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ロックミュージシャンはタバコをやめたことを自慢してはいけない

2025-03-15 08:25:42 | 日記

煙くて、いがらっぽくて、
友人いわく「煙草の煙を身に纏っているような気分」になる映画を観ながら、
「タバコをやめてごらんよ、声がよく出るようになるよ」と1970年代前半だろうか、
インタビューで応えていたのがボブ・ディランだったことを思い出した。
その言葉は音楽雑誌に載っていたもので、ここ数日、本棚に正対して探し続けたのだが、
おそらく以前少しだけ在籍した京橋にあった映像制作会社の書棚に置き忘れてきていて、
その会社もすでに引っ越したからその雑誌もおそらく捨てられているだろう。
何年の何月号か憶えていないからネットで古書を探す手立てもない。
1970年代前半のその雑誌すべてを買い漁って調べるといいのだろうけど。

ディランはこんなことを言っている。
ポール・マッカトニーは「努力せずに曲を書き上げているように思えるところがすごい」と。
裏返せば、自分は作曲するのが苦しくて、努力ばかりしていると。
ポールの凄さは、ジョン・レノンとは真逆的な印象があるのだが、
いたって自然に旋律が彼の身体から出てきているように思える点で、
バート・バカラックなどにもそのイメージがある。
だが、ボブ・ディランは懸命に曲作りをしている印象があり、
それは映画『名もなき者』でも描かれていたように、
朝、眼が覚めると裸のままギターを抱きかかえている点に象徴されている。
とにかくいつも楽曲と詩で頭は埋め尽くされている。
ギターを持てば何か出てくるのではないかと思っている。
同じように、四六時中ギターを抱えていたミュージシャンにジェフ・ベックがいる。
ただ、ディランと違ってベックの場合、
ギターは玩具のような、ヨーヨーのような、万華鏡のようなものかもしれない。
作曲したり新しいフレーズを生み出すためのストラトキャスターではなく、
あくまで玩具。だが、ディランは真面目で神経質で、どこか痛々しい。

曲を生み出すのに苦悩し、苦心している場面がディランには似合う。
その都度、せわしなくタバコをふかす。
だが、ポール・マッカトニーが作曲している場面を空想すると、
苦悩している顔とか、起き抜けに楽器に触るとか、タバコに火をつけるというシーンが思い描けない。
ジョン・レノンの場合ならいくらかそのテイストはあるような気がするのだが……。

ディランは去り行く恋人に火のついたタバコをフェンス越しに渡す。
彼女と一緒にタバコを吸った過去の場面を再現させるためなのかもしれない。
こうしておれたちは一緒にタバコを吸ってきたじゃないか…と言いたいのかもしれない。
だが、彼女は去っていく。
去って汽笛を鳴らすフェリーボートに乗り込んでしまう。

ディランがステージの袖でもギターを抱えてタバコを吸っているシーンが何度か登場した。
周囲でも喫煙者が多い。
おれが個人的に注目していたアル・クーパーが吸っている場面はなかった。
アル・クーパーはその後、Blood Sweat and Tearsを結成して、
「子供は人類の父である」という教訓めいたタイトルのアルバムを出し、
1枚きりで脱退したか、メンバーから放り出されたかして、
今度は、ブルーステイストのアルバムを出す、
といった、さまよえる人のような印象があって気まぐれに追いかけている。
1944年生まれだから申年だ。

さらに脇道に逸れるが、ディランがユダヤ人であることは周知のとおりだが、
"Like a Rolling Stone"のレコーディング・スタジオにギターを弾きに来て、
「ギターは間に合ってるよ」といわれて、
「ほんなら、キーボード弾いてええか?」
と聞くまでもなく鍵盤の前に座り、メンバーにスイッチを入れてもらい、
かろやかに弾きだすのがアル・クーパーで、彼もユダヤ人である。
そして、ギターのマイク・ブルームフィールドもユダヤ系である。

"Like a Rolling Stone"、アルのキーボード、なかなかいい味を出してる。

ところでナチス政権は、1933年のヒトラー内閣成立から「反タバコ運動」を開始している。
ヒトラー自身、かなりのヘビースモーカーだったようだが、カネの無駄遣いだと禁煙する。
妻や側近、ゲーリングなどが喫煙することを不満に思うようになった。
そして、「ドイツにタバコを持ち込んだのはユダヤ人だ」というようになる。
また、現代でもよく使われる、「受動喫煙=Passivrauchen」という言葉を造語したのはナチス・ドイツである。

