かつて銀昆で…

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2013年3月の記録

2021-08-30 12:49:00 | 日記

2日つづけて京都で仕事をする。
番組の撮影の立ち会いで、おれはインタビュアーになるのだが、
撮影の技術にはかかわりがすくないので、
時間があれば写真をうつすという恵まれた環境だ。
もちろんインタビューする対象者の〈おもり〉という仕事はする。
世間話から仕事に関係する話へつないでいくということで、
気楽といえば気楽です。

朝の京都。
ようやく寒さがやわらいできた。
すこし早く到着して、京都御苑を散策する。
自転車で通勤通学する人が通りすぎていくが、多くはない。
広い敷地が気持ちいい。

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撮影隊と合流して、寺町通にある廬山寺に向かう。
紫式部の邸宅があった場所として有名になった天台宗の寺院。
それまでこの世界最古の小説を書いた女性の家は特定されていなかった。
古文書などから特定したのが考古学者の角田文衛博士である。
今では『源氏物語』ゆかりの桔梗の花や「源氏庭」で有名な古刹だ。

寒桜が咲いていた。
この時季と、秋9月にもう一度花を咲かせるのだという。

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それにしても、いい庭である。
決して大きくないが、表情がゆたかだ。
苔むした部分は、流れる雲を造形している。
この苔の上に、祇園祭のころから中秋まで桔梗が咲くという。
ぜひその時季に訪れたい。

この廬山寺の裏手に小径をみつけた。

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魅力的なので、思わず歩きだす。
すると苔が張られた庭に出た。

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気持ちがいい。
空気がおいしい。
花粉の季節だけど、それを感じない。
庭の奥は天皇陵だという。
廬山寺を訪れる人も、あまりここまで足を踏み入れないようだ。

ひっそりとこうした場所があることが京都らしく、
それを見つけたことが幸運だと思った

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その後、撮影隊と一緒にある民族衣裳コレクションを見に行く。
これはアフガニスタンの女性のもの。

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まるで花畑のような色彩に、砂漠色のカブールを想い出す。
色のない世界でこのようなあざやかな衣裳が紡がれる。
いや、かつてのアフガンは緑あふれる世界だったのだろうか。
女たちはこの衣裳を身につけ、そこにベールを被っていた。
それがこの黒い大きな布である。

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細かな刺繍がほどこされ、ずしりと重い。
古来からこのイスラム国の女性たちは素顔を出すことはなかった。
黒のベールを被り、魅惑の面影をいとしい者以外には隠した。

だが今、アフガニスタンの女性達はブルカと呼ばれる同じ色の布を纏う。

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織物や刺繍など、服飾の技術が失われつつある。
文化史的な喪失である。

京都は長いが、まだまだ知らないところがたくさんある。
とりわけ上京の古い京都には宝石のような場がある。
新しい中京衆の地とは異なる隠れ京がある。
もちろん御池以南の鴨川沿いは、
刑場と芸能と歓楽の悪場所という魅力が充満している。
だが、しっとりとした雰囲気漂う上京に惹かれるのは、
年のせいだとは思いたくないのだが。


彼女はキャロル・キングを聴いているか?  

2021-08-12 22:02:39 | 日記

アルバム『Tapestry〜つづれおり』は、キャロル・キングが窓辺に坐り、
その前に猫がこちらを向いている写真がジャケットになっている。
よく見ると、彼女は編みかけのタペストリーを持っている。
これがアルバムのタイトルだ。
レコーディング中、ずっと彼女はこの編み物をしていたそうだ。
そして完成したものをレコーディング・ディレクターにプレゼントした。

ぼくも以前、このLPをある女の子の誕生日にプレゼントした。
もう50年近く前の話、つまり高校生のころだった。
マセた嫌なガキだ。
付き合っていたわけでもない。片思いだったのだ。
誕生日の朝、彼女の家の玄関先にこのアルバムを置いてくるという、
これまたキザというか、鼻持ちならない方法だった。
いま思い出しても顔が自然発火する思いだ。

このアルバムに収められている歌はいい歌が多く、
アルバムは実に長い期間、アメリカのヒットチャートに留まり続けていた。
完成度、というより、歌のすばらしさがこのアルバムには詰まっている。
「きみの友達」や「Will You Love Me Tomorrow?」「So Far Away」
それに「It's Too Late」といった歌は、その後何度もラジオから流れたし、
ライヴハウスで彼女の歌をうたう日本の女性シンガーを見た。
「みんなキャロル・キングの歌が好きなんだなー」
聴きながら、一緒に歌える自分がいた。

ところでぼくは好きなあの娘にこのアルバムをプレゼントしたと書いたが、
「では自分は持っていたのか?」
といえば、持っていなかった。カセットにダビングもしなかった。
高校生当時、家のステレオには録音装置が付属されていなかったのだ。

