8日には「箕面ミモザの会」に呼ばれてでワインを飲み、
3月10日には、エフエム宝塚で六月に放送し、イベントも開催する番組打合せで、
温井局長とちんどん通信社の林幸治郎さん、歌手の青木美香子さん、
落語家の桂白鹿さんと谷町六丁目にある、
詩人金時鐘さんの奥さんが経営されている「すかんぽ」で焼酎を飲み、
20日は久々に西天満一座のベーシスト・松ちゃんと天神橋商店街の居酒屋で飲み、
翌日はぷよねこと谷町の立ち飲み屋「マルキン酒店」→「木下酒店」と梯子酒をしている。
むろん、家でも缶ビールと焼酎ロックは毎晩呑む。

一年煩悩の数だけの断酒、百八日断酒を掲げたので、
平均すれば月に九日は呑まない日を設定しなければ達成できないのだが、
三月の飲まない日は四日でした。いかんね。

というわけで、「桜三月散歩道」はやはりどこか狂ったような、
あるいは風狂のような、石川淳の狂風もなかなかいいな、と思いつつ、
今月末〆切だったちんどん通信社特番のラジオ台本初稿を昨日ようやく仕上げて各所に送る。
ラジオ番組としては異例かもしれない10枚を超えるもので、
60分番組だからその程度かもしれんけど、
ともかく、何とか芸術祭に出品するなどと局長が言うので
それ相当に受賞しやすいだろう仕掛けを作ってみた。
でもね、こういうのが本当はいちばんイカンのだよ、仕掛けが。

一人酒、一人食べ

2024-09-17 21:05:47 | 日常の素描
大阪環状線天満駅界隈には立ち飲み屋が犇き
若者から中高年までが丸腰警戒心なしで
カウンターで涎を垂らしている

その一味であるぷよとおれも中瓶麦酒を飲みながら肴を突きつつ
饒舌なる刻を送っていた

単独客の中年短髪常連風女性が躊躇い勝ちに
「食べられるかな一人だしな」
と独語なのか店員に気づいて貰おうかの魂胆で呟いた

おれの眼前が調理場になっていたので
疲れ気味だが愛想はいい店の男が
茹で上がった蟹の甲羅を二分割し
脚を細かく捌いているのが見えたから
女は注文したのだと確信した

ぶよとの会話が途切れはするものの弾む時もあったので
数分の間は空いたかと思うが
眺めると女が格闘するように皿の上の蟹にむしゃぶりついていた
その横顔に広がる喜色

女は相当蟹好きだと窺え知れ
おそらく産地海の近くの生まれではないか
というおれの想像は外れることも多いが
立ち飲み屋カウンターで一人蟹に喰らいつく姿には
愉悦を超えた孤高から溢れおちる寂寞すら放っていた

独酌独り飯は悪いことではないものの
蟹や河豚や鯨などは複数人で食すのが相応しいように
思えてならぬ



ヤマハのFG-240

2024-08-05 13:11:02 | 日常の素描
FG-240のゲージをはずす。
これから西天満一座の音合わせがある。
そこにこのギターを持っていくのだけど、
やはり、ニューゲージの方がいいだろう。
外してあちこちを念入りに磨いて拭いた。
サウンドホールを覗くとラベルが見えた。
何年の付き合いだろう……。


あさってまでゆっくり休ませて弦を張る。
安モノのゲージだけど張りたてはいい音。
いろいろな歌の伴奏をするのが楽しみだ。

モーニング・ギター

2024-05-02 10:33:33 | 日常の素描
朝早く起きて原稿を書く。9時に仕上がって、
家人がいないのをいいことに、
ギターを弾く。
YAMAHAのFG240
スーパーライトゲージを張ってみた。
指先が弱いし、指力も落ちてきている。
柔らかな弦からは穏やかな音が出る。
今の自分に合っていると感じる。
あれこれ弾いてみる。
だが、朝にふさわしいのは、
ゆっくりめのスリーフィンガーだな。
親指用のピックを買いに行こう。


Early Morning Rain

2024-04-23 08:02:41 | 日常の素描

"Early Morning Rain"朝の雨という歌がある。
ピーター・ポール&マリーで有名な楽曲だ。
朝起きて雨が降っているとこの旋律がふと浮かんでくる。
歌詞はたしか、どこかの空港に佇んている男の話で、
所持金は1ドルしかなくて、雨が降っている。
ボーイング707が登場するから1960年代から70年代だろうか。


この歌の作者はゴードン・ライトフットだ。
カナダ人で、昨年84歳で亡くなっている。
ライトフットには季節労働者を歌った唄が多いから、
もしかしたらこの唄もそうかもしれない。
ジェット旅客機を眺めながら、
雨の降っていないところへ行ってしまうんだ…
そんなことを思っているようだ。


このところ雨が多い。よく降る。
だけど、先日大阪城の外堀沿いを歩いたとき、
水位が下がっていて石垣の下部が露出しているのを見た。
ここ二日ほど降り続く雨で少しは戻るだろうか。
水田地帯では、養分が育つ雨になるのだろうか。
黄砂という名の塵が入り混じった雨には害があるのかもしれない。


ピーター・ポール&マリーのこの唄は美しい。
PPMは、歌えばたいがい美しいハーモニーにしてしまう。
男の唄なのでマリーさんの声は抑えられている。
いつか歌ってみたい唄の一曲だ。
大介さんはPPMが好きだから喜ぶだろう。
「Cruel War 悲惨な戦争」や
「Leaving on a Jet Plane 悲しみのジェットプレーン」かな。