かつて銀昆で…

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

時々見る、芝居の夢

2021-04-26 22:59:01 | 日記

時々、芝居の夢を見る。

今回の公演場所は異国、おそらくシンガポールに近い観光都市で、出し物は、これまで日本で公演してきた演目。ゆえにセットの組み立てとか照明、音響装置の配置などに時間をかけて、舞台稽古は少しだけしかやっていない。
 
まもなく開場ということになり、今回は出演していない銀昆のメンバーたちが見に来るのを迎えている。遠い距離をやって来るのだから感謝の気持ちもある。田島君は裏方で、走り回っている。ぼくは出演する役者~日本人が少なく、現地の人たちが多い~に最終的な確認などをおこなっている。
 
劇場は大きな倉庫のようなところで、100人以上入るようだ。「こんなに広くて大丈夫かな」と感じている。照明音響オペ室に行くと絵所さんが仕切っていて、 何も問題はないと安心する。また、劇場への入口にはいくつかの屋台が出ていて、現地の辛そうな料理や飲み物などを販売している。すべて現地人で、ぼくと目が合うと笑う。焦る気持ちが和む。
 
いよいよ開場となってお客さんが入って来る。和田君が仕切っている。「あまり多くないですよお客さん」などと言いながら、あっちゃんと共に動き回っている。彼らは出演はしないし、数時間前に現地に到着したばかりで、手伝ってくれている。ガムランのような音楽が遠くからずっと流れていて、本当にここは日本から遠くはなれた場所なのだと感じている。客の入りは7~8割だろうか。知った顔がちらほらいる。みんな観光でこの場所に来て、そのついでに公演を見に来てくれたのだ。
 
いよいよ開演となり、暗転 する。ひとりの青年がスポットライトに浮かび上がり、ゆっくりとした踊りを舞う。やはり鳴っている音楽は東南アジア風のもので、ぼく自身初めて聞く音楽だが、違和感を抱いていない。もしかしたらぼくは知己の劇団公演の手伝いをしているだけなのかもしれない。だが、山崎ヒデキ作曲の唄が流れ出すと、そこは西部講堂に豹変する。長い花道を傘を差した女が歩いて出て来る。下駄の音がし、浴衣姿だ。光が強くなるとそれが信美ちゃんだと判明する。セリフは聞き取れない。ぼくは段取りをするために暗幕で仕切られた細い通路を通り抜けつつある。観客がざわめく。何が起こっているのか分からないが、暗闇のなかでおそらくダニーだと思うのだが、「ウケましたね」と剽軽な声を出す。裏で、銀色の大 きな皿を何枚も用意し、その上に料理のようなものを載せる準備をしていると、劇団や芝居とは全然関係のない、最近知り合いになった男が「大変ですね」と手伝ってくれる。
 
やがて終演。
 
終わった劇場で食事会が開かれる。大きなテーブルが並び、大勢の観客がそのまま残っている。アジア産の缶ビールが並べられ、大皿料理が盛りつけられていて、いったいいつの間にこんな準備ができたのだろうとふしぎな気持ちになっている。ふと横を見ると長江君が座っていて、「ビール?」と聞くと、長江君は「ぼくは最初から焼酎を飲みます」と答えた。
 
いざ乾杯となる前に、ぼくは誰かに呼び出されて雑誌の取材を受ける。日本人もいるが、異国人もいて、通訳があれこれと聞いてくるのだが、芝居と関係のない話が 多くて、笑うしかないので笑っている。気がついて劇場に戻ると、打ち上げはすでに終わっていて、バラシの最中。観客も役者もすでにいなくて、ぼくも次の場所へ移動する時間が迫ってきている。なんだなんだ、時間の経過が早すぎではないか!と夢の中で自分の夢に文句を言っている。つまりこれが夢であると自覚しているのだ。だが、そのまま便乗というか、続きを見てやろうと意識を戻す。
 