ナチスのこの嫌煙運動と、1960年代中葉を描いた『名もなき者』での喫煙シーン、
ユダヤ人ミュージシャンの登場は無関係だとは思うが(ジョーン・バエズはメキシコ系でしたね)、
とにかく映画全体がタバコの煙に覆われているように思えたので、そんなことを考えた。
そして、冒頭に書いたディランのインタビュー発言、
「タバコをやめてごらんよ、声がよく出るようになるよ」。
ディランの声が1970年以降、「よくなった」と思う人は少ないのではないかと思うが、
果たしてディランは本当にタバコをやめたのだろうか。
その後のステージをネットで観ているけど、声はあまり変わっていないように思う。
♪~フォーエヴァー ヤーング~♪っていう歌声もやはりあの声だ。
禁煙していないのかも。
あるいは、「タバコをやめてごらんよ、朝の目覚めがよくなるよ」と応えていたのだろうか。

ミュージシャンに限らず、多くの人間がタバコを吸っていた。
昭和の時代、駅や病院の待合室、飛行機・列車の中でも喫煙できた!
と面白おかしく当時の写真などを挙げて紹介されているが、
電車のプラットホームでタバコを吸って線路に投げ捨てるなんて平気でやっていた。
いつ頃までだろうか。調べてみたら1978年頃から禁煙・嫌煙運動が始まったそうだ。
その頃から禁煙する人が増えてきた。
昭和41年(1965)の日本の喫煙率は83.7%だったものが、令和の現在は15.7%である。
「禁煙しました」と発言する芸能人が登場するようになったのは21世紀に入ってからくらいだろうか。
おれがよく憶えているのは、北野武さんが禁煙して、
テレビ番組のエンディングで大竹まことさんと喫煙所でエピローグを語る場面。
それまで二人一緒にタバコをくゆらせていたのに、ある日を境に武さんがタバコをやめ、
それでも喫煙所に来て、タバコを取り出した大竹さんに
「まだそんなもん吸っているのか!」と笑いながら言ったシーン。

それ以前に、読売テレビの「パペポTV」で、
当初は上岡龍太郎さん、笑福亭鶴瓶さんもタバコを吸いながらトークをしていたのが、
やがて鶴瓶さんが禁煙し、
二人の間に置かれていた缶の灰皿が、喫煙の上岡さんの方だけに半分に曲げられ、
やがて鶴瓶さんに進められてジョギングを始めた上岡さんも禁煙したのを、
時々観ていたので知った。
テレビを通じて禁煙した人を知って行ったのである。

ミュージシャンでもタバコをやめた人はいる。
だが、ロックやR&Bの音楽家には、
タバコをはじめ、アルコール、ドラッグ、セックスといったキーワードがいつも身近にあるような、
それはプラスなのかマイナスなのかよくわからないが、
ロック・ミュージシャンが
「酒は飲めないんです、タバコも吸いません、あの煙に弱くて……」というのが、
今ではそれでも十分あり得るけど、
1960年代から80年頃までは「おまえ、変わってるなぁ」というイメージだったのだ。
だから、もしタバコをやめても「禁煙に成功しました!」というミュージシャンは少なかった。
いや、禁煙したら黙っておくのが定番だった。
聞かれると、「いま、喉の調子がよくなくて控えている」みたいな答え方をした。
あがた森魚さんだったと思うが、タバコについて聞かれて、
「体質的にタバコは合わないんです」
と答えていたのを読んで、当時、喫煙者だったおれは、
自分が体質的にタバコに合う人間で良かった、
なんて思ったりしていた。
だが、1978年の嫌煙運動がスタートしてからだろうか、
いや、もう少し後、
1990年代になった頃から「ようやくタバコをやめることができたんです」という者が登場してきた。
本人は、時代の風を読んで禁煙社会が理想的な在り方だと考えての発言だろうけど、
これはどうかな、とおれは思う。
タバコをやめることがいけない、ミュージシャンらしくない、ロックではない、なんていうのではない。
声を職業の主軸にしている人ならタバコは天敵といってもいい存在かもしれない。
だが、「タバコをやめた」とちょっと自慢気に、
「どうだ」というニュアンスを含んだ発言にはかすかな抵抗がある。
少なくともロック・ミュージックを糧として生きているのであれば、
反体制的姿勢とはいわない、打ち解けなさとでもいうのか、
反迎合、非迎合な姿勢で生きているのはいいのではないかと思う。
もちろんこれが昭和的な発想であることは承知している。
「令和の世の中でっせ、今は。
そんなドグマみたいな、裏返せばド根性論みたいな考え方、
ロックは反体制だなんて、時代からの落ちこぼれだっせ」
といわれても仕方がないと思っている。
しかし、禁煙したことを自慢だけはしてほしくない。

