【 下田・桃木家との再会 】


平成二年七月十九日、あの伊豆下田・桃木家の皆さんが北海道旅行へと来道され、この日「層雲峡グランドホテル」で十六年振りの再会を果たしたのでごぜぇますだ。
数日前に陽子ちゃんから自宅へ、北海道旅行に家族全員で行くので、是非お逢いしたいと電話があったので、へぇ。
それで日程を聞き、前日に明日、層雲峡に行くとの連絡が入ったので、当日は仕事を終えてから層雲峡まで車を走らせたアッシでごぜぇました。
一時間半程で層雲峡のグラウンドホテルに着きましたが、桃木家のみなさんはまだ到着されておられませんでしたなぁ。十五分ほどしてから、陽子ちゃん一行の観光バスが到着致しやした。観光バスから続々と降りて来る一行が、ホテルのロビーに入って来やして、その面々を見ながら桃木家の一行を目を皿のようにして捜しやしたアッシでごぜぇましただ。


あっ、居ました、先ず目に入ったのが和一朗小父さんでごぜぇましたなぁ。次に定子小母さんの姿を。そして陽子ちゃん、章人くんと。章人くんは、最初、誰なのかわかりませんでしたなぁ。それほど、大きくなっていやしたんで。16年ぶりでごぜぇますから、当たりまぇのことでやんしたが(笑)。
その夜はみなさん旅の疲れもあったので、そんなに長居はせず、翌日、札幌までお供することにして失礼いたしやした。
翌日は休暇を取って、会社の車を借用し、アッシの車に陽子ちゃん、定子小母さんが同乗して札幌までお供いたしましたんでごぜぇますだ。旭川では、「ユーカラ工芸館」を見学いたしました。
札幌では「北大」を先ず案内致しやした。季節的にちょうど恵まれていたのもありましたが、緑のキャンパス、ポプラ並木が鮮やかでございましたなぁ。
次に「ラーメン横丁」に一行を連れていきやした。陽子ちゃんが、その横丁入り口で、どこかの放送局の観光客相手のインタビューを受けていやしたなぁ。


ラーメンの味はアッシにゃ、旭川ラーメンのほうが美味いと感じましたがな(笑)。時間が経つのは早いもので、一行が千歳に向かう時間が迫ってめぃりやした。
観光バスが出発して、すぐにアッシは近くの陸橋に走りのぼり、その橋の上から去り行く観光バスを見送り致しましたことを昨日のように覚えておりやすんで。その時は、もう二度と逢えないような寂寞感がアッシを包みこんでいたんでごぜぇますだ。まさか翌年、再び逢えるなんて夢にも想っていませんでしたからなぁ。
【 大阪の母見舞い 】
平成の時代も三年目に入った一月の或る夜、一本の電話が鳴りやした。初めて聞く声でありやしたなぁ。
なんでも奈良に住むという叔父にあたる人からの電話であったんでごぜぇますだ。話しの内容は、大阪の実母が肺ガンでもう長くはない状況であるという事でありやした。
それで出来たら元気でいる内に、一度逢ってやってくれないかという事でありうやしたんで。実母とは、学生時代に二、三度大阪に逢いに行ったっきりで、もう何十年と逢ってはいないアッシでごぜぇやした。
でも、長男坊が産まれた時だけはそのことを手紙で教えておりやしたなぁ。アッシも四十半ばの歳になっておりやした。


そんな訳で二月二十二日、大阪北市民病院に入院している実母を見舞いに参りやしたんで。二月だというのに大阪はとても暖かく、春のようでごぜぇました。病院の前庭に、大きな紅梅の木が満開の梅を咲かせていたのを覚えておりやす。
想ったよりも元気な母を見て、もう長くない命だとは感じられませんでしたなぁ。母とは名ばかりの母では有りましたが、歳老いた姿を目の前にすると、一人の人間として波乱万丈の人生であったろうなぁと何故か、愛しい想いを感じたアッシでございやしたなぁ。初めて、母に逢った高校2年の頃を思い出しましたなぁ。
翌日、母の強い勧めで四国は徳島の母の姉、鶴子叔母さんに逢いに行ってめぃりやした。鶴子叔さんは80歳を過ぎているというのに、まだまだカクシャクとしてお元気でございやした。
息子の従兄にあたる方が、鳴門大橋を案内してくれやしたですなぁ。当時、出来たばかりでやん下でごぜぇますだ。二日ほどお邪魔して、すぐ大阪へ舞い戻り、再び母を見舞いに病院へめぃりやした。
【 妹との再会 】
大阪からの帰路、浜松へ嫁に行っていた妹、康子の顔を見たさに、新幹線を途中下車したアッシでごぜぇやした。住所のみを頼りに、妹の家をだいぶ時間を掛けて捜しやして、やっとたどり着きましたでごぜぇますだ。
妹の康子は、小豆餅町という珍しい町の名前のところに住んでおりやした。日も暮れ、一軒一軒表札を見ながら捜し当てましたなぁ。とうとう「橋本」という表札を見つけた時は「あったぁ~」という気持でしたなぁ。
「こんばんわぁ~」と声を掛けて、出て来たのが妹、康子でやんした。その時の、妹の驚いた顔を忘れることが出来やせん。


三十一年振りの再会でしたなぁ。娘が二人居て、長女が「かおり」、次女が「る美」という名前でごぜぇやした。上の娘が中学三年生、下の子が小学六年生で長男坊と同じ年でございやした。
妹は何前か前に離婚していて、一人で娘二人を育てていたのでごぜぇましただ。 娘二人は活発な子でございましたなぁ。いいだけ母親に甘えている感でございやした。きっと、妹も甘やかせて育ててしまったんでございましょう、アッシと同じように。一晩、話し明かして、翌日は東京に向かいやしたあっしでごぜぇますだ。


東京では、「三軒茶屋」に暮らしていた陽子ちゃんを訪ねやした。それこそ、住所のみで、また、その家を探したんでぜぇますだ(笑)。
昨年の北海道旅行では、もう再会はないかと想っていたアッシでやんしたが、まさか、こんなに早く再会出来るとは夢にも想いませんでしたなぁ。
そんなこんなで大阪の母の見舞いが、想いがけなくも四国にも行き、浜松の妹家族、そして東京の陽子ちゃんにも再会出来る旅になったんでごぜぇますだ。
つづく