結局このアルバムをもう一度手に入れたのは19歳になってからだった。
大学に入って、一乗寺の学生アパートに住むようになり、
そこに暮らす大学生や、近所の先輩と親しくなって分かったのだが、
多くの学生がこのアルバムを持っていた。
ある日、山形県出身の先輩が「やるよ」といってLPを差し出した。
「この『Tapestry』は、いいですね」
そんなことを何度も口走っていたのだろう。
卒業を間近に控えた先輩は、故郷へ帰る前に整理していたのだと思う。
〔うるさい後輩にくれてやれ〕……そんなふうに思ったに違いない。

しかしぼくはその当時、ステレオを持っていなかった。
つまりもらったアルバムを聴くことができなかったのだ。
だが、嬉しそうに受け取った。『Tapestry』が今も本棚の上にある。

ぼくが好きな子にプレゼントした『Tapestry』を、
彼女は今でも聴いているだろうか。
レコードだからもう聴くことなどないだろうなあ。
CDを買い直しているだろうか。
そこまでの思い入れなどないかも知れない。
だけど、今でもときどき思い出して、
キャロル・キングを聴いていてほしいと思う。

So far away…
Doesn't anybody stay in one place anymore?
It would be so fine to see your face at my door.
Doesn't help to know you're just time away.

 

 


消えた店々  

2021-08-12 11:55:39 | 日記

大阪にある「消えた名店」なる文章を書いていた。淡路町の「丸治」や、法善寺の「樹の枝」などで、これは池波正太郎の文章から知った店だ。

「丸治」は、いかにも船場の商家風の建物で、看板も暖簾もなかったという。料理は「あぶらめ(鮎並)」や「わかめと若竹の吸物」「さらし鯨の酢味噌」といったもので、酒は菊正宗の樽だったという。もちろん、有名な「船場汁」もあったことだろう。これは、塩鯖と大根や人参などを煮込んだ具だくさんの汁物だ。

一方、法善寺の「樹の枝」は焼鳥屋で、池波の文章を引くと、「見るからに苦っぽい亭主が愛想ひとついわぬばかりか、客に噛みつきそうな面がまえで鳥を焼く。そのそばで、これまた不愛想きわまりないおかみさんが、黙念と鳥へ串を打ち、酒の仕度をする。」(「大阪から京都へ」『食卓の情景』新潮文庫)しかし店前は常に行列状態であったそうな。

これらの店が消えたのはもう随分前のことで、おれは立ち寄ったことがない。出かけて食べた店で消えてしまった店といえば、天満のお好み焼き店「菊水」がある。名物のおじいが店を仕切っていた頃に行ったのだが、なるほどうまかった。だが、聞けば、おじいが亡くなられた後は、味が落ち、その後閉店してしまった。

長らく暮らした京都の「消えた店」としては、最近、「グリルアローン」(寺町御池上ル)がある。ここの名物はなんといっても「オムライス」で、巨大だった。腹を空かせた役者たちにはご馳走であった。また、同志社大学近くの「侘助」も閉店して、マンションになっているそうだ。さらに出町柳のラーメン専科「いちばん」も、いつのまにか閉店した。

どこの店も常連というわけではなかったけれど、たまに立ち寄ったり、店前を通りすぎたりして確認するのが楽しみだった。


MONPE倶楽部

2021-08-11 23:05:28 | 日記

バブル経済の真っ只中、サンテレビで「Monpe倶楽部」という、働く女性を応援する番組が放送されていました。モンペは昔の働く女性の活動着であり、たくましく優しい日本女性のシンボル…というようなことから、このような番組タイトルになったようです。

 制作と技術はTビデオ社で番組仕切りを中西克己氏が、某C社が演出を請け負ったことから私が構成台本を書かせてもらえました。

 司会は円広志さん。今ほどレギュラー番組を持っておられない頃のことで、トーク番組もおそらく初めてだったと思います。

 この番組が素晴らしかったのは、そのゲストの多様多彩さです。中西Pの手腕に負うところがほぼすべてで、通常のトーク番組には出演されないゲストをはじめ、地方ローカルの小さなテレビ局ではもったいないくらいのラインナップでした。

 すでに故人となられた方も多くいらっしゃいますので、慈しみと慎みを込めて名前を挙げさせていただきます。

司会:円広志 中村貴子⇒高田瞳

アシスタント:田口美幸 秋永さん 

準レギュラー:尾崎和行(故人)

故人となられたゲストの方々は、

高田浩吉、加東康一(芸能評論家)、かまやつひろし、中島らも、清水クーコ、堀江しのぶ、やしきたかじん、(二代目)桂春蝶、内藤陳、ジャンボ鶴田(敬称略)

現在も活躍中の方々では、

宮本輝、シブがき隊、世良公則、安藤忠雄、上田正樹、軒上泊、織作峰子、風間舞子、庄野真代、井筒和幸、高橋真梨子、西川峰子、城戸真亜子(敬称略)

 思い出せないだけで、さらに多くの人たちが出演されたと思います。

それにしても、なかなかのラインナップだと思いませんか?

さすが、中西Pです。

先日、円さんに久々にお会いしたとき、この番組の話をしたら「あれはええ番組やった~」と言ってもらえました。

 ネット検索してもほとんどこの番組のことは出てきません。代理店さんもTビデオも今はなく、痕跡をたどることができないわけで、記憶の中のオモシロ番組ということでしょうね。