鮎川誠さんも禁煙したミュージシャンだったが、
彼は、娘から「タバコを吸うってカッコ悪いよ」と言われてやめたと語っていた。
こういうのはなんかいい。

『名もなき者』を観て思ったことを書きましたとさ。

二年前のラジオ番組の内容

2024-11-03 11:42:42 | 日記
「読書の秋、おススメ本!其の壱」

11月6日(日曜)午後5時30分からの「サンデー・トワイライト」は、上野が最近読んだ本のお話をします。


『イケズな東京~150年の良い遺産(レガシー)、ダメな遺産(レガシー)』というタイトルで、国際日本文化研究センター所長の井上章一さんと、建築家で東京藝術大学教授の青木淳さんの対談+リレーエッセイ本です。


『イケズな東京~150年の良いレガシー、ダメなレガシー』は中公新書ラクレから出ている本なんですけど、井上章一さんというのは実に面白い人物です。


井上章一:国際日本文化研究センター所長。専門は建築史・意匠論、日本文化や美人論、関西文化論など多岐に渡る研究をする学者で、阪神タイガースファンでもある。著書には『霊柩車の誕生』『つくられた桂離宮神話』『美人論』『南蛮幻想』、最近注目を集めた新書本として『京都ぎらい』などもある。

青木淳:建築家で、東京芸術大学教授。現在は京都市美術館館長を務めている。横浜生まれ。


井上章一さんはこんなことをこの本で述べておられます。

新型コロナ禍で東京のオフィスから人が減った。リモートワークをする。会社がある都心部の高層ビルから人がいなくなり、田舎へ引っ込む会社も出ていた。おもにIT系の会社だ。この様子を井上は、江戸時代に入って天守閣が造られなくなった城を例に書いている。実用的な意味がなくなった天守閣。東京の高層ビルにどこか通底する。

この天守閣なるもの、江戸時代、商人の家には許されない高さだった。高みから武士を見下ろすな!という考え。しかし、その武士は商人から金を借りていた。三井や住友などである。この反動で、明治維新で武士階級が解体されると、商人は背の高い建物を建てた。これは現在も続いている。


フランス文学者の桑原武夫氏は「身分制の廃止という点については、日本のほうがはるかに徹底している」と明治維新とフランス革命を比較している。


文化庁の京都移転について井上氏はこんな見解である。

文化庁の職員たちの間に「都落ち」感が強い。東京で子育てをしていい学校に行かせたいのに、それができなくなる。京都みたいな田舎にいい学校はない。官僚たちにとって双六の上がりはどこの省庁も最終的に「東京」。しかし、文化庁だけが京都という田舎に来る。これが堪らなくイヤだと思っている。


東京都というのは、「東の京都」という意味なのに、「西東京市」とか、高校野球で「東東京地区」なんて出てきている。「京」も「都」も「みやこ=中心地」という意味。東東京なんて麻雀用語「トントンキョウ」ではないかと、これは青木淳氏の指摘。


青木淳氏はこう語る。

2020年の東京五輪の新国立競技場は、ザハ・ハディドさんの案が選ばれたのに、費用が掛かりすぎるということで却下された。そして、隈研吾の無難なデザインになってしまったわけだが、そうなると、以前の国立競技場を建て替える必要があったのかどうか?