仲間はどこにいるのか?と見渡すと、田島君はバラシを続けていて、顔を合わすと「次の場所への移動はクルマか飛行機ですぜ」などと教えてくれる。長江君と信美ちゃんはもう帰ったという。すると電話が鳴り、和田君からだ。今、近くにいるのだが、このまま夫婦でヨーロッパ方面へ遊びに行くという。「それはい いね」と答えた。劇場の周囲を所在なく歩いていると日本人観光客が多く、地下鉄で移動しようと地下入口を進むと、そこは地下鉄ではなく地下劇場で、ぼくはまたここで芝居をするのだと妙に納得してしまう。
 
そこで目が覚めた。

詩人の映画

2021-04-26 22:50:09 | 日記

ジム・ジャームッシュの『パターソン』は詩人の映画である。

登場する男は詩を書き続けている。

しかし、詩集は出していない。

「出版するべき」

と、中近東由来で、今はアメリカ国籍を得ている可愛い妻にいわれる。

普段は市バスの運転手をしている男が詩を書くのは、

朝、バスを動かす前、運転席に座ったほんのわずかなひとときのことだ。

何日かかけて一編の詩を編み上げる。

朝早く起きて、眠っている妻にキスをして、

シリアルを食べてバス車庫に向かう。

月曜から金曜まで、規則正しい日々を送る。

言葉を紡ぎ出すのは、夜、夕食が終わってから犬の散歩に出て、

犬を店の前に留め、

カウンターのいつも同じ席で一杯のビールを飲んでいる瞬間だ。

ジョッキに注がれたビールが半分くらい減ったとき、

男はその液体の表面を見て、

書くべき言葉をなんとなく、ぼんやりと、曖昧なままつかまえる。

そして、それをあたため持ち、翌朝ノートに書きつける。

男は2人の、詩を書く人と出会う。

ひとりは少女で、ひとりは日本人の、大阪に住んでいると思われる男だ。

著名な詩人たちの名前も登場する。

ロン・パジェット、ウィリアム・C・ウィリアムズ、フランク・オハラ、

ジョン・アッシュベリー、エミリー・ディキンソン、ケネス・コック、

そして、アレン・ギンズバーグ。

僕はこれらの詩人の詩集を持っていない。

男の妻は、カップケーキ作りがうまい。町のバザーに出すとよく売れる。

歌も好きで、ギターを買って「線路は続くよどこまでも」を練習する。

カントリー歌手になるのが夢だともいう。

そして、パッツィー・クラインの名前を口にする。

パッツィーは絶頂期を迎えていた30歳のとき、

航空機事故で亡くなったカントリー歌手だ。

1963年のことだが、

いまだにパッツィーのことを憶えているアメリカ人は多い。


けころ

2021-04-12 20:00:00 | 日記

「けころ」という言葉がある。

遊郭ことばで、

吉原からすこし離れた安い遊郭などで働く遊女たちを指すものだそうだ。

彼女たちは次から次へ仕事をしたから、「蹴転がる=けころ」と呼ばれたらしい。

 

私はこのことばを池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読んでいて知ったのだが、

もとより吉原や遊郭、遊女については小説など以外に知らない。

だがこの遊郭モノの小説には面白いものが多々あって、

隆慶一郎の名作『吉原御免状』、松井今朝子の『吉原手引草』、

高田郁の「みおつくし料理帖シリーズ」などがある。

永井荷風にもここのことを書いたものが多い。

 

こうした物語や随筆から見えてくる江戸の風俗はなかなか面白い。

上方人である司馬遼太郎は江戸っ子の本質について

「自分自身できまりをつくって、そのなかで窮屈そうに生きているひとたち」

と書いているが、これは卓見だと思う。

時節になるとかならず行く場所、することがあり、

衣服はこうで、土産はこれで、挨拶はこうする、滞在時間も決まっていて、

その帰りがけに定まった店でこの料理を食べる……

すべてが決まっていた。

だからその原則がなにかの都合で崩れると、途端に不機嫌になってしまう。

料理屋が閉まっていたりなどすると、怒りだしたりする。

おそらく司馬は池波正太郎を見てこのような分析をしたのだと思う。

実際、二人は若い頃仲が良かった。

それにしても「けころ」ということばはなかなかに辛辣だ。

外れの遊女というものがそう呼ばれていたこと、自分らでも認めていたことを思うと、

〔そういう時代だった〕のだろうが、せつない。

しかしまた、そうした〔せつなさ〕からゆたかな物語が生まれてくるのだろう。