井上章一氏はまたこうも語る。

京都には景観規制、景観条例があるけど、ヨーロッパから比べたらかなり緩い。河原町四条から通りをみると、建物はもうてんでバラバラ。また、イギリスの建築家を道頓堀に連れて行ったら、「ここは、何をやってもいいところなのか!」と叫んだという。


第二次世界大戦中の1943年7月19日、イタリアの首都ローマは連合軍から初めて空爆を受けた。その翌日にイタリア軍の参謀本部は「戦争をやめよう」と国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世に掛け合っている。ムッソリーニの逮捕と連合国への休戦申し込みを空爆の翌日に決断している。誰もローマに爆弾が落ちるとは思っていなかったのだ。コロッセオが、バチカンが燃えていいのか?そんなことは断じて許されない。フランスも、パリが燃えるのが許せなかった。

しかし、わが日本の参謀本部は、連合軍の東京空爆を3年4ケ月持ちこたえた。東京が焦土と化しても戦争を継続した。その結果、東京には江戸時代からの建物が残っていない。日本の政府は建築物などどうでもいいと考えていたのだろうか。


井上氏はこうも指摘する。

『大改造!!劇的ビフォーアフター』という番組で、建築の達人や匠が家の床にビー玉を置いて、ビー玉が転がると「傾いています!シロアリがいるかも」「こんなふうに床が傾いていると三半規管に悪い影響を与えます」「頭が悪くなる!」とか発言する。しかし、ベネチアの建築家はその話を聞いて、「ベネチアの建物は床にビー玉を置いたら必ず転がる。しかし、三半規管に問題がある者はいない」という。「家が傾いていると勉強ができない子供になる」という説に対して、「斜めの方が頭は活性化する」という研究論文もある。垂直に立つということは、傾くのを補正しながら立つのであって、その方が頭は活性化するのだ。


さらに井上氏は、神戸女学院のことも述べている。

ここはヴォーリズが校舎を設計し、配置した美しいキャンパスだが、あるシンクタンクのスタッフが2000年頃、こんな発言をした。「こんな築60年の建物なんか、維持管理するだけで、ドブに金を捨てるようなものです」。

……この本を読んで感じたことをお話しします。お楽しみに。

『百年の孤独』

2024-07-31 21:55:19 | 日記

この本を読んだのは1983年のことだ。1982.7.30の11刷、1500円の新刊で購入した。悪戦苦闘しながら26歳の僕は読んだ。この鬼シュルレアリズムの高湿気と破滅の物語は、当時やっていた芝居にそのカケラも映すことが出来なかった。百年という言葉だけを盗用して「風屋敷百年物語」という、雨が降り続く日本家屋の不義の物語を書いたが評価されなかった。今年この物語が復興した。文庫本になった。すぐに購入して、今日ようやく読み了えた。この小説が翻訳された当時の文壇、作家の反応を筒井康隆が解説で怒っている。この小説を読んだことと読まなかったことで何がどう変わったのかはわからないが、この物語のなかに身を置いているときの自分の感触をいまだに持ち続けているのが不思議である。やはり湿気と干魃のせいだろうか。

文庫本を買う

2024-03-08 09:45:11 | 日記

 

文庫本_a0193496_23151523.jpeg
石垣りんさんの随筆「花嫁」のことをかつて書いた。
うろ覚えだったので、ちゃんと読みたいな、と思った。
『朝のあかり』という文庫新刊になっていた。
 
文庫本の棚をまわっていると、先ごろ亡くなった山田太一さんの随筆を見つけた。
氏の本は割とよく読んでいる。
戦前生まれの矜持とストイックさ、独特のダンディズムも感じる作家。
寺山修司と同級生だった。
青森生まれの才気溢れる少年と、浅草生まれの都会っ子の文学青年の交歓。
そこが気になるのだった。
 
さらに、マンディアルグの文庫本。
『オートバイ』は若い頃に読んだな。
悦楽の小説。
しかし、ミシェル・フーコーの講義でこう聞いた。
1960年代後半の学生運動の頃、性の改革を進めることが運動の主体となったが、
フランスの若者はセックスに熱心ではなく、
ドイツの若者は真面目にせっせと性に向かったとか。
日本では四畳半の部屋と風呂屋の石鹸箱の音か。
なんだか物悲しいな。
ま、そういうことはね。